1-10
甲高いような音がかすかに聞こえた。
伸びるような音で笛のようにも聞こえる。
もう少し、意識がはっきりしてきて、それが犬の遠吠えだと分かった。
目を薄らと開けられるぐらいに意識がはっきりしてきた時には、人がすすり泣くような声も聞こえてきた。
「わ、ワシは人生で唯一の友人も助けることができず、若き未来ある青年をも殺(あや)めてしまった……。それも唯一の友人が大切にしていた犬にその罪を負わせしまった……」
アットヴァンスが悲痛のうちに呟く声が耳に入ってきた。
とりあえず、起き上がろう。
片肘を地面につき、起き上がった。
アットヴァンスの目が丸く大きく開き、こっちを見た。人は驚くとこういう表情になってしまうらしい。
犬も犬で、遠吠えを途中で止めてこちらを見つめてきた。
犬がゆっくりと近付いてくる。
や、やばい……。咬み殺されたら、もう生き返られねぇよ……。
犬が俺の頬を舐めてきた。
甘えるような声も出している。
なぜ、甘えてきたんだ……?
「お、お前。なぜ生きている!? 医者の俺が診(み)間違うはずなどない」
「奇跡でも起きたんじゃないか」
「そ、そんなことが簡単に起こってたまるか。だがしかし、実際にお前は生きている。いや生き返ったのかもしれない。後頭部を診せて見ろ」
後頭部をアットヴァンスに診せるように、俺は首を捻った。
「後頭部が割れていたんだぞ?! それが薄らと塞がっている。どういうことだ! こんなことあり得ん」
「俺も知りたいよ」
「ああ、そうだろうな」
犬の顎を撫でてやった。嬉しそうに懐いてくる。
それを見ていたアットヴァンスが呟いた。
「そうしていると、奴そっくりだよ」
「俺の容姿がここにいた薬師にそっくりなんだってな」
「そんなことまで調べたか。ああ似ているな。ワシも驚いた」
「この犬が急に懐いてきたんだが、何かあったのかな?」
「犬? ああペスのことか。この小屋は薬草の匂いで充満している。お前が寝転んでいる間に薬草の匂いがお前に浸みついたんだろ。容姿も奴に似ているし、錯覚しているのかもしれん」
犬をあやしながら、話を本題へ切り替えることにした。
「アットヴァンスさん、俺は真相を知りたい。薬師のじいさんが亡くなったのは流行り病だと聞いた。あんたが殺した訳ではないんだろ?」
「……。ワシなんだ。奴を引っ張り込んだのは。小さい頃からワシは医学に興味があってな。奴はいつも山を駆け回って山菜や薬草を摘んでいた。特に薬草の知識がとてつもなかった」
いつになく、言葉数多く話すアットヴァンス。
そしていつになく、表情が豊かになっているように思える。
「ワシがここで診療所を開業した時には、奴は薬師としてこの麓で少しずつ栽培する薬草の数を増やしておった。ここが一番栽培するのに適した環境なんだと言っておったな」
犬が目を瞑り、甘えた声を出した。ご主人のことを思い出しているのかもしれない。
「だが、奴が流行り病をもらっての。ワシもおかしいと思ったんだ。ほとんど世間から隔離するように暮らしている奴が流行り病にかかるとは、信じられんかった。それもあってワシは診療所に来るように言ったんだが……」
「来なかった」
「あの時もっと強く言っておれば、発見できていたはずなんだ。流行り病に似た症状ではあったが、全く別の病気だった。奴が亡くなった後にそれが判明した」
アットヴァンスが鼻をすすった。涙を流しているのかもしれない。
あえてアットヴァンスの顔を見ないようにしていた。見てしまった瞬間、胸がより苦しくなって話を聞いてられなくなると思ったからだ。
「奴が言う症状と町でちょうど同じ時期に流行り病が流行っていたこともあって、ワシは、あまり深く考えず、流行り病に効く薬を説明してやるだけだった。奴は薬草を集めること、育てること、作ることにかけては天才であったが、医療となると覚える気が毛頭なくての……」
犬がアットヴァンスに近付いていった。鼻を摺り寄せている。薬師との思い出を二人で共有しているかのように見えた。
「様子伺いも兼ねて、薬草をもらいに行った時に奴は倒れていた。横ではこれが声をあげ泣いておった」
「薬師さんが亡くなったのは3年ぐらい前なんだろ?なんでここの畑は手入れされているんだ?」
「それはワシが手入れしておった。だが、この犬は誰に似たのか頑固での。薬草を摘もうとすると、咬みついてこようとする。きっと奴に自分以外が摘むのを許さぬよう教えられたんだろう。それを奴が死んでからもずっと守っておる」
アットヴァンスが犬の額を擦(さす)るように撫でた。犬は気持ち良さそうな顔をしている。
ギルドに依頼をかけていたのはなぜなのか……?
