第37話『セイマン帝国の内情』



――フェイタウン 第8地下道。




 少し湿りっ気のある地下道。


 レミーとエリシアは訓練場を目指し、そのジメジメとした場所を歩いていた。


 この地下道、元は水道管理用の地下道であり、汚水処理施設に通じている道でもある。昔はプランクトンと消毒液による窒素、りん、有機物の処理が定番だった。しかし近年になると、魔導学を応用した浄化システムに切り替わり、汚水処理は ほぼ自動化していた。



 そのため メンテナンス用の地下道に、人気はなく、レミーとエリシアしかいない。


 先導していたレミーが、エリシアの生い立ちを尋ねる。




「なるほど。じゃあエリシアちゃんの村は、人さらいの連中に襲われたのね」



「は、はい。私達はセイマン国 首都近郊の自治区に住んでいたのです。今まで……ああいった暴漢や人さらいをする、悪い――いえ、酷い事をする人はいませんでした。そんな私達の油断を突くかのように、新たな巫女の誕生を祝う戴祝式に……」



「隙きを突かれ、村が襲われてしまった。そして奴隷として輸送中の貴女を救ったのが、勇者――氷室 伸之だった、と」



「はい! すごくカッコよかったんです! 悪人を次々に斬り捨て、マントを翻して月明かりに照らされた勇者様! それも私のような亜人に……あの、えっと――」



「もしかして、その照れ具合……キス?」



「いえいえ! そんな!! あれですよ! 口にしたんじゃないですよ!! 膝をついて、手に優しく、そっと……キスを……」




「たしか、敬愛を意味する行為ね」




「亜人の私なんかに……『遅くなってごめんね』って言ってくれました。駆けつけてくれただけでも嬉しいのに。


 確かに村は地図から消えてしまった。


 先祖代々受け継がれてきた織り機も、舞踊も、民族衣装も……炎の中に……


――でもそれは、勇者様が悪いわけではない。悪いのは、あの暴漢たちのせいなのに。でも勇者様は、わざわざ頭を下げ、悲しんでくれたです」





「絶望の淵に颯爽と現れた勇者様。最高の演出ね。エリシアちゃんが、彼のこと好きになっちゃうのも当然よ。そんな事されたら私だって――」




「す、好きだなんて畏れ多い!! 勇者様はこの世界を救う救世主にして、英雄なんですよ! 私なんかよりも、高名な領主の娘様や、 名高い貴族の娘様を妻に迎い入れたほうが良い! ……うん。きっと、それが正しい在り方だから」




「奴隷と勇者という階級。どう足掻こうが、決して埋まらない身分の格差。エリシアちゃんは、素直で優しくて、本当に偉い子。自分の感情に押し流されず、そうやってわきまえているのだから」




「村がなくなって、勇者様に助けられて、いろんなものを目にして来たから……。


 旅して世界を見渡して、私……気づいたんです。世の中は、そんなに甘くはない。


 私が、恥をかくのはいい。


 でも勇者様は世界を背負う聖人様なのです! だからダメなの! 私なんかと結婚したら、勇者の名に傷がついてしまう! 私一人の身勝手な感情で、世界を狂わせてはならない!」




 先導していたレミーが振り返り、エリシアを見つめて尋ねる。それは、たった一言だけだったが、エリシアの心を突く言葉だった。




「いいの、それで?」




 エリシアはレミーのその一言で、たじろぐ。内に眠っていた――いや、無理やり閉じ込めていたあの衝動が、外に出たいと扉を叩いていたからだ。


 それでもエリシアはその衝動をねじ伏せ、毅然とした態度で確固たる意思を告げる。私情はとうの昔に埋葬した――と。




「あの人の……足手まといにはなりたくない! 非力な私でも! 布教で信者を増やすという使命を果たせば、勇者様の力になれるです!!」



 彼女の覚悟を見届けたレミーは、これ以上深入りしてはならない、ここで身を引く。「そっか。貴女がそれで納得しているのなら良いの」と告げ、話を別の話題へと反らす。




「――にしてもエリシアちゃんの村を襲った奴らって、そうとうな命知らずね。だってエリシアちゃんの村って、ヴィセンの南に位置していたんだよね?」




「はい……おかしいですか?」




「おかしいもなにも、セイマン国の首都近郊の特別保護区を襲撃だなんて。そんな事をしたら王の顔に泥を塗るようなものよ! だってそこは国王のお膝元、そのすぐ近くなんだから! 


 そんなところで人さらいや亜人狩りなんてしてみなさい!


