第78話『青き薔薇が 鍵へと誘う』
「胸に染みる言葉だ。
こんな台詞を、美女の口説き文句で使われでもしたら、一発で恋に落ちちゃうくらいだぞ。っていうか……女性からそういった台詞を、言われたいもんだなぁ~」
『ふむ……臓器も生殖器もない私には、その感情は縁遠く、また懐かさを感じるな』
「いやいや、臓器はあるだろ。バイオテクノロジーの粋を結集させて新造された、人工の臓器が」
『ん? ああそうか、そうだったな。ついつい昔の口癖が。もはや体の一部として馴染んでいて、すっかり忘れていたよ』
「ビジターのテクノロジーに感謝だな。生殖器に関しては、もう一度、再申請すれば通るかもしれない。だから、もうしばらく辛抱を――」
『いや……生殖器は必要ない。
三大欲求の一つが欠落するのは、なんとも寂しいものだ。
しかし見方を変えれば、楔を打ったとも言えるだろう。
性への衝動がなくなった今、独自の客観的視野を手に入れ、勉学に励む時間も増大した。端的に言ってしまえば、ビジターほどではないが、ロジカルに物事を見ることができる。
論理的な思考の私と、直感的思考の君。
サポートする上で、互いの死角を消し去る今の体のほうが、好都合であり、適切だ。だろ?』
特異点は、まるで好んで自己犠牲を選択しているかのような言葉に、申し訳なさと畏敬の念――そして悲しみを込め、彼の名を口にする。
「エイプリンクス……」
『そんな弱々しい声を出さんでくれ。もう子供を作る気はなかったし、そもそもこれは、君への恩返しなのさ。あの時、私を助けてくれなければ、どの道……死んでいた。 第二の人生、好きに使わせてもらうぞ! ――さぁ! そうこうしているうちに、パスワード入力画面を開けた。なにを入力する?』
特異点は、エイプリンクスに心のなかで感謝しつつ、気持ちを入れ替える。今はジーニアスが残した謎を解くのが、先決だったからだ。
「分かった。この件は日を改めて話そう。今、我々にはするべき事がある」
特異点は腕を組み、数秒間 静かに考え込む。
「さぁて、まずはなにから試すか……。まぁ違うとは思うけど、一番簡単なものからいってみるか」
特異点はそんな独り言を呟き終えると。コホンと軽く咳き込み、装輪装甲車、シャドーヴォルダーに向かってこう告げた。
「2+2=5。そう入力してくれ」
『2+2=5? それはアレか? ディストピア小説の1984の?』
「そう。で? 結果は?」
『うーむ、駄目だ。エラーだ』
特異点は再び考え込む。見方を変え、1984の文章をいじったジーニアスのように、数値をいじってみる。
「2+2=4」
『駄目だ』
「じゃあ1983 いや、1985」
『どっちも駄目。またエラーだ』
「2+2=1984」
『それも違うな』
「う~ん。俺にも解けるよう、そこまで難しいものではないと思っていたんだが……。やはり根本が間違っていた? 古典的な機械語か、もしくは文字を2進数に置き換えるのか?」
『諦めるのはまだ早い。試そう、片っ端から』
特異点は装甲車に寄りかかり、重い溜息を吐く。
「長丁場になりそうだ」
その言葉通り、思い立った数字を入れていくが、どれも扉を開く鍵にはならなかった。
いくら直感で答えに近づいたとはいえ、やはり闇雲では駄目だ。
特異点はなにか見落としていると感じ、ジーニアス・クレイドルに関する資料を見返そうと考える。プロファイリングという観点から、彼が好む数字のパターンを割り出し、それと『1984』に関連する数字を当てはめて考えようとしたのだ。
しかし装甲車の後部ドアを開けようとした時、ふと、こんな考えがよぎる。
『いや待て、こういった行動はビジターも取るはず。ならもう少し直感的な思考に委ねるべきか?
そもそも答えに近づいているいうのは錯覚で、まだスタートラインにすら、立てていないのでは? あのアルファベットも小説も単なる偶然の一致で、なにもかも間違っていたのでは?
