麗しのチョコミント

大島生紗子

麗しのチョコミント

晴天に、甘い稲妻が走るが如き衝撃だった。


8歳のアヤは、その日、ちょっと冒険したい気分だった。

大好きなアイスクリーム。「1日1個まで」という母親の言いつけを守り、学校から帰るとすぐに冷凍庫に上半身をつっこむようにして、いつものストロベリー味を取り出す。

その途中で、見慣れぬ薄青と黒のパッケージに気づいた。今思えば、他の家族が食べる予定だったのかもしれない。たまたま革新的な気分だったアヤは、いつものストロベリー味の代わりに、そのアイスを手に取った。

そして蓋を開けて一口食べるなり、その爽やかさと甘さの絶妙なバランスに、冷たいアイスをさらに冷たく感じさせるミントと、ミントの余韻とともに口の中で溶け出すチョコレートの風味に衝撃を受け、たちまち夢中になった。

蝉の声を遠く聞きながら、扇風機の前で食べた初めてのチョコミント味は、鮮烈な記憶となって今もアヤの心に根を下ろしている。


時は流れ、アヤは高校生になった。

その間に、さまざまなフレーバーが現れては消え、また現れることを繰り返しているが、チョコミント味は未だにアヤの一番であり続けている。

その愛を存分に叫ぶ機会があれば、アヤは目を輝かせて叫ぶだろう。そしてその機会が今訪れたのは、本人にとっては、幸せなことだった。


世は、アイスクリーム戦国時代である。



◆◇◆◇◆


『放課後、大事なお話があります。視聴覚室で待っています。』


朝の下駄箱で薄青の封筒に包まれた手紙を見た瞬間、高橋タクミの心臓は全速力で鳴り始めた。丸い文字といい花柄の便せんのデザインといい、送り主は間違いなく女生徒だろう。

思わず周囲を見回す。手紙を読むタクミに注目している生徒がいないことを確認して、極力さりげなく手紙を鞄に仕舞う。いつも通りを装いつつ教室に向かいながら、脳内ではこの先の展開を予想して、どうしても表情筋が緩む。

(これは間違いなく、アレだ。放課後、人気のない場所で、告白とかされちゃうんだ!)

そんな人生初の確信的希望に胸をときめかせながら一日を過ごし、待ちに待った放課後である。

指定された視聴覚室で待っていると、ほどなく戸が開き、一人の女生徒が入ってきた。

「遅くなって、ごめんなさい」

言いながらおずおずと戸を閉めるのは、同じクラスの青野アヤだった。

タクミは自分の頬をつねりたい衝動にかられた。『クラスでかわいい女子といえば誰か?』的な話題に必ず登場するアヤだが、本人の性格は物静かで、話しかけても控えめな笑顔を返すばかり。そしてぶっちゃけ、タクミの好みのタイプだった。

ちなみに、入学から2ヶ月経っているが、タクミはアヤとほぼ話したことがない。そんなアヤから告白されるというのは、ちょっと都合が良すぎるというもの。夢ではないことを確認したくなっても、仕方がないはずだ。

「青野さん、どうして」

「高橋くん、あのね」

同時に言って、お互いに口を噤む。

アヤが視線で促してくるので、タクミは戸惑いと喜びをそのまま口に出した。

「青野さんが俺のこと、そんな風に見てくれてたなんて、嬉しいよ」

アヤの大きな目がぱちりと瞬く。ややあって、その顔に喜色が満ちる。

「そうなの!高橋くんも同じだなんて、私、とっても嬉しくて」

「うんうん」

「先週の土曜日に、公園でアイス食べてたでしょ? それを見てから、高橋くんのことが忘れられなくて」

「うん?」

告白の場面で持ち出すには変わったシーンチョイスだな、と思ったが口にはしなかった。こんなに生き生きと喋るアヤは初めて見る。

「それでね、高橋くんも同じ気持ちだったら、二人で」

「うん」

ついに来るぞ、決定的な一言が。タクミはこっそりと身構える。

アヤは大きく息を吸い、両の拳を握って高く叫んだ。

「チョコミントの素晴らしさを全校生徒に広く啓蒙するため、一緒に活動しませんか!」

力いっぱいに言い切ったアヤは、頬を紅潮させ肩で息をしている。タクミはその言葉の意味を飲み込めずに、ぽかんと口を開けた。

(なんか、思ってたのと、違うぞ?)

