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 はるか昔、烏は白かった。そして、未来を見通す力が備わっていた。烏は聞く者の関心を惹きつける美しい声を持っていたので、烏は予知した未来の危機を、その麗しい声で注意するよう呼び掛ける、重要な役目を任されていた。


 烏はその力を活かせるように、大いなる太陽の神のもとに仕えていた。天を統治する太陽の神には、事前に起こる危機を知ることができる烏の力は、必要不可欠だからだ。


 太陽の神には、思いを寄せている人間の女がいた。その人間の女というのは、地上で暮らす多くの女性の中でも、その女に比肩するほどの美人は存在しないとされるほど、美しい容姿をそなえていた。

 太陽の神は、その美しい女を妻に迎え入れようと、天からひそかに考えていた。


 ある日、とうとう太陽の神はその女と会いに行くことを決心した。しかし、いざ往かんと今にも地上に降りようとする太陽の神を止める者がいた。それは、あの白き羽毛を持った烏だった。

「あの娘のもとへ行ってはなりません。必ず、あなたに災いが訪れるでしょう」

 と言うのも、烏は事前に未来を見通す力を使い、もし太陽の神が地上に降り、その美しき人間の女と出会ってしまうと、女をめぐって争いが起きてしまい、結果としてその女は死んでしまう、という未来が見えたからだった。

 烏の聞く者を惹きつける美しい声が、一度は太陽の神の足を止めた。しかし、やると決めたからには是が非でも曲げることのない強情な太陽の神は、烏の忠告を無視して地上に降りようとする。

「いけません! あなたが地上であの娘と出会うと、あなたの慕う娘は死んでしまうのです! これはあなたの御心を思っての箴言しんげんです、どうか聴いて下さいますよう!」

 烏は何度も何度も賢明に太陽の神に訴えた。が、これをわずらわしいと思った太陽の神は、太陽の炎の力を使い、烏の喉を焼き尽くしてしまった。すると、あんなに美しかった烏の声は、聞く者を不愉快にされる、しゃがれ声しか出せなくなってしまったのである。

 これでよしと太陽の神は地上へ向かおうとするが、烏はガァガァと耳障りな鳴き声を精一杯鳴らし、必死に太陽の神を呼び止めようとする。これにいきどおりを感じた太陽の神は、またしても炎の力を使い今度は先ほどの倍の火力で、烏をその体ごと燃やし尽くしてしまったのである。烏は炎の勢いに押されるがまま、天空から地上へと、一直線に堕ちてしまった。


 やかましい者が周りにいなくなった太陽の神は、悠々と女に会いに地上へと降りた。その美しき女を一目見ると、太陽の神は一目散に女のもとへ駆けて行き、女の傍まで来ると、熱烈なプロポーズを申し込んだ。

 女は戸惑った様子だったが、相手が天空に住まう神だと知ると、自分には拒否することができないと悟り、太陽の神の求婚を受け入れた。


 二人が求婚の誓いを立てたとき、物陰からその様子を覗き見る者がいた。それはかつて太陽の神に仕え、その太陽の神の炎で体を焼かれた、あの烏であった。

 烏の体は無残にも焼き尽くされ、くちばしの端から尾羽の先まで、黒炭のように黒く焦げ付いていた。可愛そうな烏。この姿を見て、誰がかつては清廉潔白な翼を持っていたという話を信じるのだろうか。

 烏はじっと二人の姿を眺めてた。というのも、烏はこの地上に堕ちた際、また一つ不吉な未来を予知したからである。それは、あの美しき女が、とある王の剣によって殺されてしまうという予知であった。

 このことを伝えようと、烏は太陽の神のもとへと向かって行った。なんと忠誠心の深い従者であろうか。


 だが、その期待は裏切られる。烏が不気味な鳴き声を上げながら、漆黒の翼を広げて向かってくるのを見た女は、烏の姿を見るや否や、脱兎の如く逃げ出してしま

ったのだ。この事態に激情した太陽の神は、もう一度烏の翼を、入念に炎で焼き尽くした。

 哀れな烏。この炎に焼かれてしまい、烏は二度と天へと帰ることが出来なくなってしまった。


 女が烏から逃げおおせている姿を、遠目から発見した者がいた。彼は、女が暮らす町の近くに城を構える隣国の王で、今日はその美しき女に求婚を申し出ようと、近衛兵たちと町へと向かっていたのである。

