第4話 パーティードール①
どこまで続いているのかわからなくなるほど広い大広間にグランドピアノがあった。わたしは、覚えたての曲、渚のアデリーヌを奏でた。何度も指が躓いて恥ずかしかったのをはっきり覚えてる。
どこからともなく男の子が現れて、わたしの下手っぴな演奏に合わせてキレイなバイオリンを奏でてくれた。すごくすごく上手だった。
わたしは、この子が世界で一番大好きだった――
「――夢か」
レディは意識を取り戻して、やがて薄れていく夢の記憶を少しばかり辿った。バイオリンがとても上手な男の子、あれが初恋だった。でもそれ以外なんだかぼんやりで、顔も名前も思い出せない。
「他にも何人かよく遊んだ男の子がいた気がするんだけど、それもダメね。ちっとも思い出せない、歳かしら」
十代の時分で何を言っているのだと周りに怒られそうな独り言をつぶやきながら、レディは天井を見上げた。今日は例のパーティーの前日で、会場となるホテルに前乗りで泊まることになっている。
当日入りでもレディとしては構わなかったのだが、ご婦人には準備が山ほどあるのです、と言って聞かないアンナのためだ。ホテル内で一度衣装合わせをするらしい。髪もそれらしくしてみるとか。――どんな髪型だって別にいいのに。レディは投げやりに息を吐いた。
レディはむくりと身体を起こして、乱れた黒髪を撫で付けた。枕元の時計が早朝八時を告げようとしている。そろそろレディーズメイドのアンナが部屋に入ってくる頃だろう。
案の定数分もしないうちに扉がノックされて、クラシカルスタイルのメイド服に身を包んだアンナが部屋に入ってきた。返事を待たないのは、寝ていても起こすためだという。
アンナはレディが上半身を起こしているのを視認して、にっこり微笑んで窓辺へと向かった。
ちゅちゅ、と可愛らしい声で鳴く金糸雀を後目にカーテンを開けると陽の光がこれでもかと射し込んでくる。室内が俄に明るくなり、白い光がレディの顔を照らした。
「おはようございます、レディ。今朝は斗真様が一緒に食事をしたいと仰って――」
振り返りながらレディの顔をはっきり見たアンナは、時間が止まったように固まってしまった。レディはそれを訝しげに見上げる。
「おはよう? アンナ」
「レディ? 大丈夫ですか?」
心配げな視線はレディの顔へと向けられている。何のことかわからないレディは目を丸くして首を傾げた。
「へ?」
「あの、泣いてらっしゃいます……」
アンナに指摘されレディが自分の頬へと手を当てると、確かに涙のようなものが流れていて、指先に水滴がついた。泣いた自覚はまったくなかったため、慌てて目元をこする。
「えっあっほんとだ……なんで?」
「夢見が悪かったのでしょうか? どこか身体に悪いところでも?」
起こしに来た主人が急に泣いていたらそりゃメイドは心配に思うに決まっている。レディは慌てて涙を拭って声を取り繕った。
「平気。きっと目にゴミが入ったんじゃないかな」
「本当ですか?」
「嘘を言ってどうするの。それより、斗真が朝食一緒に摂るって言ってたの? 時間あるんだ」
「今日は結構余裕があるみたいです。昼の衣装合わせのときにも顔を出すと仰ってました」
「最近忙しそうにしてたから良かった。疲れてないと良いけど」
斗真はここのところずっと忙しくしていて、あまり家にもいなかった。レディが寝てしまってから帰ってくることも多く、会話も殆どなかった。大学院生と社長の二つの顔をもつ彼が、忙しくないわけがないと分かってはいるのだが、同じ家にいるのにこうも会わないとかえって心配だ。
「パーティーが終われば少しは楽になると思いますわ。そうしたらきっとうんと甘えてきますから、うんと甘やかして差し上げてください」
「それはちょっと、どうかしらね……」
「ふふ、早速お着替えしましょう。すっぴんのままもいけませんので、軽くおしろいを振りましょうね」
「おまかせします」
レディはもうすっかりアンナの手に身を任せるのになれてきていて、抵抗することもなくなった。そもそもエステもパックも悪いことではない。――不経済だとは思うけど。他に贅沢をしていないから良しとしよう。