室内にしばし沈黙が満ちる。ふと壁の時計が目に入り、やっべえ部活始まってるじゃん、遅刻するって伝えてないや……などと、逃避しかけた思考を無理矢理に目前のアヤに戻す。

「ちょっと待って。何の話?」

戸惑うタクミに、アヤはぱちりと瞬きをした。

「だって、高橋くんも好きなんでしょう? チョコミント」

「チョコミント?」

「私も大好きなの、チョコミント」

「チョコミント」

話が噛み合っていないと思っていたのは、どうやらタクミだけらしい。確かに先週の土曜日、公園のベンチでコンビニのチョコミントアイスを食べた。アヤに目撃されているとは気づかなかったし、こんなことなら家まで我慢すればよかったと思うも、もはや遅い。

さっぱり事情は飲み込めないが、少なくとも、告白を受ける予感はただの誤解だったことが判明した。初めての恋人への期待で膨らんでいた胸が、音を立てて萎む音がする。タクミは暗い目で天を仰いだ。



◆◇◆◇◆


「高橋くんは、この学校の経営者が、小豆財閥系の学校法人だって知ってる?」

明らかに気落ちした様子のタクミに、「あっ、そうだよね、いきなりこんな話しても困っちゃうよね」と勘違いしたアヤがここに至るまでの経緯を説明するというので、二人向かい合って手近な座席に腰掛けてしばし。

アヤが切り出したのは、生徒はあまり意識することがない情報だった。

タクミは頷く。

むろん直接の経営は学校法人の名義となっているが、それが小豆財閥系の法人だということは、ちょっと調べればわかる。だからといって特に何の感慨も沸かないというのが、正直なところであった。ほとんどの生徒は整った設備やほどよい立地、その割に高くない学費、自由な校風と成績の間口の広さに惹かれてこの学校を青春の舞台に選ぶのであって、思想や経営などの大人達の思惑は考慮の外なのである。

「小豆財閥といえば、製菓会社をいくつも抱えていて、日本のお菓子の8割を裏で操っているといわれているの」

「ふーん」

こんなに喋るアヤはとても貴重だ。そう思いながら、タクミは気のない相づちをうつ。

「どうしてそれほどのシェアを獲得できるのか。その鍵は、この学校にある」

「この学校に?」

この話はいったいどこに着地するのだろうか。タクミは相変わらず興味がなかったが、まるきり他人事でもないらしい。思わず聞き返してしまった。

そんなタクミの心中は知らないだろう、アヤは重々しく告げた。

「この学校の生徒たちの声が、若者代表としていち早く採り上げられているから」

このお菓子がおいしい、まずい、見た目がかわいい、携帯に便利、斬新な組み合わせが意外といける、等。

若者達の率直な意見が、当人達の知らぬ間に収集され、電光石火で商品開発に生かされているのだという。

記憶を辿れば、購買に見慣れないお菓子が妙に充実していたり、販売員のおばちゃんに妙に特定のお菓子をプッシュされたり、その感想をしつこく求められたりしたことが思い当たる。

「それだよ、それ」

指折り言えば、アヤは頷いた。その口調が熱を帯びる。

「その中でもとくに私たちの意見が通りやすいのが、アイスクリームらしいの」

来月に迫った体育祭。クラス対抗でさまざまな競技を競い合うこの行事は、それだけでも青春的価値があり、運動部員達の華々しい活躍の場でもあり、そしてこの学校においては他とは異なるお楽しみがある。伝統的に賞品として、業務用サイズの特大アイスクリームが数十ケース用意され、成績に応じて山分けされることになっていた。

「事前に全校生徒による投票で、どのフレーバーをどれだけ用意するか、比率を決めるの。だって、みんなが食べたい味を用意しなきゃ、余っちゃったらもったいないじゃない?」

「そういうもんかね」

「それでね、その結果データが収集されて、そのまま全国のアイスクリーム市場にも反映されるんだって!」

「ふーん」

興味が薄いタクミの顔前に、アヤはびしりと指を立てた。

「つまり!このアイスクリーム選挙で多数の支持が得られたフレーバーは、複数の企業から新作がどしどし発表されて、もっとファンが増えて、さらに種類が充実するというミラクルでワンダフルな正のスパイラルに入るんです!」

