番外編 佐々木さんは駆け込み寺

「臭っ……」


 むせ返るような花の香りは、ボディクリームの類だろうか。佐々木は丸い容器を黒いビニール袋に放った。洗面台に不遜なほど並べられた化粧水のボトルや歯ブラシも、つい先日別れた女のものだ。片付ければ自分のものがいかに少ないかが明白になる。

「てか物置きすぎだろ……お前の家じゃねぇっつうの。あー……」

 色々考えて、佐々木は辟易した。向こうはいずれここを自分の家にするつもりだったのかもしれないし、振ったのは自分だ。不自然に空いた空間を埋めるように自分の物の位置を直して、部屋に戻る。

 クローゼットにも何かあったような気もするが、目につくわけではないので後回しにして、とりあえずキッチンのレンジフード型換気扇のスイッチを入れた。置きっ放しにしている煙草に火をつけ、深呼吸の要領で煙を吐いた。

 ――なんで別れなきゃいけないの? 私が何かした?

 そうやって大人しく話を聞いてくれてたのは前半だけで、後半はヒステリックに怒鳴り散らされた。彼女が何かしたわけでは勿論なく、完全にこちら側の都合だ。明確な理由があればいいが、そんなものは特になかった。嘘の一つでもついて納得させれば良かったと自分の要領の悪さに溜息をつく。

「なんか違うって思ったから……は、流石に失礼か」

 ――もういい! 家にあるのも勝手に処分して!

 それで合鍵を叩きつけられて終わった。情けない話である。

 暫くして煙草を一本吸い終わったあたりで、玄関のチャイムが鳴った。

 別れた彼女が必要なものを取りに来たのかもしれない。もう少し吸える煙草の火を消して、玄関へと向かう。

「言えば持ってってやるのになん――」

「佐々木さん!」

 想像していたのよりはるかに張りがあって若い声。驚いて顔を上げると、見覚えのある顔がそこにあった。まだ初春のこの時期に寒そうな花柄のミニスカートにくるぶし丈のミニブーツを履いて、薄い素材のノースリーブの上にデニム地のジャケットを羽織っている。手にはハンドバッグの他に大きめのボストンバッグも持っていた。大人びて見えるが年齢的には少女の、その女性はこの数週間、何度かうちに来ている。

「ごめんね、急に……また、追い出されちゃって」

「……うちは駆け込み寺じゃないですよ、蘭さん」

「そんな冷めたこと言わないで、お願い! こんな寒い中未成年閉め出すなんてことないよねっ? ねっ?」

 佐々木はため息をついた。蘭は一度家に泊めて以降何かと世話を焼いている。いや、焼かされている。不本意ながら頼られてしまっているのだ。

「家事やるし、なんでも言うこと聞くから、おねがいっ」

 蘭は冷え切って寒そうな手を合わせ、佐々木を拝む。

「なんでもってね……あまり男にそう言うことは言わない方が」

 未成年とはいえ、女として成熟しつつある蘭に邪な欲望を抱かないとも限らない。迂闊なことは言わない方が身のためだ。

 佐々木が親切心で言うと、蘭は少しも気にした風なく大きな目を瞬きさせて首を傾げた。

「いいよ?」

「いやだから」

「いいって! 大丈夫、蘭ピル飲んでるし」

 ――ああ、こう言う子だったな。

 蘭の明け透けな性格を思い出して、佐々木は頭をかいた。

「……はあ、本当になんでも?」

「うん、なんでも」

「じゃあこれ以降は来ないように。足赤くなってますよ。お風呂入れますから」

「そっちかあー。はは、ありがと」

 どうせ聞く気はないくせに。諦めている佐々木は蘭を部屋へと迎え入れた。


 蘭は高校三年生で、佐々木の雇い主である斗真の彼女の友人――とまあ、その程度の間柄なのだが、何故か懐かれてしまった。

 毒親と暴力彼氏のせいで行く宛があるようでないような蘭の境遇を知ったとき、うっかり家に招いてしまったのが原因だ。元々佐々木は女性に弱く、尻に敷かれがちの性格が災いしている。主に年の離れた姉の行き届いた教育のおかげだ。功罪とも言える。

