第81話『聖獣は復讐の女神となった』



――エリシア捕縛の 10分前



 市庁舎内  無限書庫 




 フェイシアはレミーから受け取った本を読み終え、パタンと閉じる。その動作と呼応するように、額縁に映されていた映像が フッと消え去る。



 この本は読み手を楽しませるために創られた、フィクションではない。他の世界で起こった事象を記した記録媒体だ。従ってその結末も、童話のように美しく締め括られる事は少ない。





 そしてフェイシアの読み終えた本もまた、凄惨なものだった。





 異世界から召喚された少女と、ユニコーンとペガサスの間に産まれた聖獣リゼ・ルーテシア・オルディーヌ。



 最初こそ、冒険活劇のような日々。多くの苦難を乗り越え、魔王を斃し、世界を平和に導いた。――それはまるで、絵に描いた童話のように美しい結末。




 しかし創作物のように、物語――いや、人の人生は区切りの良い場所で終わることはない。




 魔王を討った少女は、不必要になってしまった。




 それでも少女は、持ち前の知識と、胸に灯っていた正義感を絶やすことなく、その世界のために貢献する。元の世界に戻る術がない以上、もとより それしかやる事がなかったのだ。



 異世界の知識を総動員し、その世界のために奮闘する。



 治水、農耕の改善。輸送、及び商業道路の開拓と舗装。国内・国外の治安維持、そして……――政治。



 日増しに国民は勇者を讃え、国外からの信頼も得てしまう。その栄光は魔王討伐時の比ではない。もはや信仰にすら近い勢いになってしまった。



 その世界の国王を始めとした権力者たち、そして宗教を統括する教皇は――畏怖し、恐れた。



 勇者としての力。


 世界を変えていく異世界の知識。


 正義感。


 社会を塗り替えていく影響力。目まぐるしき文化的変革。それら浸透性の早さ。




 そしてなによりも、絶対的とも言える 民からの厚い信頼……。




 ――神の寵愛を一心に受けた、まさしく万能の人。




 国を束ねる者や権力者たちにとって、勇者の存在は、もはや見過ごせないものとなってしまった。




 そこからの少女の運命は、転落の人生と化す。筆舌に尽くしがたい、あまりにも残酷なものとなり、彼女の存在は、社会的に抹殺されたのだ。




 多くの汚職や悪事に手を染めていたという濡れ衣。


 国王を暗殺しようとしていた反乱罪。



 そして己の地位を確固たるものとするため、魔王軍の残党と手を組んだ。そして勇者の活躍を演出し、自作自演を行おうとしていた疑惑。



 国民からの信頼を徹底的に削ぐため、これでもかと疑惑や罪を創り上げ、それをたった一人の少女に擦り付けた。



 度重なるスキャンダル。


 それによって生まれた噂・憶測。


 正義に毒された民からの、終わることのない糾弾の嵐。




 いつしか国民や国際社会からの信頼は地に落ち、少女は大罪人として幽閉されてしまう。人類を裏切り、私利私欲に泥酔した愚か者として……。




 それでもたった一人だけ、少女の無実を信じていた者がいた。




 共に旅をした無二の親友――聖獣 リゼ・ルーテシア・オルディーヌだ。




 リゼは彼女が無実であると訴え続ける。そして彼女の名誉の回復と、牢獄から釈放されるための保釈金確保に邁進したのだ。

 



 しかし、彼女の努力が実を結ぶことはなかった。



 少女は獄中で息を引き取ったのだ。



 それも、腹に誰の子かも分からぬ命を宿したまま……――




 それを目にした瞬間―― 聖獣リゼ・ルーテシア・オルディーヌは、修羅と復讐の道へと、その脚を踏み入れる。




 世界を平和に導き、この世界を誰よりも愛していた少女。


 その親友を辱め、名誉を穢し、嗤いものにした者たちへの復讐。


 少女が味わった以上の地獄を与えるため、名前も、聖獣としての姿すらも棄て、それを粛々と執行していく……。



 そして皮肉にも、かつて聖獣であった彼女は、いつしか こう呼ばれるようになった―― “ 魔王 ” と。



 人々から恐れられ 畏怖の対象となったのである。



 罪深き者を食す、正義の魔王として……――。







 フェイシアは本の上に手をそっと置き、喪に服すように目を閉じる。




 こういった残酷な結末は、もはや見飽きるほど見てきた。――だがそれでも、その魂が救われることを祈らずにはいられなかった。例えそれが、手の届かない異世界の出来事であっても、現実に起きた悲劇に変わりない。



