恋する人間魚雷

藤原キリヲ

恋する人間魚雷




 ――太平洋戦争において旧日本軍が開発した兵器で、「回天かいてん」というものがあったそうだ。




 「回天」はいわゆる特攻兵器というもので、簡単に言ってしまえば人間が搭乗した潜水艦のようなものでもって、敵艦めがけて体当たりをかますという運用がなされる。

 ヒットすれば戦艦さえ沈めるほどの威力を発揮したというが、体当たりをする側もただで済むはずがなく、「回天」の操縦士も当然のように海の藻屑になる。

 自爆だ。つまるところ。

 みんながよく知ってると思われるカミカゼアタックの亜種で、水中版だ。

 現代人的に「なんじゃそりゃ」という感じだけど、まあ、悲しいけどこれって特攻兵器なので。

 生還とかないものらしいので。


 その有様から「回天」は「人間魚雷」とか言われたりもするらしい。

 操縦士は報国の大義を胸に、自身を爆薬と成して敵艦を沈める攻撃を試みるのだ。




 一応言っておくけど、あたしは戦争も兵器も、歴史にだってさして興味はない今時の小娘で、思想的にもとりたてて右傾化してるとかでは別にない。

 この「回天」に関しても、つい最近たまたま観た映画でやっていたから知っただけのにわかに過ぎない。

 軽々しいことを言ってガチにソッチ系の方々を怒らせたくはないのだけど、まあ、素人の戯言だと思って聞き流してもらいたいところなのだが、


 あたしは、「回天」について知った時、なんとも言えない気分にさせられたのだ。




 「回天」とは、要するに魚雷を潜水艦のようなものに改造し、人が乗れるようなスタイルに仕立て上げた兵器だ。

 よって、操縦方法もそんな複雑なものにできるわけがなく――そもそも特攻させる兵器にそんな手が込んだ設計をする意味もなく――実にシンプルだ。


 まず、母艦となる潜水艦から射出された「回天」は、潜望鏡を利用してこれから突撃しようとする敵艦の位置や速度や方向を確認する。

 そして、敵艦の進路やら諸々を計算して、「この方向に進んでいけば確実に命中する」という角度を設定する。

 同時に「回天」が発射してから敵艦に命中するまでどれくらい時間がかかるのかを計算する。

 そこまでやったら潜望鏡を下ろして身を隠して、いよいよ突撃開始だ。


 射出された「回天」の中で、操縦士はストップウォッチを手にして時間を図りながら、突き進む先に敵艦がいることを信じて進んでいく。

 で、さっき計算した時間が経過してもなお敵艦に命中しない=自分が生きている、状況になったとしたら、攻撃が命中しなかったものとして最初からやり直す。


 ……要するに決め打ちだ。

 「ここだ!」っていう角度を決めて、敵艦にぶつかることを祈りながら、闇雲に突っ込んでいくだけの、最早攻撃と呼べるのかも怪しい運用。


 元々ただの魚雷でしかない「回天」には外を見る窓もなければ、小回りの利く推進機もない。

 だから、そのようにするしかない。



 そしてそれこそが特攻兵器の本質であり、あたしが感じ入る悲哀のようなものだ。



 事前の計算がピタリと合って、見事敵艦に命中、撃沈に成功したとしても、操縦士はその頃にはもう爆散している。

 仮に死の間際、沈みゆく機体の中で敵艦を撃沈した達成感に打ち震えていようとも、それは何らかのエラーによって無関係の岩もしくは味方艦に誤って命中したものかもしれない。

 成功しても死ぬ。失敗しても死ぬ。その成否は操縦士には確認のしようがない。


 唯一の生還は、索敵を間違い続け、何にもぶつからず、攻撃の機会を完全に逸した時にのみ判断される中止のみ。

 決死の覚悟を抱いて、いざやとばかりに突撃したにもかかわらず、何の成果もなく、死ぬことすらせずに逃げ帰ってくる、なんともいえぬ惨めさ。


 確かに、命中による撃沈は誉れかもしれない。でも死だ。

 死は怖い。だからって生にすがって逃走してもそれは死と同じだ。軟弱者として白い目で見られる、社会的な死。


 そもそもからして最悪なのが、敵艦がさまよっているであろう海域に位置する南の島で、いつ攻撃の機会が訪れるのか――いつ自分が死ぬのかを考えながら、波の音とか聞いてなきゃいけないことだ。


 そして、その出発の機会すら訪れず、結局なにもしないまま南の海で終戦を迎えた兵士だって、きっといたに違いない。

 彼等はなにを思ったんだろう?

