205-54 こちらの世界のお葬式

 修道士さんに付いて歩くエイラさんの歩みは淀みなく、真っ直ぐに正面を見据えて、凛とした雰囲気をまとっていた。

 まだ中学生くらいの歳に見えるのだけれど、唯一の家族であるおばあさんを亡くした悲しみは一切感じさせていない。

 でもそれは、薄情とか、そんなネガティブな感じではない、と思う。

 おばあさんを送るこのお葬式を、最後の大切な儀式を、完璧に進行させよう、という真剣さを感じさせるように思えたのだ。

 わたしはそんなエイラさんを見て、強い子だな、と胸がきゅっと締め付けられるように感じていた。

 エイラさんが、空いた最前列の長椅子の前に立ち、棺に向き直って、跪く。

 それに続いて、参列している皆も跪いた。

 わたしも隣のクライアさんに促されて、慌てて跪いた。そして皆と同じように、手を合わせて祈りを捧げる姿勢になる。


「……アラヘラ・クライウェイ様の旅立ちに、迷いなき事を祈りましょう」


 修道士さんがそう言って、皆が目を閉じて祈り始めた。

 静かに始まったお葬式は、静かに淡々と進行する。

 無骨な木の棒そのままな見た目の杖を持って、他の参列者の皆と同じように黒い布を羽織った修道士さんが、静かに祈りの言葉を述べている。

 棺に向かって、そこで眠る人に語り掛けるように。

 祈りの言葉が終わった後は、修道士さんも跪いて無言の祈りを捧げていた。

 正面から始まって、左から、奥から、右から、棺に向かって跪き、祈る。

 四方から祈りを捧げて、正面に戻ってきたら、五回目の祈りを捧げて、そしてまた言葉が続く。

 日が当たって暖かく、風が抜けて木々や草花のざわめく中でのお葬式。

 参列する皆が祈り続ける中で、わたしはこっそり目を開けて、そんな馴染みのない未知のお葬式の進行をずっと見ていた。

 わたしの知っているお葬式とは全然違う。

 まぁ、前世のわたしも、そう何度も何度もお葬式に出たことがあるわけではないので、こういったお葬式が、全く異質なものなのかは、よく分からないところもあるのだけれど。

 それでも、こうして全く別の場所の、全然馴染みのないお葬式に出られたのは貴重な経験だ、と思った。

 そうしょっちゅう知り合いが亡くなるということもない。

 前世のわたしは、友達や知り合いは少なくなかったけれど、まだまだ皆若かったし、親戚や両親の知り合い以外のお葬式には出たことがなかった。

 こちらではミフロを中心に多くの人と知り合ったし、その年齢層も幅広いから、前世に比べるとそういった機会は増えるかもしれない。


 ──それでも、前世でも死ぬまでにお葬式に出たのは四回だったし、こちらでも…………?


 そこまで考えて、わたしは気がついた。

 むしろ、気がつくのがちょっと遅かったかもしれない。

 こういったお葬式は、滅多に経験できない?

 ……本当に?

 確かに、毎日あるようなものではないし、年に何度もあるものでもない、とは思う。

 限られた時間の中でなら、出られるお葬式の機会も限られてくるだろうけれど。

 でも…… わたしは〝不死の魔法使い〟なのだ。

 もちろん、ここでいう不死はちょっと言い過ぎで、実際には死んじゃうこともある、とはマリューからも聞いている。

 だから、全く死とは無縁じゃないのだけれど、それでも、前世の常識では考えられないくらい、わたしは死ににくくなったんだ、と思っていた。

 身体は老化しないらしいし、もちろん老衰なんてない。病気にもなるらしいけれど、基本的には、どんな病気も時間をかければ治っちゃうらしい。

 だから、死ににくくなったのは間違いじゃない。

 だからと言って、それは『死と無縁なったという意味ではない』ということに、今更ながら、気がついたのだ。


 ──わたしはこれから、いったい何度お葬式に出ることになるんだろう……?