 本来なら手の届かない異世界の話であるが、この本に描かれていた聖獣 リゼ・ルーテシア・オルディーヌは、自らの名を変え、そして体や魔術構成すらも変えつつ、物語の続きを描こうとしている。それもこの世界で……


 それが悲劇の終焉となるか、はたまた “ 予想すらできない異端な終わり方 ” をするのかは不明だ。



 しかしこれだけは明らかになる。



 ゼノ・オルディオスの正体。彼女が何者で、どんな人生を歩んできたのかが、フェイシアが手をのせている本に刻まれている。



 それは対抗手段を練るには充分すぎる材料だ。



 フェイシアは視線を本からレミーへと移す。そして優しい微笑みと共に、彼女を気遣った。



「レミー、本当にありがとう。分からなかった彼女の正体が、これで白日の下に晒された。あとは我々に任せて」



「お力になれて光栄です」



「にしても迂闊だった。名前を変えているくらいは想定していたけど、体や魔術回路、属性といったあらゆるものを変貌させていたとは……どうりで無限書庫の検索網にすら、引っかからなかったわけね」



「私が言うのもおかしな話ですか、彼女は……ゼノ・オルディオスは優しい女性です。信念と言っていいのかは分かりかねますが、彼女の手が血に染まる時は決まって、相手が悪人である時だけ。ですが――」




 フェイシアはヴェルフィの声色を真似つつ、レミーの言葉に重ねてこう言った。




「――『努々ゆめゆめ、ご油断召されるな』でしょ? 人生の伴侶であるヴェルフィに似てきたわね。なんだか私も嬉しわ」


 レミーはフェイシアの悪戯めいた笑みに、顔を真っ赤にする。

 彼が夫になることを周知され、改めてそれを言われると、嬉しさと共になんだが恥ずかしくなるものだ。


 もちろんレミーはヴェルフィの妻になる決意を固めている。こうして人から言われると、本当に夢が叶うんだとここで再認識したのだ。




 フェイシアもまた同じだった。視線をレミーのお腹に向け、改めて幸せを噛み締めながら微笑む。新しい命と、母親になるであろうレミーの幸せを願って。


 そしてここが頃合いと感じ、側にいたベールゼンに、レミーを送るよう目配せした。積もる話もあるのだが、レミーは赤子を宿している。これ以上自分たちに付き合わせて、万が一の事があってはならないのだから……。


 ベールゼンは頷き、レミーをエスコートし、二人は無限書庫から退出した。



 残されたフェイシアは、ロッキングチェアに腰を下ろし、ゼノ・オルディオスのことを考える。


「ゼノ・オルディオス……いいえ、――――リゼ・ルーテシア・オルディーヌ。 あなたは今、どこにいるの?」






           ◇





――同時刻 


 アータン漁港 入り江 セイマン帝国戦艦 甲板上



 甲板上で捕縛されたエリシアは、口封じに殺されるのだと思い、死を覚悟した。



 しかしゼノ・オルディオスに殺伐した雰囲気もなければ、殺意の欠片もなかった。それどころか嬉々としてエリシアの二の腕を揉んだり、ほっぺをツンツンと突っついたりしている。



「アハハ! おもしろーい! エリシアちゃんってほんとプニプニしてて柔らかくて気持ちいいわぁ~。触り心地なんてもう最ッ高ォ! こうしてムニムニしながらずっ~と遊んでいられるもの」



「ちょ?! やめ! やめてください!! 私のこと、こ、殺さないんですか?!」



「殺すなんてとんでもない! こんなからかい甲斐のある娘を屠るだなんて野蛮の極みよ。それよりもこうして、ね? 抱き心地や温もりを堪能していたほうが、平和的で、なにより有益じゃない。違って?」



「へ、平和的って……あなたは、いったいなんなんですか! 街を破壊して暴れたと思ったら、こんなふざけた戯れを!」



「ん? そうねぇ、枢機卿に悪役を命じられた大根役者ってところかしら。あれ? こういう場合 “ 煮崩れ役者 ” って言うのが正しいんだっけ? まぁいいや、じゃあ殺されてみる?」



「ひぃ?!!」



「冗談よ、冗談――って言いたいけど、枢機卿に殺されるくらいなら、いっそ私の手で終わらせてあげるのも、いいと思うの。もちろん条件は付けてあげる」




「じょ、条件?」




「そう。条件。まずこの船を降りてフェイタウンに住むこと。そしてこの街でいっぱいお友達を作って、困っている人をいっぱい助けるの。そしてなにか――人の心に遺すものを作ること。美味しい食べ物とか、絵本とか、芸とかでも良いわ。


