討論、あるいは恋心について
「うーん……」
不意に悩ましげな声が聞こえた。
「ねえねえ」
ずい、っと彼女が身を乗り出してきた。
……想像していなかった急接近に、ボクだけがドキドキしているようで少し情けなくもなる。
「あの『台本』さ、もしアレが本当だったら、どうする?」
自分の心拍に気を取られて、一瞬何のことかわからなかった。
咳払いをわざとらしく挟んで、
「……本当だったら、っていうと?」
「本当に、書いたらその通りになっていく、ってこと」
微笑みは浮かべているが、目の奥には強い炎が滾っているように見えた。
真剣に訊いているようだ。
「……面白そうだとは、思うけどね」
「あれ。意外と素っ気ない」
「たぶん、『そんなアホな』って感じで話半分以下って感じで聞いてたのかも」
「そっかぁ」
残念そうな顔をする。
そう。
意外に表情がコロコロと変わる娘なのだ、この子は。
しかし、良くない。
真剣な顔を曇らせるのはダサい。
「いや、うん。面白そうだとは思うよ。殺陣さえ巧くできる、っていう話だと、どんな文章で書けばいいんだろうな、とか思ったり。他にもいろいろと気になるところはあるけど」
少なくとも、その本の『設定』が一体どのようなものなのか、という点ではとても興味深いのだ。
うんうん、と楽しそうに頷く。
――良かった、お気に召したようだ。
「じゃあさ、使ってみたい?」
早くも二の矢が飛んできた。
「うーん……」
困った。
質問としては、来るだろうな、という予想は立っていたが、考えたことも無かったものだ。
脳みそを絞っても直ぐさま出てくる代物ではない。
「ちなみに、私は使ってみたいかな」
ボクの逡巡を察した彼女は、今度は先に自らの感想を述べた。
予想通りの内容ではある。
さっきからボクを見てくる視線が妙に楽しそうなのだ。
「その心は?」
「練習として使うんならアリなんじゃないかなー、って思うわけですよ」
「練習?」
「演者側というか、作家側の、って感じかなぁ。実際に頭の中で配役を動かすよりも、その人自身に動いてもらったほうがわかりやすそう、っていうか。普通はある程度演者側にも覚えてもらわないとそういうことってできないけど、その必要が無いんだもの」
「なるほどねぇ……」
言い方は悪いが、演技者たちを手駒として扱えるというのは、少しばかりのサディズムが見え隠れしていて興味深い。
専制君主的思想でも持ち合わせていたのだろうか。
「その雰囲気だと、あんまり使う気はなさそうだね」
いたずらっぽく上目遣いで聞いてくる。
「そうだね……。強いて言うなら、本番で使いたいところかな。台詞飛びとかが無くなるんでしょ? アガリ症の役者の矯正とかにも便利そう」そう、例えば、ボクのような。
「だね」
「でも」
いろいろと思考を巡らせていたときに降ってきた疑問を、彼女と、そして自分にもぶつけてみる。
「もし、アレに書かれている側が、その演技をしているときに『自分の本来の意識を保ったままだったら』って考えると、どうかな、って」
「ふむふむ」さらに彼女は身を乗り出す。
「書かれている側が自分の意識を保ったままだったら、ちょっと使いたくないなぁ、って思うんだよね。自分の意識とかと無関係に口と手が動くんでしょ?」
逃げたくても逃げられず、緊張の極限にあるのにも関わらず、自分では無い何かの力によって自分の声帯は震え、手足が動き、それによってただ整然と演目が続いていくのだ。
まるで傀儡か操り人形。
もちろんこの仮説通りであるという前提だが、これではもはや呪術の類いではないか。
「たしかに。そう言われると、けっこうホラー感あるね」
「でしょ? すべて、筆者の掌の上の出来事。何だってできちゃう」
「台本って考えれば演劇の中の話だけど、一歩間違えばデスノートとか悪魔のパスポートの類いにもなっちゃう、か。なーるほど」
