202-51 冬の終わり

 さらに二ヶ月以上が経った。

 途中、ノロイを受けてしまって、とんでもない吐き気に見舞われるという〝事故〟があったりもしたけれど、わたしの王都の魔法学院への留学(出稼ぎ)は、大体は順調に進めることができた。

 仕事の合間にマリューから教わった、種々の薬草の薬効やその調合方法も、基礎的な部分ならかなり身についたと思うし、魔法についても教えを受けて理解が深まったから、薬草の調合に当たって魔力を使ってその薬効を増す、なんて方法も教えてもらうことができた。


「いやぁ、サクラったら本当に覚えが良かったからね。というわけで、私の名前に学院の名前も並べて保証書書いたよ! これがあれば大概の商人さんは信用してくれると思うけど、駆け出しの薬師としてはここからがスタートだから、励むように!」

「ありがとうございます! 頑張ります!」


 マリューから受け取った、質の良さそうな羊皮紙の保証書をぎゅっと抱きしめて、わたしは改めてマリューに頭を下げた。

 保証書には、サクラ・ノノカには私が薬の知識を教えました、といったことがマリューと学院の名前でしたためられている。

 この保証書があって初めて、わたしが調合したお薬でも、商人さんに買い取ってもらうことができるようになった。

 別に規制があるわけではないらしいのだけれど、わたしも不確かな知識で調合なんて怖くてできなかったし、商人さんも毒か薬か分からないものを買うなんてしなくて済むのだ。

 お互いのためにもこの保証書をもらうことができて、ミフロでのわたしの収入も安定するかもしれない。

 マリューから教わったのは薬の知識だけではない。

 魔法──特に生活魔法も、一通り教わることができた。これだけでも、日常生活を送る上で格段に便利な技能が身についたと思う。

 まだ寒い日ばかりだけれど、キープの魔法にも大分と慣れてきたし、きっともう凍えることもないだろう。


 そしてその日、長い長い学院の冬休みの終わりに合わせてミフロへと帰郷する予定の立ったわたしのために、この冬に学院で見知った人たちが簡単な送別会を開いてくれていた。

 ネフリカ、ナフェリ、ロミリーの三人娘を始めとした学生さんたちや、マリューとその同僚の先生方、そして結構お世話になっていた学院の事務方さんたち……

 こうして見れば、わたしもまたたくさんの人たちと出会っていたんだなぁ、と少し感慨深かった。


「ねぇ、ノノカさん。このまま、トタッセン先生の助手として、学院に残ってくれないんですか……?」


 来客用の食堂を借りての、立食パーティー形式のささやかな送別会。

 その片隅でわたしを囲む子のひとりであるネフリカが、悲しそうな顔をしてそんなことを言った。


「ネフリカ」


 とナフェリがそれを眼光鋭くたしなめるのを、わたしは手を振ってなだめる。

 ちなみに、ロミリーは隙あらばわたしの口に食べ物を押し込もうとしている。

 わたしを囲む一角のそんな空気も、こちらに来てからいつのまにか、いつものこと、になっていた。


「ごめんね、ネフリカ…… ミフロには家もあるし、それに、心配もかけちゃってるかもしれないからね…… ても、きっとまた来るから。その時はまた、よろしくね」


 この世界はまだ、移動手段も、ましてや通信手段なんて大して発達していないから、単純に距離が遠く離れてしまうと、また出会うのも連絡を取るのも大変かもしれない。

 でも、だからといって、今生の別れじゃないんだから、とわたしは笑う。


「……そうですね。是非、またいらしてくださいね」


 ナフェリが微笑んだ。


「おや、いかがなさいましたかな? どれどれ、ノノカさん、トタッセン先生から良いワインのお誘いがありますが、一杯いかがですかな?」


 そこにぬっと現れたのは、いつもお世話になっている事務方のおじさんで、グレインさんだった。


「ウェデルくんのお母さんから、サクラはお酒が好きだ、って聞いてはいたんだけど、サクラこっちきてからは飲んでなかったでしょ? 真面目だから遠慮してたんだろうけど、でも今日は良いの見繕ってきたからね! 好きなだけ飲みな!」


