205-56 いろんな覚悟

 とりあえずエイラさんには、今はまだ色々と忙しいだろうから、と諸々が落ち着いたらわたしの家に来てくれるように伝えて、その日は解散することにした。

 わたしがエイラさんの身元を引き受ける、なんて話になってクライアさんは、良かったのかい? と心配そうに声を掛けてくれたけれど、もう言っちゃったことだし、なんとかするという決意を込めて、大丈夫です! と胸を張っておいた。

 まぁ、実際のところは、何か不都合があるにしても、どんな不都合があるのかあんまり想像がつかなかったから、そこまで不安は感じていなかっただけだけれど。

 本人の意にそぐわない仕事をさせてしまう、とか、十分なお給料を払えない、とかいう問題はすぐに思いついたけれど、本人が嫌がる仕事を無理にやってもらうつもりはないし、お給料も今なら薬の調合である程度安定した収入があるから、手元に残る分を切り詰めてしまえばそこまで心配することはない、と思う。


 ──それにしても、前世で実際に人を雇う立場だった両親の姿は見てたし、ゆくゆくは自分もそれを支えて、そしていつかはその立場になる、とは思ってたのだけれど、まさか今こういった形で人を雇う立場になるだなんて、全く予想してなかったなぁ……


 帰り道で、わたしはそんな風に妙に感慨深く思ったり、あとちょっとだけ前世のことを思い出して胸がきゅっとするような感覚を覚えたりしながら、小山を登りきって自宅のある山の上の草原に出た。

 吹いて来た穏やかな風が、汗ばんだ肌を撫でてくれて心地良い。

 最近は大分と暖かくなって来たので、こうして山を登るのはちょっと大変になって来た気がする。

 実はわたしは《ストレングス筋力強化》の魔法を使ったりして楽ができるんだけれど、魔法が使えない人は、特に夏場だとこの山道を登るのは億劫かもしれない。

 ……そういえば、エイラさんをうちで雇う、とは言ったけれど、毎日この山道を通ってもらうことになるんだろうか? とそこで思い至って、はて、とわたしはそこで立ち止まって頬に触れた。


「毎日のように通ってもらうには大変な道のりだよね…… でも、うちに住み込み──は、スペースもないから厳しいよねぇ……」


 大部屋と寝室しかないこぢんまりとした我が家を思い出して、わたしは小さく息を吐く。

 エイラさんは確か、おばあさんから人に仕えるための知識を教わった、と言っていたけれど、それはつまり、メイドさんみたいなイメージで良い…… のかな?

 だとすると、なんとなく住み込みで働くようなイメージもあるんだけれど、その辺、エイラさんはどう考えているんだろうか。

 本当はさっきのうちに、ある程度話を詰めておければよかったんだけれど、そこまでは頭が回らなかったな……

 住み込みを前提で準備をしようと考えてくれているのなら、無駄手間を掛けさせてしまうし、早いうちにその辺りの認識のすり合わせはしておいた方が良いな、と思った。

 なんならこのまま教会へ戻って、すぐに確認しておきたいくらいだったのだけれど、エイラさんはこのあと棺の埋葬もあるし、その他諸々やることがありそうな気がしたから、さすがに邪魔をしては悪い、と今日のところは自重しておくことにした。

 エイラさんも今日は自分のことで精一杯だろうし、明日の朝にでもエイラさんを探して確認を取れば、まだ間に合うだろう、と思う。

 そんなわけで、とりあえずこの件は今日は保留。

 わたしはひとつ、んー、と伸びをしてから、草原を歩き我が家に向かった。

 そして帰宅してからは、一応部屋を片付けておいた。

 薬の調合で使うような器具が増えただけで、物自体は少ない我が家だから、それほど気にすることはないし、これからはむしろ、その片付けを任せることになるのかもしれないけれど、人を迎えるにあたっての心構えみたいなものである。

