205-55 家族を亡くして

「……今日は本当に、ありがとうございました」


 そう言って、エイラさんが腰を折り、深々と頭を下げる。

 まだ目元は泣き腫らして赤かったけれど、一頻り泣いてもう落ち着いたようで、その所作は元の品のあるものに戻っていた。

 着ている服は(普段の)わたしやミフロの皆と変わらない素朴なものなのに、その振る舞いの美しさとアルビノの見た目のある種の神々しさも相まって、エイラさんには貴族に仕えるメイドさんのような優雅さがある。

 ……まぁ、それはあくまで前世のイメージからだけれども。こちらなら〝本物〟もいるんだろうけれど、貴族さんのお宅には行ったことがなくて分からないからね。

 エイラさんの見た目にはまだ幼さすら感じるのに、凄いなぁ、と少しの間見惚れて…… そして、エイラさんのお礼の言葉に無言のままなことに思い至って、わたしは慌てて席を立った。


「あ、あ、いえ、いえ。役に立てたようでしたら……」


 わたしも軽く頭を下げて、礼を返す。

 お葬式が終わって、わたしたちは教会の礼拝所に入っていた。

 泣き出してしまったエイラさんを抱いて、落ち着くのを待っていたから。

 この後は準備をしてから、最後に棺を墓地に埋葬するらしいのだけれど、これは普通近しい親戚縁者の人たちだけで見守るものらしいので、わたしは参加する必要はないとのこと。

 エイラさんもそれについては言及していないし、何かを伝えようとするそぶりも見せていないから、それでいいのだと思う。

 となれば、わたしがあまり長居しているのも悪いかな、と思って、お暇する機を窺っていたのだけれど…… ちょうどこのタイミングで、


「如何ですか?」


 とミウタさんがお茶を淹れてくれて、ついそれに応じてしまった。

 温かいお茶を受け取って、礼拝所の片隅で長椅子に座って口をつける。

 エイラさんもお茶を受け取って、壁際の丸椅子に座って飲んでいた。

 帰るタイミングを逸してしまったな、とは、別に自分は構わないのだけれど、クライアさんも残ってくれていたことに思う。

 お仕事もあるだろうから、あまり引き止めるのも悪い。

 と思っても、エイラさんやミウタさんがいる手前、わたしが直接それを言葉に出してしまうのも悪いかな…… と思えてしまって、そわそわ、と落ち着きなくさっきからクライアさんの方を窺っているのだけれど、当のクライアさんはミウタさんと世間話を始めてしまって、それも結構話し込み始めてしまったみたいで、わたしがどうこう言える感じではなくなってしまった。