 マリューはジョッキを片手に上機嫌だった。

 そのお酒を持ってきてくれたグレインさんも、普段はいつも小難しくしている顔を少し赤らめている。

 そんなグレインさんが差し出すジョッキを見て……


「…………いいですね!」


 わたしは思わず口元を緩めながら、ジョッキを受け取った。

 実際こちらに来てからはずっと遠慮していたお酒──雑味のない本物のワインは、それはそれはとても美味しくて……

 わいのわいの、と送別会はとても楽しいものになった。



 そして後日。

 新学期を翌日に控えたその日が、わたしのミフロに帰る日だった。

 すっかり増えた荷物を抱えて、馬車の集まるターミナル的なところで、出発前の最後の挨拶をする。

 見送りに来てくれたのは、マリューはまぁ当然として、あとはネフリカ・ナフェリ・ロミリーの三人娘だ。

 翌日から新学期で忙しいだろうから、とマリュー以外の見送りは前もって断っていたのだけれど、この三人はそれでも来てくれていた。

 すっかり仲のいい友達になっていたなぁ、とわたしは嬉しかった。


「道中、お気を付けてくださいね」

「絶対また来てくださいね、ノノカさん!」

「よく食べて、よく寝て、風邪引かないようにね」

「うん。うん。ありがとう。また来るからね!」


 順にハグをして挨拶とする。

 ひとりだけ泣きそうにしているネフリカに影響されて、わたしもちょっと目頭が熱くなりながらも挨拶を終えて、振り返るとマリューが頷いた。


「じゃあ、まぁ、またぼちぼち手紙なり送るからね」

「うん」

「それと…… これ、餞別に」

「……ん? 本?」


 マリューから手渡されたのは、立派な装丁の本だった。表紙にはシンプルに、「自然薬学」と記されている。


「薬草の薬効とか、処理調合法を詳しく書いてある本だよ。教えきれなかった、もっと難しいことまで書いてあるから、上手く使えるか分かんないけど、まぁ役立ててよ」

「ありがとう、マリュー。……でも、こういう本って結構お高いんじゃ……」

「あぁ、それは大丈夫、サクラの給料から天引きしたから!」

「……え!?」


 思わず懐を押さえる。

 この冬にマリューの助手として働いて貰ったお給料は、これまでに見たことのないような大金だったから、全く気にはしていなかったけれど……

 いや、でも、わたしが使う本なんだから、わたしが払うのは道理か、と納得しかけたら。


「冗談だよ」


 と笑われた。

 微妙な表情になったわたしの肩を、マリューが叩く。


「ごめんごめん。まぁ、しばらく会えないけど達者でね。……手紙も頂戴ね?」

「うん、わかった。ありがとう、マリュー」


 改めてお礼をいうのもそこそこに、わたしは馬車に乗り込む。

 するとそう間をおかずに、出発する。


「またねー!」

「「お気をつけて!」」


 小さな窓から手を振って、すぐに皆の姿は見えなくなってしまった。

 馬車の揺れを感じながら、小さくひとつ息を吐く。

 来る時は何度となく馬車を乗り換えた道程だったけれど、今回はマリューが事前に予約してくれていたので、乗り換えることなくミフロまで行ってくれるとのことだった。

 ……車の作りもしっかりしてるし、十日近くもかかる旅費は、マリューが支払ってくれていたので、わたしはもう、ただミフロに着くのを待つだけだ。


 ──ちょっと甘えすぎたかな……


 と反省するけれど……

 また、マリューにも恩返ししないとな、とわたしは過ぎていく王都の景色を見ながら思った。



 ちなみに、帰路は馬車酔いでほとんどずっとひっくり返っていた。

 行きではマリューが酔い止めがわりに使ってくれた《パララシス麻痺》は、治療魔法だからわたしには使えなくて……

 恩返しをしないと、と思いつつ、わたしはまた、マリューに頼りたくて仕方ないままミフロまで呻いたのだった。


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