第59話『新たなる脅威』




 かつてジーニアスが開けた、魔法障壁の穴――それはゼノ・オルディオスの肉塊によって塞がれていたが、水圧の力に負け、再び裂けてしまったのだ。



 ジーニアスとゼノ・オルディオスは激流によって観覧席へ流れ出る。



 ゼノ・オルディオスは着地と同時に、損傷している魔法障壁に向かって手をかざす。すると、彼女が掌握している制御管理室が作動し、新しい魔法障壁が展開――観覧席に流れ出ている水を塞ぎ止めた。




 観覧席への水の流入が止まる。



 彼女は水浸しになった髪を掻き上げ、「やれやれ」と愚痴をこぼした。


 

「横着しないで、最初からこうしておけばよかった……。まぁ、あの時は戦闘中で、こちらが押されていたからな」



 そんな独り言を呟き終えると、くるりと向き直る。そしてゲームの主導権を握る者として、対戦相手の功績を讃えた。



「さて、ジーニアス・クレイドル。実に見事な攻撃だった。どうやったのかは知らんが、まさか魔法も使わずに訓練場を水槽にするだなんて。君は本当に非常識な男だよ。――ああ、これは純粋な称賛であって、嫌味ではない。


 現に、私が水中戦が苦手な事を見抜き、膠着状態を打開した。


 そんな人間は、君が初めてだったよ。


 だがなぜだ?


 水気のいっさいない、地下訓練場での戦い。にも関わらず、どうして私が、水中戦を苦手としている事に気づいた?」




 ジーニアスはその問いかけに、一瞬、声を詰まらしてしまう。だが、困惑しつつも,

問いに対して正直に答える。なぜ、その奇策を行使したのかを――




「――分からない。ただ……誰かの声が聞こえたような気がした。その声に従っただけだ」



 ゼノ・オルディオスは『正気か?』という表情でジーニアスを見る。しかし彼の視線は戸惑いながらも、偽りのない真剣な瞳だった。それを目にした彼女は、肩をすくめつつ彼を からかう。




「声に従った? ククク、ハハハハハハッ!! おいおい妖精の揺り籠ジーニアス・クレイドルくん! その名前からしてロマンチックだったが、まさか、そこまで浪漫を愛する男とは思わなかったぞ。


 だが残念だったな。


 お前の攻撃……あと少しで、ココに届いていたぞ。これで同時にコアを破壊していれば、その浪漫あふれる台詞にも、勝利という美しき箔がついたのになァ」




「それには少々、異議を唱えたいものですね」



「ほう……異議とな? なにが気に喰わないのか、さぁ申してみよ」



「気に喰わないのではありません。事実として、私は……いえ、我々は同時にコアを破壊するという命題を、すでに完遂しております、、、、、、、、、、、




「はぁ? ジーニアス、お前いったいなにを言――」

 



 彼女はそう言いながら、派手なボディランゲージで『妄言を言いおって』と、鼻で笑おうとした。しかしそれが間違いであり、すでに勝敗は決っしていた事を、ゼノ・オルディオスは思い知らされる。



 ルーシーたちが戦っていた巨蠍の女王スコーピオン・クイーン。それが突然 動きを止め、紫色の肉塊と化して崩れ始めたのだ。




 巨大な触肢や尾節の関節部から、体液がとめどなく飛び出し、まるで硫酸をかけられたかのようにドロドロと溶解していく。



 鋏角部の上に生えていたゼノ・オルディオスの上半身――それがズルりと千切れ、地面へと落ちる。それがきっかけであったかのように、巨蠍は完全に力を失い、砂城の楼閣のように斃れたのだった。





 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………――――ズズンッ!!!!!






 その轟音がここまで届いた時、ゼノ・オルディオスは初めて、ジーニアスの言葉が真実に基づいたものでり、敗北したことを知る。



 目の前に現実を突きつけられて尚、彼女はそれを受け入れられなかった。



 なぜなら自分のコアは健在であり、そもそもジーニアスは、戦いの最中さなかに誰ともアイコンタクトすらとっていない。激流渦巻く水の中で、声や仕草で緊密な連携がとれるはずがない――そう考えていたからだ。


 ゼノ・オルディオスは念のため、自分の胸にある赤きコアを確認する。――そしてコアの光沢に、僅かな歪みがあるのを見つけ、『いったいなんだ?』と凝視した。


 まるで芽吹くかのように、その歪みを起点に、ヒビがピシリ!と稲妻のように走る。リキッドナイフのほそ長い針が貫通し、コアを穿っていたのだ。



 ゼノ・オルディオスは、この現実を認める他なかった。




「ジーニアスが水中で放った、あの攻撃――あれは私のコアまで届いていたのか……だがどうやって? どうやって水の中にいながら、同時攻撃を成功させた? まぐれ当たりなはずがない」




