第一章【運命の女神さまと吟遊詩人の出会い!】
その1
(((なんだろう、誰かが呼んでる声がする)))
深いまどろみの中にあるフォルトゥナは、近くから聞こえてくる声に次第に意識を取り戻し始めていた。
(((そっか、もう朝なのかな、早く魂の選別所に行かなきゃ……)))
「…………!!」
声は今、フォルトゥナのすぐ耳元で聞こえている。うるさすぎて、とても眠ってはいられそうにない。
「…………ル!!」
(((わかったから……今起きるから……)))
寝返りをうとうとして、フォルトゥナは妙に全身が痛むことに気づいた。特に背中は、何かに激突したみたいに全面にわたってジンジンと痛む。
「………ルル!!」
「わ、わかったってば……」
そしてフォルトゥナは重いまぶたを開き――
「ブルルルルル!!」
「うひゃあ!」
フォルトゥナの視界いっぱいに広がっていたのは、歯をむき出しにしながら鼻息荒くうなる恐ろしい化け物――ではなく。
「う……馬ぁ?」
馬であった。馬はふんふんと鼻を鳴らし、フォルトゥナをしげしげと見つめている。
「な、なんで私のお部屋に……馬が?」
いぶかしむフォルトゥナは、ふと自分の手に伝わる感触に違和感を覚えた。
「なにこれ、藁?」
よく見れば、そこは彼女の自室のベッドではなく積み藁の上であった。
「な、なんでわたしこんなところに?ええっ?」
混乱するフォルトゥナの頭上に、馬の口から垂れたよだれが降ってきた。
「うひゃあ!」
反射的に腕を振るフォルトゥナは、屋根に大きな穴が開いているのを見つけた。
「え……穴……待って、そんな」
次第に記憶がはっきりしてくるフォルトゥナは、恐る恐る馬の側面を確認する。
馬の側面は、つやつやした毛に覆われているだけだ。そこにフォルトゥナの見慣れた特徴はない。
「翼がない……天馬じゃない、土馬だ」
美しく優雅な翼をもつ天馬とは違い、土馬は天界には生息していない。水鏡を通してしか見たことのなかった生き物が今、目の前にいる。
「これは、まだ夢を見てるんだわ」
そう自分に言い聞かせるようにつぶやいたフォルトゥナは、ふらふらと小屋の入り口と思しきところへと進んでいく。
おぼつかない足取りでようやく外へ出た彼女は、どこまでも広がる青空を見た。
穏やかな太陽、名も知らぬ小さな白い花が道端にひっそりと咲き、頭上を鳥の群れが飛んでいく。
そのどれもが、天界には存在していないものだ。
フォルトゥナはあたりに立ち込めていた今まで嗅いだことのないにおいの正体が、土のにおいなのだと何となく察した。
「ここ……人界だ」
フォルトゥナはようやく思い出した。否、目を背けていた現実にようやく向き合った。
「わたしは……天界を追放されて、ただの人間になっちゃったんだ」
フォルトゥナはへなへなその場にへたり込んだ。
――――――――――――――――
そして一体どれだけの間放心していただろうか、呆然と青空を眺めていたフォルトゥナに話しかけてくるものがあった。
「あんれまあ、お嬢さんどうしたかねぼやーっとしてからに」
「えっ……あ、あの」
それは服のあちこちに泥を付けた背の低い老婆だった。おそらくは、農作業の途中なのだろう。
「こんな往来で座ってちゃ馬に蹴飛ばされち、はよ立ちんね」
「す、すみません」
慌てて立ち上がるフォルトゥナ、転生時の落下の痛みはおおよそ引いていた。
「あんれまあ、ようみりゃべっぴんさんがね、旅のひとかい?」
「そ、その……」
この老婆に天界のことを話しても通じまい、頭のおかしいものだと思われても困る。そう考えたフォルトゥナは話を合わせることにした。
「そ、そうです!旅の途中なのです!旅の途中なのでこのあたりのことが全く分かりません!教えてください!」
ごまかそうとしてぎこちない喋りになるフォルトゥナ。
「あんた、旅のひとなのに何にも知らんかね?」
「えっ?ええそうです!旅の初心者なのです!」
「そったらもんかいね最近の旅のひとは、ここはメルクの村だよ」
「メルク村ですね!ありがとうございます!」
「あんた、どこからきたがね」
「えっ?」
「この辺じゃ見ん綺麗げな服着とるち、大きい街から来たんでろ?」
「そ、それはその……」
答えあぐねるフォルトゥナをいぶかしむ老婆。
「んん?あんたまさか、罪人か?」
「ち、違います!その……い、家出です!」
とっさに出たでまかせに、老婆は口をあんぐり開けた。
「あんれまあ……あんた親不孝かね」
「と、とにかく家には……多分もう二度と帰れないので、旅人なんだと思います……」
ああ、なんてことだろう。自分で言っていて情けなくなってきた。
もしかしたら、自分が良かれと思って転生させてきたあの魂たちも、突然のことでこうして苦しい目にあったのだろうか。
「ふうん、まあよそさまのことだち、とやかくはいわんけどもよ。ほっだらても、こぎゃななーんもない村までようきたち」
老婆は背に負う荷物を降ろし、新鮮な野菜をとってフォルトゥナに渡した。
「あの、これは……?」
「あんた、旅して来たんろ?腹すかしとるち、食べ。うちん畑でとれた野菜だき、うめえぞ」
おそるおそる口元に渡された野菜を運ぶフォルトゥナ。渡されたそれは細い棒状の野菜で、濃い緑色の表皮にぶつぶつした突起が付いている。
「さ、食うてみ」
食べる、天界では不要な行為だった。口はただ歌を歌い祈りを捧げるために存在するものだった。
知識としては知っている。この行為なしに、ただの人は命を繋ぐことすらできないことも。
「はむ……」
おそるおそる野菜を咥える。口の中に入った初めての異物感に戸惑う。しかし咥えたままフォルトゥナは固まった。この後どうすれば食べることができるのだろう?
