106-61 魔法のない夜


 一年目、夏、ひとまず落ち着いてから。

 とりあえず落ち着ける場所が欲しくて、四苦八苦していたのだけれど……



 クライアさんに貰った、食べ物がいっぱい詰まった袋をやっと廃屋に持ち帰ってから、わたしはしばらく放心していた。

 日が傾いて、だんだんと空の赤みが増していく。

 崩れて空いた屋根の穴から、徐々に暗くなっていく空を眺めていた。


 ──これから、どうしようか?


 漠然と、そんなことを考える。

 でも、簡単に答えが出るわけないことは分かっていたので、あんまり真剣には考えていなかった。

 ただ、することがない。

 と言うか、何をすればいいのか分からなかったので、思考もなんだか同じところをぐるぐるしていたのを特段どうにかしようとも思えず、ぼーっとしていた。

 そしてただぼーっとしていたら、いつの間にやら太陽は西の木々の向こうに隠れてしまっていて、辺りは闇に包まれようとしていた。


「……あ」


 このままでは真っ暗になってしまうことに気づいて、立ち上がる。

 でも、明かりになりそうなものはなかったことを思い出して、立ち尽くす。

 この前家捜しした時も、電灯なんて──そもそも電気的なアイテムも設備も全く──なかったし、蝋燭や油といった、火を灯して明かりになりそうなものも見かけた覚えはない。


 どうしたものかと困っていると、部屋にあるかまどに目が止まった。

 そう言えば、薪置き場っぽいところは見かけた気がしたので、外に回ってそこを確認してみると、少しだけ、細かく割られた薪が残っているのを見つけられた。

 いくらか抱えてきて、とりあえずかまどにおいてみる。


「…………あー」


 でも、火を点けるものがない。

 手近にあるものでどうにかならないか、と思って、木を擦って摩擦熱で火を起こす、とか、農具工具の金物で火花を散らす、とか考えてはみたものの。


「無理だなぁ……」


 さすがに、うまくいくとは思えなかった。


 ──魔法でぱっと火が起こせればなぁ……


 と思って、クライアさんが言っていたことを思い出す。


「『不死の魔法使いさま』…… かぁ……」


 ──本当に魔法使いになっていたなら、火も簡単に起こせるのかなぁ……


 ちょっと、好奇心が湧いてくる。

 不死の魔法使い、なんて、何か比喩的な称号とか敬称みたいなもので、本当に魔法なんてものがあるなんて保証はないのだけれど。


 ──でも、一週間食べてなくても生きてたし、不死っていうのは、全く嘘ってわけでもなさそうだし……


 もちろん、ちょっと死ににくいだけで、誇張表現な可能性は大いにある、とは思う。

 それでも。


 ──もしかしたら、もしかして、なんてことも、無きにしも非ず……かも?


 そう思うと、だんだん好奇心が強くなってきてしまう。

 別に、ちょっと試してみるくらい、なにも悪いことではない。

 もうほとんど日も落ちて、暗くなってきた部屋に、誰かがいるわけはないのだけれど、一応、きょろきょろと見回して、絶対に誰もいないことを確認する。

 それから、ちょっと遠慮がちに、腕を伸ばして両の手のひらを、かまどに置いた薪に向けて。


「ただの、独り言だから……」


 誰に向けるでもない、言い訳をして。


「……ふぁ、ファイア!」


 魔法、を唱えてみた。


「………………」


 部屋は暗い。


「め、メラ!」


 変化はない。


「光、あれ……!」


 何の手応えもない。


「………………」


 ──いや、分かってた。分かってましたよ……


 とは言え、いくら頭で分かっていても、だ。

 耳と、顔が熱くて仕方なかった。

 両手で顔を覆ってその場にうずくまる。顔に火を灯したくはなかった。

 そうしてそのまま、しばらく恥ずかしさに縮こまっていると。


 かさっ。


 と、風が草はらを撫でる音とは違う、微かな音が聞こえて、無言で、心臓が口から飛び出るかと思うほどに驚いた!

 まさか、まさか今の恥ずかしい独り言を聞かれたのではないだろうかと、四方八方をちょっと取り乱しながら見回す。

 しかし、もう日も落ちた山の上の草はらは、月々と星の明かり以外は一切の光源もなく、暗かった。

 さすがに、明かりもなしにこんな山の上まで登ってくる人はいないだろうから、あの独り言を他人に聞かれた心配はなさそうだ、とわたしは安心して胸をなでおろした。


「…………ん?」


 そこで気づく。

 じゃあ、今の草を踏むような音は、一体何だったのか……?


 かさっ。


 また聞こえた。

 音は小さく、遠いけれど、暗くて見えない目の代わりに冴えた耳には、やたらと大きく、近く聞こえてしまう。

 そしてさらに、鋭敏になった聴覚が、遠くから、微かに、響いてくる音を捉えた。


 ワオーーン。


 という、オオカミの遠吠えを。


 さっと血の気が引いた。

 扉は、閉めてある。

 でも窓は窓枠しかないので、すかすかだ。実質、全開になっているようなものだ。

 慌てて、クライアさんからもらった食べ物の入った袋を抱え上げて、リビングよりは狭い寝室に逃げ込んで、扉をしっかりと閉めた。

 だけれども、この部屋にも窓がある。他の窓と同じように、窓枠しか残っていないので、狼くらいなら入るに充分なくらい、しっかり開放されてしまっている。


 月明かりを頼りに、そっと、おっかなびっくり窓の外を覗いてみた。

 麓の集落の方向、玄関のある位置からすれば、家の裏手に当たるこちら側は、少し斜面になっているので、窓の位置は多少高くなっている。だからと言って、狼とか、野生の動物が飛び込んでこれない保証もないので、全く落ち着けない。

 ちょっとの間、悩んで、二つあるうちの一つのベッドをどうにかこうにか窓際に立てかけて、籠城を決め込むことにした。

 少なからず隙間ができてしまったが、致し方なし。


 そうして寝室に閉じこもったわたしは、真っ暗な中でできることもなく、部屋の隅に縮こまって、とりあえず横になって、その日は休むことにした。


 まぁ、結局、落ち着くことなんてできなくて、怖さと寒さに震えて一睡もできないまま、朝が来るのをひたすら待ち続けることになったのだけれど。


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