4・みすてられた街

「かんぱーい」


 ユメホの音頭にあわせて、ヒマとレニがコップを掲げた。チューハイとビールとウーロン茶が、三人の真ん中で波打つ。

 女子会といえば聞こえはいいが、飲み物と菓子を持ち寄った単なる家呑みだから、あまり様にならない。会場に選ばれたレニの部屋も、二次元男子のポスターだのフィギュアだのにあふれていて、ユメホは少々落ち着かない。とはいえ、他に使える場所がなかったのだから妥協するしかなかった。

 外呑みは危ない、というのが近頃の仲間内の共通認識だ。チェーンの居酒屋でも隠れ家バーでも、何人も”花宿り”が襲撃を受けている。


「アズ結局来ねえな」


 ビールをあおったヒマは、唇の端に泡をつけたまま首を傾げる。レニがスマホをいじって、「ラインもない」とつぶやく。


「せっかく呼んだったのに、つきあい悪ない?」


 ヒマの言い方は恩着せがましく、ユメホはすこし鼻白む。

 織子たちと手を切ったアズキは、最近ユメホたちの仲間に加わった。ヒマは彼女にしばしばちょっかいを出しており、仕事にもしばしば誘っている。アズキは何も言わずについてくるが、本人がこういう悪事に乗り気なのか、渋々手伝っているのか、その辺はユメホにもよくわからない。あまり自分のない子だな、というのがユメホのアズキに対する印象だった。

 逆に、こういう女子会に誘われればアズキはたいていひょっこり顔を出す。「行けたら行く」みたいにあいまいにして結局ブッチするような性格ではない。


「お、このポテチゲテモノかと思ったら意外にうめえ」


 袋の背中を左右に割って、ヒマはがさごそと手を突っ込んでポテチを口に運ぶ。あっという間に袋の中身が消えていくのを見て、ユメホもあわてて手を伸ばした。その横で、レニは黙々と青海苔のついた駄菓子をついばんでいる。


「この調子だとまーたお菓子足りなくなるっしょ」

「そのうちピザ来るだろ。そんでも足りんかったらまた買い出しだな」


 ヒマはいっさい躊躇う気がないらしい。もうすっかり酒が回ったのか、懐がまだあたたかいおかげか、とにかく気が大きくなっている。昨日は体重が二キロも増えたと嘆いていたのが嘘みたいだ。


「ほれレニ呑め呑め」

「だーらパワハラやめろって」


 ビールのグラスをレニに押しつけるヒマの襟首を引っ張って、ユメホはふたりをひきはがす。ぐらりと大げさに体を揺らしたヒマがぶつくさ言うが、無視。


「レニもつき合わんでいいんだよ」

「でも楽しい」

「んー、あんたがそうならいいけどさ」


 レニがまんざらでもなさそうに言うので、ユメホの方もそれ以上強くは言えず、梯子を外された気分で彼女は間を紛らわすようにチューハイを呑む。


 ヒマとレニの関係は、曖昧模糊としてユメホにはよくわからない。ほとんど主従関係のようでもありながら、どこか、ヒマの方がレニの面倒を見るのを喜んでいるような、倒錯した一面も感じられる。ふたりはずっと同じ学校に通っていたというから、その間に培われたものが、とらえがたく存在しているのだろう。

 サリーさんの身内は、ヒマやレニのような落ちこぼれも、ユメホのような空風台の優等生も、みんな一緒くたにして序列をつけない。それは、力だけをルールに格差を付ける”楽苑”とは、また違う仕組みだ。

 仕事の時だけのパートナーも、ふだんからの友達も、一切合切ごちゃ混ぜのそういう混沌が、ユメホは割と気に入っている。空風台の教室で、失言一つが致命傷になる芸能界めいたパワーゲームを繰り広げるより、ずっと居心地がいい。

 違法セクキャバの儲けを横取りするのも、詐欺の出し子を襲って金を奪うのもすこしも怖くないのは、きっと仲間のおかげなのだった。


 ほろ酔い加減の調子に乗って、ユメホはふらりと立ち上がる。レニが兄から譲られたという無骨なパソコンの周囲には、筋肉質な半裸の男たちの人形が所狭しと飾られている。ユメホは左右に頭を揺らしながら歩み寄って、金髪で長身の美少年に食指を伸ばす。


