第2話

美大に受かった由稀乃は献身的に二宮をバックアップした。石田と共に予備校で頑張ったお陰で、受験と云う重圧の扉はあっけなく開かれ、二人にはそろって新たな大学生活が始まった。

 この時の絆の過程がのちに言い知れぬ不安に包まれるとは誰も知らなかった。

 共に浪人生活で苦労を味わった石田とはこの一年で深い絆が出来た。入学当時友人のなかった二宮は、高校時代の石田とよく話しをするようになった。

 彼は明るく愛嬌があり、話し振りには並々ならぬ魅力があった。一方自虐的であり自己愛、ナルシストに富んだ二宮は、半ば諦めかけた世間と他人との繋がりを求める接点としての魅力を石田に感じ、心も取り込まれていった。

 入学後は進路に対しての不安が払拭され、台風一過に似た青空が人生一杯に広がった。箍(たが)が外れた二宮は入学して一週間も経たない内に授業をさぼり、近くの芝の河原で本を読むようになった。

 そこは河原のせせらぎが程良く鳴り、土の臭いが立ち込めてそよ風が心地良く吹き渡るから暇を見つけてはよく通かよった。これでやっと受験前の読書活動に戻った。

 大学の授業より今読んでいるこれらの本の方が生きてゆくのに必要な気がしてならない。受験の為に予備校で読んだ本は一体なんだったんだろう? ただ単に狭き門を通り抜ける儀式の為に目を通した物に過ぎないなんて。だけど世間、特に大会社ほどそのレッテルを必要としてるなんて、ああいやだ! いやだ! こうして授業を抜け出して好きな書物を読みふける。この充実した時間が受験の反動で没頭するようになった。石田も同じ境遇に陥っていた。  

 二宮は授業の合間にも彼をこの河原に連れだしては、前の晩に発見した詩や散文を得意げに読んで聴かせたり、最近の映画等の批評も彼に一方的に語った。元々聞き上手な彼は途中で口を挟まず話し終えるのを待って、一撃にして私を驚かせる様な意見を吐くのが常であった。

 彼は私より多くの書物を読んでいて、明朗な笑いに似合わない哀愁の持ち主で沢山の詩も書いていた。彼はロシア文学に傾倒して、トルストイやドフトエフスキー等を読みふけり、プーシキンの詩を朗読することさえあった。同じ西洋人でありながら欧米諸国より日本人と感覚が近い事が彼をロシア文学に導いていた。例えばドフトエフスキーの『白痴』の一節にナスターシャに因って屈辱を受けた人物に周りの者が「こう云う場合日本では腹切りを行う」と言うセリフが描かれていた。

 欧米に比べてロシアでは日本人の感覚にある程度の理解を得ているようだった。だがそれと日本人に対する態度とはかけ離れていた。 

 これらは日本の太平洋沿岸の漁師や沿岸回送船等の漂流民に寄って持たされた。庶民から武士と交流のある商人までがロシアの地を踏んでいる。彼らがもたらした日本文化が密かに浸透しているのだ。

石田の説くロシア文学に二宮も興味を示し少しかじった。このロシア文学を通じて親交を深め、特定の友として付き合うとまもなく、私達は互いの家と家を往来して本格的に交際を始めて、一ヶ月とは思えないほど親しく成っていた。

彼の内に秘めた個性と癖をこれほど短期間のうちに、無理なく知り得たのも中間に由稀乃が介在したのも大きかった。

 石田と親しくなって一ヶ月経ったある日、彼の別な一面を、彼の純粋さをハッキリと証明する事件が起こった。

 私達は夕食後の六時に映画館の前で待ち合わせたが、私は父の将棋の相手に成ったばかりに十分も遅れてしまった。普段は断っていたがなぜかその時は気分が良く、つい約束を忘れて相手になってしまった。しかし六時前に約束を思い出したが、変に負け方に拘り父に文句を言って走って家を出てしまった。

 彼とのこんな失態は初めてで、どう出るか予測が付かない思いに駆られ、訳も無く人混みをかき分けて到着した。

 私の慌てぶりとは裏腹に、彼は待つことに馴れた人の様に映画館の前で、ただボォーっとして遠くの人混みを見つめていた。

 不意打ちを食らった彼は私に「人が悪い!」と怒ったが、その一言以外は普段の彼に戻り二人は急いで切符を買って入った。

 二人とも待望の時代劇映画との前宣伝に心躍らせ、腰を下ろすと同時にブザーが鳴り明かりが消えた。意志の伴わない真の闇は奇妙なものである。事実となりの存在が急に失われ、人と人を結ぶのは唯音と精神だけに成ってしまい、幽かな呼吸だけが現世を止めていた。瞬時の間を置いて映画が始まり、場内が照り返され、ざわめきが止み、ドラマは視聴者の準備がどうだろうが関係ないままに展開していく。

