第1話 レディーズメイド①
世間の女子というのは、生まれがどうであろうと、歳がいくつであろうと、お姫様になりたいと思っている――らしい。
とはいえ、中世のヨーロッパならいざしらず、現代の、ましてやちょんまげの国日本において、お姫様になれるのは、皇室くらいだろうか。
一般人ならば一部のサークル的なものを除いて、ほぼ皆無である。
ならばお姫様気分くらいは味わいたい、少しでも良家に生まれたいと思うもの。
たくさんの使用人と暮らして蝶よ花よと可愛がられたい。一時間に一回着替えられるほどのお洋服や、大ぶりの宝石を埋め込まれたアクセサリーを身に着け、夜な夜な上流階級の人間が集まるパーティーに繰り出したい。――などという潜在的な欲求が、一般的な女性には備わっているらしい。
そして、そんな上流階級の仲間入りを果たす少女がここにも一人。
本名を聖園まりあ、通称レディと呼ばれるその少女は、誕生日に最後の身内だった祖父を失い天涯孤独の身になった。そして紆余曲折はあったものの、御曹司である白鳥斗真の申し出で、この屋敷に引き取られることになった。上流階級の仲間入りである。
しかし残念ながら、これまで慎ましやかに生きてきた弱冠十八歳にしてみれば、あまりにも異次元すぎた。目眩を引き起こそうになるほどに。
「広い広いとは思っていたけど……」
広さだけではなく、廊下に似たような扉がならんでしまうこの屋敷では、どうも方向感覚がつかめない。
それにこれまでは意識して歩いていなかったのと、斗真か佐々木が完璧にエスコートしてくれていたので、屋敷の構造を把握していなくても何も問題はなかった。
「どっちだろ……うーんと」
レディは迷っていた。物理的に迷っていた。右左どちらに行ったら先程までいたダイニングにたどり着けるのだろうか。
先日、家庭裁判所から正式に後見人を指定されたレディは、滞在していたホテルからチェックアウトして、被後見人として初めて白鳥家に足を踏み入れた。これに合わせ、斗真が屋敷の案内を買って出てくれたのは良かったが――
「迷っちゃったわね。お手洗いに行きたかっただけなんだけどな……」
エントランスホールからダイニングの前まで案内されたところで尿意を催した。斗真に言うとトイレまでの道筋を教えてくれたのだが、行きは良くとも帰り方がわからなくなってしまった。
気がついたら絶対に通ったことのない壁画だらけの長い廊下に来ていた。
進退窮まったレディは、致し方ないのでスマートフォンを取り出して斗真に電話をかけた。同じ屋内にいて電話で連絡を取り合わなくてはいけないのは、ショッピングモールではぐれたときだけだと思っていたのだが、これからここが自分の家になると思うと、前途多難である。
「もしもし斗真?」
コールが二回もならない内に通話状態になったスマートフォンを耳に当て、柱に凭れながらレディがつぶやくと、受話器の向こうからくすくすと笑う爽やかな青年の声が聞こえる。
『もしかして迷っちゃった?』
「ご名答」
『広いからね、やっぱついていけばよかったな』
女性のお手洗いについていくのを躊躇った紳士的な気遣いが、裏目に出てしまったのだろう。
『今いるところに窓ある? 何が見える?』
南側以外の廊下には窓がついている。レディは大きな窓から下を見た。するとエントランスホールの真上なのか、玄関を出てすぐに設置されている噴水が見えた。
「噴水が見えるわ。ここエントランスの真上かしら、壁画がある長い廊下」
現在地がわかっても、目的地の方角がわからないレディは、そう伝えて指示を待った。
『ロングギャラリーだね。迎えに行くからそのままそこにいて』
「わかった」
そういってレディは電話を切ると、深いため息を付いた。――こんな大きな家が今日から私の家、まずは方角を把握しなくちゃ、一人でお茶も用意できないわ。