 もしもそれができなかった時、エリシア、貴女あなたを殺すわ」



「それって……え? 見逃してくれるの?  でも枢機卿はこのフェイタウンに戦火を齎そうと――」




「そんなこと、絶対にさせない。枢機卿のことなら大丈夫よ、心配しないで。だって彼には損得という考えがある――だからこそ、私を殺せないのよ。


 魔獣や魔人という大量の駒を保持している私を、ここで斬り捨てでもしたら致命的な大損失を被る。兵士を失った彼は、脚本シナリオが破綻して目的を達成できなくなってしまうわ。


 まぁそれ以前に、私は彼に召喚された召喚獣。召喚士を殺せば私も消滅してしまう存在。だから彼はこう思っている『歯向かうことはない』――ってね」




 そう言うとゼノ・オルディオスは、一瞬だけ擬態を解く。


 フェイタウン教会前で見せた、あの偽魔王の姿になったのだ――しかしそれは瞬きする間の出来事。見張りや船員に見られないよう、次の瞬間には亜人の姿へ隠す。



 そしてエリシアに、これから枢機卿になにが起こるのかを語った。




「――堅物の枢機卿だって、所詮は一人の男。ああいった男を手の上で転がすのは、いつもやってきた事。私を殺すにしても一度 心と体を重ねてしまえば、刹那、迷うものなの。だって男ってそういうイキモノなのよ。


 私には、その一瞬の迷いだけで充分。彼の命を奪うには、あまりに充分すぎる時間。


 その一瞬に……すべてを賭ける。



 召喚された私が、召喚士である彼を葬り、彼の野望と共にこの世から消えてハッピーエンド。だからエリシアちゃんは心配しなくていいの」



「なんで……どうしてそこまで……」



 ゼノ・オルディオスは、エリシアにそう問われると、目蓋を閉じ、かつて共に旅した少女の姿を思い浮かべる。



 そして目蓋を上げ、エリシアを見た時、その少女勇者彼女エリシアの姿が重なり、輪郭が だぶってしまう。



 しかしそれは幻。勇者として異世界を救った少女は、この世にいない。幽閉され、最悪の形で幕を閉じてしまったのだから……。



 ゼノ・オルディオスは不本意にも、悲しげな視線をエリシアに注いでしまう。それ隠すように、本心を見抜かれないよう仮面を被り、はぐらかした。




「さぁ、なぜかしらね。ほらほら! 私の気が変わらないうちに、縄梯子で船を下りた下りた! あとこの事、他言無用だから絶対に誰にも言わないこと。告げ口したら殺すわよ!!」



 突然、手のひらを返すように邪魔者扱いされ、戸惑うエリシア。彼女は緊急用縄梯子を下ろし、それが無事展開されているかどうかを覗き込む。そして見逃してことにお礼を言おうと、意を決して振り返った。



「あ、あの!」


「なによもう! デカイ船だからってそんな大声出したら、船員や見張りに気づかれるでしょう!」


「ご、ごめんなさい……」


「で? なに? 言いたいことさっさと言って」


「あ、あの……――ありがとう。この御恩は一生わすれません!」


「はいはい、凡庸かつ ド定番なセリフを どうもありがとう。それじゃ、ちゃっちゃと下りなさ――」


 ゼノ・オルディオスがそう言い終わる前に、エリシアの足元に魔法陣が展開し、彼女を真下からライトアップする。


 エリシアは首を傾げ、「え?」と声を漏らす。彼女には、その魔法陣がなにを意味するのか分からなかったのだ。だがゼノ・オルディオスには、それがなにかを瞬時に理解する――攻撃魔法である、と。



「エリシア危ない!!!」



 ゼノ・オルディオスは身を挺してエリシアを庇う。


 まるでそれを待っていたかのように、魔法陣からおびただしい数の槍が飛び出す。魔力で構成された光る槍――それらはゼノ・オルディオスを串刺しにし、彼女の本体であるコアを穿つ。



 槍が突き刺さった赤きコア。ピキピキと崩壊音を刻みながら、亀裂はみるみる拡大していく。



 弱点を狙い打ちされ、苦悶の表情を浮かべるゼノ・オルディオス。



 そんな彼女に、一人の男が語りかけた。



「貴女の手の内が見抜けぬほど、この目は老いてはおらぬよ」



 ゼノ・オルディオスは無数の槍に体を貫かれ、宙に浮く。まるで昆虫の標本のような状態にも関わらず、彼女はそこから逃れようと足掻き、男を睨んだ。



「枢機卿ぉ! き、貴様ァぁああ!!」


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