第98話『捜査員 レオナ・D・ウェザリー』
――エリア101 戦術情報センター
突如警報が鳴り響く。夜戦を挑む艦橋の如く、室内が真っ赤に染まった。
この異常事態にルーシー、エリシア、リゼの三人は身構えつつも怯え、周囲を見渡す。
そんな彼女たちに向けて、エイプリンクスが叫ぶ。
「
14ナノクリック。秒換算でおよそ14秒である。
狼狽えるエリシア、そんな彼女を心配そうに見つめるリゼ。しかしルーシーだけはは違った。彼女には、仮想現実で培った経験があるのだ。
ルーシーは即座に立ち上がると、手際よく、素早い動作でメンテナンス用のハッチを開放する。そしてエリシアとリゼを先に行かせた。
「エリシア! リゼ! こっちよ! さぁ、この中に入って!!」
最後にルーシーがメンテナンス用のハッチへと入り、内側から閉じる――ハッチが閉じる瞬間、ルーシーとエイプリンクスはアイコンタクトをとり、二人は頷いた。
不思議な感覚だった。
出逢って間もないはずなのに、互いになにを考えているのかが、視線の交差だけで分かってしまったのだから……
メンテナンスハッチが閉まると同時に、警告音が消え、室内が元の色合いを取り戻す。そして
まるで最初からそこに居たかのように、平然と、顔色一つ変えない人形のような面立ち。その無機質さと異様は、圧倒的な威圧となっていた。
映画や劇画本とは違い、ビジターの登場に対し、派手なエフェクトや効果音はない。
ほぼ無音にして静寂。
しいて異変を上げるのなら、人数分の質量増加による、空気の揺れ――そして転移先の安全を確保するためのフィールド展開時の、『ブゥンッ!』という微細な音くらいだ。
フォーマルスーツにネクタイを締めた男が二人。
そしてその二人を従えているかのように、レディース・スーツに身を包んだ、金髪碧眼の女性が立っていた。
エイプリンクスはゴホン!と咳払いしつつ、招かれざる客を来賓者として、丁重に迎え入れる。
「これはこれは、レオナ・D・ウェザリー捜査官! いやはや、こんな場所までご足労 頂けるとは、光栄ですな!」
「捜査官ではない。私はすでに、交渉調達局に所属している。
故に、
それと、パーソナルネームを口にしていいのは、コミュニティに所属している者のみ。君たちのようなD.E.A.に……ましてや審査中の、ナンバリングすらもされていない存在に、馴れ馴れしく、パーソナルネームを口にしてほしくありません」
「それは失礼しました! 不快な思いをさせるつもりは毛頭なかったのです。なにせ私は、ビジターにD.E.A.として保護され、日が浅いものでして」
「私の階級を間違え、馴れ馴れしくパーソナルネームを口にし、そしてその遜った対応……エイプリンクス、私の神経を逆撫でしたいの? それとも私との友好関係を構築するための話術でしょうか?」
「もちろん後者です。不快に思われたのなら――」
「――いや、それとも、なにかの時間稼ぎ?」
そのものズバリな問いかけに対し、エイプリンクスは笑顔を崩すことなく「ハハハッ! ご冗談を」と反応する。
「だとしたら、いったいなんの意味が? ビジターに隠し事はできません。いずれ嘘はバレるでしょうに」
「…………。そろそろ、本題に入りましょう」
レオナは戦術情報センター中央部にあるホロテーブルを、了承や相談を得ずに、勝手に操作する。
操作といっても、コンソールに触れることなければ、手の動作によるモーション読み込みでもない。ナノマシンを介した脳波によって、ホロテーブルに映像を投影させたのだ。
ホロテーブルに映像を流しながら、事件発生の経緯を説明する。
「ロストディメンションから、我々の世界への侵入を試みたと思われる、危険な徴候を検知しました」
「珍しいですね。未来を垣間見るビジターが、
「それは挑発?」
「いえまさか。ただ事実を述べたまでです」
「まだ査定中で、D.E.A.としてナンバリングもされていない君たちでも、これがどれだけ危機的状況であるのかが、理解してもらえると助かるのですが」
「もちろん理解しています。なぜ、断定できないのです?」