そんな事を考えながら高い天井を支える白い柱と一体になっていると、五分もしない内に斗真が迎えに来た。
家の中なのにもかかわらず、五分もかかってしまう広さを嘆くべきか、思ったより遠くには歩いてなかったのねと、自分を慰めるべきか。不毛な葛藤をしながら、レディは斗真のエスコートに従って元いた場所に戻った。
◆
「さっきも説明したけど、ここがダイニングね」
ダイニングとはこういう規模だったかしら、と首をかしげるレディの眼前に広がる部屋は、やたら長いテーブルが目立つ。片側に椅子が六脚ずつと、奥と手前に一脚ずつ、計十四名が座って食事できるスペースになっている。
テーブルクロスは、爪を引っ掛けたら取り替えなくてはいけないのではないかと不安になるほど、透き通った薄いレース。その上には上品な花のアレンジメントが飾られている。
まさにヨーロッパの貴族の晩餐のような佇まいである。レディは椅子に触れ、背もたれの上質なクッション素材を押しながら首を傾げた。
「斗真は毎日ここでごはん食べてるの?」
暗に引いていることを匂わせてレディが斗真を見遣れば、斗真の方は肩を竦めて返す。
「今はあまり使ってないよ。両親がいたときはここだったけど」
「ご両親……そういえばお会いしてないわ。ご挨拶――」
「もうこの家にはいないよ。本邸……別の家にね、引っ越したんだ」
ご挨拶しなきゃ、と言いかけたレディの言葉を遮るように斗真が伏し目がちな表情で呟いた。
「えっじゃあ一人なの?」
「うん」
レディは素直に驚いていた。それではこのやたら広い家に斗真は実質一人暮らし。不経済と言うかもったいないと言うか――レディは筆舌にし尽くしがたい顔を作った。
「両親がここを出てから、基本僕は部屋で食事を摂ってたけど……でもこれからはレディと食べるから、こっちでもいいのかも」
ではここを使うということだろうか。もういっそこれまでそうだったなら、私の食事も部屋でいいのに、という言葉が喉まででかかってレディは思いとどまった。これも斗真なりの思いやりかもしれないからだ。見上げる形で斗真の表情を伺う。
「まあダイニングってご飯食べるスペースだものね。広すぎるけど……二人しかいないけど、まあでも正しい使い方よ」
「うん、レディがそう思ってくれるなら嬉しいよ」
「――やっぱり」
「ん? なに?」
「なんでもない」
とりあえず出かけた言葉を押し殺して正解だったようだ。郷に入っては郷に従えというから、なるべく斗真が目指す生活に慣れなくては。
気が付かない内にわがままを言っていた、なんてことにはしたくない。笑顔で受け入れてしまいそうな人だからなおさら。レディは身が引き締まる思いで、斗真のあとをついていく。
「さっき案内したお手洗いは、ゲスト用なんだ。とはいっても客室にそれぞれバスとトイレが付いているから、わざわざ外に出なくても良いんだけど」
「……なるほど?」
「キッチンはあの扉」
斗真が指さしたのは、ダイニングを一旦出て、右に曲がってすぐ。しかし繋がってはいない。そんな離れたところにあるキッチンからわざわざこの広いダイニングに食事を運ぶのか、一体誰が? レディの脳に単純な疑問がよぎる。
「ご飯って私が作るべきよね?」
「使用人が作るよ? 常駐のシェフがいる」
さもありなんと言った様子で答える斗真に、レディは思わず呼吸が止まった。
「うっ……」
「大丈夫?」
「当然みたいな顔して言うから、なんか怖かっただけ。本当に同じ日本人? 斗真って実はヨーロッパの貴族だったりしないの?」
屋敷がお城のような洋館なのでその印象につられてレディが言うと、斗真はそう見える? と苦笑いを浮かべた。
斗真は確かに浮世離れした美貌を持っているが、外国人顔かというと決してそうではない。
