雨の日

北きつね

第1話

 僕は、雨が嫌いだ。


 この表現は、間違っていないが、合っているわけではない。

 正確に言うのなら、雨が降っているときに、差して一人で歩くのが嫌いだ。傘を差さないで移動することは、別に嫌いでもない。むしろ好きだと言える。雨に濡れながら歩くことで、思い出も、過去も、積み重なった想いも、全て流してくれる・・・そんな感じがする。


 雨の日は、僕の心の中にある、蓋さえも溶かしてしまう。

 思い出したくもない。でも、忘れたくない。そんな、蓋をしてしまい込んだ思い出を・・・。


 そう、あれは、僕が初めて人を好きになった瞬間でもある。今から、何年前かも思い出せない。古い話のようで、つい昨日のようにさえも思えてしまう。覚えているのは、強烈に刷り込まれたイメージだけだ。


 雨の中、小さな赤い傘をさして、僕を見て微笑む少女の顔を・・・。


 そこは、寂れた港町。港といっても、漁船が停泊しているだけの港で、これといった名産があるわけでもなく、寂れた港町で、港を出ればすぐに山という特殊な地形に囲まれている場所である。そんな地域に、私は住んでいた。


 僕の子供の頃の遊び場は、もっぱら、この寂れた港になっていくのは自然の流れである。

 雨の日には、雨の日の遊びを、晴れの日には晴れの日の遊びを、そして風の日には、風の日の遊びを、作り出しては、”友”と日々遊び過ごしていた。そこは、男の世界で、女の入る隙間さえも無いように思っていた。


 それが、錯覚だったとしても・・・。


 小学校6年生の夏休み前の雨の日。いつものように友人たちと、雨の日の遊びを楽しんでいた。そこに、同級生の女の子が何気なく現れた。そのあまりにも自然な登場と、普段学校では見ない姿に、そして、傘を差して歩いてくる姿に、そして、僕をみて一瞬微笑んだ”女性の顔'”に、一瞬にして目と心を奪われてしまった。


 その瞬間が、僕の初恋の瞬間だった・・・。


 今ならはっきりと言える。それからは、僕は、目で彼女を追うのが日課になっていった。彼女とは同じクラスだ。席も近く自然と話せる間柄だったのです。今までと違うのは、僕が彼女を、その他大勢の同級生の女の子ではなく、1人の女性として認識してしまった事だ。


 その気持ちは、自分の奥底に隠して、誰にもさとられないようにしまい込んでいた。


 僕が通っていた小学校は、夏休みに1つの課外授業がある。

 課外授業は、自主参加となっているが、小さな港町で、ほぼ全員が顔見知りのような場所なのだ、旅行に行くなどの予定が無い限り、皆参加する事になる。

 夏休み前には、参加の申請を行う。

 そして、クラスごとに、班が決められる。男女3人ずつの班だ。くじ引きで決めると言っていたが、先生が、全員参加なので、今の班のままで参加するようにしましょうといい出した。

 僕と、彼女は同じ班だ。2泊3日。彼女と一緒にいられる。僕の心臓は、今までにないくらいに早くなっていた。


 課外授業は、学校近くの700m程度の山の頂上付近にあるキャンプ場で過ごす。

 テントを張って、その中で寝泊まりする。男女ごろ寝だ。今では、考えられないことが平気で行われていた。


 私は、一番出口から遠い所を選んだ。

 そして、他の男子は奥に陣取った。自然と、女子が隣になる。私の隣には、彼女が寝る事になった。


 彼女が、二日連続で夜に起き出すハプニングがあった。彼女が起き出して、外に出ていく、必然と私も起こされた。キャンプ場で、外は月明かりがあるとはいえ、小学生女子が1人で歩くには怖い環境だ。そして、私たちがテントを張った場所は、同じ班に居た、私の親友がくじ引きで引いてきた、一番端だった。

 何が有ったのかは、覚えているが、思い出してはダメな事だ。この日を堺に彼女と私の距離が一気に縮まったのは間違いない。


 中学校に上がる頃には、僕と彼女は深まっていた。


 そして、”今更なこと”を彼女に告げた。


 ”好き”


