第51話『 心 砕ケ 壊レル時――』
ビジターには、これから起きる未来――事象の発生から収束までを垣間見る能力を持つ。
世界がどう産まれ、
どう変わり、
どう終えていくのか……
彼ら、そして彼女たちは時空の観測者としてそれを見届け、記憶し、自らの停滞している進化の糧として、精査していた。
それを可能とするのが、ビジターを管理する存在であり、世界の始まりから終わりまでを演算として算出することができる、超高度自律発展型演算装置 ――インターネサインである。
ビジターのメンタル面すらも管理し、彼ら・彼女たちがあらゆる時空においての活動を可能とする
たとえ、どれだけ悍ましい現実を垣間見ても、インターネサインというフィルターが作用し、ビジターへの心的負担を軽減する。体が動けなくなるほどの失意や絶望も、己を失わせほどの憤怒や憎悪も、インターネサインが必要最低限に
だが、
離反し、クラウンと共にするようになってからは、懐中時計型の
インターネサインのような予測上限値は得られず、場合にもよるが、数分から数秒程度の未来しか見ることはできない。メンタル面も、インターネサインとの接続が切れた際の、あくまでも
さらにジーニアスの障害となったのは、魔法という不確定要素である。これが演算を阻害し、ビジターにとっては未知の感覚である、
それでも熾烈な戦いを潜り抜け、今日、ここまで来れたのは、ジーニアスの経験が為せる技だった。
技術研究機関でエンジニアとしての知識を学び、
統計観測機構で様々な世界の事象を観測し、
交渉調達局で緊急事態における対処法を学んだ。
多くの役職を渡り歩き、そこで積み重ねた経験による直感。そして、不確定要素が なんであるのかを教授する存在、ルーシー ――彼女という現地協力者。そして、ローズにもう一度逢えるという希望があるからこそ、未開の不確定要素が渦巻くこの地で、ジーニアスは生き抜くことができたのだ。
しかし、この場所に頼れる者はいない。
まったく戦闘能力を持たないジーニアス。そんな彼が、巨大な狼を相手に、無謀にも戦わなければならない。
濾過されていない情報――いや、フィルターで保護されていない純粋な
今まではテクノロジーによる補正があり、なんとか魔法とも渡り合う事ができた。事前に攻撃を予測し、高速戦闘において劣勢に陥っても、そこから巻き返すことができたのだ。
だがもう、それはできない。
彼はインターネサインという胎盤から切り離され、この地に投げ出された赤子なのだ。
多大な電力を有する、緊急物理保護や衝撃吸収機能も使えない。
彼は膝を石畳に付け、無力感に項垂れる――その心に重くのしかかるのは、恐怖だ。
症状はそれだけではない。今までインターネサインが塞き止めていた、過去の後悔やトラウマが、心の奥底から噴き出し始めた。
ポポルを救えなかった後悔。
ローズの力になれなかった、自責の念。
多くの時空の地を踏み、多くの世界で悲惨なものを見届けてきた。
あまりにも理不尽で、救いのない結末を……
インターネサインによって、それらは単なる情報として処理されていた。その
まるで映画や小説を見ていたつもりが、フィクションではなく、自分が経験した現実へと変貌を遂げるように……。
戦場の血生臭い腐臭に、鼓膜に突き刺さる悲鳴。絵空事のフィクションが、紛れもなく自分が経験したものとしてリフォーマットされた。
その心理的ショックは計り知れない。
――
拘置所でクラウンが放った警告が、今、現実のものとなった。
汗が頬をつたい、石畳の上へと落ちる。
心を取り戻してしまったジーニアスは、想像を越える心の圧迫に、断末魔すら上げることもできず、ただただ沈黙する。彼は無表情のまま地面を見つめていた。遠く、生気を失った瞳で……
その姿を見たゼノ・オルディオスは、すべてを悟り、こう言った。
「――ついに、力を使い果たしたな。」
そしてゼノ・オルディオスは、ジーニアスからジャスミンへ視線を移す。
「ジャスミンは過去に呑まれ、ジーニアスは自らの感情に溺れた、か。お前たちなら、
赤き雷狼は口に加えていた聖剣の刃を、ジーニアスの首にあてがう。そして仄かな優しさと、いつもの冷酷な口調で告げる。すでに勝敗は決した――と。
「ジーニアス。私の声は聞こえているか?
まぁいい……聞きなさい。
実力差は明白。このまま戦闘を継続してもいいが、嬲り殺しになるのは目に見えている。ここで、死にたくないだろう?
