第7話 マヤ①
近頃レディは毎日同じ夢を見ている、男の子と合奏する夢だ。大きなグランドピアノと豪華な内装の部屋。明るくて、人の声が多くて、まるで異国のお姫様になったような気分になる。
レディは小さな指先で懸命にピアノを引くけれど、よく同じところで躓く。一音一音確認して弾こうとすると、男の子は微笑んでレディの調子に合わせてくれた。彼はもっと上手にバイオリンを弾けたのに。
優しかった。大好きだった。ただあまりに幼すぎて、色んな景色や男の子の顔などもぼやけていたり、現実と混ざってしまったりしている。
どこまで夢で、何が記憶なのかと問われたら、何一つはっきり言えはしないほど、遠い遠い過去の温かな夢。
茨で傷ついた心の奥に閉じ込めていたはずの、ただ甘ったるい砂糖菓子のような恋の記憶――
「おはようございます、レディ」
アンナの一声で、レディの夢はかき消えた。
ゆっくり瞼を開けると、真っ白な天井が視界に飛び込んできた。そしてすぐにシャッという音とともに横のカーテンが開けられ、眩しいほどの太陽光がレディの横顔を照らした。
二次会を終え帰ってきたホテルにもう一泊したのを思い出す。今日は斗真と一緒に佐々木の運転で帰ることになっている。
佐々木のベントレーでは車内が人と荷物でいっぱいになりそうだな、とレディがぼんやり考えていると、早く起きてくださいと急かすかのように、レディーズメイドのアンナが布団の上からレディの体を揺すった。
「おはよう、アンナ早いのね」
「生活習慣が変わってしまいますから」
枕元においてあったスマホから時間を見ると午前九時ちょっと前だった。朝食はこのホテルで摂らずに、屋敷でブランチにしようと話していたし、レイトチェックアウトで正午までに出ればいいので、少し早めの起床だ。
レディが一度起きて洗面所で顔を洗ってから寝室に戻ると、アンナが着替えを準備して待っていた。そして着替えを手伝いながら、慣れない社交の場を最後までこなしてきた少女を労う。
「昨晩はお疲れさまでした」
「ええ……本当に疲れた、皆さん好き勝手言うんだもの」
「それはまあ、仕方ないかと。一応あれで斗真様は関東経済界のプリンスとまで言われていますから」
とんでもない異名だ。だがレディは二次会で嫌というほどその異名を痛感してきた。二次会に参加したおじさま方は揃って、レディと斗真が一緒にいるところに来ては、まずは斗真にお祝いの挨拶をしてからレディの見た目を褒め、二人の馴れ初めは、などと聞いてくる。
何度か繰り返すとレディも慣れて、そもそも恋人ではないことを先に伝えるようになったが、あまり意味をなさなかった。
「お酒も入ってらっしゃるしね……」
「あら、満更でもないでしょうに」
アンナはそう言うと、レディが着ているワンピースの編み上げになっている背中のリボンを締め上げた。
「ひっ……うう、そんなことないわ」
鏡に写ったレディは上品さの中にセクシーさもあるような黒のワンピースを身にまとっていた。編み上げが腰回りをぐっと締めるので、胃が圧迫されるような心地がして苦しいが、ボリュームのある胸部とのギャップからスタイルが強調される。
編み上げを一人で着るのは難しいし、レディは斗真と同居するまでこういった服に袖を通したことがなかったのだが、アンナに任せるとよくこういうタイプのワンピースを選ばれてしまう。
これも斗真の好みかしら、とネイルの一件から邪推してしまうのだが、一度も確認したことはない。
「では何故、控え室で斗真様を拒まれなかったのですか?」
「こ、拒んだわよ」
「とてもそうは見えませんでした」
斗真に際どいところを触られてる瞬間をアンナに目撃されていたことを思い出した。あまりの恥ずかしさに両手で顔を覆う。
「薄化粧をしませんと……」
「うう」
レディはアンナに促されるまま、両手を顔から外し、大人しく鏡台の前に座った。まずはスキンケアからだ。顔を洗ったままの肌がそのままになっている。
「受け入れてたわけじゃないの。ただああいう時の斗真に不思議と逆らえなくて……身体が勝手に動かなくなってしまって……」