 その言葉を絞り出すように告げた。

 今ならはっきりと分かる。告げてはダメな気持ちと言うのが存在する事を・・・。


 彼女は、私の気持ちを受け入れてくれた。これが、間違いの始まりだ。


 小さな町で、私たちの事はすぐに同級生だけではなく、近所の人も知ることになる。


 そして、中学校に通うようになる。僕と彼女の仲は変わらない。一緒に昼ごはんを食べて、お互いの家に遊びに行ったりしていた。


 僕は、彼女以外いらない。彼女も僕以外いらないはずだった。

 一年生の時には、違うクラスになった。二年生で同じクラスになった。


 そして、受験の足音が聞こえ始めた三年生になる前の春休みに1つの事件が発生した。


 違う。これは間違っている。

 事件は既に発生していた。僕が、それを見ようとしていなかったからだ。彼女は、部活で、先輩や同級生・・・そしてコーチからいじめをうけていた。辛いのならやめればと何度か言った。でも、彼女は笑って大丈夫と返してくれた。

 この頃には、僕の彼女はお互いの身体を何度も重ねていた。


 春休みに入ってすぐに、珍しく寒い夜。

 彼女から、僕に電話が入った。僕には、弟が居て、弟のサッカークラブの合否判定が来る夜で、話ができない。


 僕は、厚着をして、近くの公衆電話に急いだ。

 そこから、彼女の家に電話した。すぐに彼女が電話に出てくれた。


 でも、彼女は一言だけ僕に聞いた


「ねぇ私の事好き?」

「当たり前だろう」


 即座に返事を返す。僕に取っては、言わなくても解っている気持ちだと思っていた。


「違うの・・・ううん。違わないけど、違うの?」


 そして、しばしの沈黙が流れる。

 10円が消費されていく音が聞こえる。


「ねぇ・・・私の事、いつまでも好きで居てくれる?」

「もちろんだよ。僕は、君の事が好きだ。愛しているよ」

「嬉しい・・・ありがとう。でも・・・ううん。なんでもない。おやすみ。私も、大好きで、愛している。さようなら」


「うん。おやすみ。またね」

「・・・ごめん」


 そう掠れる声で一言だけ言って、彼女との短い電話は終わった。


 春休みが終わって、新中学3年生になった僕は、張り出されたクラス分けの紙を見て唖然とした、彼女の名前が無かった。

 先生に詰め寄っても、曖昧な答えしか帰ってこない。


 最後には、あとで話があるから職員室に来い。僕と、幼馴染が二人呼ばれた、周りの同級生はまた何かやったのだな程度に思っているのだろう。僕も幼馴染も、何度か二人揃って職員室に呼び出されている。

 しかし、今日は心当たりがない。


 先生は、そう言い残して、逃げるように、僕の前から居なくなっていた。他の先生も1人も居なくなっていた。


 そして、一通りの儀式を終えて、皆が帰り支度をして帰り始めてから、僕と幼なじみは、一緒に呼び出された職員室に向かった。


 そして、職員室について直ぐに先生に話しかけた。

 ここで無くて、校長室に一緒に来てくれ。そういって、深刻な顔をした先生は、ほかに何も言わずに、校長室に歩き出した。校長室には、何人か見たこともない人たちが深刻な顔でそこに居て、なにかを話している。


 僕が理解できたのは、彼女にもう二度と会うことができないことだけだ。

 そこから後、そこで何を言われたのかまったく覚えていない。覚えているのは、涙が止まらなかったこと、春休みの寒い夜彼女からかかってきた一本の電話の内容と、その時に聞いた”ごめん”の言葉。


 その言葉から悟ればよかった、彼女の家まで走ればよかった。彼女を、連れ出せばよかった。


 彼女を、彼女を、彼女を、彼女を、彼女を、彼女を、彼女を、僕はなにができた?僕が悪い。僕が、彼女を、彼女を、彼女を・・・


 幼かった自分への罪悪感と後悔の想いだけが残った。


 それから、暫くして彼女の実家も空き家となり、家が解体され、人手に渡って、私の心に風穴を開けた以外は、何事無かったように時だけが過ぎていって、誰も、そこに彼女の家族が住んでいた事。そして、僕と彼女が最後に話した電話。


 僕は、町を出た。居たくなかった。同級生は、僕の事を、哀れみで見る。幼馴染以外は・・・。僕は、町を捨てた・・・。僕が町に捨てられたのかも知れない。どちらでもいい。僕は、市の学校に進学した。学校なんてどこでも良かった。早く独立したくて、工業高校を選んだ。部活なんてやりたくなかった。でも寮がある部活があった。僕は、寮に入る選択をする。忙しく部活や勉強をしていれば、忘れられると思った。


