第45話『地下の賢狼』



  ゼノ・オルディオスは視線を腹部へと落とし、お腹を優しく擦りながらなにかを囁く。その言葉はジーニアスや、ジャスミンに向けたものではない。



 そして、敵対する二人の勇者に視線を上げ、細心の注意を払うよう助言する。



 邪悪で、愉悦の笑みを浮かべながら……




「気をつけろよ。レミーの赤ん坊に、なにかあったら大変だ。もしもの事があれば、レミーはきっと……君達を許さないだろうからな」




 まだ この世に産まれていない赤ん坊すらも、暇つぶしの余興に利用する――その卑劣さに、ジャスミンは激怒する。それは未だかつてない、心の底からの怒りだった。




「なにが『慈悲深き我の配慮』だ! よりにもよって……赤ん坊を利用するなんて!! 人よりもよっぽど、お前のほうが卑劣で邪悪じゃないか!!」



「まぁ そう悪く言うな。これが、今の私の仕事だ」



「仕事? なら、赤子を人質にとるような真似も、お前の飼い主の趣味か!」




 そう問われたゼノ・オルディオス。彼女は 敢えてレミーの声帯を使い、女性的な口調でこう答える。




「――ご想像におまかせするわ」




 ゼノ・オルディオスは そう言い残すと、地面から這い出た紫の液体に包まれていく。まるで水に湿らせた半固形の粘土のように、それは意思を持ち、ネチョネチョと音を立てながら形を変えていく……




――巨大な賢狼




 赤き稲妻レッドスプライトに身に纏った狼が、空なき地下で遠吠えする。



 それと呼応するように、賢狼の体から稲妻が放たれる。――凄まじい炸裂音と轟く雷鳴。赤き閃光がジーニアスとジャスミンに襲い掛かった。



 二人は跳び退き、その稲妻から間一髪で逃れる。





 ジャスミンは喫驚した。魔法障壁を歪め、石畳を刔り飛ばすほどの圧倒的な力。ジーニアスがこの力を見るのは二度目だが、ジャスミンはこれが初めてだった。




 彼女は赤き神雷を目の当たりにし、ゴクリと息を呑み、震える声で呟く。





「これが、ゼノ・オルディオスのギフトか! 無詠唱でこの威力?!」



「ギフトだと? ジャスミン、これはギフトでもスキルでもない。ありふれた自然魔法だぞ。まぁ少々アレンジはしているが、な」




 彼女は、そう言いながら『これは ほんの序の口だ』と言わんばかりに、さらに赤き稲妻を盛大に放ち、力を振るう。



 自然魔法とは、自然の摂理になぞらえた魔法。故にギフトやスキルに比べ、効力や威力も大幅に制限されているはずなのだ。――しかし、ゼノ・オルディオスの放つ雷は、明らかに自然の摂理から逸脱している。


 しかも その威力は、世界の監視人こと、ビジターのスーツでさえも一撃で破壊する、驚異の威力を持つ。



 由来人ではないとはいえ、二人との格の差は歴然であり、天と地ほどの差があった。




 巨大な狼と化したゼノ・オルディオスは、体をブルブルと震わせ、本物の狼のように喉を震わせる。そして敵対するジャスミンとジーニアスに向け、こう言い放った。





「さて、棒立ちでハエ叩きをするのも飽きたな。そろそろ戦い方を変えるとしよう。


 今度は……こっちから行くぞ。 


 さぁ怖れろ! 逃れようのない絶望に恐怖しろ!!


 死の権化たるゼノ・オルディオスを前に、己の無力さを噛み締めるのだ!!!」



 再び遠吠えが、地下に響き渡る――それは第二ラウンド開幕の合図だった。





           ◆





――17分前 フェイタウン 第8地下道




 一人のコボルトが地下道に膝を付き、石畳みに手を乗せた。そして目を閉じ、手から伝わる振動で獲物の在り処を探る。


 だが、それだけでは満足な情報は得られなかった。彼は嗅覚を使い、さらに獲物の痕跡を見つけようとする。



 ロングバレルが特徴的な猟銃――ベアハンターを背負うコボルトだ。彼の正体は、教会前の戦闘でゼノ・オルディオスの肩を撃ち抜いた、あのコボルトである。


 毛皮の防寒チョッキに袖を通し、猟銃を背負った姿は、まさに典型的なマタギだ。だが その様相と相反し、彼は森ではなく、地下道にいた。


 こうなってしまったのには、それなりの理由がある。



――獲物だ。



 フェイタウンを襲撃した魔獣――それを操り、騒動を引き起こした張本人であるゼノ・オルディオス。彼女を追い、この場所まで辿り着いたのだった。




 コボルトは嗅覚から、獲物の気配を感じ取る。




「……――間違いない、これはヤツ、、の臭いだ。それと、もう一人いるな。余所者か?」




 コボルトは背中に背負った猟銃ではなく、腰の革製ホルスターに下げていた、ショートバレルのソードオフ・ショットガンを引き抜く。そして今まで歩いて来た方向へ振り向き、それを構えた。





