第3話 ハーブティー
「これカモミールだわ。斗真ってハーブ苦手とかじゃなかったわよね」
「ええ、お好みだったと思いますよ。それにレディが選ぶものですもの」
「そ、そう? フレッシュハーブティーなんて美味しそうだなと思って」
「それはもう、きっと喜ばれます」
斗真の屋敷に居候するようになってから数日、屋敷の構造にも慣れ、雇われている使用人たちとレディは打ち解けるようになった。
男性は四名。家令の楠木を筆頭に、フットマンが一人、住み込みではないが、庭師が一人と厨房のシェフが一人。厨房はキッチンメイドが二人ついてシェフの手伝いをしている。
メイドはレディーズメイドのアンナの他に十名。前述のキッチンメイド二人、寝室を整えるチェインバーメイドが一人、応接室で客人の世話をするパーラーメイドが一人、他四人は専門職を持たず、広い屋敷を掃除したりクリーニングに出す以外の洗濯物をしたりしているらしい。
洗濯物をどこに干しているのか聞いたら専用の部屋があるので、とのことだった。ならばとレディが自身の洗濯物もついでに頼もうとすると斗真に笑顔で止められた。
とにかく、レディはやっと使用人の顔と名前が一致しそれぞれの役割を把握し、ついでにアンナの手によって磨き上げられるのにも慣れ始めた。
今日は沢山の種類の植物が植えられた外庭と温室を巡ることにして、庭師と共にあちこち見て回っていた。先程見つけたカモミールは温室でコンテナ栽培されていたものだが、同じようなコンテナにジャスミンも見つけたので、庭師に頼んでそれぞれ少しずつ摘んでビニール袋に詰めてもらった。
「お屋敷にも慣れてきたし、そろそろ学校にもいかないとね」
軽く一ヶ月学校を休み続けているような状態だ。斗真が学校に事情を説明してはいるらしく、生活が落ち着いたら復学するように言われている。出席日数がそれでも足りるのか、もしかしたら卒業が一年伸びるかもしれないとぼんやり考えているが、あまりレディに危機感はなかった。
「あら、このままおやめになってもよろしいんですよ、花嫁に学歴はいりませんわ」
レディの後ろをずっとついてくるアンナはさもありなんと言った様子で頬に手を当てる。
「だからそういう関係じゃないって何度も言ってるじゃないの」
「素直になれないのは可愛らしくて結構ですけど。まあレディは勉学よりもっと美容にかける時間をですね……」
「ひ、一通り見て回ったし、このハーブでお茶にしない? アンナも一緒にどう?」
慣れたと言ってもこれ以上美容に時間とそして費用をかけたくないレディは、慌てて話題をそらす。
「まあ、お誘いいただけるんですか?」
嬉しそうに手を叩いたアンナにレディが愛想笑いを浮かべ、屋敷の玄関へと歩み勧めていると、家令の楠木と話をする美しい婦人が目に入った。
和服のその女性は、柔らかい藤色の留め袖に金糸で織った高級帯、濃い紫の羽織、手は黒いレースの手袋といった、上品な和洋折衷のファッションだ。ほとんど黒に近い赤みがかった深い茶色の髪は、一本差しで艶かしくアップにまとめられている。
「あれ? お客様かな」
「……あら」
見覚えがあるのかアンナが絶妙な反応を示すと、レディたちに気づいた婦人の方から歩み寄ってきた。
近づけば近づくほど美しさが目に眩しい。深い笑顔には、誰かの面影が重なるような気がして、レディは少し首を傾げた。――ええっと
「――あなたが聖園まりあさん?」
名前をはっきり告げられレディは思考の海から意識を現実に引き戻した。なぜ名前を知ってるのか訝しげに思いつつ挨拶を返す。
「え、は、はいそうです。はじめまして?」
「まあ本当に可愛らしい子なのね! 美人さんだわ」
婦人はぱあっと明るく笑ったと思うとレディの手を握ってきた。思考が追いついていないレディは笑顔を引きつらせる。
「えっと、どちらさまです……か?」
「ああごめんなさい」
思わず、といった様子で婦人はレディから手を離し、襟を正した。
「わたくし、
「母…….母!? し、失礼しましたっ! ご挨拶もまだっ」
ぼんやり名乗りを聞いていたレディは頭を下げるのが数拍遅れた。後見してもらってる人の母親に挨拶がまだだった無礼をまとめて述べる。
「いいのよ、突然来たんですもの。息子にも内緒なの」
そう言って唇の前に人差し指を立てて悪戯っぽく笑う十子は、とても若々しく見えた。
「そ。そうだったんですね、よろしかったらハーブティーでも如何ですか? って、居候の私が言うことでもないかもしれないんですが、えっとクッキーもあったはずですので、ぜひ!」