「……はあ」

タクミの生返事にもアヤはめげない。いよいよ机に手をついて身を乗り出した。

「さまざまな地下組織が、自分たちのフレーバーに票を集めるために活動してる。我が『チョコミン党』も、全校生徒にチョコミントの魅力を啓蒙するため、全力で活動中です」

ここまできて、タクミにもアヤの言いたいことが見えてきた。つまり、選挙でチョコミントに多くの支持を集めるべく、一緒に活動しようと誘われているわけか。

「そーいうのって、そもそも人気があるから支持が集まるんじゃないの?」

「卵が先か鶏が先かなんて、誰にもわからないよ。だからきっと変えられる。少なくとも、私はそう思ってる」

口に出さずにはいられなかったタクミの素朴な疑問に、あらかじめ予期していたかのような回答だった。アヤ自身も、ひょっとしたら同じ事を考えたことがあるのかもしれない。

「っていうか、地下組織ってなんだよ。チョコミン党って」

タクミのツッコミに少し冷静になったらしいアヤは、椅子に座って姿勢を正す。

「一般の生徒には知られないように活動してるからね、その疑問もごもっとも。バニラ、チョコレート、ストロベリー、抹茶なんかの伝統ある組織に加えて、最近ではラムレーズンとか、キャラメルなんて新しい派閥もできて、多様化・細分化しちゃっててね、たとえば学校のマドンナ先輩も、女子の憧れサッカー部のエースも、意外なことに見た目硬派な柔道部の部長も、それぞれに別の組織に属しているんだよ」

「うちの学校、そんなことになってんの……?」

どうやらタクミの知らない裏の勢力図があるらしい。壮大な上に馬鹿馬鹿しいこととも思えるが、アヤはいたって真剣だ。

ここでアヤは目を細めた。

「それで、チョコミン党っていうのは、今年卒業したOBの先輩が名付けたからで、そのまま使ってる。今は私一人だから、生徒会の許可があれば変えてもいいんだけど」

「生徒会?」

「うん、組織活動にはいろいろ制約があってね。公正な選挙管理からアイスの仕入れまでを取り仕切っているのは、生徒会なの」

アヤはタクミをまっすぐに見る。クラスでは見たことのない、強い色だった。

「それで高橋くん。これらの事情を踏まえてもう一度言うね。チョコミン党に入って、一緒にチョコミントの素晴らしさを全校生徒に啓蒙しませんか?」

申し訳ないが、タクミの心は決まっていた。

「断る」

しばしの間。

アヤは目に見えて動揺した。

「ど、どうして?」

「悪いけど、俺、そこまで熱烈にチョコミントが好きなわけじゃないんだ」

タクミにとっては至極当然の理由であった。あの日はたまたま爽やかさを求める気分だっただけで、選挙の日には違う気分で違うフレーバーに投票する可能性も大いにありうる。そして体育祭のアイス山分けの当日にはまた違う気分かもしれない。ともあれ、それほどチョコミントに情熱はないことは確かである。そもそもアイスクリーム全般、嫌いではないけれど、特別に好きでもない。

「そんなぁ」

目を潤ませるアヤに罪悪感が疼くが、後のためにも、ここはきっぱり断ろうとタクミは決めた。

「というわけで、ごめんね青野さん。一人で大変だと思うし、どんな活動をしてるか知らないけど、頑張って」

アヤと二人きりの時間は惜しいが、これ以上ここにいれば面倒なことに巻き込まれてしまう。タクミは心を鬼にして立ち上がった。

すると、鞄を持って視聴覚室を出ようとするその腕を、思いがけず強い力で掴まれる。

「ごめんなさい、まさか断られるとは思っていなくて」

腕を掴んだまま、アヤは心底すまなそうに目を伏せた。

「残念だけど、一度この秘密を知ってしまったら、あなたはもう普通の生徒には戻れないの」

「どういう意味だよ」

「アイスクリーム地下組織の存在を知った生徒は、いずれかの派閥に入らなければいけない。私のように活動する側か、生徒会の協力員としてジャッジする側か。でないと、秘密が保てないから」