言葉でどんなに否定しても身体が言うことを聞かず、斗真のなすがままになってしまう。
彼は理性的なのでいつもレディの反応を見て思いとどまってくれるが、果たしていつまで続くだろうか。
レディは瞼を伏せた。アンナの冷たい手が化粧水や美容液を塗っていく。
「それは、レディの身体が自然と斗真様を受け入れていたということでは……」
「そういう、快楽的なものに心を動かされたくないの。人を好きになるってもっと、こう、違うでしょう?」
レディが振り返って頬を膨らませると、その子供っぽい表情に、一瞬アンナが呆然とした。年の割には大人びた少女だと思っていたが、こんなに幼い一面があるとは思わなかったからだ。
「……まぁ可愛い。大人っぽく見えてもレディは子供ですね。やっぱり王子様に迎えに来てほしいですか?」
「うるさいわね、そこまで夢見がちじゃないわよ」
レディは鏡に向き直り、染み込ませるように美容液を肌になじませていくアンナの手に身を委ねる。
「ふふ。でも私、あまり悪い事のようには思えません。節操なく、誰にでもそうなってしまうなら問題ですが、女性であれ男性であれ、人間は動物ですもの」
「本能的な話? 私はもっと理性的な恋がしたいわ」
「そうではなくて」
スキンケアを終え、次にアンナは乳液と化粧下地を混ぜた。もともと白いレディの肌には淡いピンクのコントロールカラーを入れたほうが映える。
顔の出っ張りになる部分に少しずつのせて、それを伸ばしていく。
「運命の相手って信じます?」
「……運命? ごめんなさい。大嫌いなの、運命とかいう
――大切な人たちの命は、その運命とやらに奪われたのだから。
レディの表情が陰る理由を、アンナは同じ孤児であることからなんとなく察した。アンナも自分の運命を呪ったことがあった。それと同じように、レディもかつて、もしくは今でも運命を呪っているのだろうと。
「ではもっと現実的な言い方に変えましょう。遺伝子レベルで相性のいい相手です」
「遺伝子レベル?」
急に生物学的な話をされてレディが首を傾げた。
アンナは構わずレディの肌を整えると、軽い質感のパウダーファンデーションを取り出した。
「例えば思春期を迎えた女の子が、父親を臭いと言うようになるのは、近親相姦を避けるために、本能で父親の香りを嫌うからだそうです」
「うーん……思春期の頃にはもう父親がいなかったからピンとこないわ」
目を瞑りながら想像しても、いまいちピンとこないレディをよそに、アンナは薄付きになるようにと、自分の手の甲に余計なパウダーを落としながら、レディの肌へ乗せていく。
若い肌にはカバーすべきシミやニキビが少ないので、大仰なリキッドファンデーションは必要ない。薄付きで血色を良くしていくだけで十分だった。
「レディは男性経験が極端に少ないので、理解できないかもしれませんが、例えば同じ汗の染み込んだシャツでも好きな体臭と嫌いな体臭があるものです」
「それはまだわかる。クラスの男子でも苦手な香りと好きな香りはあるもの……香水は別として」
このファンデーションは好きな香り。甘いココアかチョコレートのような香りがするのだ。
「好きな体臭は、本能がその遺伝子を欲しがっているから。より、よい遺伝子を残すためのプログラムです。体臭は一例に過ぎませんが、少なくとも恋心なんていうのは遺伝子プログラムの一部を、耳障りの良い言葉に言い換えたに過ぎません」
そう冷めた言葉ではっきり言われると、レディは自分の恋愛観がおかしいのかもしれないと思えてきた。
人間が何故無意味に恋をするのかと言われれば、その先に結婚、出産がある。それを種の保存するためのプログラムなのだと言われれば、まさにそうなのかもしれない。
「でもバディを好きになったときは……」
「バディ?」
「なっなんでもないわ」
祖父を好きになった時、レディは種の保存なんて考えていなかった。無論父親ほど近い血ではなくとも近親愛には違いない。けれどレディはその木漏れ日のような恋をこの世でいちばん大切なものだと思っていた。