しかし自分の生まれについて、顎に手を当てて考え始めた斗真はやはりどこか上品で、この部屋の豪華な内装に浮くこともない。だからなんとなく、貴族ではないかと勘ぐってしまうのだ。
「んー僕に海外の血はなかったと思うけど母方に混じってたらあるかなぁ」
「そういうことじゃないの」
「ふふ、うんいや、わかってるよ言いたいことは。うちはただ古い家なだけ」
「……それも焦点がずれてる気がする……」
わざと会話を噛み合わせていないのか、斗真は意味深に微笑んだままレディが欲しがる問の答えを与えてはくれない。
「次行こうか」
「ええ……あれ、エントランスホールから階段登ったから、ここ二階よね? 一階って何があるの?」
「一階は応接室がメインなんだ、東西二部屋ずつあって全部で四部屋ある」
斗真はそう言うとダイニングを出て、玄関ホールの方へと向かう。レディはその隣を歩く。
「四つも?」
「相手の性別とかビジネスかプライベートか、とかで使い分けてたらしい」
"らしい"ということは斗真自身がそうしているわけではないようだ。確かにこのお屋敷はレディが幼いころからあるので斗真が建てた家ではないのだろうが、どことなく他人行儀というか自分の物として振る舞っていない感覚を抱く。
考え過ぎかしら、とレディはそれ以上邪推するのをやめ、玄関ホールに続く階段を下りながらふと思い出す。右に行けば確か――
「私がはじめてきた時に通された部屋が応接室なのね。なんで一般人の自宅に……は、余計なことだろうから聞かないわ」
「はは」
「えーっと、玄関から階段上がって左、右の一番奥にダイニング、キッチンはダイニングを出て右に曲がってすぐで、トイレは――」
これまで案内された場所を順番にレディが指差し確認する。
「ふふ、あ、一階の両階段の向こう側が大広間になっていて、ピアノとか置いてあるんだ。ちょっとした防音になってたはず。中庭に通じるのも大広間だね」
「あんなに大きな外庭があるのに、中庭なんてあるのね……」
「そこもとりあえず案内するよ」
斗真はレディの前を歩いて両階段の後ろ側にある重厚な両開きの扉を開ける。広がっているのは、どこかの宮城かと言いたくなるロココ調の豪華な装飾が施された内装が目立つ大広間だ。ダンスホールと言っても過言ではない。大きなグランドピアノさえ無理なく配置されたその空間の奥にバルコニーが見える。
どうやらそこから中庭に通じているらしい。レディはゆっくりバルコニーへと向かった。
中庭は小さなバラ園で、迷路のような作りになっている。そしてぐるりと取り囲むように建物が見えることから、この屋敷の中心が中庭で、天井まで吹き抜けていることがわかる。見上げれば上の階のバルコニーが見えるので、客室から見れる造りになっているのだろう。
レディは怖気づきながら薔薇園へと歩み寄った。まだほとんど蕾で、しかしたっぷり赤く膨らんでいる。もう少し経ったら素晴らしい色と香りで魅了してくれるだろう。レディがほんの少しそれを楽しみに感じていると、背後から斗真の声が響いた。
「父がいたときはホームパーティもあったんだけど、僕が一人になってからはやってないんだ。使用人が疲れちゃうしね」
このくらい大きい屋敷で開催されるパーティは、もはやホームパーティと言うよりホテルのパーティに近い規模だ。使用人どころか家主の方がつかれる。それにこんなに広いと初めて来た客人は確実に迷うだろう、私なら百パーセント迷うわ、とレディは確信めいた息を吐く。
「それでいいと思う。お父様は何をなさってる方なの?」
「資産家兼投資家兼企業家……会長と呼ぶ人もいる。会社は多角経営なんだけど、今の主な事業は医療機器開発だったり、生物研究だったりかな、僕の会社がITだから関連する事業の時は手伝ったりも」
