見つけにくい物ですか
その時、莉雄は誰かから話しかけられた。焦げ茶の短い短髪に淡い青い瞳をしている大柄の男性だ。半袖半ズボン、大きなリュックサックを背負い、手には地図を持っている。そして、莉雄にわからない言語で質問をしてきたが、莉雄にはなんと返していいのかわからない。
「え? あ、あの、その……」
莉雄としては何とかこたえたいのだが、何を言ってるのか分からない。しきりに地図を指さしている以上、道案内なのだろうが、言語が分からない以上、変に誘導するわけにもいかない。けれど人が多く居る中で頼ってくれたのだから応えたい。しかし……
すると、外国人青年はなにか言って莉雄の元を離れようとする。要するに、言葉が分からないならもういいです、ということなのだろうが……莉雄は複雑な気持ちになった。
だが、離れようとする青年に、刹那が英語で話しかける。青年は、莉雄が聞く限り英語以外の言語で返答をしているようだが、刹那も似た言語で話し返した。莉雄の目の前で、彼にとって未知の言語での会話が行われ、青年から笑い声やそれに答えるように莉雄も笑って言葉を交わし、地図を指さしながらあれこれ話をしている。
と、莉雄を刹那が手招きをする。
「ごめん、この人の道案内をしたいんだけど……その、手助けしてもらえると助かるんだけど……」
「え? あ、はい。じゃ、じゃあ……」
莉雄は一緒に地図を覗き込む。刹那が青年の行きたい場所を地図の上で指差し、青年と莉雄への同時通訳役を買って出る。刹那が方向音痴であることは先ほど知ったので、莉雄は身振り手振り、方向を直接指で指しながら、刹那の通訳を頼った。
青年は何か、刹那に話し、刹那と笑い話をした後、二人に手を振って離れていく。
莉雄は青年を見送って、思わす刹那に聞く。
「すごい……何語だったんですか?」
「ああ、今のはフィンランド語。外国に暮らしてた頃に、フィンランド人の友人と話がしたくて覚えたんだ。荒木って苗字の。お父さんが日本人らしくて、よく話をしてたんだ。そうだ、荒木 エルヴァスティ クラウスくんだ。一応、他にもいくつか話せるよ」
「外国に住んでた……そうだったんですね……神薙先輩、すごい」
「別にすごくないよ。父親の仕事の関係で付いて行ってただけ」
刹那は恥ずかしそうに笑う。
「あ、そうでした。お茶屋さん、えーっと、こっちです」
莉雄は携帯を取り出し、地図を確認する。
刹那は莉雄に対して言う。
「ねえ、慶にも言ったし、前にも言ったんだけど、あんまり僕は先輩風吹かせたくないし、できれば、同年代の友達っぽくしてほしいんだ。だから、先輩はやめてほしいんだけど、いいかな?」
「え、じゃ、じゃあ、神薙さん?」
「んー、もう少し砕けて良いよ。というか、下の前でも良い。学校とかだと他の人の目もあって駄目だろうけど」
「ええ……あ、いや、急には……」
刹那は少し考えるように自身の下唇を人差し指で撫でてから言う。
「じゃあ、呼びたくなったらで良いよ。急に慶ぐらいまで砕けなくていいんだし。……まぁ、その……あれなんだ……学校に友達が、居なくてね……」
刹那は気まずそうに話す。帰国子女でバイリンガルで外見も悪い方ではない、となれば、確かにとっつきにくいのかもしれない、と莉雄は思った。
莉雄もまた少し考えて返す。
「え、えーと、多分、慶なら、こういう時『じゃあ、そっちも名前で呼んで欲しい』って言うと、思うので、それで……」
「え? んー、後輩を下の名前で呼ぶのと先輩を下の名前で呼ぶのだと、難易度が違いそうな気がするけども……解った。じゃあ、君が僕を刹那って呼んでくれたら、僕も莉雄って返すよ」
「じゃあ、それで……」
二人は街中から、郊外へと向かって歩いていく。徐々に往来する人の数が減り、喧噪や雑踏も減る。どうやら、住宅街の方へ来ているらしい。
ふと、莉雄の目の先に、杖をついた老婆が、二列に並んで歩道を走る自転車を避けようとして転ぶのが見えた。走っていた自転車に乗っていた者は、軽く振り返ってそのまま行ってしまう。老婆はしりもちをついたまま、立ち上がるのに苦戦をしているように見える。
こういう時、すぐに助けに行くべきか否か、莉雄は迷う。
その昔、莉雄がまだ幼かったころ、莉雄は街中で転んだ老人を見かけたことが有る。あれはどういう理由で転んだのか覚えていないが、その老人の傍に、同じように見ていた若い青年が駆けよっていく。青年は老人に声をかけ、立ち上がるのを助けるが、直後、老人はその青年に怒鳴った。「よくも転ばせてくれたな!」と。もちろん、莉雄も見ていたが、青年は老人を転ばせてなどいない。そういわれた時の青年の表情が、今も脳裏にこびりついて離れない。彼は善意で駆け寄ったはずなのだが、何かいけなかったのか。その後、その一部始終を見ていた別の女性が割込み、老人の八つ当たりを指摘した。すると、老人は「女のくせに生意気だ!」と捨て台詞と共に去って行った。その後の女性と青年がどうなったのかは知らない。だが、幼い莉雄の心に、この一部始終は深く刻まれている。強い恐怖として。
莉雄は、自分が理不尽な目に会うのが怖い。八つ当たりや心無い言葉、行動はどこにでもある。そして、その矛先は向ける側の任意だ。弱い立場を探して、弱そうな人間を選んで……。理不尽を振るう加害者は老若男女関係ないことを莉雄は知っている。駅で怒鳴る人。スーパーで喚く人。飲食店でイラ立ちを隠さない人。学校でもそうだ。莉雄は、それらを恐れている。
だから、彼が転んだ老人を助けなかったのは、至極当然のことだと言える。もちろん、彼の中では、だが。
しかし、彼の同行者は違った。
「大丈夫ですか? 掴まってください」
刹那は莉雄が嫌な思い出を思い出している間に駆け寄り、さっそうと老婆が立ち上がるのに手を貸していた。
そして、少し離れたところに居る莉雄に言う。
「ごめん、杖を渡してあげて」
「え? あ、う、うん……」
莉雄は地面に落ちている杖を拾い上げ、老婆の震える皺だらけの手で持てるだろう場所に構える。
脳内に蘇るのは理不尽の記憶。それが、莉雄に警鐘をならし、ここから逃げたくなる。それを必死にこらえて、老婆が杖を手に取るまで待った。
老婆は静かに莉雄を見て言う。
「ありがとう」
老婆は杖を取り、その場をゆっくりと歩いて去って行った。
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