第100話『結晶に囚われた少女』



 ルーシーたちのやり取りを、ジェミナス02は水槽の中から眺めていた――いや、厳密には違う。視覚とは異なる瞳、、、、、、、、で、彼女たちを見つめていたのだ。



 非人工物であり、独自に進化した高解析センサー。この機能は機体に搭載されたものではなく、機体を侵食した翡翠の侵略者Emerald.Amber.Raider.の力だ。



 かつてジェミナス02は、翡翠の侵略者に機体制御を奪われ、精神パーソナルコンポーネントも汚染されてしまった。



――絶望に溺れながらも、彼女は諦めなかった。



 長き煉獄の末、対・翡翠の侵略者用アンチ・アンバーレイダーアルゴリズムを独自に生成。機を逃さず、反撃へと転じたのだ。



 結果的にパーソナルコンポーネントとレーダー、センサー郡は取り戻すことはできた。だがしかし、機体と動力の制御下は以前として、翡翠の侵略者に掌握されたままである。



 ジェミナス02は結晶という棺桶の中で、身動きが取れないでいた。彼女にできることは、救済の時を待ち続ける他なかったのだ……






『嗚呼……また、、か』






 ジェミナス02は辟易とした感情を抱く。



 精神汚染による支配――今まで再三、翡翠の侵略者によるそれらの攻撃は、何度も受けてきた。しかしここに来て、それらとは違う第三者からの攻撃を受けていたのだ。




『ビジターでも、アンバーレイダーでもない。 とも違う。だとすれば、――誰?』





 幸いにも、あらゆる点で こちらのほうが上。そのため退けるのは容易だった。




 デコイ疑似餌となるフィールド――偽装仮想精神フェイク・パーソナルコンポーネントを用意し、そこへ侵入者を誘き寄せ、侵入者を隔離する。籠の中の虫を観察するかのように、ある程度 泳がせ、攻撃や侵食パターンを観測しつつ、動向や目的を探り、データ収集し終えた後に駆除していく。



 それらの得られたデータからワクチンを生成し、万が一、侵入した際に備え、さらなる守りを固める。




 ここ数分で、それを何千回もを繰り返していた。




『攻撃の拡張性、汎用性、成長度合いに関しても、あまりに鈍い――陽動? ブラフ? それとも別の狙いが?』




 ジェミナス02は辟易と一抹の不安を懐きながら、最後の希望であるルーシーを見つめる。




 長きにわたって自分を縛り続ける、結晶の籠。


――この忌まわしき呪縛を壊し、また再び、あの蒼き空へ飛び立つという夢。


 その切なる願いを叶えてくれるかもしれない、最後の希望――聖女ルーシー




 熱き眼差しを向けられているルーシーだったが、それを知る由もなく、水槽の外で談笑にふけっている。


 他愛もない話に華を咲かせ、仲間たちと楽しげに微笑んでいた……

 





           ◇







――――時は来た。





 エイプリンクスはコンソールを操作し、準備を始める。


「アンバールイン濃度確認。結晶の活性化は見られない。状況は極めて良好。安定。沈静化は継続している。翡翠の侵略者エメラルドアンバーレイダーは眠ったままだ。作戦行動可能数値」




 巨大な水槽―――




 その中で、光の胎動を刻みつつ漂う物体があった。




 あらゆる物質を侵食し、結晶化させ、電子機器や内部のプログラム、脳の微細な電気信号でさえも、摂り込んでしまう魔の物質。



 同じ侵食物質であるストレンジマターと比べれば、まだ対応のしようがあるが故に、危険性は下位だ。



 しかし下位とはいえ、侵食したら最後である。結晶体と融合し、組織の一部と化すのだ。



 その難攻不落の物質に挑むのは、ファンタジーの世界からの来訪者――ルーシー・フェイである。




 すべての物質の構造を把握し、分解と修復が可能な彼女ならば、結晶の煉獄に囚われた電子の妖精しょうじょ――ジェミナス02を、結晶体から切り離すことができる。その可能性が極めて高かった。




 そしてこれが成功すれば、ルーシーの友人であるジーニアス・クレイドルを救うことができる。




 この救出ミッションには、二人の命――いや、フェイタウン、しいてはオルガン島の運命が掛かっていた。



 ルーシーは深呼吸をし、浅く、そして長く息を吐く……そして覚悟を決めると、スケアクロウ、エイプリンクス、ミスターストライプと視線を重ね、コクンと頷いた。



 スケアクロウは最終確認を開始する。



「齟齬がないよう、最後に手順の確認をする。


 水槽内の静止モードを解除し、ルーシーはその力で、結晶を除去。UAVから引き剥がしてくれ。


 その間に俺が、マニピュレータアームで機体アクセスパネルを開放。


 機体内部のパーソナルコンポーネントを摘出し、データを別の肉体プロトフォームへと移行。


 万が一、翡翠の侵略者Emerald.Amber.Raider.が暴走した際は、この基地を放棄し、エリア 101のごと切り離しパージし、抹消する」



 話を聞いていたエリシアが、ふと疑問に思い区画の末梢がなにを意味するのかを、スケアクロウに尋ねる。




「スケアクロウさん、あの……抹消……とは?」




「物理世界への影響がない位相差空間に隔離とか、時空転移で1600万℃の惑星や、結晶体が活動不可能となる空間へ退避……いや投棄させる。


 とにもかくにも、ここ――つまりビジターの本拠地であるこのホームを、結晶の巣窟にさせてはならない。


 翡翠の侵略者に、自制も際限もない。無限増殖によってこの空間を埋め尽くし、挙げ句には、ビジターのテクノロジーすらも摂り込んでしまったら、あらゆる時空が危険に晒される。