慣れないことにレディがしどろもどろになっていると、十子は落ち着いた様子で、深く微笑んでみせた。
「ふふ、ぜひ頂くわ」
◆
レディは十子と他愛もない会話を交わしながら二階の家族用サロンまで案内し、十子に上座を促した。
十子が座るのを確認してから、続き間になっている準備室でハーブティーの準備を始めたアンナを手伝う素振りで近づき、そっと耳打ちをする。
「か、家族用サロンにお誘いして良かったのよね?」
「ええ、バッチリです」
「緊張する……!」
「大丈夫です、レディ。堂々となさってください」
小声でアンナに励まされ、レディは背筋をぴんと伸ばす。そして十子に聞こえる声の大きさで「お願いね」と告げて、下座の席へと戻る。
摘みたてのフレッシュハーブティーは、よく洗ったハーブにお湯を注いで少々蒸らすだけの簡単なものだが、部屋中に充満するような華やかな香りが鼻腔から幸せを運んでくれる。
十子の鼻にも届いたのか、不意に笑ったと思うと、深呼吸を繰り返して、ハーブの香りを楽しんでいた。
「素敵な香り。先程あなたがお摘みになったハーブね?」
「はい! 温室の……すいません勝手にっ」
「あら謝らなくていいのよ、ふふ」
居候の分際で勝手に屋敷や敷地内を歩き回るなど失礼だっただろうか。何が無礼に当たるのかわからずレディは冷や汗がとまらない。
せっかくのハーブの香りすらレディには楽しむ余裕がない。
暫くすると、レディと十子の前に透明なティーカップが置かれた。耐熱ガラスのティーセットは紅茶より多彩な色が出るハーブ向きだろう。
そのあとパーラーメイドが、バスケットに何種類か暖かいクッキーをつめてきて、テーブルの中心に置いた。
メイド二人が軽く会釈をして視界の外にはけると、十子は優雅な所作でカップに口をつけた。一口嚥下すると「まあ、美味しいわ」と笑顔をレディに向けた。とりあえずレディはほっと一安心する。
「ここでの生活には慣れました? 以前とはかなり環境が違いますでしょう?」
柔らかい笑顔でわかりにくいが、聞きようによっては嫌味にもとれなくない言葉を十子は口にした。
「はい、斗真……さんがとても良くしてくださいますので」
普段どおり呼び捨てにしそうになったのを、レディは思いとどまって、なんとか敬称をつけた。
「そう、息子がね。後見の話を聞いて、あなたのことを紹介してって頼みましたのに、中々首を縦に振ってくれなかったの。我慢できなくて、わたくしから出向いてしまいましたわ」
息子にも内緒だと言ったのはそういう経緯があったからだろうか、レディが推し量っていると、十子はカップをソーサーに置いた。
「なれそめを、お聞かせ願えないかしら?」
「なれそめ、というか、その、斗真さんは私が知らないところで私を知っていたみたいで……祖父の死をきっかけに、天涯孤独になった私を不憫に思ったらしく、面倒を見てくれることに」
三年前の緑地公園での出来事や、祖父が亡くなってからの蜜月の日々まで細かく伝えるのは憚られて、当たり障りのない事実関係だけをレディは十子に伝える。
「まるであしながおじさんね、ふふ」
「私もそうだと思いました、はは」
十子の笑みにつられるようにレディも笑って、表向きは和み合っているように見えた。やっと一心地ついたレディがクッキーに手を付けようとすると、冷ややかな十子の声が響いた。
「まさか貴女みたいな方を後見して同居までするとは思いませんでした」
"貴女みたいな"の部分を思いっきり強調されて、レディはピタッと動きを止めた。
言葉に敵意が見えた。まさか、勘違いだろうか、あれほど穏やかに笑いあったあとなのに、急に空気が冷たくなったような気がして、レディはどうしたらいいかわからない。
十子は斗真と似た色素の薄い瞳を三日月に歪めて、口を袖で隠した。
「だって、ねぇ? あの子にはいくらでも悪い虫がつきますもの」
「悪い虫……」
「白鳥の資産を欲しがるもの、あの子の美貌に目が眩んだもの。女なんてどれもこれも打算的……大人しそうに見えても真意はわかりませんわ」
「……その、とおりだと思います、よくは知りませんが……」
これは勘違いではない、明らかな嫌味――敵意だ。十子はレディを、斗真についた悪い虫だと思っているのだ。レディは俯いた。
斗真の財力がレディの想像を超えていることも、浮世離れした美貌を持っていることも事実だ。
