探したけれど見つからないのに


 老婆を助け起こし、その後何事もないかのように二人は歩いていく。刹那にとっては、何ということでもないのだろう。

 莉雄は、今でも彼女を助けるべきであったのか、それがずっと心の中で渦を巻いている。

 唐突に刹那が莉雄に提案する。


「あ、せっかくだし、ちょっと休憩していく? 甘い物とか、あそこなら頼めると思うし」


 そういって、ファミリーレストランを刹那は指さした。

 莉雄の元気が無さそうだと刹那は思っていたが、原因までは解っていなかった。だが、彼からクレープ屋の誘いを断ったことを、まだ彼は覚えていた。


「え? あ、じゃ、じゃあ、はい」


 莉雄は先を急がなくていいのか気になったが、当人が言うなら、と軽い気持ちで応えた。

 二人は郊外に近いファミリーレストランのドアをくぐる。鈴の音が響き、コンソメの良い匂いと共に、店内の冷房が出迎えてくれる。

 すぐに髪を二つに結わえた、健康的に日焼けした女性店員が対応してくれる。


「いらっしゃいませー! 二名様で、って何? 二人ともどっか行ってたの?」

「あれ? ここって、糸織いとおりさんのバイト先だったの? いや、言世くんの道案内で、ちょっと遠くの買い物へ」


 対応してくれた女性店員は糸織いとおり あおいだった。


「ふーん。なんか、珍しい組み合わせだね」


 葵にそういわれて、莉雄と刹那はお互いにお互いを見る。


「そう? かも、だけど」


 葵が付け加える。


「あー、いや、むしろ、そっくりなところあるし、普通の組み合わせかも?」


 葵の言葉に莉雄も刹那も疑問を口にする。


「え? え? そ、そう? なの?」

「んー、どうだろう? 僕ら自身じゃ分からないかな」


 店の中から、葵へ声がかかる。


「ああ、ごめん、話してられないや。じゃ、席に案内するね。禁煙席でいいよね?」


 そういって、葵は席に二人を案内していなくなる。

 それなりに広い店内の隅の席に、莉雄と刹那は通された。二人で向かい合う小さな席だ。店内はクリーム色の壁に緑色の皮張りのソファーと椅子、温かい木目の床で構成されている。大きな窓ガラスから外の様子が少し分かるが、窓ガラスには店の、チェーン店の店名が大きく張られ、席に着いた状態の客の顔は、店の外から見えにくいようになっていた。

 葵がお冷とバニラアイスクリームを一人一つずつ持ってくる。


「はい。あたしからのサービス。友人サービスってことで、あたしのお財布から。……他の店員に聞かれたら、自分たちで頼んだことにしといてね。バレるとあれだし」

「ならやらなきゃいいのに……あ、いや、いただきます」


 莉雄は思わず自分の口から出た言葉を後悔した。だが、葵は気にしていないようだった。


「はーい、是非今後も御贔屓にー」


 葵は笑いながら去っていく。

 刹那はアイスクリームに既に手を付けている。甘い物は苦手、とのことだったが、案の定、甘い物を食べながら顔は渋そうにしている。

 その様子を見ていた莉雄へ、刹那が何か言わんと口を開こうとするが、それより早く、莉雄が言う。


「あ、あの……神薙せんぱ……神薙さんは、どうしてそんな、その……」


 刹那は黙って、莉雄の言葉の続きを待つ。


「どうして、すごいのかなって。すごい、って言葉もなんか、アレですけど、その、そうじゃなくて、その……人を助けたりとか、言葉も色々話せるみたいだし」


 刹那は少しもやもやしたものを感じた。


「すごい、か。んー、そうなのかな。自分ではそうは思ってないんだ」

「え? でも、ボクは……ああいう時、むしろ何かトラブルに巻き込まれたらって思うと……その……」

「ああいう時? ああ、おばあちゃんの時の」


 刹那は少し考える。


「僕はね、怖いんだ」

「怖い?」

「うん。もし、あそこであのおばあちゃんが転んだまま何かあったら、その時起こさなかった自分を嫌になると思う。それに……」


 刹那は、苦しそうに眉間にしわを寄せながら、手元の一口食べられて溶け始めているアイスクリームを見ながら言う。


「もし、助けなかったことを、別の誰かが見ていて、それが原因で……僕が嫌われてしまったら、って」

「嫌われる、って、誰にですか?」

「君かもしれないし、あるいは、これから知り合う誰かか……まぁ、嫌われたらどうしようって思ってるんじゃないか、ってのは、今、言世くんに聞かれて考えてできた答えなんだけどね」

「ボクは嫌いません。いや、でも……そうか……」


 莉雄は、その人を助けないことで嫌われる可能性を考えていなかった。思い当たらなかっただけ、ともいえる。

 刹那が不安そうにしているのが見えたので、莉雄は咄嗟に言う。


「あ、いや! その、ボクの場合は、その……昔見た光景が、ずっと、忘れられなくて……ボク、怒られるのが怖くて、それで……」


 莉雄は、刹那に昔見たことを話した。理不尽な、善意を踏みにじる人が居るのだと知った、あの時の……嫌な思い出。


「だから……ボクは、言ってしまえば、助けることで嫌われるのが、怖いんです」

「そっか。そんなことが有ったんだ。……逆に、僕はその発想は無かったかな」

「だから……だから……」


 莉雄は自身の目の前の、一口も口を付けられていない、ほぼ溶けかけのアイスクリームを見下ろして言う。


「ボクは、神薙さんの行動を、すごいって、そう思ったんです。ボクは……自分が、正直……」


 そして、同時に、自身の卑怯さを、強く思った。もしかしたら、という理由で自衛を優先して、誰か、見知らぬ人であれ見捨てるという行為なのだと、莉雄は自分を恥じた。

 刹那は莉雄に言う。


「いいんじゃないかな? 自分を守るのも大事だよ。無鉄砲で何かトラブルに巻き込まれるのは、正直良いとは言えないもの。……慎重なのは、良いことだよ」

「でも! でも、ボクは……」

「自分が嫌になる?」


 刹那が自分の考えを言い当てたことで、莉雄は恥ずかしくなった。刹那の言葉に頷くことしかできなくなっていた。


「それは僕だってそうさ。自分が正しい行動をしているかどうかなんて、後にならなきゃ分からないよ。だからそうだなぁ……多分だけど……」


 刹那は自身の唇を自身の指で撫でて考え、それを言葉にして莉雄に伝える。


「きっと、どっちも正しいんじゃないかな」

「どっちも正しい?」

「うん。箱は開けるまで、中身は分からないもんだよ」

「そ、っか……そういう考えも、あるんだ……」

「そうだよ。もしかしたら、今回のおばあちゃんみたいに、何事もないかもしれない」

「で、でも、もし、今回、何かあったら? あ、もちろん、今回は何事も無かったけれど……その……」

「そうだねぇ……うーん、莉雄くんみたいに、身構えておくのが良いのかもね」

「ボクみたいに?」

「そう。予め、覚悟しておく」


 莉雄は刹那の言葉を咀嚼して言い直す。


「覚悟して、それから……箱を開けてみる?」

「うん……毎回それだと疲れちゃうかもだけどね。でも、開けないと分からない」


 と、ここで刹那が唐突に話題を変える。


「あ、いけない。すっごい溶けてる!」

「え? あ!」


 見れば、アイスクリームはもはや半分以上溶けている。

 二人は度々眉間を抑えながら、それを口へと運んだ。

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