第三章 時空を越えて

第79話『名もなき妖精が紡いだ縁』



 薄暗い路地裏




 気を失っていたジーニアスが、意識を取り戻す。彼はうつ伏せの状態から起き上がるため、体を動かそうとした。




 しかし動いたのは指先と、眼球だけ。しかもその視界でさえうまく定まらない。ピントが合わないカメラのように、ボヤけたり鮮明になったりを繰り返している。それでもジーニアスは焦点を定め、虚ろな視線で周囲を確認しようとした。




 ポポルは? クラウンはどうなった? まさか彼も……  




 ジーニアスは死の間際で考える。なぜポポルが生きていたのか――もしかして彼も、帰還人として召喚されたのか? だとしてもなぜ、私を襲った? 




 考えたところで答えが導き出せることはない。それでもジーニアスは頭の中で『なぜ?』を繰り返し、考えずにはいられなかった。



 しかし今のジーニアスには、それすらもできなくなっていく。体から血液が流れ、思考すらもままならなくなっていたのだ。



 死への恐怖すら感じられなくなったジーニアス。そんな彼に、話しかける少女がいた。それはあまりに小さい存在だった。




 妖精――オルガン島固有種である妖精が、涙ながらに叫んでいたのだ。




 妖精は言葉を発っしない。厳密には違うのだが、脳に直接語りかけるような、不思議な感覚で意思を伝えるのだ。



 実はこの妖精、駄菓子屋でジーニアスと出会ってから、ずっと行動を共にしていた。



 魔獣から街を守るための戦い。


 ゼノ・オルディオスとの死闘。


 拘置所でのルーシーの再会。


 市庁舎での密談。


 そして地下訓練場における、第二次ゼノ・オルディオス戦……――




 ずっと、ずっと一緒にいたのだ。




 しかし彼女自身、妖精としても不安定で、この世界に定着しきれていない存在だった。――そのため人間の目に留まらないばかりか、仲間である妖精にも、時折、認識されないことが多かった。


  まるで認識阻害の常時展開魔法パッシブスキルがかかっているように、誰に目にも留まらず、一人ぼっちだった。



 それでも彼女は、ずっとジーニアスやルーシーたちを見守り、届かぬと分かりながらも、彼らに声援を贈り続けていた。




 人知れず、ジーニアスと冒険を共にしていた妖精。ずっと彼を見守ってきた妖精は、泣きじゃくりながらも叫ぶ。



 今まで妖精の言葉を感じられなかったジーニアス。この時、彼にその言葉が届く。




“ ジーニアス! お願い死なないで! ”



“ 待ってて、今、助けを呼んでくるから!! ”




 それは脳に直接伝わるというよりも、そのような言葉が、自然と頭の中に浮かび、なんとなくニュアンスで伝わるような、不思議なものだった。



 しかし今のジーニアスには、妖精の名を尋ねる力も、礼を告げる力すらもなかった。なんとか伝えようとしたが、唇が微かに動くだけだった。



 ジーニアスは虚ろな瞳で、名も知らぬ妖精を見送る。妖精は路地裏を抜け、大通りに向かって高速で飛翔していった。




 

 徐々に意識が薄れていく。



 時間の感覚すらなくなり、耳鳴りが世界を覆う。



 鼓動が弱まっていくのを感じる。



 流れ出る体液に乗って、生きる気力がみるみる減退していく。






 泥のような倦怠感が体を纏い、この世界に来た目的や、使命、そして為すべきことすらも忘却させてしまう。







 ぼんやりとした意識と視界。妙に間延びした感覚。それが、永遠の眠りという暗闇に飲まれる刹那――彼の瞳に映ったのは、こちらに駆けてくる少女の姿だった。



 一瞬、視界が鮮明になり、少女の泣きそうな顔が顕になる。



 ジーニアスは最後の力で、少女の名を口にする。





「 ルーシー……」





 ジーニアスは静かに目を閉じ、安堵した表情を浮かべ、息を引き取った。





 

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