106-56 不死の魔法使いさま
前よりやたらと時間が掛かったけれど、なんとか山を下りきって、クライアさんの姿を探す。
ぐるりと見渡した範囲には誰もいなかったので、よたよたと歩いて、道沿いに見えていた大きな建物の近くまで寄ってみると、そこでちょうどクライアさんの姿を見つけることができた。
クライアさんもこちらの姿に気づいたようで、荷車に袋を載せる作業の手を止めて、手を振ってくれる。
手を振り返しながら、クライアさんのそばまで歩いていくと、途中から、なにやらクライアさんの表情がだんだんとが驚いたような顔になってきて、かと思ったらわたしの元に飛んできた。
びっくりして固まったわたしの顔を、クライアさんが心配そうに覗き込む。
「サクラちゃん、どうしたんだい? 目元は真っ赤だし、顔色も前よりひどくなってるじゃないか! ちゃんとご飯は食べれてるのかい?」
よしよしと頭を撫でられる。
そんなに子供じゃないのにな、と思いつつも、その優しさが心に沁みた。
母は過保護的な人ではなかったけれど、それでもクライアさんと母の姿がどこか被ってしまう。
途端に、もう枯れ果てたと思っていた涙が、じわりと溢れてきて、やっぱり我慢なんかできなくて、また泣いてしまった。
クライアさんは泣いている間、何も言わずに優しく抱きしめてくれた。
少しの時間、クライアさんの胸で泣いて、そしてすぐに尽きてしまった涙を拭う。
「すみません、急に泣き出したりして…… ありがとうございました」
「いいんだよ。気にしなさんな」
また頭をぽんぽんと撫でられて、くすぐったい気分だった。
本当に、随分と優しくしてくれるので、ちょっと申し訳なくもあるくらい。
「あれから一週間まったく姿を見かけないから、心配してたんだよ。お隣さんのよしみってわけじゃあないが、困ったことがあったら、いつでも遠慮なく言ってくれて構わないからね」
「……一週間?」
なにが一週間なのか、一瞬分からなった。
でも、あれからと言ったら、ひとつしか思い浮かばない。
「一週間って…… 初めてお会いしてから、ですか?」
「うん? そうだよ」
まず、自分が何か勘違いしているのかと思った。
「……一週間って、七日間ですよね?」
「え? ああ、そうだが……」
違った。
では、クライアさんが何か勘違いをしているのかと思ったのだけれど、どうもそんな様子ではない。
確かに、泣き続けていた間の周りの様子など、気に留める余裕もなかったのでさっぱり覚えていないのだけれど、さすがに一週間となると……
「……一週間何も口にしなくても、人って生きてられるんですね」
あるいは、やはりここは死後の世界とかで、食べる必要はないんだろうか。
しかし、それを聞いたクライアさんの表情は、随分と不可解そうなものになっていた。
「何を言うんだい? 一週間も何も飲み食いしないで、生きてられる人がいるわけないだろう?」
当たり前のことを、当たり前だと言われた。
「え?」
「えぇ?」
二人はきょとんとしながら見つめあう。
どうも話が食い合っていない。
しばらく、そうして見つめあっていたのだけれど、クライアさんはこちらを見つめながら、何か思い当たることがあったのか、なにやらだんだんと思案顔になっていく。
そしてなにか思い至ったのか、最後に首をひねった。
クライアさんがなにに思い至ったのか分からないわたしは、変わらずちょっと呆けた顔をしている。
「もしかして…… この一週間、なにも食べてないのかい? 水も……?」
まさかと言うような、半信半疑の表情だった。
「え、と…… この前、初めてお会いしてからは、一切、なにも……」
それはわたしも同じだった。
そもそも、体感時間的にも、本当にあれから一週間前経っているのかからして、まだちょっと疑っていた。
なにか根本的な勘違いや思い違いが起こっているのではないか、と頭の片隅で思っていた。
しかし、次に続いたクライアさんの言葉で、その辺りの考えは全部押し流された。
「もしかして、サクラちゃんは…………〝不死の魔法使いさま〟なのかい……?」
「…………え?」
一瞬、頭が白紙になる。
不死?
魔法使い?