母である十子なら、息子を守るため、急に現れたレディに疑いの目を向けても仕方がない。そして、そうじゃないと言えるだけの言葉がレディにはない。これまでの女たちと何が違うかと言われたら、何も違わない。実際助けられているではないか。
「十子さんは、斗真さんが心配なんですね」
「あら……」
「斗真さんにも、ご家族の方にも申し訳ないです。ご迷惑ばかりおかけして」
レディには謝ることしかできなかった。いろいろ考えてみたものの、他に言葉も浮かばなかった。レディが深く頭を下げると、十子が張り詰めていた空気の糸を解いた。
「ふふふ、ごめんなさい、意地悪を言ったわね。貴女がそうだと言いたいわけではないの。あの子は今まであまり女性に良い思いをしていないから、警戒心が強いはずだし、貴女はきっと信頼できる女性でしょう」
「ええっと」
そう手放しに信頼されるとそれはそれで困ってしまう。どうしたらよいか考えあぐねて、レディは小さく首を振った。
十子は満足気に微笑んでからもう一口ハーブティーを飲んだ。そして「うん、美味しいわ」と褒め称える。
「ねぇ、まりあさん。来月あの子の会社とうちの子会社とで業務提携記念パーティーを催しますの。貴女も白鳥の身内として参加してくださらない?」
「私がですか?」
思ってもみない申し出にレディは戸惑った。勿論そういったパーティーに参加した経験などたったの一度もない。カトラリーの使い方すらままならないのだから。
途端にお断りしたくなって、しかしそれは失礼だと思いとどまる。
「皆様にこんな美しい方を後見しているって、是非紹介したいわ」
「……は、はあ」
◆
少々の談笑を楽しんだあと、家令の楠木とアンナを従えてレディは十子を見送った。いつの間にか玄関の前には車がつけられていて、運転手と思しき男性が十子のために後部座席の扉を開けて待っている。
「まりあさん、ハーブティーとても美味しかったわ。またご馳走になりたいけど、姑がしょっちゅう来たらお邪魔かしら?」
「いえ! 全然っと言うか」
"姑"という言葉にちょっとした誤解を感じたレディは笑顔を引きつらせたまま、言葉を続ける。
「その、私と斗真さんはそういう関係じゃないので……」
「そうなの? 後見という名の婚約かと思ってました」
似たようなニュアンスで使用人のみんなにも誤解を受けているレディは、何度目かわからない否定を口にしつつ、もういっそそういうことにしてしまったほうが面倒がないのではないかと思い始めていた。
「方々に誤解を生んでいるようで……それにそもそも、ここは十子さんのお家ですもの」
「ふふ、そうねぇ。でもあの子が起業してからもうずっと、わたくしは世田谷の本邸におりますの。もうここの女主人は貴女よ」
十子はそう述べるとレディの返事をまたずに背を向けて車へと向かっていった。腰を落として車に乗り込むと、窓を開けて手を振ってくる。さながら皇后のような優雅さである。
「斗真のことを頼みました、またね、まりあさん」
「はい、さよなら」
レディは手を軽く振ったあと、深々と頭を下げた。斗真は自分のことをレディに頼るような性分ではないので、頼まれたところで何が出来るわけでもないが――
車の音が遠ざかったのを確認して、レディはやっと頭を上げた。ああ緊張した。こんなに緊張したのは高校に上がってすぐ、友達ができるかどうか分からなかった時以来かもしれない。同じクラスに中学から同じだった蘭がいたので、ホッとしたのをよく覚えている。
「悪い人じゃなさそうだけど、……なんか少し怖い人」
美しく優雅で上品で、堂々としていて、だけど少し怖い人。レディが抱いた十子の印象はそれに尽きた。笑顔の裏が読めないあたりが少し斗真と似ている。
「私もヒヤヒヤしました」
「怖さについてはアンナも大概だと思うけどね」
レディの言葉にアンナはキョトンと目を丸めた。意外そうな顔をするな、初対面で嫌味言ってきたくせに。とレディは横目を使う。
「さて、カトラリーの使い方はなんとかなってきたけど、他にもテーブルマナーを覚えなきゃ」
パーティーの誘いを勢いで頷いてしまったのだが、今更断ることもできない。レディは腹をくくった。斗真も一緒になるのだろうし、そこまで不安はない。
「それだけじゃありません。斗真様にご相談して、当日来ていくドレスや宝飾品も揃えなくては」
「適当にレンタルでいいわよ。どうせその一回しか着ないんだもの」