「そんな」

つまりアヤがこの話をした時点で、未来は限定されたということだ。呼び出しに応じたタクミが迂闊というよりは、アヤが意図せず上手だったと言うべきだろう。

「そもそも、どうして秘密にする必要があるの」

「発言力のある生徒に引っ張られないように、公正に、純粋に、一般の生徒たちに人気のフレーバーを知るためだよ」

頷ける気もしなくもない返答。気圧されてしまい、タクミはそれ以上追求することはできなかった。

アヤと一緒にチョコミントの普及活動をするか、それとも別のフレーバーの応援をするか、生徒会に協力して公正な選挙の運営に力を尽くすか。

アイスクリームに情熱がないタクミにとっては、どれも平等に面倒なことだった。ここでサヨナラできれば一番だが、秘密保持のためどこかから追っ手がかかることは必至だろう。

ずいぶん悩み、結局、タクミは目の前の選択肢で妥協した。

「ユーレイ構成員でもよければ」

「もちろん、大歓迎だよ!」

嬉しそうなアヤに、ちょっと絆されそうになってしまうが、我慢する。

さっそく生徒会室にメンバー追加の申請書を提出に行くというアヤに、タクミも一旦置いた鞄を持ち直した。

「具体的な活動は、書類が受理されてからね」

「期待しないでくれよ……マジで」

ウキウキと足取り軽いアヤとは対照的に、タクミの声は地を這っている。


連れだって廊下を歩きながら、タクミは気になっていたことを質問した。

「そこまでして、体育祭で好きな味のアイスが食べたいわけ?」

その先の市場云々については、タクミにはあまり実感がない。アヤは力強く頷く。

「だって学校行事でタダで食べられるんだよ。そりゃ燃えるよ」

アヤはそこで言葉を切り、ふわりと笑った。

「でも、それだけでもない。だって、自分が好きなものは、皆にも好きになってもらいたいから」



◆◇◆◇◆


秘密組織とはいかなるものか。

ここ数日でわかったのだが、水面下で秘密裏に活動しなければならないという制約上、派手な広告はできないらしい。事情を知った今なら気づける。一般の生徒達の記憶にさりげなく残るように、サブリミナルの如く潜在意識に染み渡るように、各自しっかりアピールしていることに。


「落ちましたよ」

前を歩く女生徒に、そのポケットから滑り落ちたハンカチを手渡せば、華のような笑顔が返ってくる。

「あら、ありがとう。これお気に入りなのよ、助かったわ」

学校のマドンナと名高い、中村ナオミだった。ナオミは唇に指を当て、何事か考える仕草をする。

「えーと、何て言ったかしら。この、白に薄く黄色みがかった優しい色」

「……バニラ色?」

「そうそう、それだわ」

それだけ言って、じゃあね、と去っていく。しばらくその後ろ姿を見送っていたタクミだが、ふと気づいてしまった。バニラ色のハンカチを落とし、拾った相手に決定的な言葉を言わせる。選挙が近づきつつある今、ナオミはバニラ味に票を集めるための活動をしているのだ。

(やられた!)

俺の淡いときめきを返してくれ、と天を仰ぐタクミの鞄の中には、アヤから『入党祝い』として贈られたミントブルーのノートとシャーペンが入っている。「持ち物のカラーリングで印象づけるのは基本」とのことで、明日から皆に見えるように持ち歩けと厳命されてしまった。私服可の学校だったらミントブルーの上着を着る羽目になっていただろう。ありきたりな制服に、入学してからこれほど感謝したことはない。

それにしても、なんとまあ地味で地道な活動であることか。ユーレイであることを明言しているタクミでも、ちょっと文具を使うくらいならやってもいいか、と思ってしまうくらいだ。


「お断りします!」


突然耳に入った叫び声に、タクミは驚く。校内に生徒の姿もまばらな放課後、マドンナ先輩が去った今、廊下にタクミ以外の姿はない。

聞き間違いでなければ、アヤの声だった。普段もの静かな彼女の大声を聞いたのはこれで二回目だ。タクミは只ならぬ事態が起きていることを察し、足音を忍ばせつつ、廊下から空き教室の様子を窺う。


はたして、そこにはアヤと、男子生徒三名が対峙していた。真ん中の人物だけはタクミも知っていた。小金井コウスケという二年生で、家が漫画みたいなすごい金持ちだという噂だ。