 生き延びたのを喜ぶべきなのか?

 緊張するだけ緊張して結局になにもしなかった自らを恥じるべきなのか?



 そんなふうに、「回天」の操縦士が遭遇する様々なシチュエーションと、それに伴って抱いた(であろう)諸々の感情について想いをはせていると、あたしの胸はぐーっと切なくなって、目頭が熱くなる思いがする。


 だってそれだけ覚悟したって、こんなにもなんにもならない結果ばっかりなんて、世の中あるだろうか。

 まあ、それなりにあったんだろう。そういう時代だ。


 でもあたしは、その時代の人じゃない。

 それなりに努力すればそれなりに報われる時代に生きている。


 だから、当時の人の立場も信念もとりあえず無視して、ただただその境遇に置かれた者たちの心情を勝手な視座から憂うのだ。



 ああ、なんて悲しい。なんて哀しい……。




 けど、そういうものって、時代の流れとともに、本当にすべて消えてなくなったの?


 あたしは考えるのだ。




 現代にまで生き延びた、「回天」に似た何かについて。







 あたしは今大学生で、性別は女で、好きな人がいる。


 ただどういうわけなのか、あたしが好きになった人は、今同じクラスで、性別は女で、多分向こうはあたしのことを嫌いとまではいかないけど、あたしが胸に抱いてるほどに好きではないんでないかな、という感じなのだ。


 あたしたちは、入学して席が近かったところから交流が生まれた。

 その後も、一緒に授業を受けたり、課題のために一緒に勉強したり、それ以外にも一緒にどこか遊びに行ったり、一緒に家でだらだらしたり、だいたい一緒にいる。

 話が合って、趣味が合って、一緒にいるのが嫌にならない相手。


 そういう相手を好きになるのって、別に普通じゃん?自然じゃん?と思う。



 ただ、性別が同じだったんだよなー、と。




 あたしは、例え性別が一緒だろうが、それで世の中にとやかく言われようが、死がふたりを分かつまで添い遂げるのなんて全然いけちゃう、と思う。

 だってそれが愛ってもんでしょ。

 生きてりゃいろいろ障害はあんだろうし、そのたびにくじけてたら好きなことなんて何もできやしないでしょ。

 あたしはそんなふうに思う。


 けど、それを他人にまで押し付けるほどのエゴはあたしにはない。

 あたしにとってできてる覚悟だって、相手ができてるとは限らない。

 いや、つーかそんなの普通できてない。

 そして、一生かかってできるようになるとも限らない。



 あたしはいつの頃からか、性別とか、倫理とか、そのへんのタブーの観念が希薄で、世の中の当然に照らし合わせず好き勝手行動した結果、ややこしくなったりごちゃごちゃしたり修羅場ったり酷いこと言われたりしたことが結構ある。

 そんなことを二十年近くやってりゃ、それなりに肝も座るもので、ちょっとぐらい赤の他人から何を言われようが全然気にならない。

 反面、あたしという人間が常識的に見ると割かしアレで、上手く生きてくためには他人に意識して合わせなきゃならん部分が結構あるぞー、ということも二十年近く無茶苦茶やり続けた人生でもって理解した。


 だから、あたしの基準に他人を巻き込んじゃいけないのだ。

 あたしが幸せになったとしても、その人が不幸になっちゃうかも。



 でもさー、だとしたらあたしの胸の中にあるこの愛と呼んでよさそーな快いモヤモヤはどーすりゃいいのよ。

 覚悟さえすれば幸せになれるんなら、例えそれがどんなつらい覚悟だってしてみてもよくない?

