第58話『勝利の胤は、蒼い華を咲かせて』
ジーニアスはルーシーと視線を重ねる。そして心配そうな瞳でこちらを見ている彼女に、『もう大丈夫だから』と、優しく頷いてみせた。
その瞳には、たしかに生気が宿っている――先程まで、ただ敵を殲滅するだけに造られたような、アーティファクト・クリーチャーの目ではない。
人としての瞳――それはジーニアス・クレイドルとしての意思を持ち、温かで、いつもの優しい視線だった。
それを見たルーシーは感極まり、震える両手で口を覆う。そして目に溢れんばかりの涙を浮かべ、無言で歓喜する。人はあまりに感極まると、声すら出せなくなるものだ。
そして彼女がそうなるのも、無理もない。命の恩人であり、フェイタウンのために戦ってくれた彼が、再び戻ってきたのだ。
しかし 感激に震える暇はない。
彼等とて、体力が無限にあるわけではなく、志村に至っては弾薬が底を着こうとしていた。皆、もうすでに限界を越え、それでも自らを奮い立たせ、もはや不屈の精神のみで戦っている。
もう残された時間は僅かだ
ルーシーはハンドキャノンのグリップを強く握りしめ、考える。
どうやって同時攻撃を成功させるのか。そもそも緊密な連携がとれなければ、ゼノ・オルディオスのコアを同時に穿つことはできない。
その答えは依然として深い闇の中だ。
だが彼女は絶望していない。それどころか、むしろ、希望に満ち溢れていた。
今まで不可能を可能としてきた、ジーニアス・クレイドル――あの彼が、戻って来てくれたのだから……。
――必ず活路はある。
ルーシーはハンドキャノンで援護射撃しつつ、その道を見出そうとしていた。
◇
多くの人は、夢から覚めると、夢で体験した記憶が薄れていき、いずれ忘れてしまうものだ。ビジターから人となったジーニアスもまた、そうであった。
夢とも、現実ともつかない場所で出逢った、金髪碧眼の幼女。その彼女の顔でさえ、もう思い出すことはできなかった。
――いや、彼女の顔だけではない。あの場所でなにがあった そのほとんどの出来事。それらは霧散し、無へと溶け始めていた。
だが彼女の言葉だけは、ジーニアスの心に残っていた。
『あの娘、泳ぎが苦手みたいよ』
『そこを突けば、膠着状態をなった盤上を、ドカン!とひっくり返せるかも!』
あれが別の世界で経験した現実か、それとも本当に夢なのかは、今となっては分からない。だが仮に夢だとしても、それはジーニアスの蓄積した情報であり、潜在意識が見せたものに他ならない。
つまりは表層意識が見落としまった重要な事柄や要素。潜在意識は、それに目を向けるよう、訴えかけているのだ。
夢であれ、現実であれ、どちらのせよ見過ごすことはできない。
ジーニアスはゼノ・オルディオスの言葉に耳を傾けつつ、見落としている要素はないかを探る。悟られないよう、慎重に……。
目の前に立ち塞がる強敵ゼノ・オルディオス。彼女に それを悟っている様子はない。先程の皮肉がそうとう気に入らなかったのだろう。報復とばかりに、丁寧で見栄えの良い言葉遣いで、ジーニアスをこれでもかとなじり、侮辱している。
ジーニアスにとって、これは幸いだった。
会話による時間稼ぎ――それをしたくても、彼には旧世代の意思疎通という文化に関して、不慣れである。ルーシーたちのようなスムーズかつ、不自然のないコミュニケーションはできないのだ。これもまた、ビジターだった頃の弊害だろう。
ビジターならば、相手の意図や心理状況は、顔の温度や表情筋、声帯の絞りや、声の発し方、そして脳波の流れで概ね把握できる。会話中の奇襲であっても、それを事前に察知し、自動で迎撃行動が実行される。――しかしそれを可能とするナノマシンが、電力の枯渇により機能していない。
つまり、すべては目で見て、己の思考と心で判断し、言葉を紡ぐ。そのアナログ作業で行わなければならないのだ。
ゼノ・オルディオスが行っている、意図しない時間稼ぎ。
ジーニアスはそれを利用させてもらった。
そして、いつ攻撃されても対処できるよう警戒しながら、なにか見落としていないかを懸命に探る。
どの道、今は劣勢下にある。
そんなジーニアスにとって、それが勝利を掴む切り札となるのならと、藁にもすがる思いだった。
――そして
その勝利の胤は、他でもないジーニアス自身の手で、過去に撒かれていたものだった。
むしろ これだけ熾烈な戦いが繰り広げられていながら、よくも今まで無傷であったと胸をなでおろす。一歩間違えば、訓練場に居た全員の命が危うかったからだ。
ナノマシンの恩恵を受けていた頃は、その事を重々承知した上で戦っていたのだろう。だがすでに、ジーニアスのナノマシンは機能していない。従って彼は、ビジターの頃にはなかった、“忘れる” という症状に見舞われていた。
ジーニアスは産まれて初めて経験する、“人”の不便さを噛み締める。そして勝利の胤を慎重に見極め、どう使うかを模索していた。
あらゆる戦闘・戦争行為において、タイミングを間違えれば、盤上をひっくり返すどころか、自らを窮地へと誘ってしまう。現に勝利の胤とて例外ではない。使えば、こちらも自滅する可能性は多く含まれていた。
そしてなにより、勝利への繋がる希望の胤を発芽させるには、どうしても払拭させねばならない課題がある。それを解決させなければ、芽は発芽どころか、その前に腐り果ててしまうであろう。
ジーニアスはゼノ・オルディオスとの会話に参加しつつ、なんとか間をもたせ、時間を稼ぐ。そして脳内で思惑を張り巡らし、戦略を練った。
『あれを使えば、私に勝機はある。だが問題は、ゼノ・オルディオスのコアを同時に破壊するという、無理難題だ。さすがに声をかけあって攻撃するとなれば、相手に手の内を晒すようなもの。防御態勢をとられて終わるのが関の山だ。
ならどうする?