わざわざ全部揃えていたら相当な無駄遣いだ。アクセサリーなんてなくたっていいくらいだが、あんまり簡素では斗真に恥をかかせることになるのだろうか。レディは少し考えて、上着のポケットからスマートフォンを取り出す。インターネットでパーティードレスのレンタル会社を見つけると、宝飾品もセットで一万円以下のものを見つけた。これなら最低限のものは揃いそうだ。
レディの様子を観察していたアンナはげんなりとため息を付いた。せっかく主人を飾り立てる絶好の機会なのに、その主人がなんとやる気のないことか。
「ダメです。白鳥家の品格を損なわないためにも、きちんとしたものを購入していただきましょう」
「だって、さっき十子さんが言ってたの聞いた? 私、資産目当ての下品な女だとは思われたくないわ」
「そりゃまあ、将来の
「……別にそこまでのことをいいたいわけじゃ」
自分の不用意な発言がさらなる誤解を呼んだことに気づいたレディは、背後に立つアンナを振り返る。
「レディはいつも、斗真様のために努力しておいでですわ。カトラリーの使い方も短期間でマスターされました」
そう言ってまるで母かのような優しい微笑みを向けられると、レディは一瞬だけたじろいだ。
「わ、私が恥をかかないためよ、斗真のためじゃないわ」
「あら? そうでしたっけ? ふふ、ハーブティー、斗真様に喜んでもらえるといいですね」
「いや、それはただ、私好みの紅茶ばっかり飲ませたらいけないと思って」
「ふふふ、可愛らしいです」
「違うんだってば……」
◆
十子が帰ったあと、アンナの手でたっぷり美容に時間をかけた――かけさせられた――レディは、部屋に戻ると斗真から先に食事を摂っていて欲しいという旨の連絡を受けた。既に使用人たちには周知されていたようで、それから少し休んだあと食事を摂り、家族用サロンで好みのアッサムティーを飲みながら斗真の帰りを待った。
「アンナ、斗真の帰りに合わせてカモミールを準備しておいて。じっくり蒸らさないとフレッシュは香りが出ないから」
「かしこまりました」
十子のときも本当ならもっと時間をかけたかったのだが、中途半端なものをお出ししてしまったと恥じる。でもせっかくなら摘みたてを飲んでいただきたかったし、それ以前に何もかもが急だった。
紅い水面を眺めながらじっくり考えたレディは、美味しいと言ってくれたのは建前かもしれないと思い至る。
「十子さんに、今度はきちんと乾燥させたハーブティーを飲んでいただくわ。ブレンドするのもいいわね」
「あらまぁ、レディったら案外乗り気ですのね。そうそう来ていただかない方が私達としては気が楽なんですけどね」
「邪険にするようなことを言わないの。目上の方でしょう」
「それはそうなのですが、今の雇い主は斗真様で――」
アンナが言い終わらないうちに、車が玄関の前についた音がした。すぐさま足音やら扉を開ける物音が聞こえたので、斗真が帰ってきたのだと二人は察する。
楠木の案内でサロンに現れた斗真は、髪をかきあげていて、白いタートルネックにグレーのジャケットを羽織っていた。いつもより少しフォーマルなので、仕事の付き合いで食事でもしてきたのだろうか。レディは全く斗真の予定を聞かされないし、自分から聞きもしないので、せいぜい一緒に食事を摂るのか摂らないのか程度の確認をするくらいだった。
「うわ、すごくいい香り」
「でしょう?」
サロンに入ってすぐ、蒸らされたカモミールの香りが室内に広がっていたからか、斗真は気持ちよさそうに鼻から空気を吸い込んだ。
そしてアンナがレディの前に置かれたアッサムティーを回収して準備室に向かうのを横目で見遣って、斗真はレディの向かい側のソファに腰掛ける。
「一人にしててごめんね。ちょっと忙しくて」
「別に一人じゃないわよ? アンナがずっとそばにいるもの」
「それもそうか。仲が良さそうで何よりだよ」
レディとアンナの関係を、仲が良いと称するのが適切かどうか俄には判断できないが、悪くはないんじゃないかしら、と近づいてくるハーブティーの香りに意識を済ませた。
先に斗真の方に透明な茶器が置かれ、続いてレディの前にも置かれた。薄く色づいた香りの強いそれは、一口飲むだけでほっと心を安くさせる。
少し落ち着いたところで、レディが本題を切り出す。
「それでね、今日、十子さんがいらしたの」
「十子……母さんが?」
「そう、それでパーティーに誘われたわ。だから衣装のレンタルをしたいんだけど……その、お願いしてもいいかしら」
満足におねだりをしたことがないレディは、こういう時どういう言葉で頼むのが適切なのかわからない。手探りで伝えたいことを伝えると、斗真は訝しげな顔で眉を寄せた。
