夜明けのミルクとキス

白森千

夜明けのミルクとキス

 それは、街のど真ん中にありながら目印も名前も無い為、見つけられないと有名な店であった。

 秋の冷たい風が季節外れの風鈴を揺らし、優しい音が響き渡るくらいの小さな店の中。

「お客さん、来ないねぇ。」

「来ないですねぇ。」

 日本人離れした顔で流暢な日本語を話す金髪の青年と、中学生くらいのおかっぱが特徴的である古風な少女は本を読み耽っていた。

 青年はぱたんと本を閉じ、少女に問う。

「もうさ、遊びに行っちゃう? 最近、あの通りにパンケーキの店が出来たんだって。」

「駄目です。今いい所なんで。」

 少女は本のラストシーンに釘付けで、青年の指した方向に見向きもしない。

「ちぇ、つまんないのー。」

 青年がまた文字を辿ろうとした時。

 ──チリン

 風鈴とは違う、誰かが入ってきた合図であるベルが鳴った。

「……いらっしゃい。」

 青年は、入り口に立つ女性の元へ歩み寄る。

「──せて。」

「はい?」

「あの子に会わせて……!」

 青年の後ろに立つ少女は湯気が立つティーポットとカップが乗ったお盆を持ち、その様子を無表情で眺めていた。



 ソファーに座った二人の前に少女が手際よくお茶を入れていく。

「どうぞ。リラックス効果もあるので。」

 少女は女性の前に素っ気なくカップを置くと、足早にどこかへと消えてしまった。

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私はマリア、あちらに入っていった彼女は真子(まこ)と申します。」

「あの、私あの子に悪いことを……?」

 佳穂がそう言うと、マリアはあぁと呟いた。

「彼女恥ずかしがり屋なもので。お気になさらず。」

 ほっとした佳穂を見たマリアは、ソファーに腰を掛け直してにこやかに問う。

「では、どのような依頼で。」

「私──」

 女性は、膨らんでもいないお腹を優しく撫でながら話し始めた。


「私には、お腹に子がいました。ちょうど先月の今日、産まれる予定だったんです。

 高校の頃付き合っていた彼氏とは別れました。別れて数ヶ月後、卒業間際のことなんです。子どもがいることが発覚したのは。私は別れた彼氏を探し回りました。そして、見つけたんです。この店から真っ直ぐ行って、右手に回った所にある公園で。ベンチでスマホを弄っていたところを問いつめました。そしたら、彼は『俺の子じゃない』と。それでも、問いつめました。せめて、自分の子だと認めて欲しかったんです。でも、彼はしつこかったのでしょう。彼は私を押し倒して、どこかへ行きました。その時……その時に、お腹の子は死んじゃいました。

 私、産む気だったんです。両親にも相談してお父さんにはビンタされちゃいましたが、最終的には納得しました。それからバイトも頑張って、お金も貯めて、それなのに……」


 女性はそれきり、俯いたまま話すことを止めた。

 青年は立ち上がる。

「依頼は子どもに会いたい、でよろしいですか?」

 女性は目をまるく見開き、頷いた。

「この私と彼女が必ず、会わせてみせましょう。」

 まるで英国紳士のようにお辞儀をするマリアと真子はそれを面倒くさそうに見つめ、ちらと佳穂を一瞥しただけだったが。それでも、二人の強い瞳の輝きに女性はまた涙ぐむのだった。


 女性の名前は瑞月佳穂(みづきかほ)。依頼を受けて翌日、マリアと真子は佳穂が子どもを死なせてしまったという公園へと来ていた。ここは住宅街が並ぶ中で唯一の公園ということで、子どもが沢山遊んでいる。そのせいで真子はともかくマリアが異質な存在となっているわけだが、マリアは気にせずに歩き回り、人気のないベンチの前で止まる。

「うーんと、ここかな。」

「真子も大体この辺だと思います。真子と同じ香りがここら辺からぷんぷんするので。」

「君がいうなら確かだ。」

 うぇ、と吐きそうな表情の真子を横目で見るなり、マリアは目を閉じて問う。

「君は、カホの子どもかな?」

 赤ん坊のふわりと笑う微かな声。

「少しだけ、私と来てくれないかな。お母さんが君を探してる。」

 赤ん坊は数秒の間を空けたあと、また笑った。

 マリアは優しく微笑み、彷徨う赤子の魂を吸う。本当は食事として行う行為を。悪魔が食事として行う行為を。

「さ、行こうか。君の体が溶けちゃう前に。」

 真子はコクリと頷いた。


「おまたせしました。」

 辺りが暗くなった頃、マリアは佳穂を店に呼び出し、そう言った。まだ依頼をそんなに日数も経っていない。佳穂は訳も分からずに辺りを見渡した。

「……あの、見つけたって聞いたんですが。」

 マリアはすっと自分の腹を指さし、にこやかに言い放つ。

「私のにいます。」

「は……!?ふざけるのはッ……!」

「落ち着いて。マリアの話を聞いてください。」

 真子は冷静に言うと、宥めた佳穂をソファーに座らせるとマリアに目配せをし、後ろに下がった。

「私の腹の中にいるというのも、私は人の魂を腹に収めることが出来ます。ですが、それは私たちにとっては食事という行為でしかない。あと数時間もすれば消化活動が始まるでしょう。そこで、です。」

