第15話

 「この野村大使とターナー少将の面談の議事録が国務省外交資料下巻五百十六ページから五百二十ページに収録されているわ。南部仏印進駐を知った米国政府が更なる対日制裁を施すと、日米和平の機会が永遠に閉ざされることになるという大使の切々とした訴えが記録されている」

 米海軍では極東の米出先機関からの情報と傍受した日本の外交交信から日本軍の動向の情報を得ていた。当時のターナーは米海軍の戦争計画起案の責任者で情報部門のトップも兼ねていた。マジック解読のトップだったターナーは、二十日にはオットー駐日ドイツ大使を通じてドイツ政府に、日本の三国同盟に対する姿勢は松岡時代と変わらずという豊田外相の声明が出されたこと、同じ日に、加藤駐仏大使にヴィッシー政府との交渉結果いかんにかかわらず、二十四日には日本軍は行動を開始するという豊田の電報と、それに対して加藤大使が返電した、日本の強い姿勢が功を奏しヴィッシー政府が協定案を受諾したとの電信を傍受している。米国は事態の推移をすべて把握していたのだ。

 「大使からもそれまでの情報を裏付ける日本の南部仏印進駐の事実を聞いたターナーは直ちに上司のスターク大将にメモを差し出しているわ。スタークは翌日の二十一日朝に大統領にこれを報告している」

 「野村が二十日に訪れたターナーはその前日の十九日に、後にターナー・レポートとして知られる重要な戦争計画書案をスタークに提出していたんだ。ハル・ノートが野村に手渡された十一月二十六日の翌日、ホワイトハウスで陸海軍制服組のトップであるマーシャル陸軍大将とスターク提督がルーズベルトに提出した、ドイツ粉砕を最優先し、対日本は防備に徹すべきとした戦争作戦計画書の原型になったものだ」

 「真珠湾奇襲の責任が追及された一九四四年の議会による聴聞では、日本の奇襲に対する陸海軍の防備体制が不備だったのはこのターナー・レポートが欧州偏重だったからとの批判が出されたと記録にあるわ」

 「二十一日に療養中のハルがウェルズ次官に、二十日のヴィッシー政府との間の協定成立の情報を野村に確認するよう依頼している。ところが野村はニューイングランドのメイン州に海軍の旧友を訪れるために不在で、ウェルズは代わりに若杉公使を呼び南部仏印への侵攻の有無を問い質した。野村はドライブが趣味でこの時も車で出かけていたそうだ」

 「マジックの存在を知らない若杉公使はウェルズに、交代したばかりの豊田外相がそのような重大な変更を進めるとは考えられないと否定した。大使と公使の間で食い違う発言が出たことになるわね。これが国務省資料に記録されている。南部仏印への侵攻の取り扱いに対する公式見解のコンセンサスが大使館に存在しなかったことを米国に露呈する結果となったのね」

 第二次大戦が勃発し欧州での動きが活発化した一九四〇年秋に、ルーズベルトは国務省内の日常業務を二分し、ウェルズ次官を欧州担当、ハル長官をアジア担当に専念させていた。高齢に加え病弱なハルの業務量を低減する配慮もあったからといわれる。この時ハルは六十九歳だった。平均年齢が六十歳台だった当時としては高齢者だったことになる。ちなみに、ルーズベルトは五十九歳、野村は六十三歳であった。

 ハルが病欠中のために国務長官代理として激務に追われていたウェルズが若杉を呼び寄せるほど日本の南進に関心を抱いたのは、背後にドイツの存在があると国務省が疑ったからだ。

 「翌々日の二十三日に急遽戻った野村がウェルズと会見、その際に野村はヴィッシー政府との協定の存在を認め、ターナーに対したと同じようにそれ以上の南進はないと伝え、ウェルズは電話でこれをハルに報告している。日本は前年の九月に北部仏印に軍を進めていた。それは蒋介石政府への支援活動を阻止するためだったが、南部仏印への進駐にはそのような理由付けは通じず、米国政府は野村の訴えにもかかわらずこの進駐を、ドイツと秘かに結託した日本軍による更に南への侵攻作戦の始まりではないかと疑ったのは当然だった」

 「外交資料には、七月十日にウェルズが駐米英国大使のハリファックスに、日本が南進するようであれば新たな経済制裁を加えるというルーズベルトの言を伝えたとあるわ。十四日には政府内の関係者の間でどのような制裁が適当かとの論議が始まり、慎重派のハルが不在のために強硬論が飛び出したとされている。二十一日、ウェルズは、米国内の日本・中国資産の凍結、絹その他の日本製品の輸入禁止、通常の量を超える石油の輸出禁止と対日禁輸石油製品のグレード引き下げ、からなる国務省案を作成したと資料には記録されているわね」

 「こうした一連の動きがあった後にホワイトハウスは七月二十四日を迎えたのね」エリザベスが外交資料に記載の記録を指差す。

 「この二十四日はその後の日米関係を占う日になったのだ。この日の午前、ルーズベルトはホワイトハウスを訪れた米国民国防自衛団(The Volunteer Participation Committee)の一行に、東海岸では石油不足が問題になりながら日本への石油輸出を続けてきたのは、日本の南方進出を防止するためで、自国を犠牲にしてでも和平実現と米国が戦争に巻き込まれるのを回避すべく努めてきたとのスピーチを行った。すでに日本軍による南部仏印進駐が目前であることを耳にしていたルーズベルトの表現が過去形だったために、メディアは一斉に不介入政策の変更ではないかと憶測する波紋を呼んでいる」

 「この同じ日の午後、ホワイトハウスで閣議が持たれ、ルーズベルトが在米日本資産の凍結を決めたのだわ。この大統領令は翌日夕刻にホワイトハウスが声明を出し、二十六日に発効された」

 ターナー・メモやウェルズからの報告に加え、二十四日朝にはカムラン湾に日本海軍の艦艇が出没した情報がホワイトハウスに届いていた。日本の南部仏印進駐が事実と確認され、野村大使が説く日本の和平姿勢と日本政府の言動には大きな差異があることにルーズベルトは非常に落胆している。

 「ルーズベルトとハルは、それまでの日米和平への努力を裏切る日本の行動に落胆しただけでなく、日本軍の仏印進駐はドイツからの圧力があったためで、放置すれば三国同盟が日本を対米英戦争に走らせるという危惧を深めたことがあるわね」

 「そうだ。野村はこの二十四日の夕刻五時に大統領をホワイトハウスに訪問し会談している。その際、大統領の意向でスターク海軍大将とウェルズ国務長官代理が同席した」

「ルーズベルトはその朝のスピーチにも触れて、自国民に犠牲を強いてまで日米間の和平実現に努めてきたと野村に伝え、情報が伝える日本軍による南部仏印侵攻はそれまでの日米間の和平に向けての努力を否定するものだと批判し、ところで、と提案したのがインドシナの中立化案だった。大統領は、すでに遅きに失した感があるが、和平実現に助けになるならば、日本の南方からの資源入手を確実にする中立化案を関係各国に働きかけると野村に伝え、この案はその会見直前に思い付いたもので、国務長官代理のウェルズとの事前打ち合わせをしていないと付言していたわ。それを記したウェルズが作成した議事録が外交資料に収録されている」


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