第4話

「最悪だ。全部君のせいだからな」

 初めて反省室に入れられた感想が自然と口から出てきた。

 教官に殴られた頬がじりじりと痛む。口の中では鉄の味がした。

「謝らないから」

 僕と名前の知らない女は同じ反省室に入れられた。

 きっとこれは罠だ。あの教官が僕らを傷つけるために考えた罠に違いない。

「きっと僕達に法を犯させるつもりなんだ。資格を持たない男女を二人きりにする理由は他に考えられない」

「あの男が考えそうなことね。本当に意地が悪いわ」

 女は冷たい床の上に座っている。

 僕は少しも座る気にならず、立ったまま話す。

「今は何時くらいだろう。もしかして、ここで一晩過ごすのかな」

「さあ。そんなこと私が知るわけないでしょ」

 四畳半ほどの広さの反省室は、二人も入るとかなり狭く感じられる。部屋は鉄格子のはめられた窓があるだけで、他にこれといった特徴はない。不気味に思えるほどまったく汚れもない。

 僕は空気を入れ替えるために窓を開けた。そこから外を眺めると、矯正施設を囲う壁の向こう側にプラカードを持った集団がいた。ここからでは何と書かれているのかわからない。だが彼らが口々に、反対反対と訴えていることは分かった。

 もしかしてあれは――。


「反自由恋愛禁止法団体『ラブ&ミラクル』だ!!」


 彼らは『愛ある奇跡』というスローガンを掲げる反政府組織だ。

 自由恋愛禁止法という悪法の撤廃と、矯正施設に収容されている無資格者の解放を目指している。つまり、僕ら無資格者にとっての正義の味方である。

「この施設から出るなんて無理に決まってるじゃない」

 正義の味方という存在に心躍らせ、燃え上がる僕の気持ちに水をさす者がいた。

 名前の知らない女だ。先ほどまで不機嫌だった彼女の顔が、今はなぜか悲しそうに見える。

「そんなことないよ。授業を真面目に受けて、課題を達成すれば出所できるって教官が言ってたろ」

「日々の課題を達成すればといい言うけど、どれだけ達成すればいいの? 終わりも見えない課題を長い時間かけてやらせるくらいなら、無理にでも資格試験を受けさせて合格させればいいじゃない。それなのに、どうして資格試験を受けさせないの?」

 言われてみればその通りだ。

 施設に入れられてからもう三ヶ月経つが、過去の課題の達成状況などまったく把握していない。ただ毎日命じられるがまま、その日の課題をこなしてきた。僕より前に入れられた人はたくさんいるのに、出所していく者をこの目で見たことがない。

「解放運動を起こしても無駄だよ。きっとみんな捕まっちゃう」

 もしかすると彼女は、僕よりもずっと長い時間をこの施設の中で過ごしてきたのかもしれない。たくさん嫌なものを見て、たくさん辛いことを感じてきたのだろう。彼女が課題に対して反抗的な理由が少しわかった気がする。


「奇跡なんて、起きるわけないのに……」

 彼女は憂いのある表情を顔に浮かべる。

「奇跡は起きるよ」

 気がつけば僕はそんな言葉をかけていた。

 彼女は驚いた表情を見せているが、言った僕はそれ以上に驚いている。

「話を聞いてた? あなた友達いないでしょ?」

「失礼だな。いるよ。同室の人なんだけどね、彼は人を愛する資格を持っているのに矯正施設に入れられた特異な存在なんだ」

「へぇ。どうしてそんな人が矯正施設にいるの?」

「彼は先割れスプーンを愛しているから」

「はぁ?」

「恋愛対象は実在する人間の異性でなければならない。この国の法律で決められていることだろ? だからだよ」

「バカらしい。っていうかバカでしょ。大バカでしょ」

 彼女の顔から憂いが消えて、心底呆れたと言いたげな表情になる。

「あ、それから彼のご両親は……」

「もういい!」

 すぐに黙った。

 これ以上の会話は難しいかと不安になるが、彼女は、ねぇ、と前置きしてから聞いてきた。

「さっきの授業、あなた最後になんて言ったの?」

 僕は少し躊躇ちゅうちょしてから、先ほど言えなかった言葉を告げる。

「……君には愛される資格がない」

「……バカらしい」

 塀の外では相変わらず正義の味方が大きな声で叫んでいる。



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