「なぜ断るんだい? チョコミントもチョコレートの仲間。我々とともにチョコレートの栄光を讃えようじゃないか」

「そうだ」「そうだぞ」

芝居がかった仕草のコウスケに、左右の男子二人が取り巻きらしく同意した。これはどうやら単なる揉め事ではなく、組織同士のぶつかり合いらしい。チョコミント絡みとあってアヤは普段の大人しさを投げ捨て、強い視線と態度で相対している。

複数の組織が存在する以上、こういう事態もあり得るのだと、タクミは今さらながら気づいた。これまで発想できなかったのは、『アイスクリームのフレーバー』という牧歌的な題材に誤魔化されていたにすぎない。

「以前から申し上げていますけど、チョコミントとチョコレートは別物です! あなた達のそれは傲慢というものです!」

(つ、強い……)

三人の上級生相手を指差し堂々と言い返すアヤに、見ているタクミの方が冷や汗をかいてしまう。これはチョコミン党の一員として、というよりも、平和を愛する善良な一生徒として、止めに入るべきだろうか。

タクミが迷っている間にも教室の中では、どうやらアヤを自らの組織に取り込もうとする小金井と、全力で抵抗するアヤの舌戦が続いていた。

「チョコミントなんて、所詮、チョコレートのおいしさを引き立てるためにミントを混ぜているにすぎないだろう?」

「世の中にはそういった切り口で楽しむ人もいるでしょうけど、チョコミントにおいてはミントも主役なんです! ダブル主演なんです!」

……それにしても。タクミは思う。

ひとたびチョコミントが関係すれば、アヤは普段とは別人のように強く、熱血になり、不思議と生き生きして見える。こちらが本当の姿なのか、チョコミントにテンションが上がっているだけなのか。タクミには判断できないが、キャラクターが変わってしまうほどに燃えるなんて、素直にすごいことだと思う。特別に情熱を傾ける先を持たないタクミには、ただただ眩しい。


そんな余所事を考えていたら、いよいよ室内は不穏な空気になってきた。論戦のうちは勝負になっていたが、男子達の手が出ればアヤはひとたまりもない。

「ここまで強情なら、仕方がない」

「いやっ離してください!」

取り巻き達に腕と肩を掴まれ、逃げる間もなくアヤは拘束されてしまった。

「うちでチョコレートのフルコースをご馳走しよう。そうすれば、キミもチョコレートの魅力に目覚めずにはいられないはずだ」

力づくで家に招待するならそれは誘拐だ。モノホンの地下組織みたいじゃないかと、タクミは息を呑む。

動けないアヤを、コウスケは侮蔑の視線で舐めた。

「ミントなんて、歯磨き粉を舐めていれば充分だろう」

「っ!!」

アヤの目つきが一層鋭くなり、ぷちっと何かが切れる音がした気がする。

これはいよいよ乗り込むしかない。タクミが覚悟を決めた時だった。


ピピーッ!


目の前を風のように横切って、ホイッスルの音とともに、教室内に乱入する人影があった。

「小金井! 他の組織の構成員を無理矢理引き込む行為、ならびに他のフレーバーを貶める発言は、イエローカードだと言ったはずだ!」

軽やかに揺れるポニーテールと凛々しい声は、学校の誰もが知っている。空手の修練で身につけた女子高生らしからぬ眼力と、生来の圧倒的なカリスマで生徒会のトップに君臨している、生徒会長の渋沢シホだった。

ホイッスルを片手に、シホはモデルのように引き締まった脚で仁王立ちし、黄色の紙片をコウスケに投げつける。その迫力に、取り巻き達はアヤの拘束を解いた。

「厳重注意は今年度二回目だぞ」

「会長、これは誤解で」

「釈明は聞かん。この学校の出来事はすべて把握しているからな。そこに証人もいる」

指差されたタクミは飛び上がった。

「高橋くん!?」

ここで初めてタクミの存在に気づいて瞠目するアヤに、シホの登場でタイミングを逸したと説明もできず、乾いた笑いを向けることしかできない。格好良くないのは承知だが、気を取り直してアヤの隣に並ぶ。

