第5話

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石田が伝えた「ド壺にはまり込んだ」と云う由稀乃の暗示に二宮はここ暫くは鴨川のほとりに一人で居ることが増えた。何から避けてるのか分からなかった。何も無い一本道をひたすら歩いている自分が見える。救われたいと思えないのは不安がないのだろうとボンヤリ考えた。

 急にとにかく石田を掴まえ様と思った。やっと石田を掴まえられるように成った頃に「彼は人懐っこい性格で恨まれる事もないゆえ、人間の本質に関わる事は避ける傾向が強いのね」と云う由稀乃の言葉を思い出すと誘う気が失せてしまった。向こうが俺を避けているのだ!

 二宮が浪人生になって予備校通いをさせたのは自分にもその責任の一端、いや大半は抱えていると石田は思い込んでいたらしい。だが当人が入学して新たな門出を迎えると、綺麗さっぱりと辛い思いは消し去っていた。

 最近の石田の行動から今度も何かに迷っている。そしてまだ結論が出ていない、頭の中では整理がついてないから遠ざけていると二宮は結論づけていた。 

 鴨川の土手に寝そべり流れる雲を見ていた。雲が千差万別に変える姿に何かがこみ上げてきて胸が空っぽになった。急に彼は居ても立ってもいられず石田の通う教会に一直線に目指した。彼は白川に向かって三十分以上もただ黙々と足の疲れが脳に達しないまま歩いた。

最近の石田は授業が終わればいつの間に消えたのか、見回しても彼を見つける事が出来なかった。そしてほっと胸をなで下ろす自分が情けなかった。

 

石田の通う教会が見えて来た。

 入り口で立ち止まり、ふと見上げる尖塔の上に掲げる十字架が今日は飾り物に見えず、信仰の対象物として目に飛び込んできた。不思議な力に引き込まれるようにドアを叩いた。

 三十代後半だろうかここを任されている斉藤牧師が現れた。彼は二宮の周辺に目を配った。そしてお一人ですかと驚きを隠さず、間も空けず訊いてきた。

 無理もないここには二、三回それも石田に引っ張られるように来て、その間に牧師とは挨拶程度に一言か二言い交わすだけで後は石田と短い雑談をして帰っていた。

「あなたがお一人でいらっしゃるとは・・・」

 全く宗教に関心を示さなかった二宮が単独で訪ねて来た事に「何しにきたのか」と訝しがった。

 深い愁いをたたえたその顔を見て驚き、牧師は彼をホールに導き、祭壇の前の長椅子に座らせた。

「最近、石田はどうしていますか?」

「彼の事でいらしゃったのですか」

中央の壁には十字架が掲げられて端にはオルガンが置かれ、何処にでもある教会独特の光景を暫く目にして、石田と同じ境遇に身を置いて見てもイミテーション、すべては飾り物の域を出なかった。閉ざされた厳粛なる空間、これらの演出が尊い物にまで精神の昂揚を挙げるにはどう云う心の変化が必要なのだろう。この空間の中で幾ら考えても答えが出なかったが石田は答えを出した。

「そうです。彼が入信した動機は何なのですか?」

 牧師は易しい笑みを浮かべた。何かに囚われて居る限りその疑問は解けませんが、全てにおいて自由な人はいないでしょう。何某かの欠点に苛さいなやまされるから動機は様々です。

「最近は少なく成りましたが、以前は河原のコンクリートの土手に段ボールを積み上げて寝泊まりする、云わいるホームレスの方々がおられました。彼らの為に日曜日の朝にはいつも炊きだしをやっておりました。石田さんはどこかでその一部始終をご覧になっていたんですね。ある日彼はこの教会を訪ねてきました。石田さんがおっしゃるには彼らへの施しは初めは感動してもそれが恒常化すると彼らの向上心を阻害しているように見えた。彼らには云わいるありがたみより当然だと思える仕草が顔から見受けたとおっしゃった。私もそれには同意しました。すると石田さんは『彼ら自身の為には成らない、間違ってると言われ他の方法を考えるべきだ』と、例えば街の清掃とか何かの仕事を与えてその報酬、あくまでも代価として炊き出しを始めるべきだと。成る程一理ありますが彼らは現状を否定し、自立してまともな生活を望んでいます。決して好き好のんで現状認識していませんと言うと、そんな風な顔つきじゃないと言われるから『外見で判断してはいけません人間はそんなに簡単に推し量れるものじゃない』とこんこんと言って聴かせました。それからです、石田さんには共鳴するものがあるのか、熱心に教会へ通われました。多くの方々の動機は様々ですが彼にとってはそれが心の大きな出来事だったんでしょうね」

 明朗快活に応答し、あれ程クラスの人望を一手に浴びる石田が、それだけの理由でこの門をくぐるだろうか。それとも彼の迷いは我々の年代を超越したものだったのだろうか? お互いの尊厳には関わらないと云う暗黙の了解が、面と向かって彼にこの質問を投げ掛けられない歯がなさが残った。

「それだけでしょうか?」

「と言われますと」牧師は思いもよらない二宮の追求に困惑した。

「もっと別な何かとてつもない力があったのではと思うのですが・・・。例えば街の清掃と云う勤労奉仕なんて誰でも思いつくし、そんなものよりもっと大事な事が言いたかったんじゃないのかなあと・・・それと信仰がどうして結びつくんだろう。彼の人望を考えれば宗教にすがる程の脆さや弱さは持ち合わせていないのに・・・」

 石田は一度として宗教を語らなかった。その男が今更語るはずがない、語ればそれはもう石田ではないような気がする。そんな男だからもっと深い動機があるのではと思えてならない。

「確かに最初に石田さんに会った時はまだお若いのに高校生だったでしょうかね、来られた時には、この人ならキリスト教の布教活動にはうってつけだと大いに期待しました。あの人はホームレスの方々へおこなってる炊き出しが平穏の今の世では滅多に見られない光景だったんでしょうね。でも違った、今の家庭の子はそんなゾーンには紛れ込もうとしない、いえそんな存在さえ見過ごしてしまうほど異次元な世界に映っているんでしょう。それどころか彼らを遊び半分に襲ったりする。同じ年代の者として彼は深い迷いの中に落ち込んでしまった。人間と云うものはちょっと視線を変えるだけである人には堪えられない程の苦しみが生まれてしまう。でも彼は入信してからは人の痛みに分け入るように自らの中に取り込む努力を惜しまなくなりました。二宮さんあなたは準備不足で受験に失敗されたそうですね。それを石田さんは自分の教養を見せびらかした為にあいつは志望校を急に替えた、それで浪人したと自分も同じ境遇になって許しを乞いたいと言ってましたよ」 

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