◆
大きなホテルの最上階。ここは専用のカードキーがないと上がることもできない。専用カウンターでチェックインし、ベルボーイが来るまでラウンジでゆっくりシャンパンを味わう。斗真がレディのためにとった部屋は、そんなクラブフロアの一室だった。
今後もしこういうことがあったら、もっと安い部屋をとってもらおう、でないと身分不相応すぎて胃が痛い。レディは何度か体調を崩しそうになりながら、アンナとともにウェルカムドリンクが用意された広い部屋へと入った。
斗真がアンナと打ち合わせして用意したのは、真っ白なロングドレスだった。レディの流れるような黒髪と肌の白さを際立たせるためらしい。肌の露出が少なく清楚なのにも関わらず、ワンショルダーがレディの細い肩や鎖骨をのぞかせ若々しい色香を放つ。
ウエストにジュエリーがあしらわれたサッシュベルトが巻かれていて、切り替えしたスカートは歩くたびに揺れるテールカットのシフォン素材だ。絶妙な透け感がレディの細い足を映す。
「やっぱりレディはスタイルがいいからこのくらいはやらないとダメですよね」
「目立たないわよね?」
派手なカラードレスじゃなくてよかった。真っ赤なものでも選ばれたら目立ちすぎて息さえできなくなりそうだ。レディは白と黒のカラーリングにホッと胸をなでおろした。
「もっと目立ってもいいくらいです! でも悪目立ちは下品なだけですもの。やっぱりここは上品な白でしょう! 髪はどうですか?」
レディの真っ直ぐな黒髪は立体的にまとめられてシルバーの花飾りが控えめに華を添えていた。特に動きづらいということはないので、「悪くないわ」と応える。
「ヒールが少し高いんですけど、頑張って歩いてくださいね」
パーティーパンプスは、透明なソールの中にオレンジのバラが閉じこられていて、ロングドレスの裾からちらちら見えるたび華やかで可愛らしい。しかし、ほとんどドレスに隠れてしまうのでわかりにくいが十センチを超えるヒールの高さだった。レディは数歩、歩いて確かめる。
「このくらいなら大丈夫」
レディは水商売のときもかなり高いヒールを履いていたので、パーティー会場の中を歩く分には特に問題はない。長時間立っていようとは思わないが転んだり靴ずれを起こすほどではない。しかし――
「ねぇ、アンナも来ない?」
「メイド服で会場を歩けと?」
「……そうよね……。今更ながら胃が痛くって。私大丈夫かしら……」
そういって頬に両手を当てるレディは、初めてのパーティーに期待よりも不安のほうが勝っている。斗真が来るまで少し休もうかと大きなソファに腰掛けると、アンナが素早く動いてお茶を用意してくれた。
レディの前に置かれたのは、コーヒーでも緑茶でもなく、真っ赤な紅茶だった。ホテルに備え付けて紅茶が置いてあるのだろうか、レディは訝しげにティーカップを受け取って唇を寄せた。
「……あれ? いつものアッサム」
「はい。レディが少しでも落ち着いていられるように、茶葉を持参してきました」
「そんなことまで?」
「私はレディーズメイドですから」
「ありがとう、嬉しい……うん、美味しい」
アンナの繊細な気遣いにレディが思わず微笑むと、アンナも釣られて笑った。
レディは慣れないと言いながらも一生懸命頑張ろうとしている。テーブルマナーもしっかり頭に叩き入れ、家令の楠木を捕まえるたびに白鳥家の人間として恥ずかしくない身の振り方についてレクチャーを受けていた。
当人は斗真のためではないというだろうが、本当にそうなら胃が痛い思いをしてまでパーティーに出る必要はまったくない。アンナは意地っ張りなのに一生懸命なレディが、手のかかる妹のようで可愛くて仕方がなかった。
暫くレディとアンナが談笑をしていると、三十分ほど経ってから斗真が到着した。
白いタートルネックにグレーのジャケットを合わせ、ビジネススタイルで登場した斗真は、遅れてしまって申し訳無いと言いたげな顔で部屋に入ってきて、レディを見るなり言葉を失った。