――私のこの感情は、間違っているのかしら。
レディがぐるぐる考えを巡らせている間に、アンナはファンデーションを終わらせ、茶色とゴールドの間のような色のアイシャドウを指先にとった。
レディの目元を覗き込むように見つめ、アイホールの立体感をつけたい部分にシャドウを載せていく。目のキワに最も濃い茶色を入れて、これをアイラインの代わりとする。
「過去、多くの文明で長期間一夫多妻制だったのは何故でしょう? 倫理観が今よりもあやふやな時代、多数の女性が、本能的にその遺伝子を強く欲したからでは」
「え、そうなの?」
「というのは私の妄想ですけど」
「妄想って」
急にはっきりしない提言に変わったアンナの言葉だが、レディ自身納得できないわけではなかった。人は本能に従い罪をおかす。神はそれらを悪魔と定義づけている。しかし、だからこそ人は極端に理性的であるべきだ。姦淫は大きな罪なのだから。
両目のメイクを終えたアンナはハイライトをレディの顔の大部分に施していく。
「うーんむ」
「何にせよ、恋の結びつく先が子孫繁栄である以上、本能は理性よりも素直だということですよ」
「確かに素直は私の苦手分野だけど、でもなんか、違うような」
即物的なものでも享楽的なものでもなく、恋とはもっと暖かく優しいものではないだろうか。
だがその感覚をどう言葉にしたら共有できるのか、いまいちわからないレディは首をひねることしか出来なかった。
アンナは少しだけ息を吐いて、今度はコーラルピンクのチークを、頬の一番高いところに、大きなブラシで薄くいれていく。
「レディの本能が拒めないでいるのなら、私が斗真様を贔屓目で見てしまうところを差し引いたとしても、とっくに斗真様を好きになっているんだと思いますけどね」
「……正直、よくわからないわ」
「恋は女性を美しくします。レディは、とっても綺麗になりましたわ」
「アンナがエステしてくれるからよ」
「いいえ、美しさとは内面の充足から出るものですもの」
アンナはレディの顎を優しく指先で支え、今まで使った色の中で最も発色の良い深みのあるボールドを唇に乗せていった。レディの膨らんだ唇が色香をまとい、周辺の肌の色まで明るく見せる。
「内面の、充足……」
最後に黒髪を軽くブラッシングして、淑女の朝の準備は完了である。
アンナは自分が斗真のパートナーのお世話をする日が来るとは、と感慨深い心地になりながら、レディの艶やかな髪をほんの少しだけ撫でた。
「さて、レディの準備が終わりましたし、斗真様を迎えに行ってまいります」
「こんなに早く?」
アンナが立ち上がると、レディは思わず視線でアンナを追いかけた。まだ十時にもなっていないのに。
「はい? ダメでしたか?」
「だってほら、レイトチェックアウトだから十二時までいて良いんでしょう? 早く出たらもったいないし」
もっと早く出ても構いはしないのだが、レディの貧乏性がギリギリまで滞在すべきだと叫んでいる。
アンナはそれはそうですがと肯定しながら、座ったままのレディに向き直った。
「早く会いたくないのですか? きっと斗真様は会いたがってますよ」
「……うう、えっと」
会いたくないかどうかで言われたら、会いたくないわけではないという天の邪鬼な答えになってしまう。
しかし斗真が会いたがっているのならば、被後見人として会うべきだ。――それらすべてがレディの中で言い訳のように響いていた。
そんなレディをすっかり見透かしたアンナがニッコリ微笑んで、部屋を出ていった。
アンナが部屋を出ていって少しも経たないうちに、扉がノックされた。
待っている間に斗真に紅茶を淹れる準備をしとこうと、簡易キッチンの方にいたレディは、慌てて部屋の扉の前に向かった。
「もう帰ってきたの? 鍵忘れたのかしら……」
オートロックなので締め出されたのかもしれない。レディが少し躊躇していると、扉が容赦なく乱暴に叩かれた。
