第2話
「リズ、レベッカのお父さんは今でも健在なの?」
「祖父はもう十年ほど前に心臓麻痺で亡くなったの。九十歳近い高齢だったわ。父が没した五年ほど前のことだった」
「このマイケル・スミスという人物をレベッカはご存知なの?」
「母は知らないそうよ。レベッカも私もケイマン諸島の名を聞いたこともなく、このスミスさんがだれなのか、見当もつかない。ケイマン諸島はカリブ海にあると先ほどおっしゃたわね」
「キューバの直ぐ南に位置する大中小の三つの島からなる英国領土で、カリブ海では最も豊かで住民には所得税が課せられない。そのため米国や他の国の金持ちが金融資産を置いていることで知られる島で、銀行や証券会社が軒を連ねている」
米国民は海外に持つ資産が生み出す所得も確定申告書には所得として含める必要がある。しかし、国の政策で国内の金融資産の持主名を開示しないことで知られるスイスや、米国領土でないことから米国の税務当局の徴税が及ばない海外に財産を隠すグローバル企業や資産家、あるいは闇の世界で暗躍するマフィアまがいの脱税者が後を断たない。最近の新聞報道によれば、そのようにして海外に移された富裕層やグローバル企業の資産総額は二十一兆ドルに達するそうだ。日本の国家予算の二十一年分に相当する。
日本の国税庁に相当する米内国歳入庁は以前から海外に隠された資産への課税を強めている。ある資産家の海外資産がそのような捜査の対象にされ、弁護士事務所の依頼で塚堀はケイマンに現地出張をして口座の残額の確認作業に当ったことがあった。
米国の東海岸の主要空港からケイマンへ直行便が飛んでいる。塚堀はマイアミからの便を利用した。マイアミからは一時間半のフライト時間で英国領ケイマンのオーウェン・ロバーツ国際空港に着く。空港から海に面したジョージタウンの街に入ると名の知れた銀行や金融機関が軒を連ねていた。
「リズ、このマイケル・スミスなる人物は島の住民ではなく、ケイマンに財産を置いていた投資家だろう。レターに追記された遺産管財人はホノルルの弁護士事務所だから、スミスはハワイに住んでいたと思われるね」
「ジム、七桁台ということは百万ドル以上だわね。この手紙が本当なら、レベッカにとっては宝くじに当ったような降って沸いた幸運だわ。認知症を偽装する姑息な手段に訴える必要もなくなるし、いろいろと将来を心配する母の不安を払拭できる。でも、どうしてそのような多額のお金が遺されたのか、その理由を知らずには受取れないと母が心配しているの。何か国際犯罪が絡んでいるかもしれないし」
「この銀行に遺産譲渡の経緯を尋ねるべきだね」
「そうしたいのだけど、私はそのような分野には明るくない。母も認知症を患っていることになっているので、海外とそのような手紙を交換したら認知症の件がばれて施設を出なければならないことになりかねないわ。そこでジム、お手を煩わして申し訳ないのだけど、この銀行に事情を照会してもらえるかしら。会計士からだったら銀行も信頼するだろうし」
「リズ、事情を諒解した。協力しよう」
「ありがとう。母は手数料をお支払するようにと申しています」
「ミステリー小説を解明するようなものだね。手数料は忘れるように。ところで、会計士といえども僕とレベッカは血縁関係にはないので、銀行が情報を開示するためにはレベッカからの委任状が必要になる。ケイマン諸島は英国領だから英国の法律にも通じた弁護士に委任状の作成を依頼する必要があるね」
「祖父が没した時にレベッカが利用した弁護士がボーリング・グリーンに事務所を持っているわ」
グラスゴーから半時間ほどの距離にこの近辺では大きな町のボーリング・グリーンがある。弁護士事務所も数軒あり、エリザベスが口にした弁護士事務所の名は塚堀も耳にしたことがあった。
しばらくしてエリザベスが弁護士が作成しレベッカがサインした委任状を持参した。塚堀はその委任状と共に信託銀行に事情を照会するレターを郵送した。
それから二週間ほどして銀行から事情を記した返信が届いた。ちょうど確定申告の期限日の翌日で、塚堀には時間の余裕が出てエリザベスの依頼事項に注力することができるようになった。
返信には経緯が簡潔に記されていた。
引退後は生誕地だったハワイで余生を送っていたマイケル・スミスは、二ヶ月ほど前に肺炎のために入院したホノルル市内の病院で息を引き取った。
米国では死去すると死者の個人財産は直ちに法律上の遺産財団の管理下に置かれ、その地の裁判所が任命する管財人が財産の処理に当る。遺書が存在しない場合はその州の州法に沿って、遺書がある場合はその遺書にしたがって故人の財産が処分されるのだ。
遺産財団は法律に沿った遺産の処理に当ると共に遺産税を納める義務を負う。日本と異なり米国では相続人には相続税が発生せず、遺産財団が遺産税を納めるからだ。
スミスには生前に弁護士が作成した遺書があり、その遺書にはケイマン諸島の投資銀行に設けられた口座に残された金融資産をジョージ・ジョンソンあるいはその娘のレベッカに贈るようにと記されていた。
管財人の弁護士からその銀行に資産の名義変更の依頼状が出され、ジョージ・ジョンソンが故人であることを知った銀行がレベッカの所在を確かめて書状を送ってきたのだ。
スミスの遺書には、ジョンソンに財産を贈る理由として自筆のメモ書きが添付されていた。そこには、“一九四一年十二月七日の早朝四時に至急電報を送り付けてくれた友情に報いるため”とだけあった。
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