「侵入する直前、シグナルをロストしてしまいました」
「侵入者が消えた? どういうことです?」
「これを見てほしい。ビジターの
事の重大さに気付いたエイプリンクスは、息を呑む。そして危機感を帯びた瞳で、レオナにこう訪ねた。
「システムの誤作動……ではないとすると、すでに侵入者は、ビジターのホームに侵入していると?」
エイプリンクスの深刻そうな言葉に、レオナは『ようやく理解したか』という瞳でこう返す。
「私は、お前たちがその侵入者を匿っていると思っていたのですが、その様子だと、本当に知らなかったようですね」
エイプリンクスは、『心外な!』と仄かな怒りを宿した表情を浮かべる。もちろんこれらは演技であり、その侵入者を匿っているのは、他でもないエイプリンクスである。
エイプリンクスは脳内――つまり心を読まれてもいいよう、偽りの感情や情報を流しつつ、危機感を抱いたふりをし、役を演じきる。
「私にビジターを欺けるような力を持ち合わせていない。君たちの言う懸案事項――魔法という不確定要素も使えないのだからな」
「存じ上げているよ、エイプリンクス。君が実験用のチンパンジーから、D.E.A.と昇華した事実を含め、あらゆること、すべて把握している」
「御冗談を。あなたは交渉調達局であり、言わば軍人だ。なのに他部署のことを把握しているはずがない。D.E.A.の査定内容は、知らないはずだ」
「あら? 奴から聞いていなかったのですが? 私が元、D.E.A.管理局に所属していた事を。
そこまで信用できないのなら、君がD.E.A.になった経緯を語ってあげましょう。
エイプリンクス、もともと君は、ある施設の実験動物だった。施設には巨大な
その立像は、いつの時代、誰が、どうやって製造――もしくは加工したのかの一切が不明。旧世代における、古典的な放射性炭素年代測定すらも判別不能な、異様なるモノ。それに触れた君は、
エイプリンクス、そうでしたね?」
「あー、たしかにそうなのですが、そのくらい誰だって知っていますよ。いろんな人に話していますから」
「説得力に欠ける? なるほど、ならこれならどうでしょう?
君が人工臓器に頼るようになった経緯を語ってあげましょう。
その立像に触れた際、君は雄のチンパンジーでありながら、妊娠した。そして君の腹部を裂き、一人の赤ん坊が産まれる。しかも異変はそれだけに留まらない。
そして最終的に その女性は――」
誰しも、触れてほしくない過去やトラウマがある。
エイプリンクスは苛立ちを紛らわすため、咳払いしつつ、レオナの説明を遮った。
「ゴホン! あー、私の過去と、今回の侵入者の件、なんの関連性もないと思うのですが」
「それは失礼しました。これは旧世代にける談笑。仲間意識を高めるためのアナログなコミュニケーションと捉えています。ビジターとしては、こういった無駄な行為は不要であり、なんとも非効率的の極みなのですが……。エイプリンクス、私との談笑、楽しんで頂けましたか?」
ビジターは感情を表に出さない。
従って表情から心の内、真意や意図を読み取ることは困難だ。
しかしエイプリンクスには分かった。これは明らかに嫌がらせであり、神経を逆撫でするのが目的だ。
なぜなら言葉の抑揚、そして言葉の端々に、不快なものを感じたからだ。
断じて被害妄想や、勘違い、気のせいなどではない。
微かではあるが、被虐の快感に浸ってるとも見られる微笑み――それを言葉から読み取ることができたのだ。しかしそれでも、彼に状況を覆すだけの力はなかった。
ビジターとD.E.A. そもそもこの二つは、対等ではない。
D.E.A.はビジターに保護されている立場であり、下手に手出しはできないのだ。ただ笑顔を作り、この場を無難にやり過ごすしかない。
しかし無謀にも、それを覆そうとする勇者が現れた。
ミスターストライプである。
「あ、あの! 話が終わったら帰ったほうがいいと思うよ! め、めめめ、迷惑だからさぁ!」
機械でありながらも、緊張気味かつ、必死に勇気をふり絞って声を挙げた。その上擦った声からも、小心者なりの必死さが伝わる。
