第87話 星の地球儀

 地球儀が回り始めると、空気が柔らかくなった。同時に、静謐な空気も感じられる。


『ほお、これは凄いな。なんとなくだが、星の揺れが収まってきておるな。

 篤紫よ、これはつまり新しい星と月の石と言うことなのか?』

「機能はほぼ一緒だけど、こっちの方が高性能だぞ?

 それでこの地球儀が、魂儀な。あとは前と一緒なんだけど、その下に魂地があって、魂根があって……最後に末端にあるのが魂樹だな」

 それぞれがソウルコア、ソウルタブレット、ソウルメモリーに対応していることに気づいたのか、オルフェナから微妙な空気が流れてきた。


『ふむ、篤紫よ。今時の中二病でもそんな名前は付けんぞ? 向こうにもこの地球儀を設置したのだろう。みんなの絶望的な顔が、想像できるよ』

 オルフェナの指摘に、篤紫の顔が驚愕に歪んだ。

「そ、そこまで……酷いの……か」

 そのまま膝から崩れて、床に倒れ込んだ。心なしか、ぴくぴくと痙攣している。

 オルフェナは車の姿のまま、念話で篤紫にため息を飛ばした。


『で、我がこれに登録するにはどうすれば良いのだ?』

「ああ、オルフならちょっと触れるだけで大丈夫かな。何か伸ばすもの……おおっそうだ。

 充電プラグで触れるから、魂儀に横付けして貰ってもいいか?」

『ふむ、心得た』

 篤紫は車内から充電用のプラグコードを持ち出して、オルフェナ右側面後方にある充電ジャックに接続した。

 そのコードの反対側を、魂儀の土台部分に触れる。


 リィーン――。


 澄んだ鈴の音が聞こえる。

 オルフェナの車体が、一瞬虹色に輝いた。


『ふむ、登録完了……と言ったところか。

 ちょうど今、夏梛と桃華も登録が終わったようだな』

「お、本当だ。フレンドが追加されてるな」

 篤紫はスマートフォンをたぐり寄せると、一番心配していた夏梛に電話をかけた。


 リリィーン、リリィーン――。


『も、もしもし……おとうさん?』

 心配そうな夏梛の声が、スマートフォンのスピーカー越しに聞こえる。

「お、やっと繋がったな。聞いて驚け、俺は無事だぞ――」

 努めて明るい声で話しかけたつもりだったが、通話が突然切れた。電波が悪いのか――画面を見ると、アンテナは最大まで立っている。

 篤紫はくびを首をひねると、もう一度夏梛に電話をかけた。


 リリィーン、リリィーン――ブツンッ。


 発信音の途中で、着信を拒否された。

 慌てて桃華に発信するも、同じように着信を拒否された。 

『まあ……当然の結果だな』

「何でだよ、無事を報告しただけだぞ?」

 そして、ルルガにかけた電話も拒否されて、篤紫はその場に無言のまま固まった。




『ステータスの表示を、生命力と魔力に限定したのか。

 他には通話機能を標準化させて、端末の帰還登録と不壊は変わらずか』

 プラグを接触させたまま、魂儀を走査していたオルフェナが、感心したように呟いた。もっとも、車の姿だと表情は全く分からない。


「どんな素材を魂樹化させても、スマートフォン化する呪い付きだけどな」

『いいのではないか? 今までも画面はなかったが、表面に数字や文字が、最初から表示はされていたからな。混乱はなかろう。


 アプリは、マップと魔法辞典か。植物辞典に、鉱物辞典まであるのか……他にもあるようだが、この辺は確実に生活の質が上がるな。

 逆に、魔術と魔道具に関する辞典は一切省いたのだな。

 篤紫よすまんが、コードを外してもらえないか』

 篤紫はオルフェナの車体からプラグコードを外して、助手席の下に収納した。オルフェナは車体をバックさせて、魂儀から少し離れた。


「あとは人間族も魂樹を取得すると、魔力を得られるように、仕様変更したからな。

 正確には、素材を魂樹化させて登録をすると、魔力が一万追加されるんだけど」

『なんだと? いくら何でも、それはやり過ぎではないか?』

「魔族が狙われる一番の理由が、人間族に魔力がないことだろうに。それを根本的に解決させるには、擬似的にせよ魔力を得る必要があるはず。

 それに、狙いはそれだけじゃない――」

 篤紫は目の前に設置した地球儀――魂儀を見つめた。


 魂儀が、ゆっくりと虹色に輝き始めた。

 ナナナシアを模した中心の球体から、上に向かって光が抜け出した。そのまま光は、紫色のドレス姿の女性を形作った。

 女性は、閉じていた瞳を開けると、軽く周りを確認した。


『篤紫、そして魂器のオルフェナですね。そしてオルフェナは初めましてですね、わたしはこの星のコア、ナナナシアです。

 二人とも魂儀を設置してくれてありがとう、おかげでずれていた星の軸を、元に戻すことができました』

 まるで鈴のような音色の声が、篤紫とオルフェナの魂に響いた。