「ねー、ちょっとこいつ触っていい?」

「だめ。クリス様は私の旦那でカイトくんの嫁だからな」

「どんな複雑な婚姻関係だ」

「おいユメホやめとけよ、レニのそいつら全部レアもんらしいぞ、うちらの稼ぎじゃ弁償できねって」


 ヒマにまで窘められ「マジかよ」と首をすくめ、ユメホはすごすごと引き下がった。確かに髪の細やかさや筋肉の精密な表現は目を見張るものがあるが、美術館の所蔵品と同じでこういうものの価値はよくわからない。たぶん指紋でも付けたら価値がだだ下がりするのだろうし、ポテチまみれの汚い指で触れたらレニに殺されそうだった。


「つか退屈なんだけど」

「ピザおせえな」


 腰を下ろしたユメホは、ヒマと顔をつき合わせて言い合う。その横でレニはスマホに触れていた。彼女の目に画面のちらつきが反射するのか、ちかちかと銀色のまたたきが黒目にちりばめられているみたいだった。

 ヒマは充血して真っ赤になった目で、そんなレニをぼんやり見ている。彼女の肌も何か不自然なくらいに紅潮している。呑みすぎたせいかもしれないが、なんだか違う気もする。ただ、その理由を突き詰めるには、ユメホの思考もだいぶ酒に呑まれていた。

 近くに車の止まるブレーキ音がした。そしてすぐ、インターホンが鳴る。


「お、ピザか。うち出るわ。つか時間越えてない? タダになんない?」


 ヒマが真っ先に立ち上がって、玄関へと歩いていく。ユメホはその背中を見やりながら、レニが左手にした袋から駄菓子の残りかすをつまむ。レニはびくりとして、袋を取り落とした。


「あ、わり」


 粉末と青ノリを舌でなめつつ、ユメホはレニを見やる。レニは青ざめた顔で、じっとスマホの画面を凝視している。ユメホは首を傾げつつ、横からレニのスマホの画面をのぞき込んだ。

 画面には、三つの得体の知れないスタンプと、その下に写真が映っている。スタンプは、大きな目、ゴリラとも人間とも付かない奇妙な動物、そして白々しい笑顔を浮かべる眼鏡の男。意味が飲み込めなくて、ユメホはおかしな気分を味わいながら、視線を下の画像に移す。

 レニはユメホの態度を無視して、ドアの方、後ろ姿のヒマへと振り向く。

 ヒマはドアのチェーンを無造作に開ける。

 ユメホは画像を見る。それは、どこか見知らぬ部屋で、ぽつんと座っている、アズキ。肘掛けの上の両手から、赤黒い血が流れていた。


「開けるなヒマ!」


 レニが叫ぶ。ヒマははっとした様子で、ドアノブに掛けた手を外した。

 ドアは向こうから押し開けられた。ドアと門柱の隙間から、太い右腕がこじ入れられた。銃を握っている。

 空気の抜けるような、とぼけた音がした。リアルすぎていっそ迫力のない銃声。

 ヒマの耳をかすめ、銃弾はバスケマンガのポスターに直撃した。レニの声にならない悲鳴は、どちらに向けたものともつかない。


「え、な、」


 よろめいたヒマは、そのまま部屋に逃げ込んでくる。押さえた耳たぶから伝う血が、点々と床を汚す。

 その後から土足で踏みいってきた男は、銃を左右に振り向けて、


「抵抗すんなッラ! したらプっ放ッぞッラ!」


 ひどく甲高い声でがなり立てる。男は金色の髪を逆立て、床津ではホストも着ないようなぎらぎらしたジャケットを羽織っている。唇に一列に並んだピアスのせいか、口がだらしなく半開きのままだ。その状態で喋っているから、微妙に滑舌が悪い。


「逃げっも無駄だぞ! お前っらの住所氏名全部知られてんっからな! 親の親まで追い込んだるっつぉら!」

「ヒマ、大丈夫? 痛い?」


 転がるように逃げてきたヒマのそばによって、ユメホは問いかける。青ざめたヒマは、耳たぶをぎゅっと絞るように押さえたまま、


「痛いに決まってんだろバカかユメお前死ぬかと思ったぞ」


 虚勢混じりの悪態。そこへ、ふたたび男が銃をぶっ放す。グラスが割れ、テーブルの上を銃弾が跳ねて天井を突き刺した。


「しゃっぺんなッラ!」


 金髪ピアスは銃をこちらに向けたまま、しかしそれ以上入ってこようとしない。


「いっから金だ金! グッさんとこのアガリ全部返っしゃッラ! ボンタ襲って持ってったぶんもだッラ!」

「ジンくん、撃ちすぎ、だめ」


 と、金髪ピアスの後ろから現れた、ほおに刺青を入れた男が、つっかえつっかえの口調でいさめる。金髪は不愉快そうな顔で振り向くが、刺青が首を振るのを見て、あっという間に静かになる。武器などなくとも、徒手の暴力だけで十分だ、とでも言いたげな刺青の態度は、金髪のはったりじみた威圧などよりよほど恐ろしかった。