「佐々木さんお風呂ありがとー」

「いえ、食事は?」

「お腹すいてないから大丈夫。あ、この寝巻きもありがとね、彼女さんのだっけ」

 蘭に貸した寝巻きは、まだ片付けてなかった元彼女の私物である。佐々木の服では流石に大きすぎるし、蘭のためにわざわざ女物を用意する義理はない。

 別れたことを伝えるのはなんとなく憚られて、佐々木は黙って頷くだけにした。蘭はソファに腰掛けると、やっと一心地ついたのか、安堵のため息を漏らした。一応は遠慮しているのか、蘭はベッドを使わず、いつもソファの上で毛布にくるまって眠る。

「レディ元気にしてる? ガッコ来ないし、会えなくて寂しいんだよね」

「いつでも白鳥の屋敷に行けば会えますよ」

「うーん。レディは遠慮しいだから、居候の立場で蘭のこと誘えないとか言ってた」

 斗真はレディに対し自分の家のように振る舞ってもらって構わないと伝えていたはずだが、変なところで遠慮しているらしい。

 佐々木はなるべく二人の時間を作ってやろうと白鳥家に長時間滞在することを避けていた。レディと会話する頻度が低いため、初めてその事実を知るに至って、へぇそうなんですか、と蘭の言葉に頷いてみせた。

「蘭も斗真さんみたいな保護者が欲しいよー」

 親は蘭をネグレクト状態で、本人曰く、何度も児童相談所に保護されかかったらしい。父親は本当の父親ではなく、母親の再婚相手。父親にとって蘭はサンドバッグにちょうど良かったし、母親も蘭を庇わなかった。そうするうちに両親はまた離婚して、母親は新しい男を家につれてくる。

 血のつながった母親の嬌声を、狭いアパートの中で強制的に聞かせられることを嫌った蘭は、夜遊びしている間に知り合った男のところに上がり込んでいる。だが男運の方も良いわけではないらしい。

 確かに見た目は少々派手だが、悪い娘ではない。友人を大切にしているし、何より底抜けに明るい。いい男と付き合えればいいのだが、現実は厳しい。服から覗く範囲でもあちこちに青アザを作っている。

 化粧で普段は隠れているが、顔にも生傷が絶えない。若いのに。まだ、十八歳になりたてで、ニキビすら嫌厭するような張りのある肌に、どうして酷いことができるのか。

 佐々木は空気を誤魔化そうとテレビをつけた。恋愛ドラマが流れ始めて、全ての恋愛がこんな風に運べば誰も苦労しないだろうにと、穿った感想を抱いてしまう。

「……彼氏さんのどこがそんなに良いんですか?」

 ピルを飲むのを強制され、暴力を振るわれ、たまに追い出され、それでも男の元に戻るのだから愛情が深いに違いない。

 親元にいても男のところにいても、蘭の環境が大して変わるわけではないのだから。

「うーん? あいつ顔は良いんじゃない?」

「顔? 面食いなんですね」

「わかりやすいのは好きだよ。顔とかーお金とかー。あとはよくわかんない。蘭、バカなんだもん」

「好きだから彼氏さんのところにいるんでしょ?」

「ん? はは。だあって他に選択肢ないじゃん。だからって友達に迷惑かけたくないし。蘭みたいな生きてる価値ない女はさ、彼氏に殴られてるくらいでちょうど良いんだってね」