「――」
口を手で抑えたまま何も発さないので、レディが立ち上がって斗真に歩み寄った。しかしある程度近づいてもやはり何も言ってくれないので、もっと近づこうと一歩踏み出すと、斗真が一歩下がった。
「……えっ何、似合ってない? 不満?」
レディが不安になって問いかけると、斗真が思いっきり首を振る。
「逆逆、似合いすぎてびっくりしたの。絶対レディならきれいに着こなしてくれると思ったけど、想像以上だ」
「な、なんだ、やだ。もう自分が変なのかと思ったわ。驚かせないで」
「驚いたのは僕の方だけどね。ほんと、びっくりした……入るとこ間違えたかなと」
「ちょっと、大袈裟よ」
斗真なら少しも動じずに、歯の浮くような褒め言葉をつらつら言ってきても良さそうなところにそんな反応をされたら、本気で驚かれてる気がして、レディのほうが照れくさい。
そしてその含羞を斗真が見抜き、殊更に暴きたてることが予想できてしまったので、レディは紅花のように染まった頬を、風に煽られた花のようにそっぽを向いて隠した。
「可愛いなぁ、本当にかわいい」
「なによ、なんなのよ」
「ほっぺ真っ赤」
斗真がそっぽを向いてしまった愛しい存在を後ろから抱きしめた次の瞬間、その向こうで線香花火のようにチリチリと光る視線に気づいて動きを止めた。
「目の前に私がいるんです。お忘れですか?」
「ああごめん」
「そうよ、ひっつかないでっ」
レディが腕の中で小さな抵抗を示したので、斗真は大人しく離れて、ヘアスタイルを乱さない程度にレディの髪を撫でた。
「あまりにもレディが可愛くて」
「そうですか。少なくとも邪魔者がはける時間を下さると助かります」
「アンナは邪魔じゃないわ!」
「うん、気をつける」
「ねぇ聞いて」
当事者の意思を無視して淡々と続けられる主従の会話にレディが辟易しはじめた頃、斗真がはた、と何かに気づいた顔をしたかと思うと、懐から招待状を取り出してレディに渡した。
「母さんが明日部屋まで迎えに来るって言ってたよ」
「十子さんが?」
「いらないって言ったんだけどね……」
斗真がどうして苦虫を噛み潰したような顔をしなくてはいけないのか、いまいちレディには分からなかった。十子の申し出は、レディを誘った張本人としての最大限の気遣いに思えた。
「きっと、私が不慣れだと思って気遣ってくださったのよ。お言葉に甘えましょう」
「レディ? 無理に母さんに媚びなくったっていいんだからね。レディらしくしていてくれればそれでいい。僕はレディに無理をさせたくて後見してるわけじゃないんだから」
レディの肩を力強く掴み、言葉をまくし立てる斗真に対し、そんなに気遣い過ぎているように見えたかとぼんやり自分の言動を振り返ったレディは、首を横に振って応える。
「斗真が心配性なのはよくわかったわ。でも大丈夫よ」
そう言って微笑むレディに、斗真は愛想を向けたものの、その奥でどうしても拭えない不安を感じていた。
◆
衣装合わせの後、またすぐに仕事に出かけた斗真と、夕飯はホテルの中のレストランで摂った。
部屋まで見送ってもらった後、アンナと雑談しながら紅茶を飲んで、少し遅めの時間にレディはベッドに入った。
ベッドルームはツインになっていたので、レディは窓側に、アンナはドア側のベッドを使うことになった。
「ツインでよかったわ。アンナをソファに寝せなくて済んだものね。私と一緒のベッドだと、私寝相悪いし」
「そうですか? あまり寝乱れる印象は受けませんでしたが」
毎朝比較的ベッドに乱れがないまま起床するレディを思い出し、アンナはベッドサイドに置かれた室内灯用のリモコンを手に取る。
アンナの操作によって、手元が見える程度に室内を暗くなると、不安げな顔をしたレディが、隣のベッドで今にも横になろうとするアンナに声をかけた。
「……ねぇアンナ。私、ちゃんとやれてる? 存在が迷惑だろうから、いまいち自己採点ができなくて困ってるの」
「まあ、迷惑だなんて。後見は斗真様からの申し出だと伺いました」
「でも、私の生活の困窮を見かねているのは事実なのよ」
