第3話
レベッカ・ギブソンにいくつか確かめる必要があったが、介護施設で認知症患者とされているレベッカと塚堀が面談するのは不自然なので、エリザベスにレベッカを帯同して事務所を訪れるようにと電話を入れた。
翌日、ふたりが事務所に現われた。
「一九四一年の十二月七日とはあの真珠湾攻撃の日です。レベッカ、あなたのお父さんは一九四一年にどこでなにをしていたか、耳にしたことがありますか?」
「ジム、父は東部の大学でアジア学を専攻したの。中国の歴史や政治制度が対象で中国語も読むことができたと自慢していたわ。卒業後は当時の国務省に採用されて、首都のワシントンで蒋介石政府への支援策や中国での日本の機密情報を秘かに集める部署で働いていたと話していたわ。冗談でスパイの一員だったといっていたから、あの日もワシントンにいたはずよ。そうだ、思い出したけど、国務省に入省して数年後に海軍に出向したともいっていたわ」
しばらく前の米国の教養テレビ番組が、米国が日米戦争が勃発する以前から日本の外交電報を傍受して暗号を解読していた事実を報じていたことを塚堀は思い出した。
その番組によると、日本の外務省は一九三九年二月に外交通信に新たな暗号を採用し、これを知った米陸軍が解読機の開発に着手したとあった。マジックと呼ばれた解読機が完成したのは一年半後の一九四〇年八月だった。日米戦争勃発の一年前になる。それ以降、米国は日本外務省の通信をすべて傍受し解読している。陸軍が四百人、海軍が三百人の要員を抱え、当初は解読に五十九日も要していたが、開戦直前には短時間で解読できる体制になっていた。
陸海軍が交代で解読作業をした。マジックの存在を外部に察知されないために、解読文は関係者以外に渡らぬよう当局は極秘扱いを続けた。中国語に通じたレベッカの父親のジョージ・ジョンソンは、日本語も読むことができたのかもしれない。海軍に出向したのもその語学力とアジアの知識を買われたからであろう。海軍が擁した諜報班の三百人のひとりだったとしても不思議ではない。
塚堀がレベッカ・ギブソンに尋ねる。「リズの話ではマイケル・スミスの名をご存知ないということですが」
「記憶にないわね」
「銀行からの書類にデトロイト市近郊のファーミントン・ヒルズという町に住むスミス名の人物とその住所と電話番号が記載されています。レベッカ、あなたの代理人ということで当ってみましょうか?」
「遺産相続だけでも不思議なのに、ワシントンから発電された至急電報の存在。ことはますます謎めいてきたわ。確かめないと薄気味悪い。そうしてちょうだい」
GMで長年管理職を勤め今はデトロイト郊外に引退しているスミスの長男と電話連絡が取れた。塚堀は会計士になる前にデトロイトに支店を持つある企業の嘱託をしていたことがある。そのため二年間ほど単身赴任し、その間にアパートを借りていたのが住宅地が多いファーミントン・ヒルズだった。
なにが幸いするか分からぬもので、ファーミントン・ヒルズの住民だったことを告げると、相手は塚堀の問い合わせに親切に答えてくれた。自宅の近くに塚堀が頻繁に通った鮨が評判の日本食レストランがあり、スミスの長男夫妻も頻繁に利用しているそうだ。
「レベッカ、その長男もあなたのお父さんのジョージ・ジョンソンの名は遺書を見てはじめて知ったそうで、耳にしたこともなかったそうですよ。葬儀を済ませて遺品の処理のためにハワイの実家を訪ねて遺された日記や手紙類を繰ったところ、ふたりは同じ大学に在籍し寮では同室のルーム・メイトだったことが日記にあったそうです。親しい友人どうしだったと考えられますね」
エリザベスが、「祖父はどうしたことか、学生時代や戦時中のことを私や母に語ることがめったになかったわ。スパイだったからかしらね。戦後はケンタッキーの片田舎で会社員生活を続けてひっそりと暮らし、遺産らしい資産を残すこともなかったのよ」
「スミスの息子さんによれば、スミスは専攻が工学部で、卒業後は機械工学の知識を活用しようと機関将校を志願して海軍に入隊したそうです。最初は米海軍の太平洋艦隊の基地があったカリフォルニア州南端のサンディエゴに駐屯して陸上勤務を数年体験し、その後に、ハワイの真珠湾を母港にする戦艦アリゾナに機関将校として乗組んだそうです」
「あの日本軍の攻撃で轟沈してパールハーバーの湾内に沈んだままの軍艦だわね」
「リズ、よく知っているね。あの日の真珠湾での米軍の戦死者は三千四百人といわれているが、戦艦アリゾナはその三分の一に相当する千百七十七名の戦死者を出したことが記録されている。スミスは乗組員では数少ない生存者のひとりだからと、十二月七日の慰霊祭には毎年欠かさず出席していたそうだ」
「その軍人のスミスさんが資産家になったのは?」レベッカが問う。
「戦後に海軍を退役したスミスは、東部のボストンで知人たちとハイテク企業を相手にしたベンチャー・キャピタルを設けたそうです。ボストンはシリコンバレーに先立ってハイテク企業が活躍した地で、スミスたちは投資や買収でかなりの資産を貯えたようです。息子さんの口ぶりから、ケイマンに置かれていた資産は遺産のごく一部で、息子さんとふたりの妹は多額の遺産を相続したようですね。だからレベッカ、あなたの相続にも遺族は異議を抱いていないことが分かりました。安心してもよいようです」
「あの遺書にあった至急電報はなんだったのか分かった?」エリザベスが尋ねる。
「息子さんもあの至急電報がなにを意味するのか知らないそうだ。一九四一年十二月七日の日記には、早朝四時過ぎにワシントンのジョンソンから至急電報を受取ったとあるだけだそうだよ。日記によれば、ホノルル出身のスミスはあの七日朝の七時に帰艦する許可を得て、六日の夜は基地から一時間ほど離れた実家に泊まっていたそうだ」
「六日は土曜日だったから週末を利用した休暇だったのね」
「その実家に泊まっていたスミスにワシントンにいるジョンソンから至急電報が朝の四時過ぎに届いた。ハワイは東海岸とは五時間半の時差がある。至急電報でもハワイまでは一時間は要したと考えられる。おそらくジョンソンはその夜は夜勤だったのではないだろうか。夜勤の勤務が明けた直後の帰宅途中で電報局に立ち寄ったと考えるべきだろうね」
「父はジェームス・ボンドの007シリーズの映画を観ながら、スパイ活動の実際はあんな綺麗事ではないと文句をつけていたのを覚えているわ。自分の体験から批判していたのね。ところで、その至急電報は遺品に残っていたのかしら?」
「レベッカ、息子さんが遺品の中からその電報の原本を探し当ててくれましてね。電報は軍事電報ではなくワシントン市内の電報局から発信されていたそうですよ。ごく簡単な電文で、“詳細は後電するが、夜が明けたら日曜日朝は自宅待機の許可を得て自宅に留まるように”でした」
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