その2

 僕、高山颯太はアルバイトをこなしながら大学に通う、どこにでもいるような学生でした。


 バイト先の先輩たちと飲み会に行ったり、ゼミの仲間と旅行に行ったり、そうした大学生らしいアタリマエを過ごしながら何となく『いいようのない疎外感』を感じていました。


 生活に不満があるわけでも、学業に不振があるわけでも、将来に不安があるわけでもない。ただ何となく、『ああ、このままぼんやり生きていくのかな』っていう漠然とした何かを抱えていました。


 この感覚をあえて言葉にするなら、『生きてるから生きている』っていう感じになるだろうか。ちょっと違う気もするけど、とにかくあの頃の僕は少なくとも『生きがい』なんて言葉とは縁遠かったのは確かでした。


 だからその日も僕は、いつもやってることだから大学へ向かう駅のホームにいました。


 肌寒い日だったのは覚えている。いつもよりも遅い電車だったので、混雑を避けられてちょっとラッキーだな、なんてぼんやり思っていました。

 そう、いつもよりも視界が開けていたからこそ、僕にはそれが見えました。


 ベビーカーを押してきた若い母親は、急になりだしたスマホを取り出すと電話に出た。点字ブロックの上で止まったベビーカーの向こうから、白杖をついたおじいさんが向かって来ていた。

 僕の位置からは、全部見えていました。


 だから【それ】が起きた時に、真っ先に気づいて体が動いたのは僕でした。

 もしかしたら、普段からスポーツでもしていればちょっとはうまくやれたのかもしれないけれど、僕はそこまで器用でもなく運もなかったので、最悪の結果を避けるので精いっぱいでした。


 どうにか体を起こすと、ホームの上で泣いている赤ん坊と、呆然とする母親が見えました。なので僕はちょっとだけ「ああ、子供が助かってよかったな」って思った後に、生きてて楽しいななんて思ったことはなかったけれども「死にたくはなかったな」ということを思ってしまいました。


 その後すぐにすごい衝撃があったので、それが僕が最後に思ったことになりました。



 そして、僕は暗いところにずうっといました。それに気づいたのは、ある時光が急に差し込んできたからです。

 いや、ついさっき電車に轢かれたのにずうっとってのは変かな?でもとにかく僕はいつのまにか暗いところにいて、そして違うところに連れてこられたのです。


 そこは、ぼんやりと明るいところで、真っ白で、暖かいところでした。はっきり思い出そうとしても、どうしてももやがかかったみたいになるので詳しくはわからないけれど、なんだか神聖なところだな、と思いました。


 そんなぜんぶがぼんやりとした空間では、僕もまたぼんやりとしたもやみたいな姿になっていました。今思えば、魂だけの姿だったのかな。そして、目の前の彼女だけが、はっきりとした姿で存在していました。


 綺麗な亜麻色の長い髪と車輪を模ったイヤリングが、背中から広がった翼の羽ばたきに合わせてふわふわゆらゆらと動いていました。

 僕は彼女から目が離せませんでした。

 彼女は口を開きました。透き通るような声でした。


「私は女神フォルトゥナ、運命を司る女神です。どうか怖がらずに聞いてください。あなたは今、魂だけの存在なのです。」


 僕は声を出そうとしましたが、出せませんでした。しかし彼女は僕の言いたいことを理解してくれたみたいでした。


「あなたは心の優しい人、本当はここで死ぬ運命ではなかったのに、私が至らないばかりにあなたを死なせてしまった。……あなたはきっと素晴らしい人、もうあなたの肉体は元の形を残していないけれど、あなたの魂を他の世界で幸せになれるよう、私が祝福します」