 隣国の王は、逃げる女を保護し、事情を聞こうとした。その時、王は奥の景色から女を追ってきた太陽の神の姿を見つけた。

「成程、この娘はあの大男に襲われて、命からがら逃げてきたのだな」と早合点をしてしまった隣国の王は、連れていた麾下きかの近衛兵たちに告げた。「あの大男からこの方を護るのだ!」


 兵士たちは猛牛の群れの如く太陽の神に向かっていった。太陽の神はこの兵士たちと自分が誓いを交わした女を抱えている隣国の王の姿を見て、

「あの王は私の妻を、自らの権力を行使して奪い取るつもりだな。人間如きが思いあがった真似をしおって!」

と、こちらも早合点をしてしまった。


 そうして町の外れにあるのどかな散歩道は、血みどろの戦場と化した。だがその血のほとんどは、人間の兵士たちが流していた。いくら屈強な歩哨や優秀な騎馬兵といえども、所詮は人である。太陽の神が放つ炎や剣戟に、成す術無く兵士たちは深紅の血を吹き出したおれていった。ついにその場には、隣国の王ただ一人となってしまった。

 しかし隣国の王は怯むことなく、携えていた剣を鞘から引き抜き、太陽の神へと切りかかった。隣国の王はその名に恥じぬことなく、太陽の神相手に果敢に剣を振るった。その剣技の腕は、あの太陽の神ですら臆するほどだった。

 そうして王と太陽の神が争っている間に、町の美しき女は平静を取り戻した。そして、力をぶつけ合う二人の姿を見ると、どうにかして止めようと彼らに向かって走り出した。

 女は争う太陽の神のもとへ走り寄り、どうにか誤解を解こうとした。

 が、その瞬間である。勢い余った隣国の王の剣が、死角から飛び込んできた女をめがけて振り下ろされてしまったのである。女の背中は斜めに深く切り裂かれ、切り傷から火花のように飛び散る赤黒い血が、王の顔を赤く染め上げた。

 太陽の神は女を抱え込んだ。しかし女は何も発さず、ただ優しく天に向かって微笑むと、目を閉じた。その目は、永遠に開くことは無くなってしまったのである。


 結局、あの烏が見た未来の通りになってしまったのだが、そのことは女や隣国の王が知るよしもなく、また太陽の神でさえも、その予知のことは既に忘れていた。

 太陽の神と隣国の王は、この悲劇の女のことを永遠に忘れぬよう、一人は女の亡骸を夜空の星にするために天へと帰り、一人は専属の詩人を呼んで、女の美しさと優しさを称えた詩を作らせた。


 太陽の神が女の亡骸を抱えて天へと帰ってゆくのを、烏はただ見ていることしか出来なかった。声も体も卑しい身に落とされた烏がかつての主に出来ることは、自分の予知が当たってしまったことに対する後悔と、太陽の神の悲恋とに向けて、涙をとめどなく流すことだけだった。




 地上に残された烏は、これからは人間のためにこの未来を見通す力を使おうと決意した。

 それからというもの、烏は人間たちへの危機、具体的には大災害や戦争の予兆などを予知すると、決まってその黒黒とした体をはためかせ、ガァガァと耳に障る声で忠告をした。

 人間たちはというと、烏がけたたましく鳴くと必ず災いが起こるので、自然と烏のことを、不吉の象徴、不幸のシンボルとして忌み嫌っていった。

 しかし烏はめげなかった。自分に与えられた力を人間のために使おうと、精一杯しわがれた声で、今日こんにちまで鳴き続けている。

 いずれ起こる、人類への災厄を告げるため。









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カラスの聲 私誰 待文 @Tsugomori3-0

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