 そんな疑問が浮かんできて、胸がきゅっと苦しくなる。

 ふと、隣で祈るクライアさんが目に入った。

 何も分からないわたしを気にかけてくれた、こちらの世界のお母さんとも言えるクライアさんとも、いつかはお別れの時が来る。

 それは、分かりきっていたことではある。

 でも、今、気がついたことで、なんだかそれが急に生々しい現実感を帯びた気がして。

 何も報いることができないままに、残してきてしまった前世の両親の姿が思い出されて。

 とても、怖くなって──


 だから、頭を思いっきり振り回して、深く考えないことにした。

 急に何事か、と怪訝な顔をするクライアさんに小声で謝る。

 その悲しみはもう、たくさんの涙に変えて流したのだ、と考えることにする。

 確かに前世では、わたしは大きな悔いを残して死んでしまったし、もうそんな後悔はしたくないから、今度は少しでも悔いのないように生きよう、と思っていた。

 今はただ、その決意を新たにする。

 それこそ、もう大切な人を残して死んでしまうことは、あまつさえ悲しみを与えてしまうことは、多分ないはずだから。

 そんな心配は投げ捨てて、少しずつでも皆に恩返しをしよう、と思う。


 ふぅ、と小さく息を吐いて、またお葬式の様子に意識を戻した。

 修道士さんのお祈りの言葉は続いている。

 皆がそのお祈りの言葉に耳を傾けながら、静かに祈り続けている。

 ……目の前にいるエイラさんも、微動だにせずに、ただただ祈りを捧げているようだった。

 そんなエイラさんの背中を見ていて、ふと、思う。

 ただひとりの家族を失ったエイラさんは、悔いを残さずにこの時を迎えられたのかな、と。

 ……まぁ。

 それを確かめることはできないし、お節介でしかないな、と思った。

 そして、修道士さんがお祈りの言葉を終えたようで、深く頭を下げて、祈りを捧げていた。

 わたしもそれに倣う。

 ちょっと今更感はあるかもしれないけれど…… 雑念を捨てて、わたしは一心に、わたしなりに、アラヘラさんの冥福を祈った。



 長い静かな祈りを終えたところで、お葬式は終了したらしい。

 ものすごくシンプルなお葬式だった。通しても、三十分も掛からないくらいで終わったのではないか、と思う。

 もしかしたら今回だけがやたらと簡潔な式だったのかな? とも思ったのだけれど、参列した皆の様子を見ていても、疑問に思っていそうな人もいないので、これが普通なのかもしれない。

 修道士さんが、閉式の旨を宣言して、最後にお別れの挨拶をしたい方は棺の方へ、と案内している。

 ただ、ならばと棺の方へ向かう人はいなかった。

 これが普通なのか、でも、人付き合いはほとんどなかった、と言っていたし……

 そんなことを考えていたら、わたしに声が掛かった。

 エイラさんだった。


「……ノノカ様。もし…… もし、宜しければ、最後におばあさまの手を、握ってあげていただけませんか?」


 丁寧に頭を下げてお願いしてきたエイラさんの口調は、穏やかで落ち着ききったものだった。

 でも、エイラさんの透き通るように白かった耳と鼻は、赤く染まっていた。

 アルビノだからこそ、その赤みはより鮮明に見えた。

 わたしはそんなエイラさんの様子に少し、どきり、としたけれど。


「……はい。構いませんよ」


 と答えて、棺の元に歩み寄った。

 棺の中を見る。

 そこで眠るアラヘラさんは、長身で線の細い美しいおばあさんだった。

 肌には赤みがなくて、胸も全く動いていないけれど、穏やかな表情をしていた。

 胸の前に揃えられたアラヘラさんの手に、恐る恐る手を伸ばす。

 前世を含めても、ご遺体に触れた記憶はなかったので、ちょっとだけ、怖かった。

 そっと、触れる。

 そしてまた、どきり、として。

 次の瞬間には、わたしの目から、思わず涙がこぼれていた。

 アラヘラさんの手は、とても冷たかった。

 ご遺体を見ても、まだいまいち曖昧だった死というものに、その冷たさはひどく現実的な感覚で。

 あぁ、この方は亡くなっているんだな、とその冷たさに思い知らされたのだ。

 話したことも、顔を合わせたことすらもなかったのだけれど。

 涙を流しながら、わたしは切に、アラヘラさんの冥福を祈っていた。


「っ── うっ──」


 そこに聞こえてきたのは、微かに漏れる嗚咽。

 涙を拭いながら、振り返る。

 その声の主はエイラさんだった。

 エイラさんが、耳を、鼻を、そして目を真っ赤にして、唇を噛んで、大粒の涙を流していた。

 肩を震わせて、拳を握りしめて。

 目が合って、エイラさんはなにか言おうと口を動かしていたのだけれど、漏れてくるのは言葉にならない吐息ばかり。

 そんなエイラさんに、わたしはひとつ微笑み掛けて──

 ぎゅっと抱きしめた。

 胸の中で、小さく泣き声をこぼすエイラさんを優しく抱きしめる。

 そんなわたしたちを、クライアさんが軽く抱きしめてくれて。


 ちょっと恥ずかしく思いながら、わたしたちはしばらく、そうしていた。

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