 答えを欲するゼノ・オルディオス――しかしコアを破壊されたことにより、体の形成を維持できなくなっていた。角や指先が溶解し、ポタポタと滴り落ち始める。


 彼女の問いに、ジーニアスはできるだけ簡潔にまとめ、分かりやすく説明した。


 


「教会前での、貴女あなたとの戦い。あの時に受けた雷撃は、このスーツの創電機能を破壊するほどの威力でした。従ってナノマシンのバッテリーのみで、どうにかここまで持ち堪えていました。しかしながら、この地下訓練場での戦いで、それすらも使い果たし、万策は尽きていたのです。


 でも、あったんです。まだ手を付けていない電力が。


 いや、常日頃から使っていたために、身近すぎて気づかなかった電力――それは、このリキッドナイフやクライミングフックなどの、それほど電力を必要としない低コストガジェット。そのバッテリーです。その電力を主電源とし、一時的にナノマシンを再起動リブートさせ、ルーシーに送ったのです」



「ルーシーに送った? なにをだ?」



「カウントダウンの数字です。この世界における幻視の魔術のように、ルーシーの視界下に、数字を表示させたのです。徐々に減っていく数字を。


 幸いにも、ルーシーのナノマシンは正常に機能していました。


 そして察っしの良い彼女なら、詳細を明記しなくても、それが誰から送られ、なにを意味するのかを瞬時に理解してくれるはず。私は、ルーシーの直感と状況判断能力を信じて、行動したまでです。


 どうやら私の見込みは適切で、賭けに勝ったようです。」





「本当に非常識な男だ。ぶつけ本番でそれを見事やり遂げるとはな。いや、非常識なのは、もう一人の功労者であるルーシーも……か。


 ここまで機転の効く相手だったとは。


 あの娘をなんの力もない、ただの付添い程度にしか見ていなかった。これは私の失態だな。まぁこうして障害となると分かっていても、消す気など毛頭なかったがな。ハハハハハッ!」



 高笑いするゼノ・オルディオス。しかしもう残された時間はなかった。立っている力さえ失い、力なく両膝をついてしまう。


 それでも彼女は最後の力を振り絞り、仮初の肢体を動かし、こう告げた。



「ジーニアス……この戦いを評価するのなら、85点といったところか。お前が魔法の力に目覚め、その力で私を斃したのなら、満場一致で100点満点だったのだがな」



「ゼノ・オルディオス、この問いにどうか答えてほしい。なぜ私達を殺さなかった? 貴女あなたのその手腕なら、殺す機会はいくらでも――」



「――それならすでに、マーモンに話したぞ。知りたいのなら彼から聞け。にしても、こっちの気苦労も知ってもらいたいものだよ。人を殺さず、それっぽく、、、、、魔獣を動かして演出、、するのは」



「私にとって貴女は、悪人を装った善人にしか見えない」



 掛けられると思っていなかった言葉。それに対し、ゼノ・オルディオスは嬉しく微笑みつつ、悲しく、それでいて寂しそうな視線で こう告げた。



「自分で言うのはなにも感じないが、こうして他者から言われると……妙に心に響くな。訂正させてもらうが、私は悪人になれきれない腰抜けの臆病者だ。


――だが心しろ! ジーニアス・クレイドル!


 あの男は、断じて私のように甘くはない!!


 この街を守護し! 彼女を守り通したいのなら! この戦いの記憶を忘れるな!! もしかしたらお前は、本物の勇者、、、、、になれるかもしれんぞ」




 ゼノ・オルディオスはそう叫ぶと、事切れたようにうつ伏せに斃れ、ビシャリと液体となって石畳に広がった。




 それを見届けたジーニアスもまた、立膝をつき、重い溜息を吐く。




 短時間の戦闘。だが、まるで数ヶ月も戦っていたかのような重度の疲労が、体の底からドッと溢れ出たのだ。




「これが……疲労というものか。鉛のように重く、見えないなにかが覆いかぶさるような、独特の倦怠感……ナノマシンの恩恵がないと、世界は……こうも……不自由……なの……か……」




 遠くでジーニアスの名を叫ぶ、ルーシーの声が聞こえる。



 しかしジーニアスの耳に、その声が届くことはなかった。それどころか視界がボヤけていき、最後には暗転――彼はそのまま倒れてしまう。



 

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