 高校卒業を控えた時に、久しぶりに幼馴染から連絡が入った。

 電車で30分の距離が遠く感じる帰省だ。僕は、幼馴染と逢って話す事ができた。


 彼は、僕に隠していた事があると告白した。

 彼は、彼女に相談されていたとのこと、”いじめ”に合っていると・・・。僕も、話は聞いている。でも、聞いている話と、彼が話す話があまりにも違いすぎる。


 彼女は、僕にだけは言わないでほしいと懇願してきたと、彼は話した。


 原因が、僕にあるためだ。


 彼も詳しい話は知らない。と、前置きをして話し始めた。


 僕は、原因まで知らない。僕が知らない事を彼が知っている。その一点で、嫉妬心が芽生えなかったと言えば嘘になる。


 彼は、僕の気持ちが解るのか、ゆっくりと語りだす。

 

 彼は誰の事を話している?僕と彼女の事?


 彼は、彼が信じる真実を、僕に話してくれている。僕は、それを聞いている。僕の知らなかった彼女がそこに確かに存在している。彼女は、僕が、彼に話していると思って、僕と身体を重ねた事も話していたようだ。彼は、笑いながら、彼女に”奴から聞いたのは、キスした事までだ、それもファーストキスの場所は意地でも言わなかったぞ”と教えたら、彼女は真っ赤になって、忘れてと言ったそうだ。

 彼女は、彼に散々のろけたそうだ。彼もそれを黙って聞いてくれていただろう。


 いつしか、それが相談になっていったらしい。


 彼は、僕に聞いてきた。

「なぁ彼女を”いじめ”ていたグループのトップに心当たりはないか?」

「え?知らない。部活って話だから、部活の奴らを捕まえて問いただしても、”ごめん”としか言われなかった」

「そうか、部活・・・だと思っていたのか・・・」

「?」


 疑問符しか出てこない。

 彼は、どうしてそんな事を聞くのか?


 彼はゆっくりと、息を吐いてから、


 僕に、信じられない名前を告げます。彼が、人を貶めるような事をしないのは、僕が一番解っている。その彼が告げた名前が、僕には信じられなかった。


 その名前は、一学年上の先輩で、子供の頃”女性”とは知らずに、一緒に遊んでいた人物の名前でした。

 勿論、彼も先輩の事は知っていますし、幼馴染の1人で間違いない。よく遊んでいた”仲間”なのです。


 そんな人の名前を冗談でも出すような、彼ではない。


 僕には思い当たる理由が一つだけある。

 それを口にすることはできない。彼に告げて、声に出す事で、全てが崩れ去る。


 彼が、彼女の事を、先輩の事を好きだと知っている。


 彼は私の目を見たまま何も語らない。

 非難しているのでは無い。


 僕がこれから語る残酷な事実を受け入れると言っているように思える。


 彼の目を見ながら、時間だけが過ぎていく感覚がある。1分なのかも知れない。30分なのかもしれない。それを知る必要が無いことは、僕も彼も解っている。このまま、話を終わらせる事ができないことも解っている。


 僕は彼に向かって、答えを提示します。

「彼女。僕に好きだと言ってきた。その時に、僕は彼女が好き。そう答えたのが、原因なのか?」


 彼は、黙って頭を下げた。

 その瞬間、私の中で何かが弾けた。それから、彼にマシンガンの様に問いかけたのは覚えているが、何を問いと居かけたのを覚えていない。


 もう既に、その時の事を彼に問い返すことも、共有する事もできなくなってしまった。

 彼もまた、彼女の所に旅立ってしまった。


 彼と話をしてから1ヶ月1ヶ月。

 前日からふり続いている大雨で、何のかもが嫌になってしまった。


 そんな朝、寮に届いた新聞に、認識できない事実が載っていた。

「高校生が運転するバイクが、中央分離帯に激突。運転する高校生死亡」


 僕が、それを見ることを待っていたかのように、寮の電話がなり、近くに居た僕が電話に出た。


 電話は、彼のお兄さんからだ。

「昨日の夜、バイクで事故って、病院に運ばれる途中で息をひきとったんだ。それで、急で悪いんだけど、告別式をやるから来てくれないか?」


 そう冷静な声で言われて、なんの冗談かと現実の話か判断できないでいた。

 僕に、お兄さんは言葉を続けた。


「それで、もう一つお願いがあるんだ、救急車で運ばれていく最中・・・弟が、”君に余計な事を言った”とすごく気にしていて、謝りたいから、直ぐに呼んでくれって言っていたらしいんだ。それは、叶わなかったからせめて弟に君から言葉をかけてやってほしい。いいかな?