 相手がいかに引いちゃいそうでも、一緒に覚悟しよーよって説得する努力してみてもよくない?


 でも、それでマジで嫌われちゃってもなー、とは人並みにあたしも思う。

 今までみたいに一緒にいられなくなったら。

 それはそれでつらい。




 あたしが好きになった女の子は、桜木龍花さくらぎりゅうかという名前で、派手な名前の割に見た目はそこまで派手でもなく、サラサラーな黒い長髪とちょっと高めの身長が第一印象だ。

 クールっぽいイメージもありつつ私服は結構カワイめで、性格もおとなしくて清楚系。

 でもあたしと一緒で煙草は吸う。お酒も結構強いの飲む。

 イマドキの子って感じだ。


「でさー、主体性の喪失みたいなのが当然テーマになってると思うんだよね。「箱」によって失われるの。でもそれは被害者的な感じじゃなくて、それを望んでる層もいるんじゃないかな」

「そうだよね。人から見られるのが嫌になっちゃって、自分からそっち側に行っちゃう人もいるよね」

「そうそう。それなの」


 あたしと龍花は文学部で、割と真面目に授業とか受けてる派――というか、やりだしたら意外とハマったクチで、最近じゃ暇さえあれば大学の喫茶店とかでこんな風に文学トークのようなことばっかりやってる。

 そしてあたしは龍花がこんな可愛い見た目してるクセに、そんな変態チックな小説とか読んで、その内容について楽しげに語っちゃうところなんかが、もうたまらなく素敵に思えてならない。


 文学部学生とは、不健全なものだ。

 多様な作品に触れ、それを読み解かんと深く分け入ることによって、自然と退廃的とも呼べそうな思考が常になっていく。

 あたしも、龍花も、普段は普通に生活してるけど、作品を読むに際してはスイッチを入れるかの如く、文章の中に漂う不健全な空気にピントを合わせる。

 文学なんて、ひいては人なんて、元来すべからく不健全で、変態的な部分があるということだ。

 それを直視するしないはあっても、そうしたものに触れずして、作家が描く深淵な何かにはたどり着けない。


 でもさー、だったらその不健全な視点を、少しでもいいからあたしに求めてくれたっていいじゃん?とあたしは思う。

 言ってしまえば絵空事でしかない小説の中に対してじゃなくて、今テーブル挟んで向かい側にいるあたしも、その不健全ヴィジョンでもって読み解いてよ、とあたしは願う。


「……ふう、こんなとこかな。それで、このあとどうする佳織? またどっか、買い物とかしに行く?」

「んー、それもいいけどね」

「ひとまず、タバコ吸おっか」

「うん。吸う吸う」


 しかし、龍花のあたしに対する言動は結局こんな、どこにでもある全然フツーな感じで、さっきチラつかせてた不健全さとかはどこいっちゃったのって具合。

 文学作品を読み解いたりそれについて喋ったりが楽しいって意識がある以上、あたしと同じで、心の奥底にアレな部分があってもおかしくないんだけどなー。


 んー、それの発露する機会の多寡、みたいな話かな。


 あたしは最早、龍花に対しては「好き」とか「友情」なんてとっくに通過した、「めくるめく退廃の彼方まで一緒にいこーよ!的な愛情」みたいなのばっかり持ってて、それは文学作品を読みながらその文体に漂う不健全さに身を委ねるところと少しも変わりはないけれど、龍花が同じくそうだとは断言しがたいところだ。

