第80話『黒幕の微笑みは、あまりにも優しくて』




 アータン漁港


 広大な入り江に、一隻の軍艦が鎮座していた。




 オルガン島には未知なる力があり、外界の脅威から守られている。



 島全体が意思を持っているかのように、この島は他国の船を拒む。――それも、殺傷能力をもつ船となれば、より一層激しい嵐が立ち塞がり、無傷で辿り着くことは至難の業だろう。


 しかしアータン漁港で腰を下ろしている、セイマン帝国の軍艦は違った。


 まるでそんな嵐など存在しないかのように、傷一つない、白く 艷やかな肢体を見せびらかしていた。



 オルガン島を守護する奇跡も力も、すでに過去のもの。我々帝国の前では、もはや驚異ではない。――そう言い表すかのように。



 そんな船の中。戦艦とは思えない、綺羅びやか かつ、絢爛な廊下を歩く少女がいた。勇者の専属奴隷であるエリシアだ。彼女は溜息を吐きつつ、重い足取りで足を進める。




 行き先は枢機卿が居るであろう礼拝堂だ。




 この船は巨大であるが故に、余剰スペースに礼拝堂を設けるまでの余裕まであった。本来長距離航海を想定している船には、消耗物資――とりわけ食料や兵站を多く積載するのがセオリーである。



 しかしセイマン帝国の軍艦はそれに当てはまらない。他国を凌駕する排水量を誇示するかのように、贅を極めた礼拝堂を艦内に設けていた。



 翼人の集いの象徴たる、黄金の天使像。枢機卿はこの世を憂いてだろうか、聖書を片手に佇み、礼拝堂の天使像を見上げる機会が多かった。



 それを知っているエリシアは、無断行動に対する謝罪をすべく、枢機卿がいるであろう礼拝堂へと向かう。



 あまりの心鬱さに、エリシアは誰に語りかけるわけでもなく、独り言を口にしていた。己の心を整えるため、ブツブツと後悔の念を呟きつつ、足を進める。



 

「はぁ、まさかあんな事になるなんて……。勇者様のために、翼人の集い に賛同する信者を増やそうとした。でもゼノ・オルディオスに囚われ、魔王を崇拝しているフェイタウンの人たちに助けられて……。


 これも天使様の導きなのでしょうか?


 それともあれは、私の信仰心が足りないという お告げ?


 とにかく枢機卿に事の経緯を報告しないと。でもきっと……怒られるんだろうなぁ………――」




 エリシアは礼拝堂前に辿り着く。金色のドアの前で、彼女は重い溜息を吐きつつ、そっとドアを開けようとした。




 ドアを開けようと手を伸ばした瞬間、枢機卿と女性の話し声が聞こえる。




 エリシアはこの時、『こんな時間に誰だろ? ああそうか。明日に行われる大規模布教活動の打ち合わせをしているんだ』と思っていた。



 会議の邪魔にならないよう、慎重に、ゆっくりとドアを開ける。



 ドアを開くと、くぐもっていた女性の声が鮮明になった。



「え? この声って――」



 エリシアはその声を耳にした途端、全身が寒気に襲われ、悪寒が走り抜ける。そして地下で見た、あの悪夢が呼び起こされた。


 エリシアは恐怖しつつも、ドアの隙間から女性の姿を確認する。




「嘘……なんで? なんで彼女がこの船に?!」




 枢機卿と言葉を交わしている人物。それは間違いなく、魔獣の主であり、フェイタウンを混沌に陥れた勇者の敵――ゼノ・オルディオス その女性ひとだった。



 ゼノ・オルディオスと枢機卿の密会。



 エリシアは恐怖で固まり、脚はガタガタと震えている。そのため逃げることすらもできない。そのため意図せず、話に聞き耳を立てることとなった。



 白をベースとした黄金の装飾が施された祭服。それに袖を通した白髪の初老が、ゼノ・オルディオスに質問する。



「ゼノ・オルディオス、答えてもらおうか。なぜ 勇者氷室の聖剣を破壊した」



「悪かったわよ――って言うべき場面なんだろうけど、私、謝んないからね。


 だって仕方ないじゃない。


 私の拘束魔法が効かない奴が現れるし、長距離射撃をブチかましてくるコボルトが参戦するわで、事前の打ち合わせ通りにならなかった。なにもかもメチャクチャだったのよ」



「我々よりも先に上陸しておいて、その結果か。貴女きみの斥候不足ではないか?」



「ハァ? ちょっと待ってよ、私のせいだっていうの? そもそも聖剣を折ったのだって、最悪のタイミングで斬りかかったあのバカのせいでしょ? 引き立て役の身にも、なってほしいもんだわ!! センスないアドリブぶっこんでくるあのバカに、言ってやんなさいよ!」