「……?どげんしたね、噛まんのか?」
噛む?フォルトゥナは小首をかしげ、いつか水鏡でみた光景を思い出した。
(((あの時はこう……口をもぐもぐと動かして……あっ!歯かあ!)))
そしてフォルトゥナは野菜に歯を立て、噛み、咀嚼した。
野菜からあふれる水分に交じって、舌を刺激する何か。
(((そっか、これが味なんだ)))
「あんた、どうしたかね?」
「えっ?」
老婆に言われ、フォルトゥナは自分が涙を流していることに気が付いた。
「あれ?あの、その」
「うんうん、ええがええが、しっかり食べね」
老婆は優しく微笑み、もう一本野菜をよこした。
「あの……ありがとうございます」
そしてフォルトゥナは訳も分からないまま、涙をこらえることもできず初めての食事を経験した。天界では考えたこともなかったが、フォルトゥナは初めて食事をする喜びを知ったのだった。
――――――――――――――――
「なんもない村だき、あんたみたいな都会のお嬢さんはつまらんじゃろ。今村の広場に吟遊詩人が来とるち、子供に交じって聞いてくりゃええが」
野菜を四つもごちそうになってしまったフォルトゥナは、老婆からそう言われこれからどうするかを考えながら村の広場を目指していた。
「どうしよう……右も左もわからないこの世界、いったいどこへ行けば……」
ぶつぶつつぶやきながら土がむき出しの地面を踏みしめ歩く。これも天界では体験したことのない行いだった。
歩いている最中に出会うものは、農作業を行う村人と、馬や鳥くらいのものであった。
「ん、広場ってあそこかな」
開けたところに大きな鐘が吊られたモニュメントがあり、その目の前には村の子供が10人ほど集まっていた。
子供たちの視線の先には竪琴を奏でる伏し目がちな黒髪の青年の姿。彼が吟遊詩人だろうか。
フォルトゥナは遠巻きに彼の歌を聞いてみることにした。
「――そしてかわいそうな兎を助けた男は代わりに死んでしまった。」
物悲しい竪琴の音色につられて、何人かの子供の目には涙が浮かんでいる。悲劇の歌なのだろうか。
「かわいそう」
「助けてあげて!」
子供の声に少し微笑むと、吟遊詩人は続きを歌いだした。
「――それを見ていた心優しい女神さまは、男の魂を天界に召し上げてこう言いました。『あなたは心の優しい人、本当はここで死ぬ運命ではなかったのに、私が至らないばかりにあなたを死なせてしまった』」
「えっ?」
フォルトゥナは驚いた。男の発した言葉に聞き覚えがあったからだ。
「『あなたはきっと素晴らしい人、もうあなたの肉体は元の形を残していないけれど、あなたの魂を他の世界で幸せになれるよう、私が祝福します』そうして男の魂は女神さまのおかげで、もう一度生きることができたのです、めでたしめでたし」
「そ、それって……」
フォルトゥナは後ずさった。男の語る歌、それは――。
「だれー?」
「知らないお姉ちゃんだー?」
後ろのほうにいた子供がフォルトゥナに気づく、そして吟遊詩人もまた彼女を見た。
「……あ」
吟遊詩人の顔がぱあっと輝くと、彼は竪琴を放り投げフォルトゥナ目掛け一直線に走った。
「え、ええっ!?」
ぶつかる!そう思って思わず突き出されたフォルトゥナの手をがっちりと掴むと、吟遊詩人は満面の笑みでこう言った。
「やっと会えましたね、女神さま!」
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