 受話器を持つのが精一杯の僕にお兄さんは言葉を続けた

「返事は、来てくれた時で構わないから。最後にひと目だけもで、君に逢いたいだろうと思うから、来てくれると嬉しいよ」


 そういって、僕の返事を待たずに、お兄さんは電話を切った。


 僕は、逃げるようにその場を離れ、雨のなか何も持たずに、地元へ向かう電車に飛び乗った。


 電車を降りた所で、警察を名乗る人物に話しかけられた。

 彼の乗るバイクのブレーキに細工された痕跡が見つかった。何か心当たりは無いかと聞かれた。


 心当たりも何も、彼がバイクに乗っている事も知らなかった事を告げた。

 警官は、なにか考えてから、なにか思い出したら、一報下さいと、電話番号が入った名刺を僕に渡してきた。


 僕は、雨降るなら、僕の事を、置いていってしまった、彼女と彼との思い出だけが残っている 寂れた港に向かっていた。なぜ、そこに足を運んだのかわからない。でも、港に近づくと、港から、彼の声が聞こえるのではないかと思っていた。彼女と初めてキスをした場所は、彼女が雨の日に僕に微笑んでくれた場所だ。その場所も、あの頃と変わらないで残っている。


 死のうとは思っていなかった、死んでいってしまった者たちを恨む気持ちは無い。

 ただ、ただ、独りになってしまった事への寂しさだけが込み上げてくる。こみ上げてきては、雨に流されて、波に飲まれていく。そして、新たな思い出がこみ上げてきて、雨に流されていく、想いや思い出が昇華されるかのように、繰り返される。それでも、彼女への想いは消える事がない。彼との思い出がなくなる事はない。


 僕は、雨に打たれながら・・・・。


 そして、雨に流されながら・・・・。


 そして、1人の女性が傘を持ち、僕に微笑みかけてくれた・・・。


 違う。彼女ではない。彼女をいじめという最低な方法で追い詰めて、自殺という最悪な結末まで持っていった女だ。

 右手で、彼女と同じ赤い傘を持ち、左手にナイフを握って、僕を見ている。彼女と同じ様に、微笑んでいる。ナイフは、鈍く光っている。まるで、工業オイルの管を切った時のように、ナイフが汚れているのだろう。


 女は、僕の方に歩いてくる。

 僕は、雨に打たれながら、女が側に来るのを待った。


 女は僕の近くに来ると、ナイフを振りかざした。

「君が悪いんだよ。あんな女。私から、君を奪った、あの女が全て!!!」

「すべて、君が悪いんだよ。彼が死んだのも、君が私の町から出ていったのも、彼がいじめたからでしょう?大丈夫。もう排除したから、だから、安心して帰って来て、どこにもいかないように、縛り付けて、私だけを感じさせてあげる。いつもしているように、沢山気持ちよくしてあげるよ。あんな女の事なんか忘れさせてあげるよ。だから、だからぁぁ、もうぅぅぅぅどこにぃぃぃxも、いかないってぇぇぇやくそくぅぅしなぁぁぁさい!!!」


 女の左手が僕の身体を狙っている。

 すごくスローモーションだ。


”ゴン!”


 なにが起こった?

 女が持っていた、彼女が好きだった傘と同じ赤い傘が、海に浮かんで波にもてあそばれている。女は、その場で倒れ込んでいる。


 手に持っていたナイフは、海とは反対方向に投げ出されていた。


 雨が僕に味方してくれた?

 わからない。わからないが、目の前では、警官が彼女を拘束して連れていく・・・。


 これで終わったの?

 彼にそう報告していいの?


 そうだ、警察なら、彼女のご両親の事を知っているかもしれない。引越し先がわからなかった。でも、彼女を追い詰めた奴が解った事を教えてあげないと・・・余計なお世話かも知れないけど・・・。


 僕は、雨に打たれながら、雨が涙を流しているのを感じながら・・・。赤い傘が、波にもてあそばれて、沈んでいくのを眺めていた。

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