レディがもたもたしているので、寝ているとかトイレにいるとかで気づいていない可能性を考慮したのかもしれない。
レディはのぞき穴を見ようともせず、ドアノブに手をかけた。
「ああごめんなさい、今開けるから……アン――」
しかし扉を開けると、目の前には自分より少し背の高いメイド姿のアンナではなく、見上げなければ顔を認識できないほど高身長の、体躯のいい男が立っていた。
ジーパンにプリントTシャツ、その上に黒革のジャケットを羽織ったその男。
斗真よりもたくさんのピアスを光らせ、肩までの長さの髪を、無造作にハーフアップにしている。
三白眼が冷たく見下してきたので、レディは思わず背筋を凍らせた。
「……やっぱり」
「え、だ、誰? どちら様でしょうか?」
怖い、こんな人知らない。どうして私の部屋に――何も理解できないまま、トラブルを防ごうとなるべく丁寧な言葉を使い、笑顔を貼り付けると、男は目を鋭く細めて唇を歪めた。
「まりあ、お前だったんだな」
名前を知られているということは、自分はともかく相手は自分を知っているということだ。レディは少しだけ安心した。
このタイミングなら同じホテルに宿泊した昨日のパーティーの客が、遊び半分でレディの部屋を訪ねてきたと考えられなくもない。無論そんな失礼なことをしそうな人はいなかったように記憶しているが。
「えっと? ごめんなさい覚えてなくて。昨日ご挨拶しましたか?」
「いや? 挨拶なんて堅苦しいもんしてねぇけど、お前と俺は初めてじゃないだろ」
挨拶をしていない。ではどうしてこの男は自分を知っているのだろう――レディはもっと意味がわからなくなった。
「そんなこと言われても……せ、せめて、日を改めてくださいませんか? 今帰り支度をしていて」
「そう冷たいこと言うなって」
扉を閉めようとするレディの手を抑え、男は革靴を扉の間に挟めた。
拒絶できなかったことで、レディの中で恐怖が膨れ上がる。
「っ! な、なんなんですか……?」
「チェックアウトにはまだ時間あるだろ。自分が覚えてないからってご挨拶だなぁ?」
「覚えてないも何も……ドアから手を離して!」
怖い。お願い、アンナ早く戻ってきて――!
ドアを持ったまま男と攻防戦をしていると、レディの心の叫びが通じたのか、男の後ろから大きな手が伸びてきて、その肩を勢いよく掴んだ。
「涼」
青年の声がその場に響き渡った。
レディが涙目のまま見上げると、【
「ああ、びっくりした。斗真かよ」
全く驚いていなさそうな淡々とした声色で男はドアから手を離した。
アンナが迎えに行った斗真が辿り着いたらしい。レディがほっと胸をなでおろしていると、斗真は身体を滑り込ませて、レディと涼の間に立った。
「うちの子を怖がらせるのやめてくれる?」
「斗真……」
斗真の広い背中に庇うように立たれ、レディは胸が締め付けられた。嬉しいような申し訳ないような、自分が情けないような、複雑な感情がレディを包んだ。
涼は斗真と対峙し、レディにも向けた鋭い視線とドスの利いた低い声で相手を威圧する。
「兎の皮かぶった狐が、今度は王子様気取りか?」
「いつ、僕が兎の皮を被ったって?」
「最初からだよ。お行儀よく、言われたとおりに生きてきただろ。下げたくもない頭下げてサ」
涼は鋭く突き刺すナイフのように抜き身な言葉で、斗真をえぐっていく。
その言葉の真意がわからないレディにも、チリチリとした感覚が伝わってきた。
気がかりなのはレディの角度からは斗真の表情が見えないことだ。今一体どんな顔を涼に向けているのだろう。
このままドアを挟んで男二人動けないのではないかとレディが焦っていると、涼の後ろから女性的な高い声の男性の声がした。
「涼、お前何やっとるん?」
涼の知り合いらしいその人は、何気なく涼の隣に立つ。
「いや、一応ちゃんと顔見ておきたかったし。確かめたいじゃん?」
「側におらん付き人っておかしいやろ」
「まあね、悪い悪い」
蒼真と呼ばれた彼はレディと同じくらいかもう少し高いくらいの身長で、カラフルなパーカーにサルエルパンツ、帽子というスタイルだった。