 蘭は誰かの言葉を引用したかのように述べた。これから先いくらでも行く手がひらけている少女が自分に向かって放っていい言葉ではない。

 佐々木は眉間に皺を寄せて、ソファに座る蘭を押し倒した。

 蘭は全く抵抗を見せなかったが、これまで紳士だった佐々木の突然の行動には驚いているようで、目を何度も瞬きさせている。

「そんなこと、誰が言ったんですか? 母親? 彼氏?」

「や、やだ佐々木さん、急に情熱的……」

 口の端を吊り上げて、蘭は笑いながら佐々木を宥めようとする。佐々木の底冷えするような声は、彼の怒りを表していた。

「はぐらかさないで。貴女を貶めるようなことを抜かしたのはどこのクソ野郎だって聞いてんですよ」

 丁寧な言葉の中に蓮っ葉な言い回しを織り交ぜて、佐々木は怒りにギラついていた。蘭は佐々木の視線を見返すことが出来ず、彼の腕の中でもがいた。

 佐々木は蘭を冷たく見下ろしている。罪人を裁く裁判長が如しである。蘭は男性を怒らせたとき、どうやって機嫌をとったらいいか、一つの手段しか知らない。

 もがくのをやめ、蘭は潤んだ瞳で佐々木を見上げた。

「……蘭は妊娠しないから、安心して」

 羞恥心、戸惑い、貞操観念。そんなものは一つとして蘭にはない。図々しく上がり込んでいる立場をよく理解していた。家主の機嫌を取らねば殴られ、酷ければ追い出されるのだ。蘭はそう言う世界しか知らなかった。

「……」

 佐々木は蘭の何もかもを諦めている姿勢に余計苛立った。厳しい顔で、少女の張り付いた笑顔を見つめる。

 蘭は焦った。佐々木をまた不機嫌にさせてしまった。どうすればいいのか考えて、自由になっている両手で佐々木のジーンズに手をかける。

「ご、ご奉仕する? 蘭あんまり得意じゃないけど――」

「やめなさい」

 佐々木は目を伏せて、蘭の上から退いた。どうしてこの少女は理解してないんだと、苛立ちに身を任せて舌打ちする。

 どう言葉にして伝えればいいのか模索しようと、キッチンのレンジフードの前に向かった。煙草を吸い始めると、焦った蘭が、かなり慌てた様子で佐々木の背中にすり寄った。

「さ、佐々木さん? 蘭間違えた? ねえ、ごめんって。間違ってたら謝るから、だから追い出さないで。今本当に行くとこないの」

「追い出しませんよ、別に。間違うとか以前の問題です」

「じゃあなんで怒ってるの? やだ怖い」

「怖い? 性行為や殴られるのは平気なのに俺が怖い? 頭おかしいんじゃないですか?」

 佐々木の声は冷たく、言葉の節々が厳しかった。蘭は俯いて、小さな指先でスウェットパンツをギュッと握る。

「セックスも、殴られるのも、別に大したことないもん」

「本気でそんなこと言って……」

「だってそんとき一瞬我慢すればいいんじゃん! みんなそのあと笑ってるもん、機嫌直るもん! 蘭みたいな、間違って生まれてきた奴はね、生きたかったら大人の言うこと聞かなきゃダメなんだよ! だから! だから蘭は、怒ったまんまで何もしてこない佐々木さんのが怖い!」

 平気なわけがない。何度殴られようと、何度身体を委ねようと、痛いものは痛いし、怖いものは怖い。

 けれどそれで生きる場所を失う方が怖い。

 蘭にとっては物理的な恐怖の方がどうにかなるのだ。短時間で終わるから。性行為は機嫌を取るためのものだ。気楽で、簡単で。

「貴女は……」

 蘭の強烈な価値観に、佐々木は脳天を貫かれたような衝撃を抱いていた。蘭はまだ少女だ。未成年で、高校生で、わがままを言ったり、恋をしたりする。それが当たり前のはずなのに。

 佐々木が振り向くと、蘭は大きな瞳に大粒の涙を浮かべ、佐々木の身体にしがみついた。ほとんど抱きついている蘭の肩を掴んで離そうとするが、蘭は強い力で離れようとしない。

「ね、お願い、しよ? 機嫌なおして、お願い……」

 それしか知らない、それしかわからない。蘭の悲痛な心の叫びを受け止めた佐々木は、一度優しく抱きしめてやった。

「佐々木さん?」

 髪を何度か撫でて、呼吸を繰り返す。蘭から涙が退いた気配がしてからやっと身体を離した佐々木は、視線でベッドに行くように促した。

 蘭はほっと安堵した表情を浮かべると、佐々木の手を握って、ベッドへ向かった。

 先に入ってベッドの半分をあけ、佐々木が来るのを待っていると、彼はベッドの縁に腰かけて付けっ放しだったテレビを消しただけで、蘭が待つ布団の中には入らなかった。

 何が起こっているのかよくわからない蘭は困った顔で佐々木を見上げた。佐々木は口の端をそりあげて肩をすくめると蘭の頬や髪を撫でた。それは蘭が今まで体験したことがないような、全く彼女を傷つける気の無い優しい力加減だった。