ゼノ・オルディオス――この女に悟られることなく、同時にタイミングを合わせて攻撃する最適な方法はなんだ?
なにか。
なにか手段はないのか……』
ジーニアスはいつもの癖で、懐中時計を取り出そうとするのだが、今、それは彼の手元にはない。ハンドキャノンと一緒に、ルーシーに預けていたのだ。
その事に気づいた途端。ジーニアスの脳内に、ある一つの妙案が思い浮かぶ。
どこからともなく舞い降りた奇策。ジーニアスは驚きつつ、強く確信する。
勝利の胤を発芽させるのは、この瞬間。今を置いて他にない――と。
「ゼノ・オルディオス。嫌味を吐き捨てている最中にお許しください。一つ、訪ねてもよろしいですか?」
ジーニアスは、不敵な笑みと共に話を遮る。
ゼノ・オルディオスは話を邪魔されて不快に思った。だがそれ以上に、彼の笑みに不安なものを感じたのだ。なにせ、向こうは劣勢なはずなのに、悠々自適に笑みを浮かべているではないか。
満面の笑みではない。しかも相手を思いやる紳士的なものなのが、より一層 薄気味悪く、嫌な予感を感じさせた。
ゼノ・オルディオスは饒舌な嫌味も忘れ、彼に負けじと、余裕の笑みを浮かべながら訪ね返す。
「……。 なんだ?」
「泳ぎは? 泳ぎは苦手ですか?」
ジーニアスはそう言いながら、明後日の方向に手をかざした。するとリキッドナイフの射出口から、鏃と化した液体が射出される。
リキッドナイフは不意の接近戦に対応するため作られたものだ。それを飛び道具の代用品として使うなど、正規の使用方法ではない。
これはビジターの交渉調達局――つまり、この武器を使い慣れた軍人ですら知り得ない、裏マニュアルだ。
なぜジーニアスが知っていたのか? 彼はシギントであり、あらゆるマシンを整備できるエンジニアだからだ。従ってリキッドナイフを始めとした様々なガジェット構造を熟知しており、様々な役職を経験したからこその知識が、ここで開花したのである。
液体の射出設定を変えることで、本来近接戦のみしかできないリキッドナイフが、即席の飛び道具――スローイングナイフになることを知っていたのだ。
リキッドナイフから射出された高速の鏃。それは狙い通り、訓練場端に置かれていた、あるモノを貫く。
水色に発光した袋のようなもの――それは不慮の事故で破損し、訓練場の障壁下に置かれていた。超小型飲料水タンクこと、ハイドロパックだった。
勝利の胤が発芽する。
それは満開の青い華を咲かせる。ハイドロパック内でクォーク化されていた水の原子が、元の姿に戻る。それは濁流となり、訓練場へといっきに溢れ出た。
まるでハイドロパックが海の水底にでも通じていたかのように、ゼノ・オルディオスとジーニアスに襲いかかる。水の猛威は留まるところを知らず、訓練場はまるで巨大な水槽のようになってしまった。
ゼノ・オルディオスは濁流でもみくちゃになりながらも、体の下半身を水生生物へと変異させ、状況に対応しようとしている。なにが起こったのか――理解がいっさい追い付かない。
『魔力を使わずどうやってこれだけの水を?』
『そもそもなぜだ? なぜ私が水中戦が苦手なことを知っている!』
狼狽しつつも、ゼノ・オルディオスは見失ったジーニアスの姿を探す。
『奴は?! ジーニアスはどこへ消えた!!』
すると視界の隅に、黒い影が過ぎる。それは濁流の流れに乗り、ゼノ・オルディオスの後方へ回り込もうとしていた。
『古典的な戦法を!!』
怒りと共に指の爪を伸ばし、その鉤爪で黒い影に斬り掛かる。
――しかしそれはジーニアスでない。
それは戦いの最中に投げ棄てられていた、ジャスミンのマントだった。
『私としたことが! 焦って素人のようなミスを?!』
自分を叱咤いたその時、ふと上を、なにかの影が過ぎったような気がした。
ゼノ・オルディオスが念のため、顔を見上げたその時、それと目が合う。
――ジーニアス・クレイドル。彼が両手の手根を重ねつつ、こちらに手をかざしていた。
彼の手首からリキッドナイフが射出される。
だがそれは飛び道具ではなく、
まるで細長い針のようなリキッドの槍。それがゼノ・オルディオスの定めた
急激な水流の変化。
ジーニアスとゼノ・オルディオスもその渦に巻き込まれ、強制的に観覧席へと押し流されてしまった。
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