細川ガラシャ夫人を描いたこの映画は新技法が多かった。恋いに落ちてゆく主人公の精神状態が中間色と形状で表現してあった。やがて主人公が人質の不安に襲われ始めると場内は再び暗くなった。画面から来る奇怪な雰囲気に包まれた中で場内から叫び声が起こった。多くの妻女が脱出したにも関わらず彼女は家臣に介錯をさせた。

 火の放たれた屋敷は火炎と共に崩れ落ちた。彼女のこの時の生き方がこの山場だったのだろう、暫くして幕が下りて明かりが点った。二宮は腰の痛みに耐えかねながら大きく背伸びをして席を立ち上がった。ふと隣りを見るとどうだろう、彼は下を向いて小刻みに震えているではないか。彼は泣いているではないか、暫く信じられずに席に座り直し再上映で暗くなるのを待って二人は映画館を出た。外へ出て私達は少し話したが、しかし彼は恥ずかしさに堪えかねて、そそくさと帰って行った。

 長い孤独な暮らしの私にとって、友人との打ち解けた会話等は、彼の話術の巧みさもあるが、ただ夢中になっていたのも原因していたのだろう。だからこの時の彼のこの純粋さを私は少なからず驚いた。

女性に奥手なこと以外は欠点のない、完璧な人間と思っていたから、この事件があってから私達は急に石田とは親しみが増した。石田と親しくなると私のガールフレンドの由稀乃と三人が会う機会が以前より自然と増えた。

 三人が会うとそれから容赦なく、私は例の映画館の一件を材料にして彼をからかった。しかし五月の初め、私の高校時代のガールフレンドだった由稀乃と三人で草花畑へ出かけた時に私がそれを持ち出すと、彼は彼女の手前「君は何でも上手くやれていいなあ」とやり返してきた。

 彼の意図するところはすぐに読めた。いつも言い負かされる彼との論戦に引き込まれない為にも二宮は由稀乃の手前、冷静さを装った。幸い季節がそうさせた。

 花畑を吹き渡る風に耳を澄ませ、鳥たちの鳴き声に彼女の関心をそらせて、石田の一撃をかわした。二宮は大きく笑い、彼女を見ようと草地に仰向けに倒れた。長い髪に揺れたまま動じない彼女の眼差しに安堵して心が救われた。

 空しい日々が続くと無性に由稀乃に会いたくなるのだが。それは今日みたいにただ傍に居てくれるだけで良かった。


 二宮は絵画が好きで昔、由稀乃の描いた絵を批評した事があった。元来彼女は勝ち気でサッパリした性格な割には、最初の一筆を置くのにすごく悩むタイプで初見ではそのギャップに驚いた。

 そこが最初から大胆に色を加筆してゆく二宮とは正反対なので更に驚いた。彼女は自然の色合いと心に思う色合いが合わない事に悩んでいた。私は何も悩む事はない。自分が正しいと思う方向へ絵筆を運べば良いと云った。

 それから彼女は生き生きと、延び延びした絵を描き出し、創作活動にいっそうの磨きが掛かった。すべてはあなたのお陰だとあれ程悩んでいた自分がバカみたいと吹っ切れてから、絵心を通じて彼女とは親交を深め、互いにその存在を意識し合うまでに成っていた。 

 ロシア文学に傾倒する石田と絵画に没頭する由稀乃とは徹底的に考えが違っていた。だが大学生活を始めると美大に進んだ由稀乃と違い、文学部へ進んだ二宮の影響から石田への見る目も変わりつつあった。

 そもそも二宮はフランスの絵画からフランス文学に関心を持ち、今日の日本文学に至っている。絵画が出発点の二宮と、昔からのロシア通の石田とはこの辺では一線を違えていたが次第に接近した。絵を離れてからの二宮は益々彼女を支えと思うようになっていった。石田の影響を受けて文学に傾斜した為に、絵で自立してゆく彼女とは技術が逆転し始めているのを彼はまだ気付けなかった。 





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