 そんなこんな、部屋を片付けたり、薬草の下ごしらえをちょっとやったりして、日が暮れる。

 そうしてわたしは、全く未知の慣れないお葬式に参列した疲労感も感じながら、藁のベッドに潜り込んでその日は眠りに就いたのだった。



 目を開けると花畑だった。


「……あれ!? わたし死んだ!?」


 ここで口を突いて出た、死んだ!? というのは言葉の綾だ。

 今まで、この花畑で目を覚ましたのは、毒草を食べて倒れたときとか、寒くて心臓が止まってたらしいときとか、マリューのノロイを受けちゃってひどい吐き気に見舞われたときとかだった。

 だから、ここで目を覚ましたということは、わたしはまた何か(普通の人なら)死ぬようなことをやらかしたのか、と思ったのだけれど、今回に限っては全く思い当たる節がない。

 じゃあなんで…… と固まるわたしに、背後からいつもの声が掛かる。


「あら、あなたは死なないでしょう?」


 振り返ると、古い魔法使い様がいつものテーブルのそばに立っていて、ちょうど椅子に腰掛けるところだった。

 椅子に座った古い魔法使い様は、手に持っていたティーカップに口を付けて、ふぅ、とひとつ息を吐く。

 そして、つい今しがたまで何も載っていないように見えたはずのテーブルに置かれたソーサーにティーカップを置いた。

 そこで気づいたのだけれど、ご丁寧にも、空いたもうひとつの椅子の前にも紅茶がひとセット用意されていた。

 他には誰もいないようだし、お邪魔します、と小さくつぶやいて、わたしも椅子に腰掛ける。

 古い魔法使い様は、わたしが座ると流れるようにわたしの目の前のティーカップをその手で指して微笑んでくれたので、お礼を言ってから、わたしもティーカップに口を付けた。

 紅茶は暖かいのかと思っていたら、アイスティーだった。

 時季的に昼間は汗ばむようになってきたし、こういうのも良いなぁ、とわたしが感心しながらアイスティーを、ちびちび、と飲んでいると、古い魔法使い様がちょっと心配したようなトーンで、


「あの子はあなたよりも先に眠るけど、ちゃんと覚悟はしてるのよね?」


 と訊いてきた。

 一瞬、なんのことかよく分からなかったのだけれど、すぐに思い至って思わず、あ、と声が漏れていた。

 別に忘れていたわけではないのだけれど、古い魔法使い様が言っているのはエイラさんのことだろう。

 わたしが不死の魔法使いである以上、多分、エイラさんの方が先に死ぬことになる。それはエイラさんに限った話ではないのだけれど、きっと、他の誰よりも近い付き合いになるであろうエイラさんのことだから、古い魔法使い様も気にしてくれたのだろう、と思う。

 不死だからこその覚悟、とでも言うのだろうか。

 ちょっと違うけれど、今回のお葬式で、わたしもその辺りに関しては少し考えたのだ。

 まぁ、考えた、と言っても──


「それは…… その時が来たら考えようかな、なんて……」


 ──今は今のことだけを考える、という、ただの問題の先延ばし宣言なのだけれど……

 それを聞いた古い魔法使い様は、ちょっとだけ目を丸くして、それから、ふふ、と笑った。

 呆れられたかな、と思ったのだけれど、


「そうね、良いんじゃないかしら?」


 と微笑みながら言われて、その言葉に、むしろわたしの方が驚いて目を丸くしていたら──

 ──いつのまにか、目の前が真っ白になっていた。



 いつも通りの朝に目が覚めて、身だしなみを整えたら、エイラさんと諸々の相談をするためにとりあえずわたしは山を下りた。

 住み込みか否かで準備も変わってくるだろうし、そこだけでも早々に確認しておかないといけないだろう。

 でもあいにくわたしはエイラさんの家の場所を知らないので、まずはそれを訊きに教会へと向かう。

 一応エイラさんを雇うだのなんだのという話はミウタさんも聞いていただろうし、家の場所は個人情報だから教えられません、と言われることはないだろう、と考えながらミフロの真ん中を歩いていく。

