第60話『子守唄』






 ジーニアスの耳に、暖かな声が届く。





 それは唄だった。


 歌詞はない。



 メロディーだけを口ずさむだけのもの。しかしその緩やかで穏やかな曲調が、耳にした者の心を慰め、癒やし、不安や緊張を取り除いてくれる。




 まるで底しれぬ慈愛を宿した、聖母のように……。




 そんな曲という揺り籠の中で、ジーニアスは背負っていた使命や宿命というすべての荷を降ろす。そしてその唄に守られながら、体を休め、深い眠りについていた。



 しかし体がなにかを思い出したかのように、覚醒を促す。しだいに意識が自己と世界を認識し、現実が去来する。




 真っ暗な世界に一筋の閃光―――― 光が灯った。




 ジーニアスはゆっくりを目を開ける。彼が目にしたのは、唄を口ずさみながら作業に勤しむルーシーの姿だった。照明のためだろうか。いつもの黒髪が、灯りの反射で金色に輝いている。


 ここは地下ではない。


 木製の柱に、美しい模様の壁紙。そして仄かな香水の匂いがそこにはあり、どれもあの地下にはない、無縁のものだった。


 おそらく地上。地下訓練場で意識を失った後、安全な場所へ運ばれたのだろう。


 ジーニアスはルーシーの後ろ姿を見ながら、安堵の息を漏らす。


 その気配に気付いたのだろう。ルーシーが唄を止め、ジーニアスの横たわるベッドへ振り向く。


 ジーニアスは彼女と視線を合わせると、こう呟いた。





「やめないで、続けて。 ルーシー、私はもっとその唄を、聞いていたい……」



「ルーシー? ――その名前で呼ばれるのは……なんだか久々ね」



「え?」





 ジーニアスはルーシーの言っている意味が分からず、眉をひそめて困惑する。


 そして彼女を観察し、様々な異変に気付く。


 ルーシーよりも肥大化した乳房。


 幼さが消えた顔つき。瞳の色。



――そしてなにより、彼女の髪は照明で反射して金色に見えたのでなく、本当に金色の髪、、、、、、、だったのだ。



 金髪碧眼のルーシーは優しく微笑み、自らの名を名乗る





「私の名はルーシー・フェイ。またの名を、高位神官フェイシアです。初めまして。異世界から来訪した、勇敢なる人よ。


 今日、あなたの行いで多くの人が救われました。


 神官として、そしてフェイタウンの市民の一人として、貴方に心からの感謝を述べさせてください。ありがとう、ジーニアス・クレイドル」




 フェイシアの眼差しは、明らかに普通のものではない。まるで神が遣わせた勇者を見るような、羨望と期待の眼差しだった。



 救世主のような扱いに、ジーニアスは 幾ばくか申し訳無さを感じていた。自分はただ、ローズを捜索する上で、問題に対処したにすぎない――つまり成り行きでこうなってしまっただけだからだ。



「そうか……貴女がルーシーの言っていた、高位神官のフェイシアなのですね。お会いできて光栄です」



「こちらこそ」



「恐縮なのですが、私は行方不明者Missing in actionの捜索をしていたに過ぎない」



「ローズさんね。だとしても……ヴェルフィやレミー、そしてみんなを救ってくれた事に、なんら変わりないわ」



「その ご厚意を否定するようで申し訳ないのですが、私は、ゼノ・オルディオスの掌の上で、踊らされていた。ゲームという盤上の上でしか足掻くことが許されない、無力な……駒として。もしも彼女がその気になれば、私はここにいなかったでしょう」



「その件もマーモンから聞いております。彼女は何者かによって、使役されていた存在であり、フェイタウン襲撃も、その男の立案である――と。彼女が被害を出さないよう配慮していたのは、その男に少しでも抗うため……」



「ゼノ・オルディオスは言っていた、自分を、悪人になれきれない臆病者、と。念のため お訊きしたいのですが、フェイタウン襲撃における死者数は?」



「死者はいません。破壊されたのはどれも物ばかりで、怪我人も避難中に転倒したりといった、二次被害に留まっています」




「やはりそうだったか……。


 街中でルーシーを襲っていたあの魔獣も、今にして思えば、動きが少し妙だった。


 一見するとルーシーを追い回し、すぐには殺さず、弄んで楽しんでいた。だから私の救援が間に合った……今まではそう思っていた。


 だがしかし、見方を変えれば違った解釈ができる。


 誰かが助けに来るのを待っていたのでは?――という別の視点だ。なぜなら魔獣がルーシーへ爪を振り下ろした際、本来なら、私の助けが間に合うはずがなかった。


 おそらく彼女が街中に解き放っていた “目”と“耳”が、私の接近を感じ取り、タイミングを合わせて鉤爪を振り下ろしたのだろう。私がルーシーを助けるとう場面を、ゼノ・オルディオスが演出していた可能性が高い」




「ウフフ……」




 目を細めて微笑むフェイシア。ジーニアスはなにか不適切なことを言ってしまったのではと、不安に駆られてしまう。




「? もしかして、なにか 不適切なことを言ってしまいましたか?」




「あ、ごめんなさい。ルーシーの言っていたとおりの人だな~って、思ってしまっただけなの。真面目で観察能力に長けた、論理的で優しい人。


 大丈夫。貴方との会話はすごく楽しいわ。その品位ある振る舞いや、柔らかな言葉の物腰は、心を落ち着かせてくれます。それらになんら問題はなく、不快とは無縁です」




「そう言って頂けると、こちらとしても助かります。私は、この世界の文化や礼節に疎く、勉強中の身ですので」




「ルーシーとのお勉強の成果、ちゃんと言葉の端々から出てるわよ。ジーニアスさん、だから安心して。もっと堂々と自信を持っていいから。


 それに地上のみならず、地下訓練場での大活躍!