「へぇ……クラクラしちゃうわね」
「でも、父と僕はもう生計が別だし、僕には父ほどの財産はないよ。ごめんね。甲斐性なしで」
レディは決して喜ばしいという意味でクラクラしていたわけではないのだが、誤解した斗真が申し訳無さそうな顔を作った。
斗真の財力でさえレディからしてみれば雲の上のような気がするのだが、それより上と言われたらもう全く想像がつかない。
「……まだ、想像ができる財力でよかったと思ってるくらいよ……」
「そう?」
「ね、使用人……さんって何人くらいいるの?」
使用人というからにはずっと屋敷にいるのだろうし、これから仲良くしてもらわなくてはいけないレディの交流相手だろう。燕尾服を着た男性や、メイド姿の給仕の女性には何度か会ったことはあるが、ほとんど会話を交わしたことはない。
「あー今何人だっけな。住み込みじゃない庭師とかまで入れると十ニ、三人くらいじゃなかったかな?」
「じゅう……?」
「それでも全盛期よりは減ったんだけど、まぁこれだけ大きい家だからね。掃除とかも雇っている使用人がやってくれる。広くて掃除が大変そうとか思ったでしょ」
レディはやらなくても大丈夫だからね、と気づかう斗真をよそに、それ以前の問題で口があいたままのレディは咳払い一つでそれを隠した。
「……か、家事は全部任せていいってこと? お洗濯とかも?」
「通いのクリーニング屋がいるから、頼めばいいよ」
「普段着までクリーニングに出すの? 不経済よ!」
「そう来るとは思わなかった。はは、まあ少しずつ慣れて」
「う……そうね、慣れる……頑張るわ」
レディは、斗真に"慣れて"と言われてしまうと、この家ではそれが当たり前なのだから自分もそれに迎合すべきなのだろうと焦る。洗濯物なんて、いっそ自分で洗ってしまいたいくらいだが、洗濯機の場所がどこにあるかもわからない。
そもそもないのかもしれないわ、とレディは首を横に振った。外庭に洗濯物を干すような場所は見受けられなかったからだ。
「一階はあと使用人の部屋だけなんだ。二階を案内するね」
住み込みだから働いてる人にも部屋があるのかとまた一つ驚く。何もかも今まで自分がいた環境と違うことに、レディは深い溜め息をつきながら中庭をあとにし、二階へと向かった。
二階の東西は二部屋ずつ全く同じ作りの広いゲストルームがある。
ここまで広い建物でゲストルームが合わせて四部屋しかないことを意外に思ってレディが斗真に聞くと、敷地内の別な建物がゲストハウスとして備わっているらしい。よりプライベートな友人を泊まらせるときに本館を案内するとのことだった。
南側が主人一家の住まいという扱いなのか、寝室がずらりと並ぶ。他にも和室、書斎は、扉一枚隔てて図書室も完備されている。
この南側はまだレディにとって見覚えがあった。何度か訪れているからだ。斗真の部屋に入ったのは一度きりだが、書斎には何度か出入りしたし、誰も使っていない和室に一時的にレディの荷物を置いたので、和室にも入ったことがある。この家で唯一の和室らしい。明確な茶室という扱いではないが点前座などの設備も揃っていた。
レディはぐるりと回廊になっている廊下を歩きながら何となくの方向感覚を把握していく。この後自分で散歩した方がいいな、誰かに付き合ってもらえると不安が無くていいのにな、などと思いつつ、一度だけ足を踏み入れたことのある扉の前に斗真が立ち止まった。
「ここが僕の部屋。一度入ったことがあるよね」
斗真は扉を開けて中を確認させた。レディが倒れて運ばれた時と寸分たがわぬ様子の部屋。レディの荷物は既にこちらに運ばれているのかと思ったがそうではないようだ。首を傾げつつ中をじっと見ると、奥に扉が見えた。そういえば前回来た時も扉がもう一つあると思ったが聞いていなかった。