 オルフェナが驚愕で固まっているのが分かる。珍しいな。


「軸というと、もしかして地軸がズレていたのか?」

『ええ。原因はここ、南の魔術塔が、破壊された事です。

 それによって、地軸の制御ができなくなって、ポールシフトが始まっていました。この魂儀のおかげで、なんとか最悪の事態は免れましたが』

 女性――ナナナシアは安堵の笑みとともに、ゆっくりと魂儀に沈み始めた。


「もう行くのか?」

『まだ遅くなった自転を、元の速度に戻す必要がありますから。まだまだ忙しいのですよ。

 今回は、お礼が言いたくて顔を出しただけです。あと、これを篤紫に――』

 ナナナシアは篤紫の元に、緑色の球体を投げてよこした。とっさのことに、慌ててキャッチする。


「この。相変わらず、雑な女だな」

『ふふふ、わたしのことを女扱いするのは、世界広しといえど篤紫だけですよ。その宝珠は、外に出たときに地面に放り投げてくださいね』

 鈴の余韻を残しながら、ナナナシアは魂儀に完全に沈んだ。

 がっちり固まっていたオルフェナが、戻ってきた感じで、瞬きしているのかヘッドライトをパッシングしていた。




「とまあ、ナナナシアにも頼まれたんだよ。慌てなくてもいいから新しい魂儀の枝を張り直して欲しい、ってさ。これは追加の作業分か……。

 魂儀が完成したときに出てきたときは、さすがにびっくりしたけどな」

 実際には、ナナナシアに魔力の不公平をなくすことを頼まれた。

 ナナナシアとしても、争いの種を一つでも減らすために、助力を惜しまない方針にしたようだ。

 ちなみに、魂樹の中には魔石があって、登録者とリンクしてエネルギーの受け渡しをする仕組みだ。


『あ、あああ篤紫は、どどどうして、へ、へへ平気なんだ?』

「ん?」

 何でだろう、オルフェナがやけに慌てている。

 羊状態じゃないので、表情がわからないから、なんか損した気分だ。


『あ、あれだけの神気だぞ。なな、何故動ける。何故、かか会話できるのだ?』

「いや、別にふつうじゃないか? 喋り口は丁寧だけど、けっこう面倒くさい女だぞ」

 オルフェナからの念話が、完全に途絶えた。どうやら、気絶してしまったらしい。なんと、オルフェナも気絶するのか……。


 しばらく経ってやっと、オルフェナが気絶から戻ってきた。

 細かい説明を求めたけど、どうも黙って首を振っているようだ、そんなイメージが念話で送られてきた。

 結果的に、しばらく無言で待つ時間が続いた。


『ふむ、そろそろか。レアーナが復活するぞ』

 それまで黙りを決めていたオルフェナが、いつもの調子で告げた。


 車内が輝き始めた。

 後部座席の真ん中辺りに、光が生まれて、徐々に強くなっていく。最後にひときわ激しく光り輝くと、暗転して車内が見えなくなった。

 ゆっくりと、スライドドアが上げ―蹴られる。


 中から青いワンピース姿のメルフェレアーナが、恐る恐る外に顔を出した。視界に篤紫を捉えると、目が驚愕に見開かれた。

 目から溢れだした涙が、頬を伝って床に落ちた。


「篤紫……? 篤紫おじさん……う、うわあああぁぁぁん」

 慌てて動き出して、オルフェナから転がり落ちた。

「あ、ちょっ、レアーナ大丈夫か?」

 しゃがみ込んだ篤紫に、メルフェレアーナが抱きついてきた。胸に顔を埋めて、それでも号泣が止まらない。

 篤紫は、メルフェレアーナの頭をそっと撫でた。


「何だよ、レアーナらしくないな」

 こんなメルフェレアーナは初めて見る。いつも明るくて、何だか飄々としていた。それでも自分たちより先にこの世界に来て、ずっとひとりぼっちだった。

 確かに、新しい家族はいっぱいできたかもしれない。ただ、親として常に、子ども達を引っ張ってきた。

 一万年以上、とても長すぎる……。


 メルフェレアーナの号泣は、だんだんと嗚咽に変わる。

 そのまま、すっと力が抜けた。慌てて抱き上げると、まぶたを真っ赤に腫らして、小さく寝息を立てていた。



『我が知らぬと言うことは、篤紫の隠し子か?』

「ばーか」

 羊の姿に戻ったオルフェナと、思わず笑い声を上げた。


「この娘はオルフェナを買うずっと前に、行方不明になっていた、桃華の妹の娘だよ。ずっと、篤紫おじさんって呼ばれていたな」

『我も途中から一緒に探していたから、名前だけなら知っておるよ。

 ……そうか、この娘が篤紫たちが探していた、鳴海麗奈なんだな』

 篤紫とオルフェナは、しばらくメルフェレアーナを眺めて思い出に浸ると、どちらとも無く立ち上がって、魂儀の部屋を後にした。


 誰もいなくなった部屋には、魂儀が発する虹色の光りが、優しく、とっても優しく光っていた……。

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