「出てこい! 尾行しているのは、最初っから気づいているぞ!!」




 ほんの少しの間を置き、 両手を上げた男が姿を見せる。




「う、撃たないでくれ! 志村さん!! お、俺だよ俺!!」




 暗闇から照明下に出てきたのは、これまた地下道に似つかわしくない、エプロン姿の男性だった。




「んん? ああ、水飴をぷかぷか浮かせた、なんとも奇妙な梨菓子を売っている駄菓子屋か」




「奇妙な梨菓子なんて失礼な。まだ名前は考案中だが、妖精の加護を受けた ありがた~いお菓子なんだぜ。――でもどうして俺のことが?」




 その問いかけにコボルトの志村は、自分の鼻を指先でトントンと指し示しながら、こう答える。




「匂いだよ。こんな地下水道で、シナモンの匂いプンプンさせれば誰だって気づく。で? なんで俺のことを尾行していた」



「待ってくれ、俺はあんたを尾行していたわけじゃない!」



「じゃあなんだ? 道に迷ったとでも言うのか?」



「相変わらず疑り深いな! ほれ! これだよこれ!」



 梨菓子屋の主人が見せたのは、硬貨だった。



「そのお金がどうした?」


「お釣りだよお釣り。 ベールゼンの旦那を見かけませんでしたか?  旦那、うちの屋台で梨菓子を買ってくれたのはいいが、お釣り受け取らずに行っちまったんですよ。この地下道に続く階段を降りて行ったんで、追いかけたのはいいんですが――」



「で? 地下道を彷徨っていた、と? 嘘をつくなら、もうちょっとマシなセリフを用意しておくんだな」



「やっぱ ほッんと疑り深い人だな! でも、これが本当なんだから仕方ないだろぉ!! そもそも志村さん。俺もあんたも おなじ同郷なんだから、少しは信じてくれてもいいだろうに!」



「同郷? 同じ日本人ってだけだろ。それにお互い、元・日本人だ。駄菓子屋は伴天連。俺に至っては狼の顔をもつコボルトになっちまった。こんな顔で日本人だなんて名乗れないだろうて。そもそもお前、生まれは広島だろ? 同じ日本人だが、同郷じゃねぇ」



「このフェイタウンじゃ、日本人なら同郷ですよ。それと昨今の日本人に、伴天連って言っても通じませんぜ。せめて西洋人とか、白人って言わないと」




「うちの故郷じゃなぁ、白人を伴天連と呼――」




 それ、、はなんの前触れもなかった。



 コボルトの志村は、駄菓子屋の襟を掴むと、彼を無理やり引き倒す。駄菓子の手にしていた硬貨が散乱し、地下道に金属音が響き渡った。



 駄菓子屋が石畳に突っ伏すと同時に、コボルトの志村はトリガーを引く。ソードオフ・ショットガンは、横並び二連層であり、トリガーも2つある。志村はそれをほぼ同時に引き、なんの迷いもなく散弾を解き放った。




 地下道に、二発の銃声が轟く。



 攻撃対象は、駄菓子屋の亭主ではない。



 そんな彼の後ろに忍び寄り、暗闇から捕食しようとしていた悪食――巨鰐ジャイアント・アリゲーターに向けてだった。



 目のない純白の鱗に包まれた、不気味で巨大なワニ。成人男性を軽く飲み込むであろう顎が開かれた瞬間――ショットシェルが無造作に叩き込まれる。



 地下に潜伏していた捕食者は、野太い断末魔上げながら、再び暗闇へと消えていった。



 志村が駄菓子屋の亭主を引き倒していなければ、今頃、彼はワニの腹の中だっただろう。



 九死に一生を得た駄菓子屋の亭主。彼はこの世のものとは思えない光景に、目を疑う。そして地に伏したまま巨鰐が消えた暗闇を凝視し、ただただ唖然とする。




「い、今のは?!」



 コボルトの志村は、そんな彼の腕を掴むと、無理やり立たせる。




「駄菓子屋! 立て! ヤツはまた戻ってくるぞ!!」




 マタギとして生計を立てていた志村は、知っていたのだ。熊にしろ猪にしろ、仕留め損ねて手負いとなった獣が、どれだけ恐ろしいのかを……




「ここはヤツの縄張りだ! 開けた地下道とはいえ、あの体格じゃ俺たちに逃げ場はねぇ! 袋小路に追い込まれる前に、地上へ出るぞ!!」




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