 クライアさんとミウタさんの世間話を聞くでもなく耳に捉えていても、お茶を飲み干してしまうと、いよいよ手持ち無沙汰になる。

 何を考えるでもなく、両手でコップをもてあそぶ。

 そして、ふと視線を上げて泳がせたら…… ばっちりエイラさんと目が合った。

 エイラさんが、すっくと立ち上がり、わたしのそばまで来て、


「……お預かりしましょうか?」


 とわたしの持つコップを指して訊ねてきた。


「んぁ…… いいの?」

「はい」


 なんだか悪いな、とは思ったのだけれど、断ってもどうにもならないので、手渡す。

 コップを受け取ったエイラさんは、自分の分も一緒に持って裏の部屋へと行って…… そしてすぐに手ぶらになって帰ってきた。

 もうこの教会の勝手も把握してるんだな、とわたしはちょっと驚いた。

 そして戻ってきたエイラさんなのだけれど、わたしのそばまでやって来て、そこに立ってじっとしている。

 なにごと? とその顔を見上げると、その視線はクライアさん達の方に向いていた。

 多分だけれど、その二人の持つコップも、空になったら預かるために控えているのではないか、と思う。

 これは、気立てが良い、と言うのか、なんと言うか……

 わたしはもう感心しきりだった。

 唯一の大切な家族を亡くした直後だというのに、一頻り泣いた後は、もうここまで気を回す余裕を持てるとは、なんて出来た子なんだ、と感じ入るものがある。

 わたしには無理だったな…… と思うと同時、不意に頭に疑問が浮かんだ。

 そして、浮かんだ疑問をそのまま、特に深く考えることもなく口にした。


「ねぇ、エイラさん。エイラさんはおばあさんを…… 弔った後は、どうするんですか?」


 ひとりになってしまったわけだし、これからどうするのだろう、というささやかな疑問…… のつもりだった。

 エイラさんはとてもしっかりしているようだし、気立てもいいし、何をしても上手くやれそうに思えたから、あまり心配なんかはしていなかったのだけれど……


「……そうですね。……わたくしは、どなたかに買っていただこうか、と思っています」

「…………んぇ?」


 なんとなく思っていたものとも全然違う返答に、わたしは混乱した。

 思わず言葉を失ってしまったわたしとは対照的に、エイラさんはその決意を述べていく。


「……いつかこうなる時のために、おばあさまはわたくしに、人に仕えるためのあらゆる知識を教えてくれました。……まだまだ未熟であることは承知していますが、それでもおばあさまの教えがありますから、そこらの村娘には劣らぬという自負もあります。……わたくしのような奇怪な──不気味な容姿の者を買っていただける奇特な方は少ないかとは存じます。……それでも、物珍しさからでも買っていただけるのでしたら、わたくしはその方に支えようと考えています」


 兼ねてから決めていたことだ、と言わんばかりのエイラさんの言葉について行けなくて、わたしは一瞬で頭の中がひっくり返っていた。

 買ってもらう、だなんて言うから、身売りでもするの? と思ったのだけれど、仕える、と言うのなら、普通に誰かに雇ってもらう、という話なのかな? と落ち着きかけて、でもやっぱり、買ってもらう、ってそれは身売りなんじゃないの? とか、でもこちらではそれが普通なの? とか、そもそも自分で自分を売るのは身売りって言うの? とか……

 いろいろ一気に押し寄せてきた疑問や不思議に、わたしは押し潰されそうになって、


「そ、そう、なの……?」


 と口から言葉が溢れただけのような返事をするので精一杯だった。


「はい。……一応、当てはあるのです。……この村から東に四日ほど歩いた町に、わたくしのような者でも買ってくれる、という貴族の方がいる、と話を伺いまして。……確か、レトルフ卿という方です」

「え、レトルフ卿だって……?」


 エイラさんの言葉に反応したのはクライアさんだった。

 ミウタさんと話し込んでいると思っていたのに、それを中断して発されたその声には嫌悪感が混ざっていたような気がして、わたしは、はっとして現実に帰ってきたようになって、クライアさんの方に向き直った。

 すると、とても珍しいことに、クライアさんがあからさまに眉をひそめて嫌悪感をあらわにしていたのだ。


「エイラちゃん、レトルフ卿のところに行こうってのかい……?」

「……はい、そのつもりです」


 ほんのちょっとだけ、責めるような語気を漂わせて問うクライアさんに対して、エイラさんは動じることもなく答えている。

 エイラさんは普段のクライアさんを知らないから、あまり気にしていないだけかもしれないけれど…… わたしはいつもとは違うクライアさんの雰囲気に気が気でなくて、どうしてそんなにも嫌そうにしているのか、訊かずには入れなかった。


「あ、あの、クライアさん。その、レトルフ卿っていう人に、何か思うことがあるんですか……?」


 あからさまに良い印象を持っている様子ではないのだ。

 もし、何か良くない話があるならば…… それはエイラさんにとっても良くない話になるかもしれないわけで、曖昧にしておいていい話ではない。

 問われたクライアさんは、ふぅん、と唸って、少し思案してから話してくれた。


「いや……ね。あたしもそこまで詳しかないんだが…… そのレトルフ卿には、良い噂を聞かない…… と言うか、悪い噂しか聞かないんだよ。……だからね、エイラちゃん。正直、レトルフ卿のところに行くってのはお勧めしないよ」


 今度はより明確に、クライアさんは語気を強めてエイラさんに釘を刺した。

 それでも全く動じた様子のないエイラさんは、強いと思うべきか、頑固と思うべきか……

 わたしはそんなクライアさんの話を聞いて、ざわざわ、と落ち着かずに軽く取り乱して次の言葉が出ないでいた。


「……ですが、わたくしのような者を受け入れてくれる場所は限られます。……働きぶりを見ていただければ違ってくるかもしれませんが、気味が悪い、と門前払いを受ければどうしようもないのですから」