いや……偶然にしては、さすがに出来すぎている。
少なくとも、なにか――
特異点が黙り込んだため、エイプリンクスが察したのだろう。彼は欠けていたパズルのピースかもしれない言葉を、特異点に差し出した。
『実はシャドーヴォルダーの試運転中に、ジーニアスが整備していたものを、一通り探ってみたんだ』
「もしかして、彼が整備していたディメンション・オービタルフレームか? その
『本命はそこだったのだがな。残念なことに、そこには交渉調達局がいて、どうにも近づける雰囲気ではなかった。だから比較的手薄だった、二足歩行戦車を捜索してみたんだ』
「二足歩行戦車ってあれか? バカでかい機械の恐竜みたいなやつ……だよな?」
『FG。またの名を
エイプリンクスは、装輪装甲車の操縦席ハッチを開き、毛むくじゃらの腕だけを出す。その手には、一枚の紙切れが握られていた。
特異点は起用にも、シャドーヴォルダーのタイヤや突起部分を足場に、装輪装甲車の上へとあがる。そしてエイプリンクスの手に握られていた紙を受け取り、内容を確認する。
「青い……
「青い
「エイプリンクス、君のいた世界ではそうなのかもしれないが、俺の元いた世界では、違うんだ。日本人が青い薔薇の開発に成功し、それによって花言葉も、『夢かなう』に変更されたんだよ。
にしてもこのエンブレム……どこかで……――」
特異点は見覚えのあるエンブレムに、記憶の底を漁ってみる。ビジターの歴史の中でもかなり異質な取り組みであり、重要な分水嶺だった。故に、ビジターではない彼の記憶にも、まざまざと刻まれていた。
「これはロストディメンションへ航行した、ローズ機のパーソナルエンブレムだ。なぜ二足歩行戦車にこれが?」
「推論の域だが、君に見つけて欲しかったのかもしれん。オービタルフレームは単独長距離時空航行が可能だ。そのため交渉調達局は、まず、あれを調べるだろう。ジーニアスはあれの整備を担当していたし。現に私も、ジーニアスに繋がる手がかりがあると考え、オービタルフレームを調べようとした。まぁ先を越されたがね」
「だから失踪に無関係かつ、警備がつかないであろう二足歩行戦車を選んで、隠したのか。俺たちの行動パターンを予測して」
「やはり
「レオナの表情筋が、悔しげにピクつく様子が見える見える」
「想像力 豊かなことは素晴らしい。ぜひとも、その発想力をパスワードに活かしてほしいのだが」
「分かってるよエイプリンクス。あの女に、ジーニアスを渡すわけにはいかない」
「念のため……念のために確認しておきたい。これがジーニアスの仕掛けた罠という可能性はないか?」
「それは俺もさんざん考えたさ。でも彼ほどの逸材なら、俺達はとっくの昔に罠の餌食になっているだろう。こうして無事なのは、離反者となってまで為さなければならないことがあり、俺に助けて欲しかったからだ」
「それなら君の他にも、有能かつ温厚なビジターがいるだろう」
「それに関しては、おそらくだが……特異点である俺にしかできない事だ。だからこそ、こんな回りくっどいことして、ヒントを残しているんだよ。悟られたらまずいから」
エイプリンクスは先の見えない雲行きに、重い溜息を吐いて頷く。
「ふぅー。……なら信じよう。彼をそこまで信じる君を」
「俺のわがままに付き合ってくれて、ありがとう、エイプリンクス。パスワード、765737‐θ‐87480」
「
「現実は小説や映画のように、うまくいかないもんだな。ここで一発ガツン!とパスワード解除できたら、
軽快な電子音が鳴り響く。
エイプリンクスの眼前に、待ちに待ち望んだジーニアスの個人データファイルが表示される。
エイプリンクスはディスプレイに表示されたファイルを指差し、興奮気味に声を上げた。
「ひ、開けた? おい開けたぞ!」
まさかの展開に、パスワードを言い当てた特異点すらも、目を点にして喫驚する。
「あ? え?! 嘘やろ!?」
「嘘なもんか! 見てみろ!」
特異点は装甲車のハッチに顔を突っ込むと、逆さまの状態でディスプレイに視線を向けた。そこには、あの見飽きたパスワード入力画面は存在しなかった。
そこには、特異点の世界ではありふれた、フォルダーのアイコンが ポツン と残されていた。
このインターフェイスのデザインを見て、エイプリンクスはこんな感想を口にする。
「う~む。不自然だな。かなり古いインターフェイスのデザインだ。機能性を追求するビジターらしくない」
「エイプリンクス、これは俺が元いた世界の電算機――デスクトップ画面に似ている」
「あー、そうか、なるほど。君にも問題なく使えるよう配慮したのでは?」
「なんでわざわざ。俺は、ビジターのインターフェイスも問題なく使えるんだけど」
「だが今の君にはナノマシンが投与されてないだろう? 自身の個人データファイルにすら、アクセスできないんだぞ」
「じゃあなにか? 俺が手術でナノマシンを抜いても使えるよう、先を見越してこうしたと?」
「これは推論だが。もしかしたらジーニアスは、履歴の残るインターネサインを通さず、自身のテクノロジーのみで、未来を予測していたのかもな」
エイプリンクスはそう言いながら『オペレーション スケアクロウ』と表記されているファイルにカーソルを合わせ、中身を確認する。中には音声データが一つだけ、まるで消し忘れたかのように残されていた。
データを再生すると、装甲車内のスピーカーが強制的にオンラインとなり、短く、そしてけたたましく、それでいて乱雑な電子音を奏でる。
エイプリンクスは「ぬお?!!」と驚きつつ、耳障りな音から逃れるため、とっさに耳を塞いだ。
「……びっくりした! な、なんなんだ今のは?」
ジーニアスの行方を知る手がかりが掴めると思いきや、まるでなにかの嫌がらせか――壊れた音声ファイルのような
「ファイルの中身はこれだけ? そんな……――」
あれだけの苦労は無意味だったのか?
エイプリンクスはさすがに落胆の色を隠せず、また振り出しに戻ったと思い、力なく項垂れてしまう。
しかしそれと相反するように、特異点は希望に満ちた表情を浮かべる。包帯で顔を隠しているが、その下は満ち足りたものだった。まるですべての真実を解き明かしたかのように。
特異点は装甲車の上に座り込みながら、操縦席にいるエイプリンクスに向け、優しく、こう語りかけた。
「今の音声ファイルは、パスワードだ」
「パスワード?」
「ジーニアスが奪った俺の記憶。脳内にあるの断片を、ナノマシンを介さず解凍するための
「――――ッ?! じゃあ思い出したのか!!」
「すべて ではない。断片的だがな。 さぁ! エイプリンクス、準備に取り掛かろう!」
「準備? それはいったいなんの?」
そう問われた特異点は、少し目を鋭くして告げる。
緊張と不安、そしてすべての問題を払拭させるであろう “ 希望 ” その3つの糸を編み込んだ瞳で、
「客人が来る……
特異点はそう言い終えると、遠くに聳える
惑星採掘線や超弩級宇宙戦艦が並ぶ中、あまりにもクラシカルで、未だ戦意の衰えない雄々しき前檣楼。
他の兵器たちと同様、再び使命を果たすその時を、
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