 まるで冒険小説の主人公のような大立ち回りは、私の耳にも、しっかり入っております」




「残念ながらその活躍も、二度と陽の目を見ることはないでしょう」




「え?! なぜです?」



「私の力は、ビジターとして配給された装備によるもの。それが失われた今、ゼノ・オルディオスと対等することは敵わない。ヴェルフィに魔法を教わったが、未だ完全な習得の域にすら至ってはいない。


 どの道、今から魔法を習得して身に付けたとしても、あれだけの力を持つゼノ・オルディオスと、どう戦えと? 彼女は魔法のエキスパートのみならず、自らを修復し、質量を増大させる能力すらも持ち合わせている。



 結果は目に見えている。無謀だ。



 もはや今の私は、ただの人に過ぎない。マーモンや市長のサーティンのような、この世界における純正かつ正当な力――魔法という、本物の力を持ち合わせていない」





「純正かつ正当な力……なるほど。 一つ、訪ねてもいいかしら?」




「ええもちろん、私が答えられる範囲であれば、すべてお答え致します」



「先程 話していた、ルーシーが魔獣に取り囲まれていた時、なにか変わった事はなかった?」



「変わった事?」




「そうね、例えば……体が軽くなったような感覚や、高揚感。どんなことでもいいの。なにか思い当たる節はない?」




「そういえば……ルーシーを助けようと走り出した際、距離が大きく離れていたはずなのに、一気に縮まったような、不可思議な感覚が」




「第七防空遠征旅団の団長、アメリアが魔獣に取り囲まれているルーシーを上空から発見し、空から彼女を救おうとしたの。


 でも先を越された――他でもない、あなたに。


 その時の光景を、アメリアは言っていたわ。彼の姿が消え、一瞬のうちに魔獣との距離を詰め、ルーシーを救い出した――と。さながらそれは、“電光石火” のようだった ってね」



「でんこうせっか……たしかその言葉は、日本語ですね」



「そう。その意味は、稲妻や火打ち石から出る火花のように、速く、目にも留まらぬ疾さという意味よ。


 鷹の目を持つ、グリフォンを駆る騎士でさえ、あなたの姿を見失ってしまうほどの疾さだった。それはビジターとしての力?」



 ジーニアスは顔を横にふり、ビジターとしての力は行使していないと告げる。



「なら、導き出される答えは一つ。あなたはあの時……――魔法を使ったのではなくて?」




「馬鹿な。そんな事はありえない」



 少し強めの口調で声を上げてしまい、ジーニアスは口を手で覆い、その無礼を詫びる。ビジターの頃なら、ナノマシンによって感情は抑制されていたが、もはやその楔はない。感情は自らの理性で制御する他ないのだ。


 その不便さにジーニアスはため息を吐きつつ、こう言った。



「ああすまない。少々感情的な声を――」




「大丈夫よ、気にしないで。ビジターの世界は、魔法とは無縁の世界。高度な文明を持つ、あなたの世界でさえ、私達が日頃 使っている魔法を認識できなかった。


――いいえ、正確には違うわね。


 魔法によって齎された結果は認識できても、理力を経由して、この世界に繁栄される一連のプロセスが認知できなかった。


 科学は決めれられた手順を踏めば、階級や立場に関係なく、すべての人間が同じ結果へと辿り着く。絶対的かつ不変的な法則――それが科学。


 でも魔法は違う。


 魔法を使えば、人それぞれの結果が出てしまう。まるでキャンパスに、好きな絵の具の色で、好きな絵を描くように……。


 魔法は人の心という色によって、大きく影響されてしまう。


 故に変動的かつ不規則で、それでいて独創的。でも科学と同じくらい可能性がある、無限の法則。


 理力という目に見えない規範システムが解釈し、この世界に魔法という結果として出力されてしまう。


 あなたの世界の常識からすれば、混乱して当然なのよ」




「じゃあ、ルーシーを救ったあの時、私は……魔法を?」




 フェイシアは頷き、彼の手を優しく握った。



 そして彼女は神官という宗教的立場ではなく、彼を想う一人の女性として、助言を差し出す。




「忘れないで、ジーニアス・クレイドル。あなたは無力じゃない。地下訓練場で教わったこと、あれはきっと役に立つから。


 窮地に陥り、理不尽な選択を迫られ、絶望に打ちひしがれようとしている その時。あなたの中にあるその力、、、は、不可能を可能にし、その定められた運命さえも変えてしまう――そういった力があるの」




「私には分からない。どうしてそうまでして、断言できるんだ?」





 フェイシアは優しく微笑み、自信を持ってこう告げた。





「信じてるから。今までのあなたの姿を見ている人たちが、『彼ならきっとできる』って信じているから、私も断言できるの。これ以上の根拠はないでしょう?」





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