『国王は自治区の亜人を守る気なし』『国王恐るるに足らず』『国王無能なり』――って、言っているようなものなんだから。


 いくら国王が奴隷の売買を容認しているとはいえ、お互いに踏み越えてはならない一線があるの。


 奴隷という低賃金で雇える労働力は、セイマン帝国を動かす潤滑油。それを提供する奴隷商人は、表向きには歓迎されないけれど、あの国にとって無くてはならない存在。民という歯車が摩耗しないよう、潤滑油である奴隷は欠かせないのだから。


――だからこそ、王は奴隷商人を一掃しないし、奴隷商人の幹部は王のご機嫌を伺い、決して逆鱗には触れよう注意を払う。お互いの利益のために」





「たぶんそれなら、枢機卿様が言っておられました。『王の威厳と権威が失われつつある』――と。なんでもそれが原因で、王位争奪戦が密かに行われていたとか。でも新しい国王がはすでに内定していて、新体制に移行するようです」




「そんな大事な話をエリシアちゃんに話したの? いえ……違うわね。立ち聞きしたんでしょ!」




 レミーのそのものズバリな指摘に、図星なエリシアは俯きつつ、か細い声で頷いた。




「は、はい……」



「どうりでおかしいと思った。いくら勇者お抱えの奴隷とはいえ、国の内情を話すもんですか」



「と、とにかくですね! だからセイマン国は生まれ変わるんです! 奴隷制度を撤廃し、奴隷だった亜人も平等に扱ってくれる、素敵な国に! 第17王子は心優しい人と聞きます。そんな彼ならきっと、大義を成し遂げられるはずです!! 枢機卿様は私達のために、自らの人脈を駆使し、第17王子を陛下にされるおつもりなのです!!」




「枢機卿って、アータン漁港に停泊している船に居た、宣教師の?」




「正確には宣教師にして、辺境伯であり、枢機卿にして、異端審問官であり、翼人の集いの聖職者にして、選ばれし聖杯の守護者で――」




「ちょっと待って長い長い! どんだけ肩書の長い爵位持ってんのよ! セイマン国は爵位を総一化しないの?!」




「卿、伯、男爵。そういった階級はありますけど、陛下から賜った称号はすべてそのまま名乗り続けて良いみたいです。勲章とは違った、栄誉の誇示だと思います。詳しいことは分からないけど……」



「国王から賜った称号はすべてそのまま名乗れるって……なんか異世界にあったイギリスって国みたい。それにしても、第17王子ってまだ幼子よね?」




「はいそうです! でも安心してください。枢機卿様は、翼人の集いにおける聖職者様でもあるのです! きっと王子を――いいえ、新たな国王になられた陛下を、必ずや支えてくれるはずです!!」




 エリシアの希望に満ちた言葉。



 未来の国王への羨望の眼差しとは裏腹に、レミーは虚しさを宿した瞳で、独り言を呟く。エリシアに聞かれないよう、ひっそりと、まるで空気に溶け込ませるかのような声で。




「なるほど。そういう事だったわけか。きっとあの国王と無能大臣ズの事だから、枢機卿の野望なんて見えてないでしょう。


 王位争奪戦だって、すでに内定してるって話だけど……どうだが。


 そう簡単に他の連中が諦めるほど、王宮は生易しくない。怨恨渦巻く迷宮。きっと枢機卿がしくじるのを待つか、なにかしらの罠を張っている違いない。それとも枢機卿に勝算が? なるほど……フェイタウンか。だから私に――」


 思わず立ち止まり、その場で考え込んでしまうレミー。エリシアはそんな彼女の顔を覗き込み、心配そうに尋ねる。





「あの……大丈夫ですか?」




「ええ平気よ。どうしたら翼人の集いが受け入れられるのかを、必死に考えていただけだから」




「それならきっと大丈夫ですよ! 神が遣わせた聖天使様が、きっと私達を導いてくれるはずです! 奇跡はきっと――いいえ、必ず起きます。 今日だって神の思し召しで、レミーさんと出会う事ができたのですから!!」



 そう自信満々に断言するエリシア。


 レミーに出逢えたのが嬉しかったのだろう――いや、勇者以外の人間に、奴隷としてではなく、対等な存在として扱ってもらえたのが、本当に嬉しかったのだ。



 レミーもまた、彼女の笑顔に釣られるように微笑んでしまう。そして不安を抱かせないよう、優しく同意する。



「ええそうね。私もエリシアちゃんのおかげで、今日はとても良い日になりそう」



 そして二人は再び歩き出す。


 エリシアは賛美歌を謡い、神の御加護を信じながら……――


 

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