第38話『聖女 VS バーテンダー』



――地下訓練場




 ジャスミンは態勢を整えるため、マーモンからバックステップで飛び退く。


 肩で息をしながら、難攻不落の男こと、マーモンを凝視した。


 



「ハァ、ハァ、ハァ……いつも思っていたが、なんで酒場のマスターがこんなに強いんだ? 裏社会を熟知しているとかじゃなくて、ほんとは彼が、裏社会を牛耳るボスなんじゃないか?」




 彼女の言う通り、ジャスミンがいくら攻撃を繰り出しても、ツーハンドソードで受け流されて、本体に届くことはなかった。


 しかも両手剣を片手で扱っているにも関わらず、汗一つなく、涼しい顔をしているではないか。


 ジャスミンは前世において、多くの戦場を駆け抜けてきた。だが、ここまで常識はずれな男は、未だかつて出遭ったことはない。まさに難攻不落を絵に描いたような男なのだ。



 当の本人であるマーモン。彼は何食わぬ表情で、血糊を払うかのように剣を振るう。そしてジャスミンに向け、「どうした! その程度なのか!」と叫んだ。




「ジャスミン! スキルの効果時間が短いぞ。剣捌きにも、まだ鈍りがある。実戦のつもりでかまわん! 殺す気で来い!!」



「手を抜いていると言いたいのか! 肩で息をしているのが分からんのか! こっちはこれでも全力なんだ!」



「だが魔法の効果時間の短さはなんだ? もしこれが実戦なら、敵にハンデを与えていることになるぞ!」




「し、知るか! 私は……私はァ! 魔女なんかじゃない!」




「魔女? まだそんな考えを……――。いいかい? 前にも話したが、この世界で魔法を使うのは、なんらおかしいことではない。魔法を使うことは、けっして邪の道に踏み入ったわけではないんだ」




「そう簡単に宗教的価値観を変えられるものか! 魔術は魔女が使う異端の力! それを……こうも簡単に使えるなど!!」




 彼女の前世では、魔法とは魔女――即ち、邪悪を使役する黒き魔の存在の御業。


 神からの啓示を受けた者にとって、本来なら禁忌のはずである。それなのに、自分の体は魔法を受け入れ、当たり前のように使用している。その紛れもない事実が、ジャスミンを困惑させ、剣捌きや魔法に足枷をつけていた。


 自分はもう、神の啓示を受けた時の自分ではないのか? ――魔女。悪魔の遣いであり、邪悪なる者に堕ちてしまったのか?


 そんな考えがジャスミンの心に巣食い、不安を掻き立てていた。



 その不安を掻き消すように、ジャスミンはがむしゃらに剣を振るう。『自分は何者なのか?』という疑問から目を逸し、覆いかぶさる現実を振り払うために……。




 風属性の魔法で自身を加速させ、マーモンとの彼我距離を一気に詰める。




 正面きって力によるゴリ押し――しかしマーモンにそれは通用しなかった。ならばと、ジャスミンは風属性の魔法を使い、動きで翻弄する手段に出た。


 ある程度マーモンの周囲を高速で移動し、隙を突くように突貫――しかしこれはフェイント。マーモンが剣を振り上げたと同時にサイドステップで攻撃を避け、背中へと回り込む。急激な方向転換を駆使し、本命を叩き込もうとした。



「――勝った!!」



 訓練用のリキッドソードが、マーモンに突き刺さろうとした、だがその瞬間――彼の姿が忽然と消えたのだ。



「なに?! どこへ消えた!」



 ジャスミンはなにが起こったのか分からず、マーモンの姿を探そうとする。だがその前に、彼の声が真下から聞こえた。



「良い手段だ。だがそれでは、先を読まれてしまうぞ――」



 マーモンは後ろから斬りつけられる瞬間に、身を限界まで屈めていたのだ。まるで匍匐に近い状態から、体を回転させ、回し蹴りを繰り出す。



 ジャスミンは咄嗟に剣を棄て、腕をクロスしてその蹴りを受け止める。それはただの回し蹴りではなかった。魔力によって加速させた打撃だった。


 ジャスミンは凄まじい衝撃によって吹き飛ばされる。


 訓練場の床を数回バウンドし、訓練中だったジーニアスに直撃した。





 その光景にマーモンは『しまった!』と焦りの表情を。一方、訓練指導を行っていたヴェルフィは『何事?!』と目を見開く。目の前にいたジーニアスが、一瞬、目を離した隙に消えたのだ。


 

 ジーニアスとジャスミンの二人はそのまま、訓練場の魔法障壁に激突――土煙を上げて止まった。



 この訓練場は対衝撃魔法で守られている。訓練における、あらゆる衝撃・魔法は緩和され、無力化される仕組みだ。しかし魔法に関しては障壁を貫通する危険性があるので、魔力を抑制する腕輪を使用して行う。