 ……と、目の前から、サンタクロースのプレゼントが入った袋みたいな、大きな白っぽい布袋を背負った女性が歩いてくるのが見えた。

 正直、もうその時点で嫌な予感はしたのだ。

 大袋を背負っている女性は、フードのように目深にスカーフを頭に巻いているので顔は見えない。

 でも、その身なりには見覚えがあった。

 今までにも、ミフロでその姿はたまに見かけたことがある。顔を隠すようにスカーフを巻いているし、さり気なく人を避けるような動きをする人だったので、印象に残っていた。

 そして、今なら更に分かることがある。

 目深にスカーフを被っているけれど、そこから覗いている口元や、そして手元に見える肌は、透き通るように白い。

 そんな真っ白な肌の人とは、つい最近付き合いがあって……


「……あの…… エイラさん……?」

「……! これは、ノノカ様。おはようございます。ちょうど今、お宅に向かっていたところでした」


 やっぱり、エイラさんだった。

 そうか、エイラさんみたいな印象的な子を今までミフロで見たことがない、とは思っていたけれど、普段はスカーフで顔を隠していたのか、と得心がいって…… いや、今の問題はそこじゃない、と頭を振る。


「う、うちに……? えっと、もしかして、その大荷物って……」

「……はい。本日からノノカ様のお宅にてお仕えすることができます」


 なんの迷いも感じさせない朗々としたエイラさんの言葉に対して、わたしの方は一瞬言葉を失っていた。


「……ノノカ様?」

「……え。あ、うん、えっと、エイラさん、あの…… エイラさんのお家は、どうするの……?」


 とりあえず、ひとつずつ確認していこう、と思って、まず気になった家のことについて訊ねてみた。


「……その前にひとつ。わたくしに敬称は不要です、ノノカ様」

「え? あ、あぁ…… じゃ、じゃあ、エイラさんもわたしのことを、サクラ──って呼んでくれれば良いよ……」


 そうしたら、まず呼び方について正されてしまったので、ついついついでとばかりに自分の呼び方についても言及していた。

 初めてクライアさんに名乗ったときに、『サクラ・ノノカ』と名乗ってしまったものだから、わたしの姓と名は、皆にひっくり返って認識されている。

 未だに、気を許すという意味で〝サクラ〟と呼んでもらうというのは、違和感があるなぁ……

 って、そんな話ではない。


「……では、サクラ様。家についてですが、売りました」

「んぇ!?」


 すっぱりそんなことを言い切られた。

 昨日の今日で思い切りが良すぎるのでは!? とまたも言葉を失ったけれど、二度目だったので今度は割と早めに我に返った。

 とりあえず、思い留まらせるなら、今ならまだ間に合うかもしれない、とわたしは怖々と言葉を続ける。


「あ、あのね、エイラ……ちゃん。やる気に溢れてるのはすごく嬉しいんだけれど、うち狭いから、住み込みは厳しいんじゃないかな、って……」

「……はい。存じてます」


 あぁ、そういえばエイラちゃん、お葬式への参列のお願いにうちに来てたな…… と思い出した。

 じゃあ、むしろうちの狭さは知ってるだろうに……


「かなり窮屈な思いをさせちゃうと思うんだけれど……」

「……問題ありません。床でも寝られます」

「え、それは許さないからね……?」


 無茶だとは思うのだけれど、有無を言わせぬ気迫に満ちたエイラちゃんに、結局今のところはわたしは折れることにした。

 実際にやってみて、やっぱり無茶ならエイラちゃん用にミフロに家なりを借りよう、と思う。そんな余裕があるかは別にしても……

 ひとまずわたしたちは、エイラちゃんを我が家に迎えるにあたって入り用になりそうなものを買い揃えてから、小山を登ることにしたのだった。


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