「氷室は勇者の象徴である聖剣を失い、気分を害している。幸い今は、フェイタウンの神官に熱を上げているからいい。癇癪を起こすこともなく、気を紛らわせている。しかしあの子は、こじらすと たちが悪い」



「なんで氷室ばっかり入れ込むの? 他にも召喚した勇者がいたでしょう? どうしたのよ? まさかセイマン帝国に置いてきちゃったの?」



「ああ、あの子たちか。皆、不慮の事故で命を落としてしまった……とても残念だよ」


「ハァ? 不慮の事故、、、、、ぉ!? はいはい出ました~ セイマン帝国のお約束。私も人材を使い捨てる時に、隠語として使おうかしら。誠に残念ながら 不 慮 の 事 故 が 起こってしまい――って、ね。ウフフフフ、アハハハハハハッ!」



 からかわれた枢機卿は、顔色を一切変えることなく、『言いたいことがあるのなら言ってみろ』という口調で、少し圧のある物言いでこう告げる。



「ゼノ・オルディオス、なにが言いたい?」


「ん~? 別にぃ~」



「君にとっても、勇者は一人だけのほうが、なにかと都合が良いだろう。孤軍奮闘を強いられ、多勢に無勢の辛さを体験した君が、それを一番よく知っているはず――違うか? それにいまさら、彼に舞台を下りてもらうわけにはいかない。代役かわりはいないのだ」




 ゼノ・オルディオスは勇者氷室の話題に変わったところで、議題をあるものへ変更させた。




「そういえば話 変わるんだけど、勇者氷室のお気に入りの奴隷――エリシアちゃんっているじゃない?」



「彼女がどうしたのか?」



「いやね、あの娘から聞いちゃったのよ。新たな巫女の誕生を祝う戴祝式、それを人さらいに襲撃されて、村を焼かれたそうよ」



「話の意図が判りかねるな。このご時世、よくある話だ。異世界から召喚された貴女きみからしても、そんなこと珍しくなかっただろう?」



「セイマン国のお膝元、首都近郊の特別保護区。それ、、が、そこで、、、起こってたとしても、同じセリフが言えるかしら?」



 枢機卿の視線と表情が変わる――微かではあるが、不快感を顕にしている。


 それを確認したゼノ・オルディオスは、『やはりそうか』という納得した視線で、枢機卿を見つめた。



「首都近郊の特別保護区の管轄ってたしか……枢機卿が管理している区画よね? ほんと あなたって悪い人。建国の皇帝アドルフ・セイマン――彼の権威を失墜させるための嫌がらせ? それとも勇者氷室の英雄願望を叶えるための、あなたが仕込んだ演出?」



「ゼノ・オルディオス。そういった子供じみた好奇心は、己の立場を危うくするものだぞ」



 枢機卿の言い放った警告。それはもはや、自白に等しいものだった。


 

 勇者氷室を救国の騎士のように飾り立て、英雄として演出する枢機卿。ゼノ・オルディオスは、それに巻き込まれたエリシアを哀れみ、彼女の置かれている境遇を代弁する。



 もちろんゼノ・オルディオスとエリシアに深い繋がりは無い。そして二人の間に友情など皆無だ。



 ただレミーに寄生し、彼女から自分の知らない情報を聞き出そうと、そことなく会話を重ねた。もちろんそれは地下へ誘導するための、単なる繋ぎ。しかし話せば話すほど、エリシアは愚かなほどの純粋だった。