どうやら生活の一切を斗真に頼っていることを気に病んでいるらしいレディに、アンナは当たり前だろうという視線を向ける。
「ご身内を全て失った女子高生が、生活に困らない方がどうかと思います。犯罪に手を染めるよりマシですよ」
援助交際やらパパ活やら、世の中にはいくらでも堕ちていける場所がある。そんなやり方で経済的に自立するより、身元のしっかりした人間にきちんと法的手続きを踏んだ上で後見されている方が、社会的にどれほどマシかわからない。
斗真に打算がないわけではないだろうが、恋愛感情を抜きにしても、大人として困った子供に手を差し伸べるべきだと思っているに違いない。
アンナはそんな思考の全てを述べはしなかったが、レディが遠慮する必要はないと、態度と声色で示した。
気遣いに気づいたレディは、情け無さげに笑った後、そういえばアンナも似たような境遇だったと思い起こす。
「アンナは、孤児だったのよね? どうして斗真の使用人になったの?」
「白鳥家は当時今より多くの使用人を雇っていました。使用人として孤児院から子供引き取ることも多く、私もその一人でした。もうだいぶ長く斗真様にお仕えしてます」
アンナの抑揚のない声に、レディはへぇ、と頷いた。親に捨てられたアンナは孤児院で育ち、白鳥家に使用人として引き取られた。それからずっと働いているのなら実質斗真の幼馴染ということだ。
「それだけ長くいて、アンナは斗真を好きになったことないの?」
「貴女にそれを聞かれると複雑ですが……浮いた話に事欠かず、時たま門の前で女性が泣いてることもあるような方でしたから」
「げ、家の前でって……本当に?」
そんなこと現実にあるのだろうかと、全く想像できずにレディは口を抑えた。
「ええ事実ですね」
「そういえば、前に女性関係酷かったって本人が言ってた」
「もちろんそれも事実ですが」
アンナはそう言葉を切って、レディを真っ直ぐ見つめた。
「主人の名誉のためにあえて弁明しますと、"女の方も女の方"でしたから、一方的に斗真様が悪いわけではありません」
そう淡々と述べた後、良いかと問われれば悪いんですけど、とアンナは小声で続けた。その明け透けな言葉に、レディは吹き出すように笑う。
「うん、そんな感じはする。斗真は優しいもの。きっとたくさんの女の子が夢中になって、思い破れたんでしょうね」
「……レディが思っているほど、人間は良い生き物ではありませんよ」
斗真自身も、その周りの女性も、レディの穏やかな言葉で表現しきれるほど無垢ではなかっただろうとアンナは思う。正確には、無垢ではいられなかった。大人になるということは、汚れるということだ。
「え?」
素っ頓狂な声で聞き返すレディに対し、どんなに大人びて見えてもまだ未成年に違いないことをアンナは思い出した。今はまだ、大人の汚さなどわからなくても良い。
「レディくらい若ければもっと夢見がちでも良いくらいです。さあ早く寝ましょう。明日はゆっくり起きても構いませんが、早起きすると朝食ビュッフェが待ってますよ」
「え、あ、うん。楽しみね……」
◆
次の日いつもより長く惰眠を貪っていたレディを叩き起こしたのは、既にメイド服に着替えたアンナの声だった。
寝ぼけた頭で、ゆっくり起きてもいいって言ったくせに、と苦言を抱いていると、慌てた様子のアンナは「十子様がいらっしゃって」ともごもご言いながらレディの着替えを用意した。
「十子さんって夕方迎えに来る……え、今来たの?」
「はいっ、早くお召し替えなさってください!」
「なんでこんな早く……!」
化粧は諦めても、寝乱れたままの髪は良くない。レディは慌ててブラウスとスカートの格好になって、ブラシで髪を梳かした。
脱ぎ散らかした寝間着の片付けはアンナに任せて、レディがドアを開けると、レディーズメイドに大きな荷物を持たせた十子が、華やかな着物を着こなして笑って待っていた。
「お会いしたかったわ! まりあさん」
「私もです、十子さん。どうしたんですか? 予定よりかなり早――」