「まったく。選挙が近づくと、ルールを逸脱する者があらわれて困る」

シホが息をつくと、軽い足音とともにもう一人、男子生徒が教室に入ってきた。

「渋沢!メール見た! ウチのがまーた迷惑をかけて、申し訳ないっ」

サッカー部の佐藤サトルだった。その口ぶりから、この先輩も秘密を共有する者、しかも、コウスケ達と同じ組織に属しているらしいとわかった。

「今は職務中だ、会長と呼べ」

「はいはい会長さん」

「……佐藤、後輩をよく見ておけと言ったろう。『チョコレート党』は次回の厳重注意で活動停止だ」

「おいマジかよ。小金井、西田、東野、これからグラウンド百周な」

軽い調子でスパルタ運動部らしい発言をして三人を震え上がらせてから、サトルはアヤとタクミに向き直った。

「ごめんなー青野さん。こいつらにはグラウンド百周の後でよく言って聞かせるから」

サトルの謝罪を受け、アヤは先ほどまでの強い態度はどこへやら、いつもの大人しさで「は、はい」と小さく返事をする。普通の生徒はグラウンド百周の後に説教されても頭に入らないのではないか、とタクミは思ったが、ぎりぎり口にはしなかった。


「青野、揉め事になればすぐ通報しろと言ったはずだ」

グラウンドへ連行されるコウスケ達を見送り、シホはアヤへと向き直った。

「すみません」

「……まあしかし、個人的には勇気ある生徒は好ましく思う。上級生相手に引かぬ態度は見事だった」

アヤが驚き顔を上げれば、不敵に口の端を上げたシホと目が合った。次いでタクミに顔を向け、

「高橋は、もう少し早く決断することだな」

全て見透かされているようで、タクミは返す言葉がなかった。



◆◇◆◇◆


「もらっていいの?」

「いいよ。ノートとシャーペンのお返しってことで」

コンビニの袋から取り出したるは、大きさのわりに手頃な値段で学生に馴染みのカップアイス。もちろんチョコミント味だ。

「じゃあ遠慮なく。ありがとう」

『チョコレート党』との悶着の後。帰宅するというアヤに付き添い、コンビニで二人分のチョコミントアイスを買って、公園のベンチで蓋を開ける。

「おいしい! こうやって、チョコミントの素晴らしさを分かち合うのだって、立派なチョコミン党の活動の一環だよね」

幸せそうにアイスを口に運ぶアヤを見ていると、「ひょっとして、チョコミントってすごくおいしいものかもしれない」と思ってしまうタクミは単純だ。

公園の緑を風が揺らす音に耳を傾けながら、二人は無言で紙スプーンを動かす。

「……さっきの、驚いた?」

恐る恐るといったアヤの質問に、タクミはゆっくり頷いた。

アヤは自嘲気味な笑みを浮かべる。

「変だよね、私、アイスなんかであんなに熱くなっちゃって」

揉め事というよりは、頭に血が上った末の自分の行動を振り返っているらしい。タクミはまたも頷く。

「それはまあ……俺を呼び出した時から思ってたけど」

「あはは、高橋くんって正直」

アヤは残り少ないカップの中身を丁寧に掬う。

「でも、馬鹿にされて悔しいって思ったら、自分でも止められなくて」

口の中を涼やかさが駆け抜けるのを感じながら、遠くを見た。

「本当はあんな喧嘩みたいなこと、できないんだけど。普段なら絶対できないことも、好きなものの為なら、不思議とできちゃうんだ」

タクミもスプーンを口に運びながら、うーんと唸った。

「そういうものかな」

好きなものを好きだと表明し、誰に何を言われても曲げず、表現し続ける。それは。

「……勇気あるんだなって、思ったよ」

生徒会長の言葉がタクミの中に蘇り、口から滑り落ちていた。

好きなものを、好きだと叫ぶこと。それはどれほど勇気が要ることだろう。

アヤが両手一杯に持っているそれを、タクミは未だ持たない。持てなかったのか、あえて持とうとしなかったのか、いずれにせよ、今は持たないことが、少し寂しい。

「勇気なんて、そんなすごいものじゃないよ」

スプーンを咥えてぱちりと瞬くアヤが、とても眩しく思える。最後の一口を食べ終えて、タクミは天を仰いだ。

「おかげで俺も、『好きなもの』見つかるかもしれない」



さて、結局今年はどのフレーバーが栄冠に輝いたのか。

それはまた別のお話。


<終>


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