死にたくないのであれば、ジャスミンを連れてオルガン島を出ろ。
これは負けると分かっていながら、無謀な戦いに身を投じた君達に贈る、ささやかな
ジーニアスは剣を首に当てられて尚、逃げるどころか動くこともできず、俯いたまま沈黙していた。
それでもゼノ・オルディオスは話を続ける。それは彼女が置かれていた複雑な立場と、決っして話してはならない、口外無用な裏話を添えて……。
「あの男――私の雇い主は、フェイタウンを地図から……いや、歴史から抹消するつもりだ。
この世界の者ではない故郷をなくした旅人、ジーニアス・クレイドルよ。
君になら、あの男の野望を挫けるかもと思っていた。だが私のような雑魚に負けるようでは、まったくもって話にならんな。
思い返せば、我ながらバカな妄想に取り憑かれていたものだよ。
そう……最初から、なにもかも
ジーニアス、そしてジャスミンよ。
君たち二人は、あの男の
改めて、感謝の言葉を贈るとしよう。
この島から落ち延びれば、少なくとも歴史から、フェイタウンとう名が消えることはない。君たち二人が、その語り部となれ。
まぁそれも、あの男が この世界を終わらすまでの話だがな」
ゼノ・オルディオスは最後にこう締め括る。それはジーニアスがこの世界に来た理由でもあり、すべてにおいての行動理念――彼の心の支えである、ある女性についてだ。
「それとジーニアス。ローズは諦めろ。私も彼女の姿を探したが、この島のどこにもいなかった。
どの道……君と同じ力を持つのなら、雇い主が見過ごすとは思えん。
私の解き放った “目” と “耳” に捉えられないということは、すでに、彼らによって消されている、なによりもの証だ。
ジーニアス……お気の毒だがローズは死んだ。もはやこの世に存在しないんだよ。
その事実から目をそらさず、現実を受け止めろ。
現に、同じビジターであるお前とて、魔法の前では その程度だった。それどころかスーツや懐中時計という魔装具がなければ、戦うどころか、立ち上がることすらできぬではないか。
ローズがビジターとして どれだけ優れ、どのような戦闘能力を持っているのかは、今となっては永遠の謎だ。
だが、本気すら出していない私に、君はこうして負けた。だとしたらローズもまた、同じ末路を迎えたはず――違うか? この敗北こそ、ローズが死んだ確固たる証なのだよ」
そう言いながら赤き雷狼は、ジーニアスの首から剣を離そうとする。しかし、ここで予期せぬ異変が起こる。
その巨大な剣が、動かなかったのだ。
「ん?」
なにが起こっている? そう思いつつ、剣の柄を強く噛み締め、もう一度 動かそうとする――が、まったく微動だにしない。まるで見えない巨人にでも掴まれているかのように、剣が何者かの力によって固定されていたのだ。
そしてゼノ・オルディオスは、信じられないものを目の当たりにし、思わず目を見開く。無理もない――剣が動かないのは、ジーニアスが
そして彼は、自分の首に当てられていた、身の丈を遥かに越える巨大な剣を掴みつつ、ゆらりと立ち上がった。
ジーニアスは黙諾し、なにも口にしない。
ただ一つ、その胸にあるのは 怒り だ。
ローズが生きているという希望を否定された怒り。
尊敬する彼女が無力な存在であると、侮辱された怒り。
今までの苦労も、決意も、そのすべてを否定された。
もう一度――
もう一度だけでいい。
――そしてなにより、その理由となったのが無力な自分という、己に対する怒り。
産まれて初めて手にした、情報としてではない純粋なる本物の感情 。
ジーニアスは、剣を掴んでいる手に、その 感情 をこめる。すると巨大な剣は、膨大な圧力に耐えかね、バキンッと亀裂が入った。
あとは瞬く間だった。
亀裂は末端まで広がり、呆気なく砕け、折れてしまう。
ゼノ・オルディオスこと 赤き雷狼は、その光景に戦慄する。魔力を何重にも折り重ね、質量化させた剣。
急いで剣の柄を口から放し、身を少しでも軽くしつつ飛び退く。
ジーニアスは逃すまいと、今、まさに石畳に落ちようとしている剣先の部分を掴むと、それを目にも留まらぬ速さで振りかぶり、投擲する。
着地の瞬間を狙った攻撃に、ゼノ・オルディオスは反射的に身を伏せ、間一髪で躱す。
巨大な剣先は、赤き雷狼の真上を素通りする。そして、あらゆる魔法や物理攻撃すらも通さないはずの魔法障壁に、突き刺さった。ガキンッ!と甲高く、重々しい金属音と共に……。
ゼノ・オルディオスは、信じられない事態に悪寒が走るのを覚える。もちろん この場に自分がいるわけではなく、本体の安全は保証されている――だが そうと分かっていても、得体の知れない現象の連続に、微かな恐怖を覚えたのだ。
彼女は誰に言うでもなく、悲鳴混じりに叫んでしまう。
「こんな馬鹿げた事が!! なにが……いったい、なにが起こっているのだ?!」
この現実に説明を求めるが、その答えは返ってはこなかった。
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