 刺青が前に出てきて、ユメホを見据えた。


「逃げちゃだめよ。外も囲ってるからね。それに、ライン見た? あの子、人質だから。逃げたら彼女、バラして売っちゃうからね。でないとボクらも、アガリ払えないし。こっちも辛いのよ」


 自分の日本語がつたないのを承知しているみたいに、刺青はおどけた顔をしてみせた。

 その瞳に、哀れむような色があるのを、ユメホは見逃さない。

 彼は、降伏すれば命を助ける、みたいなことをひとつも口にしてない。

 さきほどの画像が脳裏をよぎる。

 金髪のいうことが事実なら、どこからか情報が漏れている。アズキが喋ったか、そうでなくとも、SNSのアカウントを知られたのなら芋蔓式にかなりの情報が知られた可能性がある。みんなの会話、貼った写メのひとつひとつがソーシャルハックのリソースだ。

 金を取り戻すまでどこまでも追われる。それどころか、永久に食い物にされるかもしれない。

 だったら、禍根はここで断つ。目に見えない何かに追いつめられる暮らしはもう真っ平だ。学校の空気も、マフィアの脅しも、全部蹴散らしてやる。

 ユメホの頭の奥底で、青い光が点灯する。


「レニ!」


 ユメホの号令と同時、レニの長い髪が、ざわりと膨らんだ。

 黒髪の奥、白いうなじがあらわになる。発芽した”花”が一瞬で伸びて、ピアスの顔に襲いかかる。「おっ?」と刺青が声を上げる。

 レニの”花”の先端は、ピアスの首に突き立つ。


「……!」


 刺青は聞き取れない声を張り上げ、ピアスのほうを一顧だにせずまっすぐレニに襲いかかる。

 その額に、風穴が空いた。

 刺青の顔がうつろに変わる。その後ろ、ピアスは呆然と銃を構えたまま、刺青の血に染まった後頭部を見つめていた。レニの”花”に体の自由を乗っ取られた自分が、上役の頭を撃ち抜いたのだ、ということを、彼はたぶん理解していない。

 唖然としたまま、ピアスの男は自分の足に銃を向け、引き金を引いた。スラックスを貫通した銃弾が大腿骨を砕き、動脈から激しく血が噴き出す。

 レニは大きく息を吐いて、”花”を引き戻した。ほっとしたユメホはレニを振り返り、


「脳天撃つことはなかったんじゃね?」

「手元が狂った」


 頭を振ったレニは、脳みそと血を垂れ流している刺青男の死体に不愉快そうな目を向ける。


「部屋の床も汚したくなかったのに」

「それは言っても今更だろ」


 壁やテーブルには銃創が刻まれ、部屋中にガラスの破片や食べ残しのかすが散乱し、せっかくきれいに飾られていたフィギュアも何体か落下してしまっている。この部屋の惨状をどう処理すべきか、レニ本人でなくとも頭が痛い。

 いや、そもそも、もうこの部屋に居続けるべきではないのかもしれない。

 アズキを誘拐し、銃まで携えて乗り込んでくるような連中だ。おそらく、大きな組織がバックについている。これからも攻撃は続くだろう、と考えれば、同じ場所に居続けるのは得策ではない。

 こぼれた酒がたれ流される様を、ユメホはしばし、呆然と見つめる。アルコールのにおいがカーペットに浸透して、取り返しのつかない汚れに変わっていく。クリーニングに出せばぬけるのだろうか、と、見当違いの思いが頭をよぎる。


「おいユメホぼっとすんな、逃げるぞ」


 背中をどやされ、ユメホは正気づいた。ヒマは大量のティッシュで耳の傷を押さえながら、窓の方へと顎をしゃくる。レニはすでにベランダの手すりを越えて外に乗り出そうとしている。真夜中の風が、黒いレニの髪をふわりと揺らした。

 ふと、ユメホは自分の足下が、ぐらりと傾いだように感じた。なめらかなフローリングが液体に変わって、彼女たちを呑み込んでいくような。


「うん……でも、どこに?」


 刺青の男は、ここも包囲している、と言っていた。それに、どこに逃げたってきっと追い込まれるだろう。逃げる場所なんて……


「どこでもいいだろ、とにかく急ぐぞ」


 強弁するヒマに、わかった、と、うなずいた。三人でいればきっと、新しい居場所が見つかる。どこにだって逃げきれる。そう心に言い聞かせて、ユメホは足を踏み出す。彼女の出発を待つように、レニが窓の外で手を振っている。