「疲れたでしょう。今日は何も考えずに寝てください」

「な、なんで? 怒ってないの?」

「怒ってますよ」

「じゃあ……」

「何もしません。俺が怒ってるのは、自分を大切にしない貴女と、そうさせてしまったクソみたいな大人たちです」

 間違って生まれてきただなんて、殴られてるくらいでちょうどいいだなんて、そんな子供はどこにもいない。大人の無責任を蘭一人に押し付けて、傷つけて、そんなことは許されてはいけない。佐々木は蘭の親も、蘭の彼氏も、誰一人として許せなかった。あとで見つけ出して社会的に抹殺してやる、と不穏な怒りを抱くほど、許せなかった。

 蘭は大きい目を二、三度瞬きした。すると、先ほどとは違う色の涙が下瞼を満たしていた。

「佐々木さんは違うの?」

「どこに目つけてんですか。一緒にしないでくださいよ」

「……そっか、そういう人もいるんだね。蘭、バカだから……」

 蘭がもう一度瞬きをすると、溜まった涙は頬に溢れた。佐々木がそれを優しく親指で拭って、溜息を一つついた。

「悪いけど俺が普通。そいつらが最低なの」

「そうなのかも。あ、てか今の素? 敬語じゃないの、はじめてかも」

「ああ、貴女は一応大切な雇い主の、大切な想い人の、大切な友人なので」

「ふふ、何それ遠いじゃん! 蘭さっきみたいなのがいいなー。好み!」

 あ、と蘭は何かに気がついて口を抑えた。顔や金のように分かりやすい指標ではない異性の好みを口にして、そして無自覚だった。

 佐々木も蘭の様子を感づいて、一瞬言葉を失った。素直な言葉は身体中を駆け巡り、含羞を抱かせるに十分すぎた。

「……俺との恋愛なら、楽しいかもしれないですよ」

 口を手で抑え、感情を押し殺しながら、佐々木は一つの案を示した。

「え?」

「殴ったりしないし、貴女がその気になるまで手も出しません。俺が相手なら、何もかも差し出して機嫌をとる必要はないんです。今までもまあ、尻に敷かれてましたから」

 蘭は上半身を起こして、佐々木の顔を伺った。自分が何を言われているのか、流石の蘭にもわからないわけではないが、佐々木には付き合っている女性がいたはずだった。

「え、あれ? だって彼女いるよね? この寝巻きの」

 蘭のもっともな質問に、佐々木は向き直った。目を伏せて、自分の首を忙しげに触る。

「別れました。勝手に処分しろと言われたんで、貴女が使っていいですよ。他にもいくつか服が……って、他の女のお下がりは嫌か。明日学校は?」

「土曜だから休みだけど……」

「じゃあ買い物に行きましょう。部屋で過ごすのを二、三着と、普段着。制服は持ってきてますか?」

「う、うん。一応」

「後は化粧品とかバス用品とか。生活必需品を……彼氏の家にも、実家にも、取りに帰らなくていいようにしたいので、必要なものがあるなら遠慮なく買ってください。あ、それと今日はこのまま寝てください。俺はソファで」

 佐々木が言いたいことだけ言い募って立ち上がろうとするのを、蘭が慌てて引き止める。

「待っ、待って。佐々木さん、蘭が好きなの?」

 蘭の言葉に佐々木は目を見開いた。長年付き合った恋人を振ったのは、蘭がこの家を駆け込み寺にし始めたからだ。そしてなんとなくだが、もう一緒にはいられない、と恋人の方に別れを告げた。

「……だから、別れたんだと思いますよ、たぶんね」

 自覚があって天秤にかけたわけではないが、結果として蘭のことをめんどくさいと思っていても受け入れてしまうのだから、やはりそう言うことなのだろう。

「ほ、ほんと……? 信じらんない。夢、これもう八割夢!」

 蘭は自分の頬を何度もつねった。何度つねっても痛いので、これは現実だといやでも認識する。

「いや、なんでそうなるんですか?」

「だって別世界の人でしょ。蘭みたいなのと本気で付き合うわけないっていうか。斗真さんとか佐々木さんとか、もっと大人のお金持ってる女の人と付き合いそうっていうか、まあレディは美人だからわからなくないけど、でも」