 あまりの世間知らずさ、


 人を疑わない無垢さ、


 誰にでも平等に見せてしまう すこやかで、可愛らしい笑顔――。


 不覚にもそれに、痛々しさを感じてしまったのだ。



 エリシアは騙され、利用されている。



 しかも彼女を利用している相手こそ、村を焼き、家族の絆を引き裂いた黒幕であり人生を狂わせた元凶。


 そんな相手に、エリシアは忠犬のように尻尾を振り、彼らのために人生を捧げている――。



 こんなふざけた事があってたまるか。



 あまりにも理不尽ではないか。



 仮に神がいるのなら、即座に神罰を下すべきだろう。



 ゼノ・オルディオスは悪人でありながら、かつて過去に埋葬していた正義感が蘇ろうとしていた。ふつふつと、沸き立つ憎しみのように……



 ゼノ・オルディオスは内に秘めた感情を、笑顔という仮面で隠す。枢機卿に悟られないよう、いつもの馴れ馴れしい皮肉な口調を用いて



「あらあら、なんて かわいそうなエリシアちゃん。勇者氷室のヒーローごっこのためだけに、村を焼かれ、よりにもよって その黒幕に恩義を感じてしまうなんて。


 挙げ句には『翼人の集い』へ改宗し、駒として宗教活動に参加している。


 枢機卿――これもあなたの描いたシナリオの一つなの?」




「彼女が幸せならば、それで良いではないか。あの村にいたら一生 目にすることすらできない高価な服――それに袖を通し、この船で極上の帝国料理を口にしている。亜人の奴隷が、そこまでの幸せを手にすることなど、夢のまた夢――できるはずがない。


 でも彼女はそれを現実のものとし、夢のような幸せを手に入れたのだ。


 現に私は、いつもエリシアから感謝の言葉を耳にしている――それがなによりもの証ではないか。


 そして彼女は、勇者氷室のお気に入りだ。エリシア自身も、勇者に恋心を抱いている。彼女は今、幸せの真っ只中に居るのだよ」




「じゃあなに? 氷室のバカが飽きたら、あの娘を棄てるっていうの? 使い潰しの奴隷みたいに」



「棄てる? ふむ……それは少々もったいないな。エリシア――あの娘はまだ自覚してないが、巫女としての才能を多分に含んでいる。我々とは異なる自然魔法をベースとした独自の魔術体系。それを保持している稀な存在だ。


 殺すにしても、その前に魔術研究技研省で、貴重な研究資源として使わせてもらおう。


 セイマン帝国の発展の礎。


 そして、翼人の集いの殉教者として、彼女は神の祝福を受けるのだ。まさにそれはエリシアにとって至福の極みであり、最高の幸せに違いない」



 清々しいほどの邪悪な詭弁。ゼノ・オルディオスは寸前のところで、不快感を顔には出さなかった。しかし心の内では蔑視と嫌気に満ち満ちていた。



 ゼノ・オルディオス「あっそ」と興味なさげなポーカーフェイスで、こう告げる。


「神の祝福…… ハァ~。それって綺麗な言葉で着飾っているようだけど、あんたらの腐った心の悪臭プンプン臭ってるわよ。翻訳すると、『飽きたら人体実験になってもらう』ってことじゃない」



「ゼノ・オルディオス。なぜ気に留める? もしかして勇者の奴隷であるエリシアに、同情でもしているのか?」




「まさか。巫女だかなんだか知らないけど、ただの亜人の奴隷じゃない。


 ただね、枢機卿――私とあなたは召喚士と使い魔の関係だけど、いかんせん秘密事が多すぎるわ。 それだと この前みたいに、いざと言う時に歩調が合わなくなるのよ。


 第17王子を利用して、なにか企んでいるらしいけど。なぜ私にその計画を話さないの? どうして知らされてないわけ?



――そもそも あなたの目的ってなに?



