一・マンションの話

 世の中には「特定の物を与えてはいけない人間」というものが一定数存在する。それは例えるなら、犬にチョコレートを与えてはいけなかったり、鬼に金棒を持たせてはいけないのと同じようなもので、大金を与えてはいけない人間というのもまた存在する。

 俺はそれを芸術家だと思っている。

 芸術家に大金を与えるとどうなるかというと、無駄に広大な土地に、無駄に奇妙奇天烈な造形をした建築物を作り出す。大抵の場合、それは美術館になったりするし、著名人の住居になったりするのだが、少なくとも一般人には殆ど何の利益にもならない。

 俺の住んでいる家もそうだ。とある資産家が芸術に目覚めてしまったために、無駄に広大な土地を買い占め、その土地の中心に、これまた奇妙なマンションを建てた。よく大金持ちが遊び半分で、在野の芸術家に大金を突っ込んで、途方も無い芸術作品を作らせたりする。文字通りの遊び半分なので好きにやらせるし、出来上がったそれがなんの役にも立たない物であっても大金持ちは喜ぶ。自分がその芸術家を育てたと豪語したりする。そんなイメージを持っていた。でも件の資産家の場合はそうではなくて、自身が芸術家となることで、その過程を全部一人でやってしまったのだ。

 マンションの周りにまだ何か建物を建てるのかと思えば、なぜかそんなことはなくて、舗装された道路以外、雑草が生い茂る地に成り果てた。特に酷いところだと、人が完全に隠れてしまうくらいの高さの雑草が伸びている。つまりは完全なる荒れ地、という状態。

 資産家が買い占めた一連の土地はほぼ正方形をしていた。地図で見たから間違ってはいないと思う。正確な面積は知るはずもない。

 芸術家はまず、綺麗で無駄に幅の広い道路を縦に二本、横に二本の合計四本を盤の目状に敷いて、ちょうど「井」だとか「♯」だとかの文字のように荒れ地を均等に九分割した。その真ん中に俺たちが住むマンションはあって、その他は荒れ地。それが五年ほど続いていて、土地の無駄だとかいろいろな文句が言われ続けているが、芸術家はいつの間にか資産家に戻ってしまい、もうその土地には手を着けなくなってしまった。そのくせ法外な値段を付けてしまったために、買い手は全くついていない。買い手とは言ったって、資産家は手放してもいないし、その予定もないとまで言い出しているから混乱も甚だしい。

 まあ……俺自身も、他の住人も、家賃が安いというそれだけの理由でここに住んでいる。家賃が安いというのは魅力的ではあるものの、このマンションは不便さがそれを上回っているためか、人は全然住んでいない。各階に一世帯という有様だし。

 マンションは「コ」の字型をしていた。航空写真で見たらはっきりとわかる。「コ」を横に引き伸ばした形。壁も床も天井も真っ白。大理石かというとそうでもないらしいが、とにかく外観は白い。「コ」の上下の横棒部分は北と南を向いていて、辺のない左側は西を向いている。朝日は遮られ、西日が棟の内側を照らす。

 そして何よりも奇妙なのは、「コ」の空白部分の殆どを、階段が占めていること。入り口から最上階である十階まで、階段で一直線で上れる。一般的なマンションの階段であれば、小さな階段が幾重にも折り重なる形で、階段全体を見れば、縦に細長く伸びているはずだ。

 というか、そもそも普通のマンションにおいて階段を使う人間なんて今はほぼいないと言ってもいいだろう。皆エレベーターを使うだろうし。

 このマンションにエレベーターはない。不便さを説明するなら、もうこれだけで十分過ぎる。そこに加えて「駐車場もない」だとか「エントランスもない」だとか「オートロックなんて存在しない」と追い打ちをかける気にはとてもなれない。

 なのでこのまま説明を続ける。つまり、横に長い「コ」の形状に住居は並んでいて、それが十層連なる。階段は一階から最上階まで一直線。大体イメージはつくだろうが、横から見れば、「コ」は長方形となり、階段は対角線上に伸びていることになる。西から東へ。辺のない「コ」の左側から右側へ。

 だから階段の最下段から上を見れば、ただひたすらに最上階へと伸びる階段が見渡せるし、一階の「コ」の縦棒部分からは、天を覆うくらいの階段の裏部分を見ることができる。特に感動はないけど。「コ」の空白部分の九割が階段なので、何分幅が広く、階段に何人も寝転べるくらいだ。

 二階から九階のそれぞれの住居棟へと通じる通路が、階段から「コ」の上辺と下辺に伸びている。上の階へ行くごとに、階に接続された通路は右辺へと近づく形になる。十階に関しては、右辺全てに密着しているので通路そのものである。住居棟に接続された通路を兼ねた踊り場は、他の階段よりも奥行きがある。だからその部分に関して言えば、縦にも横にも並んで寝転べるくらいに余裕がある。念のために言うが、誰もそんなことはしない。

 こんな、奇妙奇天烈なマンションの説明はこれくらいで十分だろう。

 彼女の説明を皆望んでいるだろうから、その出会いから始めようか。

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