「そうは言ってもね…… そんな悪い噂しか聞かないところに、わざわざ行くのはね……」

「……例えそうであっても、買ってもらわねば野垂れ死ぬのです。……それとも…… あなたが、わたくしを買ってくれるのですか?」

「む…… いや、そりゃあ、雇ってやりたいのは山々だがね…… あいにくとうちは人手は足りてるし、人を増やす余裕もないし、ね……」

「…………そう、でしょう」


 クライアさんとエイラさんの、ちょっと険悪な雰囲気も漂う言い合いに、わたしは内心で、ひぇぇ、と悲鳴をあげていた。

 そして二人の言葉が途切れて…… なんとも言えない暗い空気が辺りに満ちているのに、息が詰まりそうになる。

 ミウタさんも困ったようにしているけれど、掛ける言葉が見つからないのか、静観しているようだし……

 この場の険悪な雰囲気を治めたいし、なにより、嫌な予感しかしないエイラさんの身売り話?も思い留まらせたい。

 でも頭が回らなくて、良い解決案が浮かばない……

 身体はフリーズさせたまま、わたしは動揺でひっちゃかめっちゃかになった頭の中身を、どうにか整理しようとしていた。


「……おばあさまを弔ったら、家を片付けてこの村を出ます。……もう二度と、おばあさまの墓参りをできないかも知れないことは、残念ですが……」


 あまり感情をのぞかせないエイラさんだったけれど、その言葉には、はっきりと悲しさが混じった気がした。

 そこでわたしは閃いた!


「エイラさん! ミフロから出るなんて言わないでください!」


 ──のなら、よかったのだけれど、つい言葉が出ちゃっただけ、というのが正解だった。

 だって、そこに大切な人を偲ぶ場所があるのに、それすらできなくなるなんて、悲しすぎる、と思ったから。


「……え?」

「んぁ…… えっと……」


 何も考えていなかったのだから、いきなり言葉が詰まった。

 でも、なんとか言葉を繋げないと! と無理矢理言葉をひねり出す。


「あ…… そう、ミフロで働けば良いんですよ!」

「…………誰が、わたくしを買ってくれるんですか?」


 話を聞いていたのか、と言外にちょっと責められている気がしなくもない。

 受け入れてくれる人がいないからミフロから出る、とは、わたしももちろん聞いていた。

 まぁ、とにかくエイラさんを引き留めたくて、考えもなしに口走っていることは否定できないけれども、でも、探せば誰かきっと、雇ってくれる人もいるはず、と思っていたのだ。

 誰かが。


 ──……誰か?


 そこで、思いついたことがあった。

 その瞬間は、天啓が降りた! と思ったのだけれど、実際のところは、なんでもっと早く気づかなかったのか、とも言えるのかもしれない。

 クライアさんもエイラさんを雇う余裕はないと言う。

 そうなると、雇ってくれそうな人は思いつかないし、雇ってあげて、と説得できそうな人も思いつかなかったけれど、でも、雇う、と決断できる人なら、ここにいるのだ。


「えっと…… うち…… そう、うちで、働かない……?」

「…………え?」

「……あ」


 でもエイラさんは、買ってもらう云々、と言っているから、もしかしてまずお金をたくさん用意しないといけないのかな……? とそこで思い至ったわたし。


「……えっと、出世払いで良ければ、だけれど……」

「……本当に、宜しいんですか?」


 エイラさんは驚いたような、でもちょっとだけ、嬉しそうな顔をしていた…… と思う。

 わたしは、適当な事を言い過ぎたかな……? とまた取り乱して、間抜けな顔をしていたかもしれないけれど。


「え、あ、えと…… エイラさんさえ、それで、良ければ……?」


 思い返せば、もっと堂々としていれば格好がついたのに、と思うけれど、その時はそれで精一杯だったし、仕方ない、と思う。


「…………はい。それでしたら、これからわたくしは、あなたに仕えさせていただきたく存じます。ノノカ様」


 雇う、とか、買う、というより、匿う、という認識が強かったけれど。

 そんなわけで、わたしはその時から、エイラさんというひとりの少女を、召し抱えることになったのである。

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