CASE.29「純情サッドデイズ その12」


 綺麗に折りたたまれた原稿用紙。鞄に今日の分の教材などを放り込むと、平和は一人静かに下校する。今日も皆に後ろ指をさされながら。


 今回は例の新聞の噂もあって余計に居心地が悪い。空気も悪いしでその場にいるだけで神経がどうにかなってしまいそうだった。


 立ち去る。今日は一足先に自宅へと向かう。早いところ、例の反省文を書き終えて何事もなく熟睡したいものだ。そんな気持ちでたった一人、夕暮れの住宅街を走っている。


「あっ」

 つまずいた。何もない地面でつまずいてしまった。

 豪快にずっこけた平和はアスファルトの地面に頭を思い切り打ち付ける。ただでさえ、鼻の傷のあとで目立っていた顔面に更なる傷を増やしてしまった。



 ___不幸。この不運。

 絶対に幸せなんてない。誰も理解なんてしてくれない。



「……くそったれ」 

 平和は静かに立ち上がり、その不幸に舌打ちをする。

 そうだ。こんな不幸は大嫌いだ。慣れてるなんて口にはしているが実際は慣れたくもないこんな痛み。今すぐにでも消えてほしいと切に思う。


 くだらない想いを抱きながら自宅へ辿り着く。頭の治療もしたいために一直線に部屋へと向かおうとした。


「平和~、おかえり~。ちょっといいかい?」

 階段を上る前、声を駆けてきたのは母親だった。


 彼の母親はちょっとバブルの空気が残っているタバコ好きの女性だ。くるくるパーマの髪型に厚化粧。家にいるときは専らタバコを吸ってグータラやってる、バー経営者のアラフォーである。


「バッティングセンターでどうにかあったって話、あれ本当かい?」

「……そうかもね」

 誤魔化すような返事をして階段を上がっていく。


「まあ、待ちなって」

 タバコを吸いながら、部屋へ逃げようとする彼を母親は呼び止める。


「本当の事を言いなさいな。やったのかやってないのか。お母さんくらいには本当のことを言ってもバチは当たらないって」

「……」

 平和は一瞬だが迷う。


「……やってないよ」

 迷った後に本当の事を口にした。家族くらいには心配をさせたくないと本当の事を告げた。


 バッティングセンターのゲームセンターで気弱そうな男子学生が絡まれていて、それを止めようとしたお爺さんが不良生徒に手を出されたのを見て助けに入った。不良生徒達はすぐに立ち去ったから大ごとになる前には一件は終わったと。


 包み隠さず正直に告げた。


「そうかい。良かった、安心したよ。平和は悪い子ではないからね」

「相変わらず、信用してくれるんだ」

「当たり前じゃないか。私はアンタの親だよ。信用するに決まってる。仮に嘘をついてるって後でわかったら説教してやればいいだけだからね」

「……そう」


 平和は感想文を書くために再び足を進める。


「このままでいいのかい。アンタ」

「……俺が何かしても、どうしようもないじゃん」

 何を言ったところで信用してもらえるわけがない。既に張り付いた悪名なんて剥がれるわけがないのだから、どれだけ足掻いたって悪評が広がるだけで逆効果。


 何もせずに従うだけの方が得策だと言い残し、平和はその場を後にした。


「……はぁ、本人があの様子だとねぇ。しかも証拠がないと来た」

 平和の母親は呆れたようにタバコの煙を吹かす。

「お店で例の噂、何か知ってる人いないか探ってみるかね。それくらいしか出来ないの、申し訳ない気分だよ。ホント」

 タバコをふかしながらお尻を掻き回す母親。

 その表情は申し訳なさと同時に歯痒さも覚えて……息子である平和を心配する母親らしい表情を浮かべていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 数時間後、紆余曲折あって反省文を書き終えた。


 何が面倒かというと、定型文などで固められた文章にすると“反省の色が見られない”なんて野次を飛ばす輩が現れることだ。こんなことでオリジナリティなんて発揮したくないと心から思ったことはこれから先もないだろう。


(どうしろってんだよ)


 平和はベッドに横たわる。


 ……母親の言う通り、本当ならばこのままでいいわけがない。

 自分はやってないと正直に告げたい。やってもいないことを真実にされて、それで自身が悪党にされるなんて良いわけないだろうと平和はずっと思っている。


(何をしたって、何も起きないんだから)


 だが、どうしようもないのだ。

 この不幸体質がまき散らした悪評は簡単には覆らないのだから。



 ……死んだほうが楽なのではとも考えたこともあった。



 だけどそれだけは嫌だった。それで楽になるのは自分だけだし、そんなことをすれば、いつも味方でいてくれた上に、学校に行かせるために懸命に働いている親を裏切ることになるのが頭をよぎって、その行動だけには走ろうとは踏み切らなかった。



 どうしようもない歯痒さ。

 とてつもなく苦しいこの感覚。





“お前はなにもしておらんじゃないか”


“カズくんは悪いことしていないよ!”


“窮屈じゃないか? そんな生き方”


 



 ふと思い出す皆の言葉。

 その言葉が……縛り付けられていた体をほぐしてくれるようで、冷め切った体が何故か温まっていくような感覚があった。


「……眠い」

 今日も一段と疲れた気がする。

 この上ない脱力感がやってきた平和はお風呂もご飯も食べることなく、そのままベッドで熟睡してしまった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 後日、全校集会の時はやってきた。

 校長先生の長い前座が始まっている。話題は当然、例のバッティングセンターでの一件でそういう生徒が現れたことに対して悲しんでいるという話題。それが数十分近く長く語られている。


 更に上げられるハードル。微かに聞こえる例の不良生徒達の笑い声。

 原稿用紙を手に待機している平和は深く溜息を吐いた。


「それでは、西都平和君。前へ」

 公開処刑の時間が始まった。


 どんな文章であれ野次が飛ばされるのは分かっているが、何もしない姿勢を見せるよりは充分に良い。


 ステージの上に立ち、教壇の前に立つ。

 用意されたマイク。定型文なんかでは塗り固めていない、ありもしない事に対しての反省をしっかりと描いた文章。


 ざわめく会場。そして、ニヤケ声。

 惨めな思いではあるが……西都平和は呼吸を整え、マイクの電源を入れる。


「皆さん、僕は」

「その公開処刑ちょっとまったーーーーっ!」


 響く。突然声が響く。


「!?」

 原稿用紙を片手、平和の背筋がピンと張られる。


「そうだぜ平和! お前がその反省文は読む必要ないぜ!」

 同じく原稿用紙を握っていた小林牧夫。

 彼と全く同じ公開処刑がこの先待っているはずの牧夫が突然騒ぎ出したのである。


「小林君! 静かにしては」

「本当の犯人は……この会場の中にいるッ!」

 それっぽい言葉を突然。何やら凄腕の弁護士のような言葉をぶちまける。


「証拠なら、ここにあるぜ!」


 掛け声と同時。

 全校放送のスピーカーに突如、”電源”が入る。


『お前よぉ、いい加減にさぁ』

『こら、やめんか!』

『うるせぇなジジイ!!』


 突然聞こえだす“校内放送”。

 例の不良生徒達の声。そして、お爺さんの悲鳴と物騒な物音。


「……!?」


 その場一体の空気が、突如凍り付いた。

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