第5話

 昼の街と対照的なネオンきらめく夜の街にやってきた。

 タマはこれから夜のバイトに出るらしい。

 私はタマがどんなお店で働いているのか気になったので無理矢理ついてきた。裏道を通って何度も道を曲がって彼が働いている店が見つかった。フランス語かなにかで書かれた看板が私たちを出迎えてくれた。お客様用出入口から入るとジャズが流れていた。店内を見渡すとそこには暗い電灯の中に二人の人影が見えた。タマは私の手をしっかりと握って誘導してくれた。

「いらっしゃーい」

 優しい目をした桂三枝にそっくりのオカマが私に向かって笑顔で言う。オカマは、水商売の女が着るような毛皮のコートを身につけている。

 もう一人は手が震えながら酒を飲んでいる。私の父親と同じアル中だと私は悟った。アル中の人間にろくな人間はいないから距離をとろう。

「ポチさん、体に悪いですよ。医者に止められてるでしょ」

 不良猫タマにアル中犬ポチか。なぜペットのようなニックネームが多く使われているのだろう。私は、テレビを見ないから分からないけど最近の流行かな。それにしてもアル中の大男にポチという名前は可愛すぎる。土佐犬にポチが合わないのと同じ事だ。

「この世の中ラリってないとやってらんねぇろ。この世界でろう頑張っらって俺達に見返りはこないんらよ」

 そう言ってお酒を一気に流し込んだ。

 ろれつが回ってなくて聞き取りにくいが、この人の言ってることは理解できた。

 こんなイカれた世界でどうがんばってもなにも変わらないことをこの人は知っている。それに将来のことなんて期待していないのは、この人だけでなく私も同じだった。ポチさんはアル中でも自分なりの考え方を持ってる人だ。自分より弱い人を殴るしかできない父親とは違う。アル中にも色々いるのだと私は考えを改めた。

 お店の奥の部屋からタマがポチさんと同じ制服に身を包み出てきた。 

「お客様、当店自慢のカクテルをご賞味ください」

 タマが銀色のシェーカーにお酒を入れてシェイクさせた。長いような短いような時間でカクテルは出来上がった。

「マンハッタンでございます」

 グラスの中にはレッドチェリーが浮かんでいる。すごく綺麗だ。私はサクランボを先に食べてからお酒を飲んだ。口の中いっぱいにお酒の匂いと味が徐々に広がっていく。そしてタマのいたずらを成功させた少年のような笑顔が見えた。

「うえぇ……まっずうぅ……」

 よくもこんなまずいものを飲ませてくれたわね!

 怒りの目でいたずら猫をにらみつけたが、しっぽを巻いて奥の方に引っ込んでしまった。

 子どもにはわからない味なのよ、とママさんがお水を渡してくれた。


 時計の長い針が進むにつれてお客さんが入り始めた。

 三人の店員はテキパキと仕事をこなしていく。

 私もなにかお手伝いさせてほしいと申し出たところポチさんといっしょに買い物に行くことを命じられた。

 今度は店員専用の出入口から外に出て近くのコンビニへと向かった。コンビニに着いてすぐにポチさんは頼まれたおつまみやお酒などをカゴに入れていった。最後にアイスクリームをカゴに入れて精算した。

 私は買ってもらったアイスクリームをなめながら歩き続けた。特に話したいこともなかったから口を開かなかった。それから長い沈黙をポチさんが破った。

「俺って本当は韓国籍なんらよ」

「ろれつが回ってませんよ」

 突然の告白だったがべつに驚く事じゃない。

 今、この国にはいろんな国の人達が住んでいるから。その人達の職種は、さまざまでポチさんのように夜の街で働く人、毎日アルバイトで生計を立てている人もいる。そしてギリギリの生活をしている人達のほとんどは、不法入国者だと言われている。ポチさんもそれかもしれない。金さえ払えばどんな国にでも行けるのだからやっぱり世の中よくわからない。

「なんらよー、少しは驚けよな」

「だから、ろれつ回ってませんって」

 ポチさんの顔はヤクザのように恐ろしいが、性格は優しくておもしろい。その後はなにも話さずに、ただバーに向かって歩き続けた。

 店に戻ってくると薄暗い空間の中に一人の酔っぱらいが暴れていた。他のお客さんはおびえながらそれを見ている。ポチさんが私の横を通り抜けて酔っぱらいに近づいていった。狭い店内の全ての音が消え空気が研ぎ澄まされたような雰囲気だった。

「かかってこいよ、クソ野郎!」

 その言葉にキレた男が拳を振り上げながらこっちに歩いてきた。

 私はその光景を見ながらのんきにスペインの闘牛士と牛を思い浮かべていた。

 くだらないことを考えているうちにポチさんの右足が高々と上がり一気に振り下ろされる。その足は酔っぱらいの頭に見事に決まってノックアウト。同時に周りのお客さんから拍手がわき起こっていた。

「朝鮮半島で生まれた格闘技のテコンドーだ。朝鮮で生まれた文化も捨てたもんじゃないだろ」

 ポチさんは正しくはっきりとした言葉でしゃべっていた。ガッツポーズしながら叫んでいる彼は心の底から笑っていた。

 ポチさんの考えを否定する気はない。それは私も自分の国の文化を愛しているから。いくら住んでいる人間達が腐っていてもその国の文化まで腐っているわけじゃない。それに文化まで否定してしまったら腐った奴等しか残らないからね。

 ポチさんは、愛してるぜみんな、と叫んで会場をわかせていた。そのみんなには韓国や日本、世界中の人達も含まれているのかもしれない。


 気がつくと朝になっていた。

 昨日のことはよく思い出せないがポチさんとタマがビールの一気飲み勝負をしていたのは覚えている。辺りを見渡すと桂三枝ママがみそ汁を作っているのが見えた。 

「やけに家庭的なバーですね」

「よく眠れたかしら?」

「はい」

 ママさんはみそ汁を私に渡すと朝刊を読み始めた。渡された味噌汁をすすりながらママさんといろんな事を話した。彼女は元暴走族で前科があることもその時知った。

「刑務所はプライバシーなんてあったもんじゃないわよー。あんなところ二度と行きたくないわ」

 一体なんの罪で捕まって、なにがあってヤンキーからオカマになったのだろう。


 私は再び都会の大きな駅にタマといっしょに来ている。

 私の家出はあっけなく終わりを告げるようだ。

 死ぬために来たのに、死なずに帰っていくなんて情けない。

 まあ、楽しかったからいいか。地元に帰る新幹線はすぐにやってきた。

「お世話になりました」

 私は初めて会ったときと同じように深々と頭を下げていた。

 そして新幹線に乗り込むと発車するのを待った。

 タマは私にタバコの空箱を渡した。

「そのマルボロの箱を見ながら俺達のことを思い出してくれよ」

 優しくてしっかりしたオカマのママさん。

 パンクなアル中で韓国人のポチさん。

 そして金髪がよく似合う不良少年のタマ。

 私はこの人達のことをたまに思い出しながらこれからも生きていくだろう。

 ドアが閉まり、私とタマを乗せた新幹線は発車した。

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