ダメだったな、とレディが言い募ろうとすると、斗真が別の切り口から切り返す。
「パーティー? いつのやつ?」
斗真の言葉尻からいくつかパーティーの予定があることに気づいたレディは愕然としつつ、懸命に十子の言葉を思い出す。
「来月の、斗真の会社とえっと提携するパーティー?」
"うちの子会社”と言っていたが、十子が社長をしているのだろうか、それとも旦那様? そもそも斗真と会社が違うの? といまいちよく分かっていないレディは曖昧に言葉を紡ぐ。
「ほら、本社から子会社化する建築事業との――」
レディの言葉足らずをアンナがアシストする。流石アンナは長年この家にいるだけあって、そこら辺の事情にも精通しているらしい。レディは途端に情けなくなって少し俯く。
「ああ、あれか。あー……うーん」
「だめ?」
レディが遠慮がちに聞くと、斗真はそうじゃないんだよ、と微笑む。
「ただ、僕はあまりレディの側にいられなさそうなパーティーだから。ちょっと心配なだけ」
「主役ですものね。壇上にいるときのほうが多いかと」
「そ、そうなの……」
斗真が一緒じゃないと言われると、レディはかなり不安になった。知り合いが全くいない場所で、慣れない空間で、身の振り方がわからない。とりあえず誘ってくれたのは十子なのだから、十子の側にいたら間違いないだろうか。
「えっと、でもほら、十子さんにくっついてることにするから、大丈夫」
「それが一番心配だけど」
斗真の短い言葉は、あまりにも小声だったので、レディにはうまく聞き取れなかった。「えっ?」とレディが聞き直すと、斗真は首を振って返す。
「なんでもないよ。じゃあ当日までに色々準備しないとね、ドレスとか、宝飾品とか。髪型も合わせたほうが良いから――アンナ、このあと少し打ち合わせしよう」
「はい」
「どうして本人じゃなくてアンナなの?」
「本人は遠慮し過ぎてかえってまとまるのに時間がかかりそうだから。開口一番にレンタルとか言い出すくらいだし」
斗真にそう言われると、レディは言い返せなくなって俯く。アンナからほらやっぱりと言わんばかりの視線を向けられて、レディは睨み返した。
「レンタルなんて誰着たかもわからないようなやつ、僕がレディに許すと思う?」
「だってその一回しか着ないのにもったいないわ」
「そんなことはないと思うよ。一度前例がつくと――まあ、それは追々話すとして。今日はハーブティーなんだね。レディにしては珍しいんじゃない? アッサム党でしょ」
斗真は軽く笑ってカップに口をつけた。「うん、美味しい」と微笑むところは、どことなく母の十子に似ている。建前と本音の区別がつかず、レディは食い下がってしまう。
「本当に美味しいって思ってる?」
「え、なんで疑うの? これ乾燥じゃないよね、すごくフレッシュで美味しい。どこから取り寄せたの? 楠木に頼んだ?」
温室にあるものを摘んだだけなのに、斗真にわざわざ取り寄せたと勘ぐられ、レディは思いっきり首を振った。黒髪が勢いで振り乱れる。
「何言ってるの? 温室にあったのよ」
「温室? へぇそうなんだ。入ったことないから知らなかった」
「えぇ、自分の家なのに?」
「興味がなかったからね。まあ、レディに見つけてもらえて、ハーブも幸せだね」
そんなもったいないことってあるのだろうか。温室は個人所有とは思えない広さがあったし、維持管理するためにそれなりの費用がかかってるはずだろうに全く入ったことがないだなんて。それでも斗真は家主なのだろうか、レディは色々と不安になってくる。
「……ハーブティーそのものは好き?」
「好きだよ。レディが選んでくれたものならもっと好き」
斗真は最上級の笑みをレディに向ける。整った顔が繰り出す渾身の笑顔は、レディの仄かな疑心さえ振り払ってしまうような威力があった。
「じゃ、じゃあ明日は別のハーブにするわ。疲れが取れそうな――」
「レモングラスが良いなぁ。あった?」
「あったとは思うけど……」
レディが摘んだ中にはなかった。既に何種類か摘んであるのだから、そこから選んでもらったほうが効率的なのだが、斗真にそう伺われると、レディは断りきれない。「わかったわ」とレディが頷くと斗真は酷く嬉しそうに瞳を歪めていた。
◆◆◆
本当に怖い姑は、怒らない姑だと思うのですよ?
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