話を聞きながら自分の脚を撫でていた。以前あった傷は跡も無く消えていた。
「ギルドに依頼をかけておったのは、カニの葉だけでも栽培を続けられるようにと思ったからなんだが、この薬草は奴が発見した草でな。万能薬として、しかもこの付近でしか育たないと言われている。数も多くは作れないようなんだが、診療所のそばでこの葉の生育できるか試そうと思っての」
「それはなぜ?」
「この犬。ペスという名もワシと奴しか知らぬ犬ではあるが、こいつがここ数年で弱ってきておる。あまり物を喰おうともしない。骨だけは別だがの。環境を変えてやって、穏やかに余生を過ごさせてやれればと思っての。帰って来ないご主人を待ち続ける一生は酷であろう……?」
俺がカニの葉を摘むしかない……。
「事情は分かったよ。改めてお願いする。俺にこの依頼を受けさせてくれないか?」
「お、お前はなぜそこまで肩入れをする。こんな依頼大した金にはならんぞ?」
「もう引き返せねぇよ。こんな偏屈なじいさんと頑固な犬のしょうもない話を聞いちまったらな」
涙が流れていることに気付いた。
アットヴァンスも頬を濡らしている。
「だが、このバカ犬、なかなかに頑固だぞ」
「ああ、だから1つだけ協力してくれ」
■ ■ ■ ■
数日が経った。
ギルドの食堂で朝食を配っていると、ソングさんが話しかけてきた。
また来た。世話焼きだな。この人。
「ヒロト、お前まだあの偏屈じいさんの依頼続けてるんだってな」
「ああ、はい」
「あんな依頼より簡単にこなせる物はいくらでもあるのによ」
「ホント、変な依頼に捕まってしまいましたよ」
「へっ、気に喰わねぇな」
「何がですか? ソングさん」
「その表情がだよ。俺は嫌味で言ってやったのに、そんな清々しい顔をしやがって。俺が悪者みたいじゃねぇか。けっ!」
そっぽを向いて出て行こうとしたソングさんが何かに気付いたように戻ってきた。
近寄ってきて俺の身体を嗅いできた。
「な、なんですか?」
「お前、なんかおじいちゃんみたいな臭いがしね? 薬っぽいっていうかおじいちゃんっぽいっていうか」
「それおじいちゃんじゃないですか!」
反転して出て行こうとするソングさんがまた辺りを嗅いで首を傾げ、そのついでみたいな感じでララーさんと話しをしている。
出かける前にララーさんと話し込むのがソングさんのルーティンなのかもしれない。
ララーさんもこのルーティンが嬉しそうだ。
なんだろ……、この感情……。
自分の目をこすって、頬を2回叩いた。
今日こそは、依頼を遂行させる……!!
■ ■ ■ ■
麓に着くと、ペスが待ちわびたようにこちらを見てきた。
色々と準備をしていたら、夕方近くになってしまった。
この数日、カニの葉を摘む仕草をして、犬ペスが追いかけてきたら逃げるという特訓をしてきた。
1度か2度はペスの攻撃を避けられるようにはなった。
あれだけ貧弱だった俺がよくここまで動けるようになったと褒めてやりたいよ。
何か友情に近いものも感じてきてたが、ペスも今日がいつもと違うことは感じているようだ。
今日決める! その為に、ペスが大の好物だというボタンの骨をララーさんに頼んで5本ももらってきた。
ララーさんは「ボタンの骨は高値で売れるから」と頬を膨らましてみせたが、それは冗談で笑って快諾してくれた。はぁ~カワイイ。
ただ、ボタンの骨が高値で取引されるのは事実らしい。
ボタンの骨にアットヴァンスから貰った薬の粉を塗り、遠くへ投げた。
ボタンの嬉々としてペスが骨にしゃぶり付いた。
よし、どんどんしゃぶれ。
「よし、ペス! 俺は行くぞ!」
俺はカニの葉の近くに駆けより、摘もうとした。その時、やはりペスが駆けてきた。
先ほどまでとは打って変わって、狂犬のようだ。ただ、迷いもあるように見える。
1度ペスの攻撃を避け、セーフゾーンへ。
やはり、1回では効かないか。
2本目、3本目と骨を投げ、カニの葉を摘む仕草だけをし、セーフゾーンへ退避した。
その間もペスの名前を呼び続けた。「ペス、おいで。ペスおいで!」
ペスは抗うように吠え続けた。
俺は薬草をたっぷり身体に塗りたくっている。嗅覚に優れたペスはご主人と同じ匂いがする背丈の似た自分の名前を呼ぶ侵入者に戸惑いを見せ続けた。
やっと、ペスの動きに異変が現れ始めた。足元がおぼつかない。
日も落ち、辺りは暗くなってきた。
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