第103話『立ち上がれ! ルーシー!!』



 すぐさま非常用ジェネレーターである、魔導機関が始動する。




 消えていた照明が点灯し、施設の損傷具合が露わになった。


 天井の一部が崩落し、配線の一部が垂れ下がり、ホロテーブルが不鮮明な画像を空間上に垂れ流している……



 最初に意識を取り戻したのは、ミスターストライプだった。



「うぅう……――ハッ?! み、みんな無事かい!? エイプ! エイプしっかり!」



 ミスターストライプは、すぐ側で気を失っていた、エイプリンクスに向かって叫ぶ。


 悲鳴混じりな声に揺れ起こされ、エイプリンクスの意識が覚醒した。



「……っ痛ぅ! レイ――、スケアクロウ! 無事か!!」




 何者かが、覆い被さっていた天井板を勢いよく払い除ける。その埃の中から、ルーシーを抱えたスケアクロウが姿を現す。




「ああ、なんとかな! 俺とルーシーは無事だ! エリシア! リゼ!!」




 エリシアたちも天井板をゆっくりと退かす。リゼは煙を吸い込んだのだろう、ケホケホと咳き込みながら登場する。




「はい! エリシアとリゼも大丈夫です!!」




 あれだけの衝撃にも関わらず、奇跡時に全員無事だった。



 それを確認したスケアクロウは、安堵と共に状況確認を行う。




「エイプ! 自爆まであと何分だ!」




 エイプリンクスはコンソールを操作し、施設のメインフレームにアクセスする。



「スケアクロウ! 10、いや9サイクル!!」


「つまりタイムリミットは9分、か。ジェミナス02は?!」


「彼女は無事だ! ジェミナス02の精神は、すでにプロトフォームへと移送されている。だが彼女の古巣であるパーソナルコンポーネント――コアユニットの摘出は完了したのだが、……嗚呼ダメだ! さっきの衝撃で輸送ユニットにトラブルが発生している。ここからじゃ対応できない!」


「あれだけの衝撃だ、無理もない――その問題は俺が対処しよう。あのコアユニットがないと、今後の作戦に重大な支障が出るからな。エイプはみんなを連れて、シャドーヴォルダーへ。 ここを放棄し、指揮機能を装甲車に移――」





 その時だった。 翡翠の侵略者Emerald.Amber.Raider.が水槽を突き破り、侵蝕を開始したのだ。



 金属が避ける甲高い悲鳴。それは一箇所だけではない――床や天井からも結晶体が突出し、衝撃でミスターストライプが弾き飛ばされてしまう。



「ひえぇぇええぇ!!!」



 まるでボールのように空中に舞ったミスターストライプを、スケアクロウが受け止める。



「っと!?」



「あ、ありがとう兄貴!」


「―――ッ?! ミスターストライプ! 飛行ユニットを外せ! 結晶体が侵蝕している!」


「はひ? ひ、ひえぇぇええぇ!!!」



 ミスターストライプの空中浮遊を可能とする反重力パネルに、小さな結晶体が付着し、それが増殖を始めていた。翡翠の侵略者Emerald.Amber.Raider.は、ギチギチと不気味な音を立てながら、瞬く間に体積を増大していく。


 スケアクロウはパージされた飛行ユニットを掴むと、急いでそれを部屋の端へと投げ棄てる。



 それを焼け石に水だと言わんばかりに、今度は水槽から結晶が突き出す。それはあまりに巨大で、エリア101戦術情報センターを、真っ二つに引き裂いた。



 スケアクロウとルーシーとミスターストライプ。


 エイプリンクスとエリシアとリゼに、チームが分断されてしまった。



 エイプリンクスが叫ぶ。



「スケアクロウ!」


「俺たちは無事だ! 俺はコアユニットを回収してから合流する! エイプは二人を連れて脱出しろ!」



――しかしそれすらも不可能になった。



 さらに床下から結晶体が突き出し、スケアクロウの退路を塞いでしまう。



「なッ!! しまった?!」



 スケアクロウは結晶と結晶の間に閉じ込められてしまう――手のひらほどの隙間はあるものの、とても人が通れる大きさではなかった。


 スケアクロウは包帯下で表情を強張らせる。




「ルーシー! 俺のことは構うな! 逃げろ! エリア101はあと9分で吹っ飛ぶ! その前に、ここから脱出を――」



「できません! 見捨てるなんて!!」



 しかしルーシーは諦めなかった。



 これは自分が招いた胤。私がなんとかしないといけないんだ! そんな想いに駆られながらも、彼女は手をかざし、翡翠の侵略者Emerald.Amber.Raider.をスケアクロウから引き離そうとする――が、それがルーシーの心に多大な負担となって押し寄せる。