まだ用意ができてないことをやんわり伝えようとすると、十子は目を大きく開き、大仰なそぶりでレディに近づくと、両手で手を握った。
「もっと早く別邸に行きたかったんですよ! でも主人が忙しいもので、本邸を空けられませんでした」
「十子さ」
「ねぇまりあさん。今日のドレスは決まっていらして? わたくし、用意してまいりましたの」
十子の言葉に合わせ、後ろに控えていた十子のレディーズメイドが動く。肩に掛けていたドレスバッグの折り畳みを広げ、その場に掲げてみせた。
薄いピンクのドレスはスカートがミモレ丈で前より後ろが長い形になっている。肩口はぱっくり開いていて、斗真が用意したドレスよりも露出度が高い。
レディが呆然とそれを見つめていると、十子は手を握ったまま捲し立てる。
「素敵でしょう? 懇意のデザイナーに作らせた、オートクチュールですわ。小物類や宝飾品も全部揃えてまいりました」
十子のレディーズメイドは、ドレスバッグをまた折り畳むと、今度は手提げで持っていたジュエリーボックスを開けた。キラキラと大振りな宝石が目立つ。
レディはそれらに面食らい、口をあんぐり開けて数秒放心してから、ハッと我に返って首を振った。
「そ、そんな高価なものお借りできません」
「まあそう言わないで。あなたに合わせて作らせたものですから、わたくしじゃどうせ着れませんの」
そうは言ってもレディには既に着ていく予定のドレスやアクセサリーがある。結婚式のお色直しじゃあるまいし、一度のパーティーで二着は着れない。
「でも、私は斗真さんに用意していただいたドレスが」
「あら、斗真は男ですもの。女の世界のことはわからないもの。失礼があったらいけませんよ」
十子は言葉こそ穏やかだったが、その声には有無を言わせない力があった。意地でも十子の用意したドレスを着てほしいと言わんばかりの迫力に、レディがたじろぎ一歩室内の方へと下がる。
レディのドアを支える手の力が緩み、慣性で閉まろうとするのを、十子が力強く抑えた。
「あの、十子さん。私はやっぱり」
「息子には私から言っておきますから」
これ以上の口答えは許さないと言いたげな強い視線に、レディはヒュッと喉が閉まるのを感じた。怖い、この人が怖い。
「……あの、ごめんなさい。でも私」
「大丈夫よ、まりあさん」
震えるレディの頬に、十子が優しく触れる。指先がいやに冷たい。
「斗真に私から言えば怒ったりしないわ。あの子が用意したドレスはまた次の機会に着ればいいだけ。今回はわたくしの顔を立てると思って……ね?」
耳元で囁かれた十子の言葉に、レディは抗う言葉を知らなかった。
十子はまた夕方迎えに来ることを告げて、衣装一式を置いて去って行った。
レディは、十子に対する恐怖心でまだ震える肩を抑えソファに深く腰掛けた。
アンナはそんなレディの前に淹れたての紅茶を置くと、悲しそうな顔でレディの表情を伺った。
「これでいいんですか? レディ」
「仕方ないわ……。予定したドレスと変わるから、髪型だけ、うまくやってくれる?」
「かしこまりましたわ。十子様に逆らったら、一緒に行くレディがお辛いことになりますものね」
「ごめんね。衣装合わせまでしてくれたのに」
「私はいいんです。でもとっても残念ですわ……」
――私だって、残念だ。
レディは振り返って壁に掛けられた白いドレスを見遣った。清楚さを全面に押し出されたロングドレス。斗真がレディに似合うと思って用意したもの。せっかく買ったのに着ないなんてもったいない、というよりも、衣装合わせのときの驚いた様子や、その気持ちのほうが深く、レディにのしかかってくる。
でも十子は自分から斗真に伝えておくと言っていた。ならばレディに出来ることはなにもない。そもそも誘ってくれたのは十子で、今日基本的に一緒に過ごすのも十子なのだから、仕方ない。――これはもう、仕方ない。
そう言い聞かせながら、レディは情けなくこうべを垂れるしかなかった。
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