日なたの道をゆるゆると歩いて、ほとんど無意識のうちに小釘こくぎ駅前までたどり着くと、そのころには寒さを忘れている。だから、理楽は自分の服がもう薄すぎることにあまり気づいていなかった。

 昨夜は雪衣に忠告されたし、今朝はソフィアにも厚着していくよう勧められた。去年のカーディガンを譲ってくれるとまで言われたけれど、断った。部屋に泊まってご飯をもらうまではいいが、施しを受けるのはあまり気持ちよくないし、ソフィアの服は細身の理楽にさえちょっと小さいのだ。

 結局、昨夜と同じ服で、彼女は駅のロータリーを一望する広場のベンチに腰を下ろした。土曜日は普段より人出が多くて、その健やかなにぎわいは理楽には居心地が悪い。

 平日の、真昼から斜陽の趣を持つ景色の方が、彼女の好みだ。年寄りと無職と夜の住人がまばらに行き交う地方都市の駅前は、そのまま石化してしまえば見映えするオブジェになるだろう。足の下に敷き詰められたカラフルなタイルも、むなしさを逆に引き立てている。

 噴水の向こうにそびえるビルの最上階、受験予備校のロゴが陽光を反射して理楽の目を射る。じっと腰を下ろして前髪をもてあそんでいるだけの理楽は、色とりどりの人の流れが眼前を行き過ぎていくのを、路傍の石になった心地で見つめていた。


「あ、リカさん。ちっす」

「や、オリちゃん」


 ベンチの横から声をかけてきたのは、以前知り合った織子おりこだった。その後ろから、音々ねおんがおずおずと顔を出して、なぜかぎゅっと目を閉じながらお辞儀をする。


「ネオンちゃんもおひさ。ソフィちゃんに聞いたよ、勝ったって?」

「あ、ひゃ、はい!」


 うわずった声を上げながら音々はぺこぺこ頭を下げる。出会ったときから、彼女はひたすら恐縮している印象だった。”楽苑”での試合も、彼女はこうやって萎縮しながら勝ちを拾ったのかもしれない。


「儲かってるみたいっすね、向こう。うらやましーなー」


 織子はスマホを操作しながら言う。暇さえあればSNSで他人とつながりたいのだ。そんな彼女の態度はぶしつけではあるが、理楽にとってはありがたい情報源でもある。理楽自身の持っているスマートフォンはあくまで借り物で、電話以上の機能を使うつもりはなかった。


「そっちはどーなの? 変わったことある?」

「うまくやってますよ。そいや、新しい子どうでした?」

「アイちゃん? とりあえず落ち着かせたよ。そっちでケアしてくれる?」

「ラジャっす」


 昨夜の路地裏の彼女、アイのことも織子から教えてもらったのだった。織子の友人のネットワークは街のあちこちに及んでいて、”花宿り”の疑惑のある女の子のこともすぐに伝わってくる。そういう相手をうまくつかまえて、助けをさしのべるのは理楽の役目だった。


 ”花”の影響が小さければ、うまく日常に戻してあげればいい。危険な兆候が出るようなら、ふたたび理楽がケアをする。

 もしも強すぎる力を持つのなら、”楽苑”に勧誘するのだ。ソフィアの管理下に置くことで、過剰な”花”の力が周囲に害を為すことのないように、悪意に誘われて道を踏み外すことのないように。


 織子は顔を上げて、あたりを見回す。


「せっかくだし、その辺でご飯でもどうです? どーせリカさん、おなか空かしてんでしょ?」

「昨夜のファイトマネー、あるから、おごります」

「悪いよ、そんなの」


 とはいうものの、昼ご飯につきあう程度なら断る理由はない。理楽が立ち上がると、織子は肩をすくめてスマホをいじりながら、音々はすこし残念そうに、昼下がりのターミナルをゆるゆると歩き出した。


 みんながみんな、理楽とみるとやたらに優しくしたがる。

 薄汚れてシミの抜けない服、いつもどこかに寝癖の残っている髪の毛、化粧っけのない顔、薄っぺらなソールのスニーカー、みんなが理楽をかまいつけたくなるのはそんな風貌のせいだと、自分でも承知している。

 だからって、しじゅう施しを受けて生きるのは気分のいいことではない。四六時中腹ぺこで、頭にほんのり霧がかかっていながらでも、理楽はひとり立って生きたかった。それが出来なくなるなら、霞のように消えてしまいたかった。死んだ都市といっしょに、彼女も石になりたかった。


 人でにぎわう駅ビルへと、歩を進める。と、ビルの回転ドアをくぐって、見覚えのある顔が陽射しの下に歩み出てきた。つかのま、目があったような気がした。


「リカさん、こっち」


 織子の声が遠くから聞こえて、理楽は足を止めて振り返る。織子と音々は、駅ビルの裏に抜ける横道の入り口で理楽を待っていた。


「どしたの、そんな隠れるみたいに」

「追われる身でしてね」と織子は笑いながら口にする。

「つかリカさんがぼっとしてるからすよ。どうせちゃんと食べてないんしょ?」

「やめてよそーゆーの」


 裏道には昼間から酒の臭いがただよっていて、なんだか理楽は頭が痛くなる。織子は苦笑しつつ、これからゆく店の情報をぺらぺらと説明する。それを半分聞き流しながら理楽は、さっき見かけた雪衣の姿ももう忘れかけていた。昼日中の日射しの下では、彼女の姿がうまく見分けられなくて、すこし寂しかった。

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