 遊びの相手ならともかく本気の恋愛となれば話が違う。なし崩し的に家に泊めてしまうのと、自分の意志で泊めるのとでは全く意味が異なる。蘭は自分にその価値がないと思いこんでいた。

 蘭が早口でまくし立てていると、佐々木は片眉をあげて、わざと論点をずらす。

「なんで斗真さんが名前で、俺が名字なんですか?」

「あ……でも蘭、佐々木さんの下の名前知らな」

 佐々木は俯いてしまった蘭の顎を捉えると自分に向かせてキスをした。これまで何度家にあげても子供の扱いをしてきたので、女性として扱って触れたのはこれが初めてだった。

「俺の名前は悠太です。忘れないでください」

「う……ん」

「彼氏さんのところに戻りたいなら、無理強いはしません」

 蘭は少し考えるそぶりをした。だが先程も言っていたように他に選択肢がなかっただけで、彼氏に対して愛情や未練があるわけではないようだ。少し悲しげな顔で首を振っただけだった。

「あのさ、蘭、何もできないよ? 家事は大体できるけど、料理下手だし、頭悪いし、ほんと親とか彼氏が言うみたいにね、役立たずで、ゴミで」

「その考えも改めさせる。俺が、全力で愛してみせます」

 佐々木があまりにも臆面なく恥ずかしいセリフを述べるので蘭は顔を真っ赤にして目を背けた。

「……なんか、そう言うクラクラするセリフ、言うキャラだっけ? 佐々木さ」

「悠太です」

 蘭にとって寄生先の名前なんてどうでもよくて、興味もなかった。だが改めて言われれば照れ臭くて、その名前を述べた瞬間何もかもを受け入れてしまうような気がした。

 暫く蘭は黙っていたが佐々木の強い視線に耐えきれず、おずおずとその名前を口にする。

「ゆ、悠太、……さん」

 その瞬間、蘭の中でぶわっと光の粒のようなものが溢れた。暖かくてくすぐったいそれは初めての感情で、少しはっきりしない何かだった。どう言葉にすれば適切なのか全く脳が追いつかないほど、感情が溢れて溢れて止まらない。

「あ、なに、これ……」

 佐々木は蘭の年相応な反応にホッとした反面、ますます女性的で愛らしく思えた。無意識のうちに口をそりあげ、舌先で上唇を舐めていた。

「彼氏にさん付けするんですか?」

「じ、じゃあっ呼び捨てするから、悠太も敬語やめよう!」

「交換条件だ」

「そう、そうだよ」

 蘭は恥ずかしくて仕方がなかった。佐々木がこれまでよりずっと格好良く見えた。大人で紳士で優しくて、そんな風に考えてしまう自分が何かおかしくて、恥ずかしくて、布団を引っ張って顔を半分隠した。

 佐々木はそんな蘭に優しく微笑みかけて、布団を直し、髪を撫で付けてやった。

「これからよろしくお願いします」

「……やっぱ敬語じゃん」

 口を尖らせる蘭に対して、佐々木が肩をすくめ、ベッドを立とうとすると、蘭が首を傾げた。

「ここで寝ないの? これからカレカノなんでしょ?」

「俺自身が、俺の理性を信用してないので。貴女に不埒な男だと思われたくありません」

「……ふらち?」

 言葉の意味がよくわからず曖昧なイントネーションで反芻すると、佐々木は首をかいて蘭を振り返った。

「やっぱやりたいだけじゃん、とか」

 恥じらう佐々木の様子が可愛らしくて、蘭は一気に緊張が解けた。吹き出すように笑い出して、首まで赤くする青年の横顔を見つめた。ああ、こんな感覚初めてだ。

「かわいいね、悠太」

「とにかく、スキンシップは明日から」

「さっきキスしたのはノーカン?」

「いいから寝ろってば」

「あ、やっぱ好き。その感じ」

 蘭は悪戯っぽく笑って素直な感想を述べた。佐々木は赤くなる自分の顔を自覚しながらぎこちなく笑った。

「蘭のその素直なとこが、俺も好き」




********

時系列でいうとパーティードールの少し前くらいです。蘭と佐々木が付き合う話。

パーティードール③で蘭が「ゆう……佐々木さん」って言っているのは、ちょっとした仕込みだったりした()


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