 マーモンは手加減したつもりだったが、より実戦に近づけるため、腕輪の限界まで魔力を上げて使用していた。訓練とはいえ巻き込まれたほうは、たまったものではない。




「「ジャスミン! ジーニアス!!」」



 マーモンとヴェルフィが二人の名を呼びながら、駆け足で土煙へと向かう。



 土煙の中から、ジャスミンに肩を貸したジーニアスの姿が現れる。




「ゴホッ! ゴホッ!」




 ジーニアスは咳き込んでいるジャスミンに、優しく語りかけた。



「ジャスミン、大丈夫ですか?」



「痛ぅ~。だ、大丈夫だ。いくら実戦さながらとはいえ、あの男は加減を知らんのか! 戦う前に棺桶送りは笑えんぞ!!」



 ジャスミンは頭を抱えながら、顔を横に振り、ボヤけていた意識を無理やり覚醒させる。



 そして自分を受け止めていたジーニアスに礼を言う。



 いくら衝撃を緩和する訓練場とはいえ、彼が受け止めてくれなければ、より強い衝撃で静止していたからだ。



「ジーニアス、受け止めてくれてありがとう。君があの時――って! おい! 腕が折れているぞ!!」



「? 折れている? いえ、そのような損傷箇所は――」



「見てみろ! 腕がパンパンに膨らんでいるぞ!」



「ああ、あの時の衝撃でハイドレーションの内部セルパックが破損したようです」




 ジーニアスはそう言いながら、腕の袖からその膨らんだ部位を慎重に取り出す。


 そして駆け寄ってきたマーモンとヴェルフィにも、これがなんなのかを説明する。




「これは私が生活する上で欠かせない水分を、補給する装置です。水の原子をクオークとして分解し、軽くして持ち歩いています。損傷報告ログによると、ハイドレーションのパック内装が避け、一部が水に戻ってしまったようです。ゼノ・オルディオス戦で傷ついた箇所が、先の衝撃で裂けたようですね」




 説明を受けたジャスミンだが、なにを言っているのか分からず、頭の上に『?』を浮かべていた。

 


「つまりジーニアス、あー、これは……水を貯める魔法の袋なのか?」



 いいやこれは違うと、マーモンが代わりに答える。



「ジャスミン、これは科学だ。魔力を一切使わず、科学の力で水を変換――圧縮して携帯している。ジーニアス、要約するとそういう事だな?」



「ええ、マーモン氏の解説した通りだ。これ以上、このハイドレーションに衝撃を与えるのは好ましくない」



 その言葉に、ヴェルフィが「どうなるんだ?」と尋ねる。



「もしこれ以上衝撃を加えると……この青い袋はどうなる?」



「すべてが水に戻れば、この訓練場は巨大な水槽になってしまう」



「水槽だと?! じゃあこの小さな袋に! 訓練場全体を水で満たすほどの水が入っているのか?!」



「そうです。ビジターは観測する上で、長期間の活動を想定している。これでも少ないくらいです」



 その言葉に、ヴェルフィは『信じられない』といった表情で絶句する。帰還人から、外の世界の情報は常に仕入れている。そのため魔法と科学という技術差や特性の違いは、それなりに理解していた。


 だがここまでの格差は想定外である。


 科学能力の発展に発展を重ね、その到達点――閾値へ足を踏み入れた世界。ビジターの世界の話は、間違いなく、科学の行き着くところまで至った、創造を絶する世界だった。



 そんな世界にも関わらず、ビジター魔法の一切を認知できず、その使用方法すら知らない。これもまた皮肉な話だ。むしろそこまで技術が発展していれば、すでに魔法を解析しつくしていても不思議ではない。


 なのになぜ、ビジター ――いや、ジーニアスは魔法を使えない? 我々にあって、彼にないモノとは、なんだ? 


 

 ヴェルフィが心のなかで首を傾げた時、聞き慣れた声が彼の鼓膜を揺らした。



 まず聞こえたのはルーシーの声だ。ジーニアスの名を叫ぶ少女の声。ルーシーは観客席の最前列まで走り寄り、魔法障壁越しに彼の名を叫んでいる。



「ジーニアスさん! ジーニアスさん、大丈夫ですか!」


「大丈夫だ。なにも問題はない」


「よかった……かなり派手に吹き飛んだから……」


「無傷なのは我々の技術によるものではない。こちらの世界の不確定要素――魔法の恩恵だよ。この障壁は、とても素晴らしいな。物体の運動能力を吸収し、慣性の法則さえも相殺させる不思議な力がある。私の世界における緊急物理保護機能フォトンレゾナンスシールド衝撃吸収機能マルチショックアブソーバーに近い。訓練場に展開しているこの魔法障壁は、実に興味深いギミックだ」



 それを聞いたルーシーは、相変わらずなジーニアスに笑みを浮かべる。そして魔法障壁をノックしながら、彼にこう告げた。



「フフッ。ジーニアスさんの調べたいもの、また一つ増えちゃいましたね」




 談笑に勤しむルーシーとジーニアス。それを他所に、ヴェルフィは聞き慣れた女性の声を探す。あの声はルーシーのものではない。より親しく、より深き存在の声だった。



 そして彼は目にする。市長の横を通り、亜人の娘を連れて観覧席の階段を下る、彼女の姿を。




「れ、レミー?!」



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