「部屋の奥に扉があるわね、あれは何? クローゼット……はそっちよね?」
レディは奥の扉を示したあと、手前のクローゼットと思しき扉を指差す。
「ああ洗面所に通じる扉だよ。バスとトイレがついてるから」
「ゲストルームもそういってたけど、家主の寝室もそうなのね……」
「食事を持ってきてもらって部屋から一度も出ない日もあるよ」
レディはへぇ、と頷きながら、斗真の部屋の扉を閉める。ここに荷物が無いという事は変わらず和室にあるのだろうか、取りに行こう。
場所がまだいまいちわからないので斗真に左だっけ、と聞こうとしたところで、斗真は自分の部屋の真向かいの扉を指さした。
「で、向かい側がレディの部屋ね」
「ふぇ?」
レディから素っ頓狂な声が漏れた。ぽかんと口を開けて首を傾げてる。被後見人とはいえ居候、それに斗真に恋愛感情があることもわかっていたから、当然同室になると思っていた。
「ん?」
斗真はレディが何に驚いているのか分からない様子でこちらも首を傾げている。
「あの、わ、私用に部屋があるの? 私てっきり斗真と同室とばかり――」
「ああ、その方が良かった? 今からでもそうしようか?」
斗真が嬉しそうにレディの手を握る。その満面の笑みに気圧されそうになって、レディは慌てて手を振りほどいた。
「このままがいいわ! プライバシーは大事よね!」
自分から何言ってるんだ私は、とレディは顔が熱くて仕方がない。両頬を手で包み込む。
斗真は余裕の表情を崩さずにレディの頭をポンポンと撫でた。
「君は女性だから、後見人として一定の配慮をしたつもりだったんだけど」
「ありがとう、見直した! ほんっと斗真って素敵な紳士ねっ」
「わざとらしいなぁ」
「うるさい」
レディの懸命な照れ隠しに斗真はふふふと笑いながら、レディの部屋の扉の前に立つ。
「レディの部屋も同じようにバスとトイレがついてる。レディがホテルに滞在してた間に一通り必要そうなものは揃えさせたけど、足りなかったり何か欲しいものがあったら部屋についてるベルを鳴らして。家令の楠木が飛んでくる」
「かれい?」
「執事ってことだよ。それと慣れるまでは何かと不安だろうから、お世話係をつけるね。アンナ! でておいで」
斗真の呼びかけに応じて、レディの部屋の扉が開いた。中から出てきたのはこげ茶色の髪をシニヨンでまとめ、クラシカルスタイルのメイド服を着こなした女性だった。斗真と同じくらいの年齢だろうかとレディは推察する。
「はじめまして、この度
「お世話係……えっいいわよそんなの、私なんかにつけなくてもっ」
人件費がもったいないとレディが両手を前にして首をぶんぶん横に振っていると、斗真が深い笑みを作ってレディの肩を抱いた。
「僕じゃ仕事や研究の間は見てあげられないし、男の僕より女性の方が理解できることもあるだろ? それにまた迷ったらどうするの?」
「そ、それはでも、一日二日頑張れば覚えられると思うわ。それに私、自分のことは自分で」
自分を世話するメイドさんだなんて分不相応すぎておかしくなりそうだ。必要ない事をアピールするため、レディが言い募ろうとすると、アンナが恭しく頭を下げて、にんまり口角を上げた。
「そうでしょうか? ついこないだ倒れられたばかりの方をお一人にするなんて、私はとても不安です」
「ぐっ」
正論を言われ、レディは言い返せなくなった。その件についてはもう解決しているのだが、人から見れば心配なものだ。またいつ栄養失調で倒れるか分からない。
「痛いところをついてくるお姉さんね……」
レディが苦虫を嚙み潰したような顔をしていると、アンナは顔を上げて優しく微笑む。
「失礼しました。でもお話を伺っていたよりずっとお元気そうで――お仕えし甲斐がありそうです」
「じゃじゃ馬って言いたいんですよねそれ?」