レオナはミスターストライプまで歩み寄ると、「これはこれは」と言いつつ、
「たしか君は……ミスターストライプ。約80億人にも及ぶ人類を滅亡させた、大量殺人鬼――いえ、虐殺魔と言うべきでしょうか? そもそも君は、知性を持った単なる
「お、おいらそんなことしてないし! 人を殺すだなんて、で、でで、でてないよ!!」
「ああ、
レオナは、名を最後まで口にすることはなかった。『いい加減にしろ!』と言わんばかりに、エイプリンクスが彼女の胸ぐらを掴んでいたからだ。
二人は会話をすることなく、ただただ、鋭い視線を交えるに留まる。
わずか数秒であるにも関わらず、長く、不気味な沈黙がその場を支配した。
しかしレオナの部下がなにかを見つけ、その沈黙を打ち破った。
「軍曹! 少々よろしいですか?」
エイプリンクスは手を振りほどき、レオナを解放する。レオナは気にする様子もなく、崩れたネクタイを直しながら、部下の元へ向った。
「どうされました?」
「このハッチが怪しいです」
「なぜ?」
「操作パネルのカバーが開いたままでした。誰かが急いで操作したと考えられます」
レオナは部下二人に視線で合図する。
部下二人は、手の平サイズの正六面体四方体のような物体を取り出す。それは手の中で変形し、ハンドキャノンへと変形した。
それとほぼ同時に、レオナは操作パネルへ手をかざし、ハッチを開く。
中から人の気配はない。
レオナは長い髪が垂れないよう、結いつつ、ハッチへ顔を入れる。ハッチが開いたことで中の照明が点灯し、ハンドライトが無くても、隅々まで様子を確認できた。
なにか妙な点はないか、注意深く、視線を巡らせる。
中は成人男性が7人ほど入れるスペースがあったものの、逃げ道や隠し通路のようなものは無く、換気用のファンが高速で回転していた。
「………――。熱源なし。生物反応も……ない。ミーム汚染、ヒューム値や事象の改変も確認できない」
レオナはハッチを閉め、立ち上がりながら部下を称賛する。
「よく操作パネルの異変に気付きましたね。とても良い着眼点です。その調子で今後もおねがいします。不確定要素が介入していた場合、出力された未来予測には、齟齬が発生している可能性が極めて高い。つまり、自分の意思で判断し、状況に応じて動かねばなりません」
そしてエイプリンクスに向き直ると、「邪魔をしました」と、立ち去る様子を見せる。そして、
「提示連絡をするために、一度、本部へ戻らねばならない。それと、エイプリンクス。私に手を出したからといって、D.E.A.の査定に なんら影響はありません。安心しなさい。これは侵入者捜索の際、君とミスターストライプを意図的に挑発し、不快な思いをさせた謝罪と受け取って欲しい。
――だが。
だが、一つだけ清算しなければならないことが、ある」
「清算? レオナ軍曹、我々には、身に覚えがないのですが」
「
レオナは腰をスッと下ろし、抜刀の構えをする。気がつくと彼女の腰には、日本刀のようなものが下がっていた。
彼女は柄を握り、刀を抜刀すると思いきや、カチン!という甲高い、金属質な音が響く。そして気でも変わったかのように、姿勢を正すと、結いた髪をほどきつつ、清算の意味をエイプリンクスに伝える。
「君の大事な大事な お仲間が、私の無人多脚戦車 “ ボルドガルド ” を破壊したでしょ? ですが
「『よろしく』? いったい誰に?」
レオナはそれに答えることなく、部下と共に姿を消した。
登場した際と同じように、なんの前触れもなく忽然と ――だが次の瞬間。ホロテーブルがまっ2つに断ち切られ、凄まじい火花を放った。
鳴り響く火災警報。
レオナは、刀を抜いたことすら悟られないほどの疾さで、
エイプリンクスは狼狽しながらも、清算の意味をようやく理解する。
ボルドガルドを破壊したスケアクロウへの報復として、ホロテーブルを破壊したのだ。
「あの女?! そういう意味か!!!」
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