 構造を解析しようとした途端、結晶に摂り込まれた人々の感情と断末魔が、ルーシーの弱った心にどっと伸し掛かったのだ。



「―――がハッ?!」



 まるで溺れた人々が酸素を求めるが如く、ルーシーという小さな穴に助けを求め、一気に群がる。一人の少女が背負うには、それはあまりに重すぎる重圧だった。


 ルーシーは荒れ狂う負の感情に、嘔吐しそうになり、口を押さえながら跪く。




「どうして! さっきはこんなんじゃなかったのに!? どうして!」




 ルーシーは気が動転して気付けなかった。




 翡翠の侵略者Emerald.Amber.Raider.は、すでに目を覚ましている――覚醒した彼らは、明確な意志を持って行動していた。暴食を阻もうとする者あれば、実力を持ってこれを排除する――それが当然の流れであろう。




 精神攻撃による鉄壁の防御。



 心が弱りきったルーシー。そんな今の彼女には、結晶体を分解するどころか、解析すらも困難を極めていた。




「どうしよう……いったい、どうしたら!?」





 それに絶望するルーシー。そんな彼女を嘲笑い、その焦燥感を煽るように、女性の声で警告アナウンスが浴びせられる。





『Repeat, All employees proceed to the emergency car at the bottom platform《繰り返します、研究員は最下層のプラットフォームから非常車両で脱出して下さい》



 Repeat, All employees proceed to the emergency car at the bottom platform《繰り返します、研究員は最下層のプラットフォームから非常車両で脱出して下さい》』





 しかし最下層からの脱出は不可能だ。


 ジーニアスの臓器を積載したリニアトラムが高速で突っ込み、最下層プラットフォームを完全に破壊している。消火システムが機能していないため、下層は文字通り、業火の海だ。


 ジーニアスとスケアクロウを救う手立ては、この時点ですでに失われている――ルーシーはそれに気付いてしまい、目の前が真っ白になってしまう。




 そんな彼女の頭の中では、クラウンの言い放ったあの言葉が、何度も何度も反響していた。





『いいかいルーシー、これから起こることは、すべて君が招いたことだ。すべての責任、すべての元凶は君にある。くれぐれも……それを忘れるなよ?』






 そしてルーシーは、現実に立ち向かう勇気を失ってしまう。それほどまでに、心が弱りきってしまっていた。




 『嗚呼、もうだめなんだ……』


 『私は……失敗したんだ……』


 『なにがいけなかったの? なにを……間違えてしまったの?』




 少女の心が折れた。


 人を動かす心が死ねば、後に残されたのはただの肉のみ――。


 光が消え、すべての音がルーシーの世界から消え去る。


 その目からは涙が溢れ、ただただ、目の前の現実に押し潰されてしまった抜け殻と化す――





「私が……私がいけないんだ。私のせいで、みんなが――」





 思わず零してしまったルーシーの言葉。



 だがそれを、旅の仲間、、、、が全力で否定する。




「違う! ルーシーは間違ってない!!」




 人知れず、ジーニアスとルーシーの旅に寄り添っていた同伴者――妖精のミーアだった。



 ミーアはルーシーの顔の前で静止する。その姿を見たルーシーは、彼女がオルガン島固有の妖精種であると感じ取る。そして『なぜここに妖精が?』と疑問を抱くが、その言葉をミーアの言葉が遮った。




「説明している時間はないわ! とにかく今は、スケアクロウを救うことに集中して!」


「そんなの……無理だよ。だって私、取り返しのつかない間違いを――」


「誰かを救おうとする、ルーシーの優しい想い――大丈夫! 間違ってないよ! その想いがあったからこそ、ここまで来れたんじゃない! それに今度は、私も力になるから、やってみようよ!!」




 ミーアはそう言いながら、ルーシーのおでこにキスをする。すると彼女の脳内に、透き通るような清らかな風が流れた―――



 血管内を冷たい水が流れるように、ひんやりと冷やされる――そしてそのすぐ後を、暖かく、朗らかな感覚がルーシーの体と心を温める……



 それは妖精の加護。



“ 邪な言葉 ”という呪縛。


 心に刺さった鋭利な言葉を洗い流し、風は、その傷を癒やしたのだ。




 

 心の傷が癒すことができるのなら、人は自ずと力を取り戻し、冷静さと客観性――生きる気力をも取り戻すことができる。




 ルーシーを縛り上げていた絶望の鎖は、妖精の力によって引き千切られる。


 彼女を引き留めるものは、もうなにもない……




 自由の身となったルーシーの瞳に、希望が宿る。蘇った生きる気力が、絶望を振り払い、彼女にもう一度 、立ち向かう勇気を呼び起こしたのだ。




 力なく跪いていたルーシーが、迷いなく、その足ですくっと立ち上がる――




 奇しくもその姿は、地下訓練場でゼノ・オルディオス対峙し、絶望の中から立ち上がったジーニアスを彷彿とさせる姿だった。



 心が軽い。



 ルーシーは自身の心の中にある、勇気を奮い立たせる。そして再び、結晶に向けて手をかざした。




「ミーアさんのおかげで、思い出した。どんな時もジーニアスさんは諦めなかった……―――だから私も! 絶対に諦めない!!」



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