 まぁビジターなら、そうなる前に止められるのだろうけど……




 とにかく、翡翠の侵略者Emerald.Amber.Raider.の暴走は防ぐ。そしてビジターのメイン区画への侵食は絶対死守。命に替えても守る。




 我々は、ビジターとの対立や関係悪化という最悪のリスクを冒してまでも、独自の判断で行動し、ジーニアスや、オルガン島の人々を守るための救助活動を行う。




 この行動は、そのリスクに見合うと私が判断したからであり、それから――あー、他に理由があるが、話が長くなるから、まぁ、ファンタジーの世界へ帰る時にでも、追々おいおい話そう。




 エリシア。区画の抹消とは、結晶体が暴走し、その侵食を防ぐための最終手段だ。




 そして私や君たちにとっての恩人であり、こうしてテクノロジーを拝借しているビジターの世界――それを守るためのもの。それが、抹消なんだ」





「配慮……ですね。力を無断で使っているのに、自分たちが原因で、恩人に被害を及ぼすわけにはいかないですから」





「その通りだエリシア。彼らが我々を救ったように、我々も君を救う。ルーシー、本作戦の要は君だ。いけるかい?」




 ルーシーは強き眼差しでスケアクロウを見つめ、「ええ、大丈夫です!」と頷いてみせた。その頼もしい姿に、スケアクロウは優しく微笑む。




「よし! 総員所定の持ち場へ! リゼは良い子で!」




 スケアクロウは『これを食べて大人しくしているように』と、ペロペロキャンディーを手渡す。リゼは目を爛々と輝かせながら受け取り、『フンッ! で、でも騙されないもん!』と、彼に向かって べー と舌を出す。だが次の瞬間には、美味しそうにキャンディをペロペロと舐め始めていた。




 スケアクロウは作戦始動を宣言する。




「これよりジェミナス02救出作戦を開始する! 俺はマニピュレータアームの操作のため、水槽上層部の制御室へ移動する。ここの持ち場は頼んだよ、エイプリンクス」



「了解した。スケアクロウ、無理はするなよ」



「ああ、お互いにな……」





 そう言い終えるとスケアクロウは、ルーシー『君もだよ。無理をしちゃ駄目だからね』と目配せし、戦術情報センターから出ていく。




 ルーシーは不思議な感覚を覚える。




 会ったこともなければ話したこともない電子生命体ジェミナス02を救うために、この力を使う――彼女自身、次元を越えるのも夢物語だが、それと同等に、この力で誰かを救うなど、夢にも思わなかった。


 しかしそれで罪なき人が救えるのなら、絶望の淵に居る善良な人の心を癒し、彼女の切望する希望を与えられるのなら……




 そしてルーシーは、力を解放する。





 結晶体の構造を把握し、侵食部分を壊死させ、機体から少しずつ引き剥がしていく。




 それを見つめるエイプリンクス、ミスターストライプ、エリシアは、固唾を呑んで見守る。




 形容しがたい音と共に、徐々に結晶体が剥がれ始め、少しずつ、結晶体の中にあった機体の全容が露わになる。



 機体にはコーションマークやエアインテーク、パネルライン、機体ナンバーが確認できた。



 その見慣れた人工物の中に、目的となる箇所――機体アクセスパネルがあった。



 それを見たミスターストライプは、「すげぇ! スゲぇやルーシー! うまくいってるよ!!」と、抑えていた興奮を隠しきれずに叫んでしまう。




 エイプリンクスは、『よせ! 邪魔をするんじゃない!』と、ミスターストライプを視線で戒める。



 しかしミスターストライプがそこまで興奮してしまうのも、無理はない。



 自分たちではどうにもならなかった難題を、ファンタジーの世界からの来訪者が、こうも颯爽と解決したのだ。それも解析不能な不確定要素――未知なる力で……




 そんなドラマチックなシチュエーションを目撃すれば、胸も熱くなるだろう。




 そうこうしていると、水槽内部に、作業用マニピュレータアームが突入する。そしてスムーズな動作で、アクセスパネルを開放させ、内部にケーブルを差し込む。



 ガッ ガ コン……



 水槽越しに、重々しい金属の接続音が、戦術情報センターにも響き渡った。



 エイプリンクスはコンソールを操作し、パーソナルコンポーネントとプロトフォームの通信ラインが確立できたことを、ダブルチェックする。


「結晶体は未だ鎮静化状態を維持。プロトフォームへのバイパスは確保できた。……よし! 状況はフェイズ3へと移行。これよりジェミナス02の移送を開始する! 進行具合はホロテーブルに表示。各員は注視せよ!」





 力を行使し続けるルーシー。



 この時点で彼女は、作戦成功を確信していた。



 最大難題である結晶体の剥離は、すでに完了している。



 残るフェイズは、パーソナルコンポーネントからプロトフォームへ精神の移送――それはジェミナス02とエイプリンクスたちの仕事であり、ルーシーは剥離を維持し続けるだけで良い。



 もちろん、不安がないわけではない。



 いつ、また、あの胸の痛みに襲われるのかが不明なのだ。幻覚すら覚えるほどの激痛――そんなものに襲われては、結晶の剥離は維持しきれない。




『お願い……あと少し、あと少しだから! なにも起きないで! 無事に終わって!!』




 ルーシーは創世の魔王のご加護を祈りながら、心の中で叫ぶ。




 しかしその願いは届かなかった。絶望が、純然たる悪意が、彼女の背後から音もなく忍び寄る――そして微笑みと共に、悪魔のように囁きかけた。





「ルーシー……だめじゃないか。クレイドルも言っていただろう、安易に人を信用してはならない――と」




 それはジーニアスの支援者であり、絶対に ここに居るはずのない人物――クラウンだった。



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