だいぶ遠回しな嫌味なのか、はっきり皮肉を述べられているのか。初対面でのまさかの失礼に、レディの頬がひきつった。このアンナという女性、どことなく佐々木に近いものがあるかも知れない。
「アンナ、彼女は僕の大切な人なんだからいじめちゃダメだよ」
「もちろんです。お任せください。斗真様の目を飽きさせないよう、努力します」
「お。それはとても楽しみかも」
「目? 飽きさせない? 何の努力の話?」
何の"目"の話をしているのか分からず、まさに目を点にさせるレディをよそに、斗真とアンナの間では目配せまでなされた上で、何かが通じ合ったようだ。
「ふふ、秘密」
斗真は人差し指を唇の前に寄せて悪戯っぽく笑う。レディをからかう時の斗真はいつも楽しそうだ。
「む……あそうだ、アンナ、さん?」
「アンナで結構ですよ、敬語もおやめになってください」
アンナは柔らかな笑顔で淑女の礼をする。見慣れない仕草にレディは、焦りそうになる内心を隠そうと、咳払いを一つした。
ちょうど、斗真に対してタメ口なのに、使い分けるが面倒だと思っていたところだ。お言葉に甘えさせてもらう。
「私の荷物、和室で散らかしてたと思うんだけど、良ければ片付けを手伝ってほしいの」
こちらに運んでくることも含め、一人でやるのは少しばかり大変なので、手伝ってもらおうとアンナの方へ一歩前に出れば、アンナはけろっとした顔をして何度か瞬きを繰り返した。
「お嬢様のお荷物でしたら、今しがた片付け終わりましたわ」
「え?」
レディの荷物など服と化粧品くらいなものだが、アンナが先んじて片づけてしまったらしい。
レディーズメイドとは身の回りの世話全てをするという事だろうかと、流石にたじろぐ。
自分のモノを勝手に片づけられるというのは、正直レディにとっては、少し気持ちが悪い。だがこれも、この家ではなんてことない常識なのかもしれない。
「郷に入っては郷に従えだもの」
レディはぽそっと誰にも気づかないくらい小さな声で自分自身に言い聞かせた。
「何かおっしゃいましたか?」
「なんでもないわ。片づけてくれてありがとうございます。えーっと……じゃあ私はとりあえずアンナに、どこに何があるかを教えてもらえばいいのね」
にっこり笑って頼りにしますね、と愛想を向けると、アンナは不思議そうな顔でレディを見つめる。
「は……い? でも私はずっと一緒にいますから、お嬢様が欲しい時におっしゃっていただければ」
またもや当然のごとく返され、レディはうっと息が詰まる。今は良いが、後でお嬢様呼びはやめてもらわないと、胃が痛くて仕方がない。
まずは――レディは懸命にセレブな女性を思い浮かべた。自分で物は取らない、欲しいものを自分付きの使用人に取ってくださる? と優雅に聞く――向かない。何でも自分でこなしてしまうレディには、まったく向いていない生活だ。
「……確認だけど、ずっとって、朝起きてから寝るまで?」
「ええ、ずっとです。三六五日そばでお世話します」
「そういうものなの?」
「はい。かつて斗真様のお母様にもレディーズメイドはついて、身の回りのお世話をしておりましたし、過去のご婦人方にも呼び方は違えど必ず使用人がつきました。白鳥家の格式です」
当然としてそう言われてしまえば、レディには何も言い返せなくなる。憮然とした顔で、レディは隣の斗真を見遣った。
助け舟を求めたかったわけではないが、やはり私とは全然違う次元に生きてるのね、という嫌味と皮肉を込めた視線だ。
斗真が気づく前にさらっと切り上げて、レディはげんなりしつつ、
「……そういうものなら、まあ」
顔を引きつらせながら、しきたりを受け入れることにした。
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