赤紫色の髪をパッツンにして、唇にはピアスが空いている。そして下手な女性よりこだわったメイク。
いかにもSNS映えしそうな、今どきの男の子という風貌だが、一番特徴的なのはその女性的な顔と声、関西弁に似た言葉でイントネーションが少しおかしいところだ。
ほとんど関西弁と区別がつかない程度だが、会話の中で若干の違和感を感じる。
涼の隣に立った蒼真は、斗真の後ろから顔だけを出して様子をうかがうレディに視線を合わせ、ペコリと小さな体を曲げた。
「俺、
関西弁に標準語が混じったような独特のイントネーションで謝られ、レディはたじろぎながら挨拶を返した。
「は、え、えっと、レディです、はじめまして」
蒼真が頭をあげ、レディを視認すると、どこか既視感のようなものに襲われ首を傾げる。
「昨日ぶつからんかったっけ? それもごめんな」
「あ、あの時の……急いでた人」
「あー! ぶつかったぶつかった。白いドレス着てただろあんとき」
斗真の控え室を出てすぐの出来事をレディも振り返った。急いでいた蒼真にぶつかられ後ろから涼がついてきていた。顔をはっきり見なかったのですぐには結びつかなかった。
レディが頷きながら思い出していると、蒼真が肘で涼を小突く。
「涼、後ろ。悠太おる」
「ん? おー! 悠太じゃん! あれ以来だから……三年ぶりか?」
悠太って誰だろう、とレディが首を傾げていると涼と蒼真の間から顔を出した佐々木が「どうも」と片手を上げて挨拶した。
佐々木の下の名前をこの瞬間まで知らなかったレディは、人知れずこっそり絶句しておいた。
旧知らしい挨拶を終えると、涼が少しばかり雰囲気を柔らかくして斗真に向き直る。
「なぁ斗真。入り口で大渋滞してても何だろ? 中に入れてくれよ」
「……
「全くいつまで中にはいらないんです?」
斗真が断り文句を述べようとしたところに、最後尾からアンナが割り込んできた。
佐々木を避け、蒼真を避けるとその少し前に立っていた涼に気がつく。
「あ」
顔を見合わせ、アンナはにっこり微笑みかけた。
「ああ、男手が増えたんですね。助かりました」
「風見杏奈……お前今何やってんの」
「こちらのお嬢様つきメイドをしております。氷室さん、蒼真様。お二方とも中へどうぞ、お茶をいれましょう」
◆
アンナによる鶴の一声によって、結局レディの部屋に通されることになった蒼真と涼は、寝室と続き間になっているリビングルームのソファに並んで座った。
レディと斗真がその向かい側に座り、佐々木は斗真の後ろに立って控えている。
アンナはレディが途中まで用意していた紅茶の準備を引き継ぎ、四人分をテーブルの上に置くと頭を下げてレディの後ろに控えた。
「ごめんねレディ。結局部屋に通してもらっちゃって」
「えっと、斗真は知り合いなのね? 色々追いついてないんだけど、わかるように言って」
先程のやりとりでなんとなく旧知の中であることは分かったがいまいち関係性がわからないレディは斗真の腕に縋りながら問いかける。
斗真は少し困った顔をしながら、蒼真と涼をそれぞれ紹介した。
「菊亭蒼真は僕の親戚で、君を怖がらせたそいつは、
「そいつとは随分雑な言い草じゃねぇの。にしても……ふーん? 言ってねぇんだ」
「氷室」
涼が意味深に斗真とレディをじっと見つめていると、佐々木が低い声で制した。
「え、何を?」
一人レディだけがそのやりとりを理解できずにきょろきょろとそれぞれの顔色を伺う。
「――なんでもねぇよ。悪かったなぁ初対面で怖がらせちゃって」
涼はそう言ってレディに笑いかけた。ギリッと歯ぎしりの音が鳴る。
「いえ、平気です……」
「ほんまごめんな。俺ら関西から昨日戻ってきたばっかで、まりあちゃんの噂聞いてな。こいつ無鉄砲やから興味本位でこっち来てしもたみたい。一緒に斗真と会う予定やったのに……」
「そうなんですね」
だとしてどうして部屋の番号まで把握しているのか気になるところではあったが、レディは蒼真の柔らかな雰囲気に負けて、問い詰めることができなかった。