言っててこちらはそこそこ怖気が来ているのだが、彼女は割と平気なようだ。
というか、むしろ首を通り越して上半身くらい突っ込んでいるような雰囲気だ。
「台本ってことに立ち返ってみるけど……。たとえ即興劇みたいな感じに書こうとしてアドリブっぽい演技にしてみても、一応それっぽく演じられるけど、それってアドリブじゃないしね」
「即興劇(インプロヴィゼーション)に見せかけた『台本通り』の演技……、わりと詐欺だね、それ」
「わりと、っていうか、題目に書いちゃったら完全詐欺だ。完全犯罪でもあるけどね」
「なぁるほどねー……。素っ気なかった割には結構面白いこと思ってるんじゃん」
「ありがと」
結局ずっとニコニコ顔だ。
……この子に自由なお題で脚本書いてきてよ、なんて言ったら、ホラーミステリでも書いてくるのではないだろうか。
今度、好きな作家でも訊いてみようか。
しかし、だ。
この『或る台本』は夢のようなひみつ道具に見える一面を持ちながら、別方向から見れば自らの意思で焚書を逃れた悪魔の教典のような存在。
劇作家に書かれたら最期、緞帳の檻で組み上げられた「舞台」に幕が引かれるまで、書かれた役を演じきらねばならないのだ。そう喩えて言うなら――
「さながら劇作家を神とすれば、演者は下界の有象無象って感じかな」
すべて思い通りの世界が描けるのだから。
「あー……いや、ちょっと待てよ……」
「ん?」
「ああ、そうか。そうも考えられるか……」
「独りで納得しないで」
またひとつ、ちょっと降りてきた。
――定期試験の時にもこれくらい働いてくれ、ボクの脳細胞。
「『神にも有象無象にもなれる』んだ、そうだよ。自分で書いて自分で演じる自己完結的で自己満足的な世界」
彼女は少し目を見開いて、小首を傾げた。
次を急かして居るように見えるので、仰せのままにする。
「自分が思ったことを、考えたとおりの内容で、一言一句間違えずに言えるんだ。しかも、他の相手にまで自分の思ったことを言わせられるし、思ったように動かせるんだ」
「つまり?」
「お芝居の『外の世界』にも干渉できるかもしれない、ってこと。舞台上じゃないといけないとか、そういう制限が無かったらの話だけどね」
「完全に、自分も他の誰かも全部ひっくるめて自分の思い通り、か……」
万物の言動をも司る、さながら黒魔術のような性格のモノなら、一介の高校の部室に置いておいてよい代物ではないのだが。
――あくまでも『ホンモノ』ならば、という話だ。
「たとえば……」彼女は頬に手を当てながら続けた。「――告白の言葉とその答えを書いちゃう、とか?」
告白という言葉に心臓が小さく跳ねた。
そして、上目遣い気味にこちらへと向けられた顔に、さらに大きく跳ねる。
先ほどからの流れだったら、もう少し殺伐とした内容――例えば、どうしてもいけ好かない相手と議論になったときに、「はい論破」してしまえるようなモノを書く、とか――を想像していただけに、これにはドキドキが止まらない。
「そう……だね。それもアリかもしれない。書いた分を演じ終わってからはものすごく大変そうだけど」
「自我の有無で全然違いそうだね、たしかに」
「もしそれで使うなら――」
「ん?」
……しまった。
ふと思いついてしまったことが口から溢れてしまった。
逡巡するも、向かいからぶつけられる彼女の眼差しが一層強い物になっていて、これでは逃げも隠れもできなさそうだ。
「ボクがそのシチュエーションで使うなら、……自分の言葉だけを書いて、そこで終わりにしておくかな」
そういう『答え』までも書いてしまうのは忍びないと思ったのだ。
「へぇー……」
彼女は少し呆けたような顔をして、一瞬だけ自分の手元を見た。そして、
「やっぱり、優しいんだね」
微笑んだ。
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