 わかんない。本質的なところは。


 あたしが、結局心中でいかにそう思おうが、龍花に対して想いを告げないのと同じだ。

 あたしだって、隠している。

 龍花もきっと、隠している。


 だから、それは、暴いてみなければわからない。




「でねー、隣のクラスの瀧本くんが――」



「付き合ったりとか、恋人とか、そういうのは、まだちょっとっていうか――」



「うんうん。やっぱ佳織とかとこうやって喋ってる方が楽しいんだよね――」



「――佳織と一緒のクラスになれてよかった。これからも一緒にいようね」




 龍花。龍花。ああ、龍花。


 あたしは龍花のことが好き。

 男子から言い寄られる可愛いと見た目も。

 それに軽々しく乗らない奥ゆかしさも。

 不精なあたしにはない、いかにも女の子らしい仕草も。


 純粋で、無垢な雰囲気のまま、不健全な思想をあたしと語り合う空気も。

 普通さの中から時折覗く、奥底から滲み出るかすかな退廃の気配も。



 龍花のすべてが、愛おしい。



 言いたいなあ。ああ、言いたいなあ。

 あたしが本当はどういうことを考えていて、どういうつもりであなたと一緒にいるのかを。


 それを言って、どうなるのかを想像するのすら最近ではもう楽しい。

 倫理とか常識を突破して、自分たちを取り巻く全てを投げ棄てて二人でどこかに逃げちゃうとして、それのなんて甘美なことか。

 あたしの暗い奥底を知った龍花があたしを恐れて、あたしたち二人の関係性が崩壊して、瓦解して、消えてなくなるとして、それのなんて哀しいことか。


 あたしは、告げたい。

 世の人が闇と呼ぶのであろうその本音を。


 その本音でもって、龍花が同じ闇まで堕ちる結末を計画する。


 どんな言葉を、どんな時間に、どんな場所で、どんな機会で口にすれば、龍花は墜ちてくれるのだろう。


 重ねに重ねたその計算を実行せんと言葉を投げて、それが彼女になにがしかの反応を示させるまでの時間を待つあたしの心情は、どれほど焦れる思いなのだろう。


 それをもって龍花とあたしの関係性が崩れたとして、それを知ったあたしはどうするのだろう。

 すべてなかったことにして、今まで通りあろうとするだろうか。

 嫌がる龍花を無視して、彼女を自分と同じものにしようと音を上げるまでつきまとうだろうか。

 どっちだっていい。

 だってどっちも、そんなに嫌じゃないのだから。



 最悪なのは、あたしがこんな想いを抱えている状況が、そのままにされてしまうことだ。

 何かのきっかけで、龍花がどこかに引っ越していってしまったら?

 あたしが到底認められない、つまんなそうな男とくっついてしまったら?


 突発的な事件や事故で、龍花が――死んでしまったら。



 あたしは、渦巻かせ続けたこの心を、どこにも処理できないまま、平穏な日常を送れるか?


 それが。最悪。

 訪れるべきは出撃の機会。

 それを見逃さないあたしの索敵。

 実行する覚悟はもう決まってる。


 結果は、そう、死だ。

 上手く行けば、世間から白い目で見られるおかしな恋人同士の誕生という死。

 しくじれば、龍花という愛すべき彼女を失うあたしの精神的な死。


 結局死ぬ。

 なら、良いものとして覚悟を決めたい。



 つまるところ、そうした極限状態における個々人の勝手なマインドセットが、後世の人々や、周囲の人間にとってみれば「なんじゃそりゃ」的な行動に駆り立てるのだ。



 そしてそれこそが特攻兵器の本質であり、あたしが感じ入る悲哀のようなものだ。




 ――太平洋戦争において旧日本軍が開発した兵器で、「回天」というものがあったそうだ。


 「回天」――天をめぐらす。

 それは、逆転の志を表すネーミングだ。





 覆すに値する逆境が、きっといつか、やってくる。

 あたしにも、龍花にも、誰にでもきっとやってくる。


 それは今かもしれないし、遠い未来のことかもしれない。

 もしかしたら、訪れずに終わることだって。



「ねえ、龍花?」


「うん?」



 そんなのは嫌だ。

 だから、どうか、現れて欲しい。


 あたしが決意し、覚悟し、突貫せんと心に決めるその状況と瞬間よ。




「突然改まって、なんだって思われるかもなんだけど、ちょっと言っておきたいことが、あんのね――――」




 ――願わくば、それが愛しいあなたにまつわる何かであらんことを。




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