 彼女は沈痛な面持ちでそういうと、僕へ向けて光を送り始めました。そして、だんだん彼女の姿は光にかき消され見えなくなっていきました。


 そして再び闇があり、光があり、目を覚ますと僕は知らないところにいたんです。

 彼女は僕にもう一度生きるチャンスをくれたのでした。

 右も左も、何をしたらいいのかも全然わからなかったけれど、とにかく僕はその時初めて『生きてるって幸せなんだ』と実感したのです。


 僕は自然と手を合わせ、まぶたの裏に焼き付いた彼女の姿へ感謝をしました。

「ありがとう、女神さま」

 そして――




 ―――――――――――――――――――




「わあっ!女神さま!本当に、本当に女神さまなんですね!」

 突然手を取り飛び跳ねる青年を前に、フォルトゥナは硬直していた。

「僕、ずうっとお礼がしたかったんです!それでこうして貴女を称える歌をいくつも作って、貴女に届くようにとあちこちで歌って……ああ!こんな日が来るなんて!」

 青年はフォルトゥナの手を取りぐるぐると回りだす。彼の歌を聞いていた村の子供たりはどうしたことかと皆呆然としていた。


「あ、あの」

「うれしいなあ……うれしいなあ!生きててよかった!今が一番幸せだなあ!」

「あ、あの!」

 ぶんぶんと振り回されるフォルトゥナが抗議の声を上げると、青年は慌てて彼女を開放した。

「ああっ!ごめんなさい女神さま!僕としたことがなんて失礼を……」


「い、いえいえ、ちょっとびっくりしただけなので……ってええ!?あ、あの!?」

 フォルトゥナが息を整えている隙に、青年はいつの間にか土下座の体勢へと変化していた。

「ごめんなさい!女神さま、この通りです!」

「や、やめてください!ちょっと」

「はい!」


 フォルトゥナが言葉を発するや否や青年は立ち上がりキラキラした目を向ける。

「うひゃあっ!」

 フォルトゥナが面食らっていると、いつの間にか子供たちが彼女を取り囲んでいた。

「お姉ちゃんだれ~?」

「めがみさまってなに~?」



「え、ええっとその、あのね」

「女神さまは女神さまだよ、僕の運命の女神さまなんだ」

「はいぃ!?」

 勝手に答えだす青年に、フォルトゥナはどうすることもできない。

「すごーい」

「ほんもののめがみさまなの~?」


 子供に詰め寄られるフォルトゥナは、混乱の限界を迎えその場から走り去った。

「あっ!」

「めがみさまが逃げた~!」

「おにごっこだ!」

 広場中の子供たちがわらわらとフォルトゥナを追いかけ始める。


「な、なんなんですかもうーー!」

「まてー!」

「どこ行くのー!」

「そんなの私が聞きたいのにーーっ!」




 ――――――――――――――――――




「はぁ……はぁ……」

 混乱しきった状態で知らない土地をやたらめったら走ったフォルトゥナは、いつの間にか藪の中に迷い込んでいた。

「はぁ……ここ、どこぉ……?」

 息も絶え絶えにへたり込むフォルトゥナ。いつの間にか彼女を追っていた子供たちはあたりから姿を消していた。


「はぁ……はぁ……ど、どうしよう、村はどっち……」

「村ならあっちのほうですよ女神さま」

「うひゃあっ!」

 背後からの突然の声は、いつの間にか後ろにいた先ほどの吟遊詩人の青年だった。


「お、驚かせないでください!」

「うん、その声、やっぱりあの時の女神さまだ」

 青年はフォルトゥナの目の前にさっと座ると、にこにこしながら彼女を見つめる。

「あの、私を知っているってことは……」

「はい」


 フォルトゥナはほんの少し逡巡し、そして口に出した。

「あなたは、私が……運命の女神フォルトゥナが異世界に転生させた魂の……一人なんですね?」

 青年は少しだけ目を伏せると、すぐに満面の笑みとなり答えた。

「はい、僕は貴女に助けていただいた、ソウタです」


 フォルトゥナは彼のまっすぐな視線に耐えられず、目をそらした。

「女神さま?」

 青年は――ソウタは不思議に思い問いかける。

(((私が――転生させた魂が、今ここに生きている)))

 それはフォルトゥナが『善い』と信じ行ってきたこと。天命に非ざる時に命を落とした魂の異世界への転生。


 あるいは天界の水鏡で見つけたのなら、彼女はむしろ鼻高々となっていたかもしれない。

 だが、今彼女は天界での審問で己の信念を否定された後であり、実際に異世界へ降りたってその呆然とせざるを得ない孤独感を知ってしまった後である。


「い、いろいろ」

「はい」

「いろいろ聞きたいことがあるんですけど……ひとつだけ」

 フォルトゥナが言葉を紡ごうとしたその時である。二人の背後の藪がにわかにガサガサと揺れ始めたのだ。

「えっ?」

「しっ、女神さま僕の後ろへ」


 ソウタはフォルトゥナをかばうように立ち上がると、藪を見据えた。

「グルル……」

 果たして藪から現れたのは、ソウタの身長の半分ほどの大きさの小男であった。手足はやせ細っているが、かぎ爪が凶悪に伸びている。

「森ゴブリンか……」

 ソウタがそう呼んだそれは、血走った眼をフォルトゥナに向けかぎ爪を光らせた。


「ご、ゴブリン?」

「森ゴブリンです、森に溶け込むような緑色の皮膚をしています」

「ゴブリン……ってことはここは、龍のいる世界に……」

「絶対そこから動かないでくださいね」

 そういうとソウタは森ゴブリンに向けて歩みだした。


「あっ」

 危ない、と言いかけた言葉よりも、森ゴブリンの動きのほうが早かった。

 すでに森ゴブリンはソウタの顔面目掛けかぎ爪を振るって飛びかかっていた。

「危な」

 ソウタは森ゴブリンの爪を受け止めた。

「い……えっ?」


 キン!と響いた金属音。ソウタが彼の獲物で森ゴブリンの爪を防いだのだ。

「って……竪琴?」

 森ゴブリンの爪を防いだのはソウタの抱えていた竪琴であった。いかなる材質であろうか、鋭い森ゴブリンの爪を受けてなお傷一つない輝きを放っている。

 ソウタは落ち着いた様子で竪琴を構えなおすと小さく振りかぶった。


「グルッ」

 そして森ゴブリンが反応する間もなく、ソウタは竪琴で森ゴブリンを思い切り殴り飛ばした。

「ええっ!?それってそんな風にしていいんですか!?」

「えっ?大丈夫ですよこのくらいなら」

 吹き飛ばされた森ゴブリンは地面にたたきつけられると、一目散にに藪の中へと逃げていった。


「よし、あいつはもう襲ってこないかな。騒ぎを聞きつけて他の森ゴブリンが寄ってこないうちに、村へ戻りましょう女神さま」

 ソウタが座り込んでいたフォルトゥナに手を伸ばす。


 フォルトゥナは差し伸べられたソウタの手をじっと見つめた後、

「あ、ありがとうございます」

 とおずおずをその手を取ったのだった。


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