第4話

 私は肩を震わせながらコーヒーを飲んだ。

 死ぬのが怖くないと思っていた昔の自分は消えていた。

 あの時の光景を思い出すだけで顔が青ざめる。

 あの男の言葉は今まで聞いた言葉の中で最も冷たい気がした。

 部屋の戸がゆっくりと開き、男がスーパーの袋を持って入ってきた。

 袋から買ってきたモノをこたつの上に並べ始めた。

「学校は?」

 男はカップラーメンをこたつに置くと私の質問に答えた。

「俺は高校中退の自由人だ」

 頭の悪いフリーターかニートね。

 男はタバコに火をつけて吸い始めた。

 殺風景な部屋を見回すと大きな本棚を見つけた。この男がどんな本を読んでいるのか気になった私は、棚に近づき本の題名を見ていった。名探偵シャーロックホームズ、怪盗紳士アルセーヌルパン、江戸川乱歩などの有名ミステリー小説や犯罪者についての本ばかりが収まっている。おまけにヒトラーやムッソリーニの伝記まで端の方に置いてあった。良い趣味してるわ。

 男が隣にやってきて本を一冊取り出しページを一枚一枚めくりながら言った。

「俺は歴史に残るくらい有名な犯罪者になりたいんだ」

「どうして?」

「女のお前にはわからないよ」

「ヒトラーは政治家でしょう。ムッソリーニも」

 男の顔が少し赤みがかった気がした。

 それからなにも言わずに台所の方へ行ってしまった。

 彼にとって政治家は犯罪者の一つとして考えられているのだろうか。

 私の頭の中では、ヒトラーとムッソリーニが仲良く手を取り合っている姿が見え始めていた。それからハーケンクロイツとファシズムの単語が思い浮かんだ。


 西の空に太陽が下がり始めた頃、私はまだ男の部屋にいた。行くあてもないのだからどうしようもない。

 男がタバコを口にくわえながらカレーを持ってやってきた。私はタバコの灰が落ちないか心配で仕方がなかった。嫌いなタバコと美味しそうなカレーの匂いが部屋いっぱいに流れた。

「夕飯までごちそうになってしまってごめんなさい」

「女は大切に扱え、というのが親父の遺言だからな」

 真剣な顔で冗談を言う彼の名前はタマと言うらしい。

 なんだか猫のようなニックネームだと私は笑いをこらえながら思った。

 タマはカレーを片付け、またタバコを吸い始めた。何度目の未成年喫煙だろう、と思いながら私はタバコの入った箱を手に取って見た。箱はシンプルなデザインと鮮やかな色が使われてセンスの良い包装だ。

 私は煙草の箱を見つめ続けていたが、だんだんと力が抜けていつの間にか眠ってしまった。


 翌日、タマは色々なところを案内してくれた。

 彼は父親の遺言だからな、と言って私の手を引いて歩き始めた。

 高層ビルばかりが立ち並ぶオフィス街。

 綺麗な噴水が吹き上がるドラマの舞台となった公園。

 どこまでも伸びていきそうなこの国で一番背の高い塔。

 どこを見ても発達した街だ。

 世界はどんどん便利になって人間はどんどん馬鹿になる、と誰かが言っていた。

 今ならその言葉の意味もわかる気がした。

 時間が過ぎるのも忘れて都会の空気を感じていた。

 塔の展望台から下界を見下ろしながら神の気分を味わっている私にタマが言った。

「ここから下界を見下ろすとヒトラーやムッソリーニが見ていた景色が伝わってくる気がするんだ。わかるか?」

 私にとってヒトラーやムッソリーニなんてただの歴史上の人物としか思えない。

 私は大きく間を開けて答えた。

「よくわかんない」

 タマはふてくされながらどこかに行ってしまった。

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