 その、レニの額から、血がはじけた。

 仰向けに、レニの体が、手すりの向こうに倒れていく。黒髪の残像だけを残して、彼女は、地上に落下した。砂袋を放り出したような重い音と、バイクの急ブレーキの音が、同時に響いた。


「レニ?」


 ヒマが立ち尽くす。

 ユメホは振り向く。三和土にうつ伏せたピアスの男が、してやったり、とでも言いたげな顔でこちらをにらんでいた。男の手には、まだ、銃が握られている。


「てめえっ!!」


 ため込んだ空気の破裂するような勢いで、ユメホは男の頭を蹴り飛ばした。”花”によって瞬間的に威力を増した彼女の蹴りは、一撃で首を折り砕いた。唇のピアスがユメホの親指の爪に引っかかったが、ちぎれたのは唇の方だった。ゴムのように首が伸びて、頭はサッカーボールみたいに跳ねた。

 殺してから、後悔する。最初からこうしていればよかったのに。


「レニ、レニ、レニ!」


 叫ぶヒマの声は、ベランダの下へと遠ざかる。あたりにざわめきと、そして銃声。

 ユメホはテーブルを踏み越えて、ベランダに飛び出した。ヒマに加勢すべく飛び降りようとしたけれど、その必要はなかった。彼女の目の前に、地上まで通じる道が拓けていたからだった。


 巨大な、一本の樹だった。熱帯地域の写真で見るような、太くて巨大で、蛇に似たしなやかに屈曲する樹幹を持つ、しかし何の種類ともつかない大木。

 導かれるように、ユメホは路上を見下ろす。耳のティッシュを取り落としたヒマと、銃を持った男たちとが、そろって天高く昇る樹を見上げている。

 その樹の根本には、アスファルトの上に広がった、黒くて長い髪だけが見えた。


「レニ?」


 ユメホのつぶやきに応えるように、大木の枝が、ベランダの手すりに引っかかってざわめきをあげる。彼女は考えるのをやめて、枝を伝って大木の幹に飛びつき、そのまま滑り降りる。両手がざらざらと樹皮にこすれて、ぱらぱらとアスファルトに落ちる。

 下まで降りたユメホは、つかのま、足下を見つめた。レニの体は、完全に樹幹の底に埋もれてしまっていて、ただ黒髪だけが彼女の痕跡を記すみたいに路面に広がっている。あの仏頂面も、やせた体も、か細い声も、全部がこの樹の養分になって、消えてしまったみたいだった。

 一瞬、ユメホの胸が、奇妙な感情でふるえる。


「ユメあぶねえ!」


 ヒマの声。同時に、銃弾がレニの樹に当たって表皮がはじけた。振り返ると、坊主頭のデブが困惑しきった顔で銃を構えている。ユメホと、樹と、どちらを標的にすべきか彼自身わからなかった、という様子だった。

 男の後ろには灰色のミニバン。開け放たれた後部ドアの奥に、空っぽの段ボール箱が見えた。中は無人だ。

 ユメホはすぐさま走り出す。坊主頭は、ユメホの急な動きについていけずに銃口を左右に揺するだけで何もできない。男を蹴飛ばしてどかすと、ユメホはミニバンの後部座席に飛び込み、外に向かって「ヒマ!」と叫ぶ。きょとんと路上に立ち尽くしていたヒマに、ユメホはさらに言った。


「アズ、助けに行こ!」


 ばしん、とユメホは座席の背もたれをたたいた。乗れ、というメッセージだ。ヒマの瞳に、赤い輝きが宿る。


「マジかユメおまえ天才だな!」


 叫びながらダッシュするヒマの後ろから、状況の変化についていけていないチンピラが銃を向けてくる。しかし、引き金を引くのにもためらうような彼らの弾丸は少女たちには当たらなくて、ミニバンの窓や車体にわずかなへこみを作るだけ。

 ヒマが後部座席に転がり込んできて、きらきらした目で問う。


「で、アズどこにいんの」

「知らないよ。あんな写真一枚でわかるわけないじゃん」

「……ユメおまえやっぱアホだわ」

「うっせ! それよっかヒマ、あんた運転できる?」

「できるわけねえだろユメおまえもっと考えて喋れ!」


 一瞬にしてヒマからの評価が地に落ちた。ちっ、と舌打ちしつつ、ユメホは座席の隙間を抜けて運転席に滑り込む。ことをすませたら即座に逃走する手はずだったのか、キーも挿しっぱなし、エンジンもかかっている。

 とりあえずアクセル踏めば何とかなるだろう、と、めいっぱい踏み込む。爆発するような勢いで、ミニバンはふたりを乗せて飛び出した。

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