 まずは、このフェイタウンを手中に収めたいんだろうけど。いくら勇者とこの船の兵力を総動員し、私の魔獣でできる限り徹底抗戦したとて、そうねぇ……持って一日。それ以上の継戦能力はないのよ。増援があれば別の話だけど」




「ゼノ・オルディオス。私の顔の広さと人望が厚さ――知っているだろう?」




「交渉相手の足元を見つつ、そいつを口車に乗せるのが “ 人望 ” と言うのであれば、そうなんでしょ」




「心配はいらんよ。君は私の描いたシナリオ通りに動くだけで良い。勇者氷室の敵役を演じつつ、フェイタウンに混乱を齎せば、それで良いのだ。我々の行動が向こうに悟られないようにする揺動役―― 君にはまだまだ 創世の魔王 として、華々しく舞ってもらわねば、な」



 ゼノ・オルディオスは心の中で吐き捨てる。『それってつまり、役者として舞台を降りる時、殺されるってことじゃない! クソが!』



 だがゼノ・オルディオスに拒否権はない。


 生殺与奪の権利は、召喚士である枢機卿に握られ、一切の反抗は許されないのだ。せいぜい逆鱗に触れない程度の皮肉で、枢機卿の神経を逆撫でするくらいが限界。悲しいかな、それが現実だった。



 ゼノ・オルディオスはどうしたものかと、枢機卿から視線を外し、礼拝堂の出入り口に視線を移した。


 特別な意味はない。


 ただこの男との話を早々に切り上げ、外の空気を吸いたかった。そんな潜在的な意思が、自然とそうさせたのだろう。



 その視線の先にいたエリシア。彼女は不意に向けられたその視線から逃れるため、礼拝堂のドアの後ろへと隠れる。



 とんでもないことを立ち聞きしてしまった。



 エリシアは混乱する頭を整理する間もなく、音を立てないよう慎重に、礼拝堂から立ち去る。


 エリシアは息を殺して走る――そして階段を駆け上がって甲板へと上がり、外に出た。その瞬間に、全力で息を吸い込む。



「ハァ! ハァ! ハァ! ハァ! ハァ! ハァ! んくッ?! ハァ、ハァ……」


 肺を空気で満たし、酸素が脳を走り抜ける。それによって目眩が生じ、視界が真っ白に染まった。


 薄れゆく意識。


 まるで走馬灯のように、今まで過ごしてきた勇者と枢機卿との思い出が過る。



 そしてエリシアは決断をせねばならなかった。




――今まで紡いできた “ 絆 ” を信じるか。


――それとも先程 目にした “ 現実 ” を信じるか。




 しかし今の彼女に冷静な判断などできるはずがない。


 もうなにがなんだか分からず、なにを信じていいのか分からなくなっていた。



「どういうこと? いったいなんなの?! 枢機卿が……――黒幕? 私の故郷を襲った人さらいも、あの人の息がかかった者たちだったというの? じゃあ勇者様もそれを知っていて…… ――――嘘よ。そんなの嘘に決まってる!


 だって枢機卿も勇者様も優しかった。


 奴隷を差別せず、別け隔てなく接してくれた。


 病気になったときは看病してくれたし、怪我をした時には、本気で心配してくれた! あんなにも……優しい……やさ し い……――」



 エリシアは大粒の涙を流し、甲板へ崩れるようにへたりこむ。



 本当なら人目もはばからずに、大声で泣き叫びたい――だがしかし、そんなことをして枢機卿に悟られれば、なにをされるか分からない。



 だから泣くのをぐっと堪える。


 真実を知ってしまった以上、ここに居れば危険だ。



――消される。 それも人体実験の材料として……

 

 

 エリシアは涙を拭い捨て、手すりを掴んで立ち上がる。


 人さらいに襲われたあの時と同じく、生きるために、逃げる決意を固めたのだ。



―――そんな彼女の両腕を、何者かがガシッ!と掴む。そしてエリシアの耳元で、ねっとりとこう囁いたのだ。




「こんばんわ、エリシアちゃ~ん。ほら、だから言ったでしょう? 立ち聞きするなんて悪い癖って。こういう風に、最後には ろくな事にならないんだから」




 エリシアにそう囁いた人物。


 それは亜人の修道女に擬態した、ゼノ・オルディオスだった。



 しかも彼女は自分の声ではなく、レミーの声で甘く囁いていた ――地下まで一緒に話しながら歩いた、あの時を思い出させるために……。そして逃げられないよう、二の腕をガッチリと掴み、引き寄せて優しく抱きしめる。



 エリシアは絶体絶命の危機に、みるみる顔が蒼ざめていく。その目は恐怖で涙ぐみ、絶望へと染まろうとしていた。


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