エピローグ 首輪つき
――晴れ渡る春の吉日。レディの少ない荷物は佐々木によって白鳥家に運ばれた。
蘭については、流石に三日学校を休ませる訳には行かないので手伝わせなかったが、昨夜あれだけ酔っ払った彼女がまともに学校に行ったかどうかは些か不明瞭だった。その後の連絡で二日酔いで学校に行ったところ生活指導の先生に呼び出されてお説教を受けたらしいことがわかった。まあもう一年で卒業なので、厳しく絞られただけで他にお咎めはなかったという。
白鳥家に荷物が運ばれたはいいが、まだ正式に斗真が後見人になったわけではないのと、白鳥家の屋敷側の準備がまだ整っていないのも相まって、レディは数日ホテルに宿泊した。
その間に家庭裁判所での面接を済ませ、屋敷の準備が整い次第レディは白鳥家の被後見人となり、正式に斗真と同居することになる。
それまでの少しの間、荷物が置いてある白鳥家とホテルとを行ったり来たりしていた。
斗真は書斎にある仕事用デスクのワークチェアに腰掛けて、一つの箱を開けた。可愛らしいピンクのリボンにラッピングされた、真っ白な箱。少女の理想がうんと詰まったかのようなその箱の中には、真っ赤な薔薇の花束と、金色のメッセージカードが添えられていた。
密閉空間の中に置かれたせいか、花束の方は少ししなびてしまっていたが、メッセージカードの方は用意されたときと寸分違わずきらめいている。
そのメッセージカードには、達筆な筆記体でこう書かれていた。
――My fair lady. you have freedom.
「"
「それは?」
斗真が小さくつぶやくと、後ろに控えていた佐々木がメッセージカードを覗き込んだ。
レディは着替えると言って席を外しているので、書斎には斗真と佐々木の二人だけ。
「お祖父さんが残したレディへの誕生日プレゼントだよ」
斗真は書斎の片付けを買って出た際に、レディへの最後の誕生日プレゼントとなった老人の遺品を持ち帰った。そうしなければ、レディが開けもせずに捨ててしまうと危惧したからだ。余計なものは――余計な感情は、邪魔になるだけだとレディは言うだろうが、斗真は何もかもを捨ててしまう必要はないと考えていた。
「ん? プレゼントなのに、君はもう自由だってどういうことですか?」
「ああ、簡単なことさ。お祖父さん、死期を悟ってたんだよ」
確実に老いていく身体、尽きようとする命の灯火。老人は最期まで葉巻を辞めなかった。残される少女のことを考えれば、節制を心がけ、命が永らえるように務めるはずが、それをしなかった。受け入れていたのかもしれない。
「そんな、自分の死がプレゼントだなんて、残酷な」
「……死が二人を分かつまで」
それが二人の信仰だ。一度愛し合った二人は死が分かつまで離れることはできない。老人は若い娘を自分に縛り付けていることに、罪悪感を抱いていたのだろうか。それはもう誰にもわからない。
けれどこのプレゼントが物語るのは、やはりレディは彼の人に幸せを願われていたということだ。たとえ自身と決別してでも。
純粋に老人を愛するレディには少々酷なプレゼントだが、まだレディに届いていない。
「それ、ミスレディに見せるんですか?」
「……僕は……」
レディを傷つけてしまうかもしれない。けれどレディが愛した老人は最期の思いを伝えたいかもしれない。斗真が考えあぐねていると、ノックもせずに扉が開く音がした。
「悩む必要はないわよ」
声のした方を斗真と佐々木が慌てて振り返ると、そこには当事者であるレディが立っていた。
「レディ!」
彼女はどこから聞いていたのだろうか。斗真は焦る。いや愚問だ、答えは出ている――聞かれてしまった。
白く透き通るような袖が七分丈のブラウスと淡いピンクのロングフレアスカートに着替えたレディの首元にはロザリオがかかっていた。レディはロザリオを両手で握って祈りを捧げるポーズを取る。
「……"レディ"は、祖父がそう呼び始めたの。私達の関係は罪だから、私を"ただの女の子"として見るために。神に誤魔化しは効かないのにね」
そうして近親愛の事実を意識的に隠そうとした。
信仰によって支えられながら、信仰によって苦しんだレディは、首からロザリオをとった。
「でも、もう、いいの」
レディはもう涙を流さなかった。意志のはっきりした瞳はまるで少女のものとは思えないほど強く、斗真は得も言われぬ心地になった。
斗真は椅子から立ち上がると、レディにゆっくり歩み寄り、強がらなくていいと伝えるかのように優しく抱きしめた。
「辛い恋をしたね」
「いいえ、幸せな恋だったわ。――慰めはいらない」
相変わらずの強気な発言に、斗真は力なく笑った。死が二人を分かったからといって、レディが今すぐ新しい恋に踏み出すとはとても思えない。しかしできれば、次に恋をする相手は自分であって欲しい、そう願わずにはいられない斗真はただ抱きしめることしかできなかった。
レディは願いを受け止めるかのように優しく斗真の腕に手を添えた。抱きしめ返すわけでもなく、そっと触れるだけだった。
――大丈夫よ、きっと新しい首輪をつけるのは貴方だもの。
そう心の中で呟いて、けれど口にはしなかった。照れくさくてとても言えたものではないからだ。
レディはふんわり笑って斗真の腕から離れると、黒革のソファに腰掛けた。狙いすましたかのように給仕の女性がレディの前にティーカップを置いた。
十八歳の誕生日、レディは世界で最も大切な人を失った。
それと引き換えに、少しばかり大人になって、環境は目まぐるしく変化した。――でも悪くないと思えるのは、レディのために一番好きな紅茶がこうして用意されるからだろうか。大切にされている実感を、こうして抱けるからだろうか。
早摘みの、フレッシュなアッサムの香りがレディの鼻孔を優しくくすぐっていった。
続く
出会い編、終了でございます。長い出会い編でしたねぇ。本当に出会いなのこれ。
次回からは居候編です。実はちらほら回収してない伏線がありますので拾いつつ、新キャラも出ます。どうぞよろしく。
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