「そんでな、このあと二人の住んでる横浜の別邸に行きたいんやけど、まりあちゃんええかな? ダメやったら言って」
【横浜の別邸】という呼び方にレディは違和感を抱くが、どこかで似たような言い回しを聞いたことがあるような気がした。
「……世田谷の本邸……」
誰にも聞こえないような小さな声でレディはそう漏らす。そう確か、十子が今の住まいのことをそう言っていた。
つまり世田谷にあるのがきちんとした家で、レディが居候しているあの家は別荘のようなものなのだろうか。
とはいえ、生活しているので避暑や旅行に訪れる別荘という訳では無いだろうし、そもそも別荘と言うにはあまりにも大きい屋敷だ。
「やっぱ、邪魔かな?」
「あいや、私は居候なので、斗真さえ良ければ別に」
そう言ってレディが斗真を見ると、力なく笑ったあと「仕方ないな」と申し出を受け入れる。
斗真の反応に気を良くした蒼真は、とびっきりの笑顔をレディに向けた。
「せっかくやし、まりあちゃん。仲良うしよ」
「そ、そうですね」
「涼には俺からちゃんと叱っとくな」
「いえ、私も過剰な反応だったと思うし」
怖がらずにきちんと涼の話をきちんと聞いていれば、面倒なことにはならなかったのかもしれないとレディは反省した。
そして少しの間雑談をして、なんとか二人への緊張を解したあと、レディは帰り支度のために席を立った。
とはいえ、ほとんどの荷物をアンナが事前に片付けてくれていたおかげで、自分のハンドバッグに収まる荷物をいれるだけで事足りた。
「忘れ物はありませんか?」
「お財布とケータイ……充電器も持ったし、大丈夫」
「では参りましょうか」
アンナの声が聞こえたのか、リビングルームで待っていた男性陣はすでにソファから立ち上がっていて、寝室から出てきた女性陣に視線を向ける。
「慌てさせたみたいでごめんね。準備は大丈夫?」
「大丈夫よ、服とかはアンナが片付けてくれてたから……」
レディと斗真が会話をしていると、アンナがレディの持っている大きなボストンバッグを奪う。
レディが「あれ?」と首を傾げながらアンナを見ると、アンナは自分が持っていたキャリーバッグとボストンバッグを持って、ツカツカと佐々木の前に歩み寄り、しれっとキャリーバッグを渡した。
「よろしくお願いします」
「承りました」
佐々木が当たり前のようにキャリーバッグを受け取る。アンナは次に涼のもとへと向かった。
「氷室さんはこちらを持ってくださいませ」
そう言って先程までレディが持っていたボストンバッグ渡そうとする。涼が明らかに難色を示していたので、レディが慌てて涼のもとへ駆け寄る。
「あ、自分の荷物だもの、私が持ちま――」
「大の男が四人もいて、
アンナの声には迫力があって、目の前に佇む涼が少しばかり息を呑んだように見えた。
身長なら圧倒的に涼のほうが高いのに、何故かアンナのほうが見下しているように見えるから不思議だ。
「かざみ――」
「持ってくださいますよね?」
「あ、アンナっ! 大丈夫です、自分で持ちますからっ」
レディが必死にアンナの手からボストンバッグを奪おうとしても、アンナは少しも力を緩めることなく涼をにらみ続ける。
「――わかった、持てばいいんだろ、持てば」
「素直で大変結構です」
「アンナがごめんなさい……」
レディは頭を下げつつ、ふとアンナ自身もこの二人と旧知の間柄なのかもしれないことに気づく。
アンナは孤児で、小さいときから白鳥家のメイドだったのだから。
「そっか、アンナも知り合いだったのね?」
「菊亭一門は元々関東にいましたから面識があります。特にこの氷室なにがしさんは同年の方の中でも一番世話が焼ける人でしたから」
「なにがしって、オイ」
素直に持ってやっただろうが、と涼がアンナに食ってかかる。一方で、レディはアンナの言葉の一部に違和感を抱いていた。
「同年?」
「――ええ、ここにいる皆様は、同級生なんですよ」
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