言葉を順に理解して、ああ、やっぱり、ここはわたしの知る世界じゃないんだな、と思った。
クライアさんの方は、なんだか得心がいったように頷いて、それからまた、なにか思いついたように目と口を開いた。
「サクラちゃんが、そんな、畏れ多くも不死の魔法使いさまだっただなんて…… ああ、これはご無礼を……」
そう言ってクライアさんは、わたしの前で膝を折った。
クライアさんがなにをしようとしているのか直感的に理解して、驚いて、慌ててそれを制止した。
「ち、違います! わたしは、そんなんじゃなくて…… ただの……」
ただの……なんだろう?
勢いで言いかけたけれど、ちょうどいい言葉が思い浮かばない。でもなにかないかと思い探す。
「ただの…………お隣さん、です」
結局、いい言葉は思い浮かばなかったのだけれど。
クライアさんは、ちょっと困ったような顔をしていた。
「と、とにかく、わたしは〝不死〟とか〝魔法使い〟になった覚えはないので…… 畏まらないで、ください……」
ちょっとしどろもどろな感じになってしまったものの、ひとまず、よく分からない変な誤解をされることは回避できた、と思う。
そして、そんな慌てた様子を見て、膝をつきかけてちょっと腰を落としたままだったクライアさんが、小さく、ふふ、と笑った。
クライアさんの笑顔に安心した一方で、なんだか一気に疲労が押し寄せてきたような気がした。力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。
「大丈夫かい?」
「は、はい……」
差し伸べられたクライアさんの手を取ろうと、顔を上げた時。
ぐー。
と、小さくわたしのお腹が鳴った。
ちょっとだけ沈黙の時間が流れる。
「……ふふ……あっはははは!」
耐えられなかったように、クライアさんがお腹を抱えて笑った。
もう、顔を伏せるしかなかった。顔が熱いったらない。
そうしてひとしきり笑ったクライアさんが、目元の涙を拭って、それから改めてその手を差し伸べてくれる。
「とりあえず、うちへおいでな。大したもんじゃないが、食べ物も分けてあげようね。……腹ペコの不死の魔法使いさまを放ったらかしたとあっちゃあ、バチが当たっちまうってもんさ!」
「いや、本当に、わたしそんなんじゃないんです……」
鷹揚に笑うクライアさんは、そんなわたしの言葉を、果たして聞いているのやら。
困惑しながらもクライアさんの手を取る。と、そのまま放り投げられてしまうのではないか、と思うような勢いでもって引っ張り上げられて、わたしと、引っ張った当人のクライアさんもが驚きの声を上げた。
「サクラちゃんは痩せすぎだね…… これは、たんと食わせてあげなね!」
「え、ええ…… そんな、悪いですからぁ……」
そんな遠慮の言葉なんて、クライアさんは聞いていない。
そのままぐいぐいと、わたしはクライアさんの家まで、文字通り引っ張って行かれた。
ダイニングの椅子に着かされて、パンや野菜やチーズやジュースを、お腹がはち切れんばかりに詰め込まれた。
それこそ、休みなく次から次へと食べ物が出てきた。
断れず、抵抗する隙もなく、出てくる食べ物をどんどん口に詰め込まれて、目を回した。
ようやく食べ終わって、お暇するときには、持って行きな! と言われて、抱えるのも大変くらい大きな袋いっぱいに、食べ物を渡された。
たじたじになりながら、最後にはふらふらと、山の上への道を、来たときとは逆にたどっていた。
都合、山の上の廃屋へと、帰っていた。
そんな自分の状況を、満腹の苦しさの最中に、ふと思う。
「…………帰る、かぁ……」
帰る、という言葉を使うのは、ちょっと思うところもあったけれど、今まで帰っていた場所がもうないことは、一週間分の涙で飲み下した、つもり、だった。
あの廃屋は持ち主がいないようなことを、クライアさんも言っていた気がするし、なにより、他に向かえる場所なんて、それこそない。
だから、いつまでかはわからないけれど、少しの間は、あの廃屋に帰らせてもらおう。
帰り道に、そんなことを思った。
……まぁ、結局、それから長いこと、そこに住むことになったんだけれど、ね。
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