 マリアは目を細めて、問う。

「私と、キスをしてくれませんか?」

「は……??」

 ──食事?キス?この人頭おかしいんじゃ。

 佳穂はキャパオーバー気味で痛む頭を押さえ、話の続きを催促する。

「本当はキス以外だといいんですけど、カホさんの体内へ魂をもっていけば消化活動が行われず、かつカホさんと赤子が接することが出来ます。いわば丸裸の心同士での会話が可能になるんです。」

 佳穂は迷う。子どもと会話はしたい。でも、キスはちょっと。佳穂はじっくりと考え、やがて途切れ途切れに一つの言葉を紡いだ。

「子どもに会いたい。」

 マリアは微笑んだ。


「人間の体に、魂は一つ。その掟を破るため、体には少々負担がかかります。」

「負担って……。」

「後遺症が残るようなものでは無いですから大丈夫です。体に二つの魂が宿る、それに体が対応出来なくなり、いわばショートした状態になります。意識が飛ぶ程度ですかね。」

「大丈夫ですか!?それ!!」

 佳穂は思わず突っ込む。

「やめますか?」

「……やります。」

 ふむ、と呟いたマリアは悪戯心もあってか、もう一つの質問を投げかける。

「ちなみに、私とキスしていただくのは二回ですけどよろしいですか?」

「は!?」

「お子さんの魂をカホさんの体へ移動させるので一回。お子さんの魂を私の体へ再び移動させるので一回。合計二回になります。」

 マリアは指折り説明する。それを聞いてもなお、佳穂の目には涙が溜まっているものの、意思は完全に固まっているようだ。

「やります。」

「では」

 マリアは、キスをした。恋人にするでもなく、かと言って嫌々するでもなく、これは──母から子へのキス。愛に埋もれるように佳穂は、意識を手放した。



 そこは、真夜中の街中だった。車の通りは昼間とは違い少ないが、それでもここは夜中にしては多い方だと思う。

「ここ、は……。」

 私の住んでいる街。それも、ここは出勤するときに必ず通る駅前だ。

 ふと、私の格好を見るとシャツとスカートといった上に薄地のコートを羽織っている。格好からするに、ちょうどとここは季節が変わらないのであろう。

 私は子どもに会いに来た。それなのに、なんでここでこの格好を──「待った?」

 振り向くと、そこには青年がいた。

「いや、待ってないっていうか……どちら様?」

 思わず問うと、彼はふわりと笑い、

「んー?まあいいや、行こっか!!」

 そう言って私の腕を掴み、真夜中の街を走り出した。


「ねえってば!!どこに行くの!?」

 流石にこの年になって持久走、いや徒競走だってやっていない。さっきから走っているせいで足はパンパンだ。もう無理、そう思った時彼は止まった。

「ここだよ。」

「あ……。」

 彼が指さす先には、イルミネーションで着飾られた大きな木があった。

 そういえば。私はあの子がお腹にいる時、毎日ここに来ていた。この木のように大きくなりますように、と願っていた。

「僕さー、あんくらいでっかくなりたいんだよね。」

「いやいや、十分大きいよ?」

 それもそのはず、彼は160ある私よりも20センチは大きいのだ。それでもでかくなりたいと言う彼に、私は思わずふふっと笑ってしまう。

「……やっと、笑ったね。」

 私は、思わず顔を手で押さえたのだった。


「次は、ここ。」

 夜明けが近い空の下。次に彼が連れてきたのは、あるカフェだった。 入りたいとは思っていたが、結局一度も行くことは無かったところだった。こんな偶然があるものか。

「ねえ、君ほんとに──」

 彼は人差し指を口に当て、何も言うなと言うのだ。仕方なく私も黙り、彼に続いてカフェに入る。

「わぁ……。」

「どう、気に入った?」

 私はコクリと頷く。案内されたのは、窓際の席。このカフェは窓から見える植物園が有名なのだ。私が入りたいと思ったのも、それが理由。

 彼は私を見て微笑み、メニュー表に目を移す。

「どうする……っていっても、毎回ホットミルクだもんね。」

「なんで知ってるの……?」

 ホットミルクを頼もうとしていた私は、またも心臓をドキリとさせた。まるで、見透かされているみたい。

 店員に注文する彼を横目に、私は植物園に目を向けた。来てよかったとは思う。

 それから、彼との間には無言が続いて口を開きかけた時。

「おまたせしました~。」

 気の抜けるような声と共に、ホットミルクとメロンソーダが置かれた。彼は冷たいバニラアイスをスプーンで掬い、口に運ぶと無邪気に笑う。子どもみたい。

「あ、また笑ってる~。」

 彼はまたふわりと笑った。私はハッとして、また顔を手で押さえた。そして、また彼の顔を見た時。

「あ……。」

「何?」

「な、何でもない。」

 彼の顔が、彼の笑った顔が元彼そっくりだったのだ。動揺した私は慌ててホットミルクを口に運んだせいで、思わず火傷したのだけれど。

「相変わらず、バタバタしてるよね。」

 彼はまた笑った。もう、彼の顔はあの人にしか見えなかった。だから、聞く他無かったのだ。

「ねえ、君は誰?何で私のことを知っているの?」

 彼は私の目を一瞥し、バニラアイスを溶かしたメロンソーダをストローでかき混ぜながら言った。

「僕はね、出られなかった人だよ。お母さん。」

「……。」

 やっぱり。つっかえていたものがストンと落ちたような音がした。でも、いざ自分の子どもだということを確信すると、声が出なかった。彼は独り言のように続ける。

「どうしてもさ、お母さんを安心させたくて大きくなったけどエスコートって難しいね。やっぱり、ちゃんと大人になれた人にしか出来ないみたい。」

 ちゃんと、大人になれた人。その言葉がギュウと私の心を締め付けた。辛いのはこの子なのに、目からは涙が堰を切ったように止まらなかった。

「ごめんなさい……ほんとに、ごめんなさい……。」

「違う!!そういうことじゃない!!」

 彼はバンと机を叩いた時、そこは私の住んでいた部屋に変わる。飲み物だけが変わらずそこにあるが、カップはやはり自分の家のものだった。

 緊張やら何やらで湿った私の手を握る彼の手も湿っていた。

「ごめん。でも聞いて、お願いだから。」

 温かい。私は頷くと、彼は読み聞かせをするように語り始める。

「ちゃんと大人になれた人っていうのはさ、僕が親孝行をしたかったから言っちゃっただけで。僕が産まれなかったのは、お母さんのせいじゃない。お父さんのせいかって言ったら……正直思うところもあるけれど。僕は、お母さんが産もうとお金を貯めていたことも、両親を説得していたことも、毎日あの木の公園で祈っていたことも知ってる。全部全部、嬉しかった。だから」

 言い終わらないうちに、彼の目からも涙が落ちていた。

「いいの、いいんだよ。」

 喉から勝手に当たり障りのない言葉が出ていく。言いたいのはこういう事じゃない。それなのに、この子が自分を恨んでいなかった。自分を安心させる言葉が嬉しくて、そんな自分を優先する思いがあることが憎くて何も言えなかったのだ。私は深呼吸をして、一つ一つ言葉を紡いでいく。

「私は君が、ううん、翔真(しょうま)を軽い気持ちで身篭ってしまった。本当は、親孝行なんてされていい人じゃないってことは分かってるの。でも、でもね。翔真のお母さんだったってこと、誇ってもいいかな……。」

 段々声が小さくなって、最後は届いたかすら分からないけれど。それでも私は、顔を上げた時。

「当たり前じゃん。」

 翔真は、泣きじゃくってくしゃくしゃの顔で笑った。もう、あの人の顔に似てはいない。この優しい笑顔は、翔真一人だけのものだ。メロンソーダみたいにわんぱくで、ホットミルクみたいに優しい私の子。

 私はホットミルクに口を付ける。すると、眠気が急激に襲ってきて、

「今度は、お母さんの下で大人にしてもらうから。待ってて。」

 翔真の声を最後に意識は途切れてしまった。それでも、翔真が最後まで笑っていたことはちゃんと分かったのだった。



「──さん。カーホさん。」

 マリアの顔が目の前にあったせいで、佳穂の額とマリアの顎は鈍い音を立てた。

「「いッ……!!」」

 真子は寝ていた体を起こし、何事かとオロオロする。

 一方のマリアは顎を抑えながらも佳穂の表情を見る。その表情には、もう悲しみに嘆く弱々しい彼女の面影は見当たらなかった。

 マリアは満足気に腹をさする。

「カホさん。」

「はい?」

「もうすぐ夜が明けます。良かったら、そこのテラスでお茶でもしませんか?」



 真子は眠たげにマリアにハーブティーを入れ、佳穂にもハーブティーを入れたと思いきや、ホットミルクを注ぐ。

 佳穂は思わず真子の顔を凝視してしまう。

「ホットミルクには、リラックス効果があるんです。」

 真子は微笑んだ。厳密に言えば、口角を微かに上に上げただけだが。初めて見た彼女の表情に、佳穂も思わず微笑んだ。

「あ、太陽。」

 マリアの声を受けて佳穂が上を向くと、確かにビルの隙間から太陽が覗いているのが見えるのだった。佳穂は思わず、目を細める。──朝日ってあんなに綺麗だったんだ。



 佳穂を見送った後、マリアは欠伸をしながら店仕舞いをする。一方、真子は眠そうに眼を擦ると、店の奥へと消えていった。くすりと笑ったマリアは看板を裏返し、店内に入る。太陽の光を受けてキラキラと埃が光る店内は、もう人の気配を感じない廃墟のような雰囲気さえ纏っていた。



 それは、街のど真ん中にありながら中々見つけられないと有名な店であった。しかし、それは少し違う。見つけられるのだ。会いたいという強い思いがあれば。ただし、死者に限り。──おや、誰かの足音が聞こえる。確かにここへと向かう足音が。




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夜明けのミルクとキス 白森千 @shiromori_yuki

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